譚ノ七
地面に倒れこんで動かない亜季に、志郎は呪縛が解けたかのように、しかし覚束ない足取りで歩み寄った。
これは現実なのか。それとも先日見た夢の続きだろうか。
「シロ。これは間違いなく現実だよ」
紫月の言葉に何となく、そうか、夢じゃないのかと他人事のように納得してしまった自分がいて、志郎は自己嫌悪に陥った。
自己嫌悪に、理解不能。
何が、彼女をこうしてしまったのだろう。
生まれか、育ちか、環境か……あるいは全てのせいか。
自分に出来ることは何もなかったのだろうか。何故、気付いてやれなかったのか。気付いてやれたのなら、こんな現実にはならなかったのだろうか。
全て、終わった後だけれど……自分の中で色んな思いが交錯して纏まらない。
久しぶりに触れた彼女の体は雨に濡れた後のように冷たくて。
これ以上、どうしていいか分からなくて志郎はただその場に座り込んで亜季の頭を自分の膝に乗せることしか出来ない。
「……なぁ、何が悪かったんやろ」
「キミの所為ではないさ。気にすることは何もないよ」
「気にするやろ、普通。だって血の繋がりなかったとしても、自分の妹分やで? よく知った人間なんやで? 施設で顔合わせてそれになりに過ごして、兄妹みたいな間柄で。それやのに、知らん内に妹分が次々人殺して……気にせぇへんなんて出来るわけないやろ」
それでも、と紫月は言葉を続けた。
「キミが殺したわけじゃない。この先彼女は、“人”として裁きを受け、殺してしまった命を背負わなければならない。覚えている、覚えていないに関わらずね」
それはそうだろう。たとえ“鬼”に憑かれていたとしても。彼女が“人”を殺したという事実は消えない。
黙り込んだままの志郎に、返事を求めていないのか。紫月は踵を返し志郎に言葉をかける。
それも、薄情とも言える言葉を。
「さて……と。ボクは先に戻るよ」
「待ちぃな。このまま意識のない人間放置するんかいな」
何故、そんなことが言えるのだろう。
「だって“鬼喰”としてのボクのやるべきことは終わったんだもん。キミも陰陽師の弟子となるのだから割り切るということを覚えた方がいいよ。まぁ、陰陽師は“人”だから“人”を心配することは悪いことではないけどね」
どうしてそう他人事のように言えるのだろうか。
「もし今が“人”の死がまだ近くて当たり前に傍にある時代であれば、ボクだって看取るなり警察のような所に突き出すなりしていたよ。けれど、今はそうじゃない。“鬼”を喰べた後は“人”に任せるしかない。何にせよ、やってしまったことは“人”の身だ。“人”によって裁かれる時代だ。よって、ボクが出来ることはもうない」
「それでも警察に事情話すとかあるやろ!」
紫月が嘘でも何でも、上手く警察に事情を伝えることができるはず。
なのに何故、それをしないのか。
志郎は事情を話して欲しいと紫月に伝えるが、彼女の返答は―――
「残念ながら、それは出来ない。“人”の身が起こしたことに、“鬼”が悪さをして今回の事件に繋がった……なんて、今の時代に言えるのかい? それで世間が納得をするのかい?」
言えるはずもない、納得をするはずもないと彼女は言葉を続ける。
「ボクには……“鬼喰”であるボクには“鬼”を喰べたから大丈夫、としか言えない。それは事情にもなりやしない。今回の事件で“人”が知りたいのは犯人が誰で、この事件が終わるか終わらないか。理由は何だったのか。それだけだ。そこに“人ならざるモノ”が……余計な登場人物がいてはいけない。そう出来ない時代なんだよ」
志郎は唇を噛む。
紫月が言うことも分かる。分かるのだけれど……。
「せやったら陰陽師は何をしたらええのや…… ? “鬼”を喰べるわけでもない。警察でもない。そんな何してるかよう分からんもんに俺はなれって言うんかいな」
「今のキミにはまだ分からないかもしれないけれど、陰陽師には陰陽師の……“人”である陰陽師にしか出来ないことがあるんだよ。正直な所、それがどういうものなのかはボクも長く生きているけれど専門家じゃないから、きっちりと教えてあげることは出来ない。けれど必要だから職業として残っている。たとえ怪しいやら胡散臭いやら言われてもね」
言い切ると、紫月は駅に向かって歩き始める。
呼び止めることも、気を失ったままの亜季を放っておくことも出来なくて、志郎はただ唇を噛みしめることしかできなかった。自分は結局何もしていないと思うばかりである。
しばらくの後、紫月か、煉か、誰かが呼んだ救急車に乗り込み志郎は眠ったままの亜季の顔を見つめることしかできなかった。
憑き物が落ちたようなすっきりとした表情をしているが彼女は意識がないままだ。
病院内へ運ばれていく亜季を見送り、志郎はそのまま警察署へと場所を移されて事情聴取を受けることになった。
そこで実際に、被害者として彼女について問われると志郎は何も答えられないことを実感した。
彼女がどんな理由でこんなことをしたのか―――分からない。
彼女との関係―――施設で、たまたま似たような境遇の血の繋がりのない妹分みたいなもの。
共犯者なのかどうか―――庇うも何も、亜季がこんなことをしていた事実すら知らない。
「俺は……」
妹分の何を知っていたのだろう。
ほとんど知らないに等しい。
それ以上に志郎が言えることは何もなくて。
“鬼”の話を持ち出してみれば頭は大丈夫かと言うような警察官の表情―――いや、はっきりとそう言われた。結局、志郎からはそれ以上何かを聞き出すことは出来ないと判断したらしい警察官から心療内科を勧められたがそれは辞退した。
長い休憩と沈黙の末、引取人は誰なのかと問われて言葉に詰まった。
紫月、は違う。ただ、今の所世話になっているだけの場所だ。
前にいた施設でもない。
悩んだ末に、安倍晴明の名前を出すと、警察は長い溜息をついた後、すぐさま彼に連絡を取れと騒がしくなった。
彼が世間的にどういう立場なのかも分からないまま、東ノ府から飛ぶように戻ってきた晴明に身柄を引き渡されて終わった。
亜季がどうなったのかというのも分からないままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます