第8話 僕と子猫の逃亡劇
「何してるんですか!」
例の男たちに違いない。
僕はその場に駆け寄っていき、少女と男たちの間に入り込んだ。
「何って……タレントにならないかって。声をかけていただけだよ。君こそ何なんだい? いきなり大きな声を出したりして」
男の一人が、いかにも僕の方が礼儀知らずのような言い方で、返答をしてきた。
「だから興味ないって言ってるでしょ!!」
少女が嫌悪感を露わに叫ぶ姿を、男たちはへらへらと笑って見ているだけだった。
「君はもう黙っていて。僕が話をするから」
僕は、少女を自分の後ろに回した。
「君。この子の知り合いなのかい?」
もう一人の男が言う。
「いいえ」
「それなら、あっちに行ってくれないかな?」
聞いていた話と違う。
母さんの話では、二人連れの男は、見咎められると逃げ去ったという。
だが、彼らは気味の悪い笑みを浮かべ、その場を立ち去る気配がなかった。
「でも、この子の学校はアルバイト禁止なんですよ。タレントにもなれませんから……」
言いかけると、
「おかしいなぁ。なんで君がそんなことを知っているの?」
僕の妹がこの学校に通っている……。
言わない方がいい。
咄嗟にそう思った。
「……それは……」
男たちは一向に去ろうとしない。
「あっち行ってろ!」
突如、男の口調が荒くなった。
じりじりと近寄り、今にも掴みかかろうとしている。
助けを呼ぼうにも、人通りがない。
どうする?
僕は、男たちの背後に視線を集中し、彼らの肩の向うを指さす。
―― そして、
「あ! 末広アリス!」
と叫んだ。
「え? アリスちゃん!?」
「“ふみゃんこ娘”の?」
男二人は同時に振り返った。
今だ!
「ごめんよ!」
ひょい!
僕は金髪娘を、さらうように腕に抱えると、肩に担いで走り出した。
金髪娘は軽かった。そして温かい。
まるで、もふもふの子猫を抱いているみたいだ
「あ! この野郎! 騙しやがったな!」
気づいた男たちが追いかけてくる。
騙されたとか言うなよ!
こんなところに、アイドルが一人で歩いているわけないだろ!
ば〜か!
ここは逃げるしかない。
向こうは二人で、こちらは僕一人。おまけに小猫がいるんだ。
僕は夢中で走った。とにかく人通りのあるところまで行かなきゃならない。
が、
ガリッ!
「痛っ! 引っ掻くなよ!」
子猫には小さな爪があり、それを僕の頬に突き立てた。
「降ろして! 降ろして!!」
子猫は雄々しく咆哮し、拳でボカスカと攻撃してきた。
「降ろして!!!!」
「痛いよ!」
子猫は僕の主張を無視し、
ドスッ!
「痛っ!!」
つま先で蹴りを入れてきた。
人が見たら、僕は立派な不審者だ。でも、人目はない。だからこそ、男たちは追ってくるんだ。
「いい加減にしろ! 逃げられないだろ!」
「降ろして〜〜〜!!!!」
攻撃はやまない。
僕は満身創痍のまま走り続けた。
「待て! この野郎!」
背後から男たちの怒声が聞こえる。
しょうがない。こういう手は使いたくないけど、
「見えちゃうよ」
小声で言った。
「……」
金髪娘は、黙ってスカートを手で抑えた。
「おい! 待て!」
男たちはしつこい。諦めずに追いかけてくる。
走らなきゃ。
足には自信がある。でも、いくら軽くても、中学生を抱えてるんだ。息が切れれ、心臓がどきどきと苦しい。足が重くなり、気を抜くとスピードが落ちそうだ。
走れ!
自分を鼓舞する。
住宅街の小道を曲がり、坂に突き当たる。
この坂を下り切れば、人通りある道に出るんだ。
走れ!
走れ!
力を振り絞って走り続ける。
「バス通りだ!」
目の前に道路が見える。ここまで来れば、もう大丈夫だ!
振り返ると、男たちの姿はなかった。
「よかった」
ほっとして、女の子を地面に降ろした途端。
「いっ痛〜!」
思わず腰に手をやる。
全速力で走ったせいで、足に力が入らず、膝がガクガクする。小娘を背負った肩が痛い。制服も汗でよれよれだ。
「君もすごい恰好だね」
やんちゃ娘を見る。
金色の髪はぐしゃぐしゃで、青いリボンはよれよれだ。襟元のリボンタイも乱れている。
そして何よりも、興奮のため頬が紅潮し、物凄い形相になっている。
“シャーン”と毛を逆立てた野良猫みたいだ。
それにしても……。
あれほどのことがあった後に、涙一つ見せないなんて、なんて強い子だろう。
「この格好で帰ったら、ご両親がびっくりしちゃうよ。少し休んでいこう」
「はい……」
少女がこくりと頷いた。
僕らは近くの喫茶店に入った。
あの学校は、下校時の飲食店の出入りは禁止されているけど、この際しょうがない。後で僕から説明しよう。
「いらっしゃいま……せ……??」
ウエイターが、僕の頬の傷と、少女の有様にぎょっとしている。
「すみません。ちょっと転んじゃって」
どう転んだら、こんな傷ができるというのか。
ウエイターに通報されたら、僕の人生は終わりだな。
でも、
「パウダールームをお使いください」
礼儀正しく案内される。
僕は用意された席で、じゃじゃ馬を待った。
助けたカメに沈められた気分だよ! 海に!
憤まんやるかたない気持ちでいると、
「お待たせいたしました」
はねっかえり娘が戻ってきた。
「え?」
その姿に僕は呆然となった。
はちみつ色の髪は整えられ、青いリボンもきれいに結ばれている。
荒々しさは影を潜め、用意された席に、足を揃えてちょこんと座った。
「ご注文はお決まり……????」
ウエイターも、あまりの変わりように唖然としている。
「あ……あの。僕はコーヒー」
「クリームソーダをお願いします」
当の本人は、何事もなかったように言う。
「先ほどは、失礼しました。助けてくださったのに……」
身づくろいを済ませた
猛り狂う子猫の面影はすでにない。
あどけない顔に、
そのアンバランスさが滑稽なくらいだけど、
(この子は将来、相当な美人になるな……)
そんなことを考えた。
いや! いや!
今、それどころじゃないだろ!? 何考えているんだ? 僕は!?
「あの……私の学校が芸能活動禁止って、ご存じなんですか?」
「うん。制服を見ればどこの学校かわかるから。僕の名前はね、
少女が、はっとしたような顔をする。
「そうだったんですね……」
声がわずかに震えた。さすがに動揺しているのだろう。
これ以上は何も言うまいと思う。このまま送り届けるんだ。
「お待たせいたしました」
コーヒーとクリームソーダが置かれた。
「さあ。飲みなよ」
僕が勧めても、金髪娘は緑色の液体を眺めているだけだった。
細かい泡がしゅわしゅわとグラスの中で生まれては消えていき、白くて丸いアイスクリームが、少しずつ緑色のソーダ水の中へ溶けこんでいった。
「疲れただろ? 少し甘いものを取った方がいい。水分もね」
「はい」
少女は、ようやくストローを手に取り、スプーンでアイスクリームを崩しながら、ソーダ水を飲み始めた。
落ち着いたのだろうか、ようやく口を開いた。
「じゃあ、私のこと知っていたんですね」
何も言うまいと思う。が、少女はじっとこちらを見ている。
「……うん。わかっているよ。
答えてしまった。
妹と同じ制服。はちみつ色の髪。青い瞳。
誰であるかは限られてくる。
「じゃあ、いろいろ知っていますよね。どうして助けてくれたんですか」
「そりゃ……妹と同じ年頃の子が危険な目に合っていれば……」
助けずにはいられないよ。
「日菜ちゃんが大切なんですね」
「……」
僕は何も聞くまい。聞くまいと、思っていた。
……が
「どうして日菜をいじめたの?」
聞いてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます