決意
中学に入り、クラスはまた一緒だったけれど、俺と杏子の間は、一気に距離が開いた。
男子と女子、というだけじゃない。
俺はこの頃には、かなりマニアックな機械好きになっており、ひたすら地味に、自分の趣味に没頭する、男子の中でも近寄りがたい部類に入っていた。
一方アイツは、持ち前の明るさと世話好きな性格で、リーダーシップをとる存在になりつつあった。
容姿は十人並の性格美人だったからか、近寄りがたいということはなく、男子女子の垣根なく頼りにされていた。最初の2年は、あまり関わりはなかった……というか、持たないよう、意識して避けていた。
杏子の方も、小学生の時に比べて、あからさまに俺の世話を焼くことはしなかったし、ごく普通のクラスメートとして接していた。
「今回の理科は、南川がトップらしいよ」
中3の1学期、期末試験、得意な理科で、アイツに負けた。別に席次発表はしていなかったけど、最高点や平均点は発表されていたし、こういう情報はいつの間にか伝わってくる。俺は将来理工系に進みたかったし、元々好きだったから、理科は得意だった。
総合点は志望校合格ラインギリギリだったので、何としても理科だけは誰にも負けたくなかったのに。
暗い、とか、機械オタク、とか言われても、成績に反映させていることが、俺の自信でありプライドだった。
おまけに今回の範囲は、俺の得意な化学・物理分野だった。確かに杏子も理科系は得意だったはずだけど、物理系は苦手だって言っていたはずだ。なのに、負けるなんて。
俺は、異常な程の焦燥感に駆られた。
必死で取り返そうと、勉強した。
……今思えば、アイツに認められたくて、見下されたくなくて、必死になって勉強したおかげで成績も上がったようなものだ。結果的に俺は模試でもA判定が出るようになり、志望校に合格した。
杏子は文系も得意だったから、総合点では俺の上を行き、さらに上のランクの高校を勧められながら、私服がいいとか言う理由で、同じ高校を受け、当然のように合格した。
人をバカにして……そんな思いから、俺は必要以上に杏子に意地を張る癖が付いてしまった、今まで以上に。
「南川も頑張ったよなあ。1、2年の時は、英数はイマイチで、国社理で何とかカバーして、やっとこ総合点平均以上、って感じだったのに。最初からG高志望しててさ。お前と一緒で。だけど無理だと思っていたら、3年になってどんどん上がって……女子では珍しいから、ビックリしたよ」
成人式の後の同級会で、元担任が酔っぱらって話すのを聞いて、初めて知った。
杏子が、最初から俺と同じ志望校だった?
そのことも、理由も、俺は、分かっていたのに。
『いつもツックンが、私の前にいる。気が付いたら、追いかけている』
『司くん、大すき!』
杏子は、ずっと、俺を、想って、いたのに。
俺は。
俺だって。
本当は、好きだった、のに。
沈黙に支配されたまま、車は走り続ける。
来月には、結婚してしまうんだ。
分かりきっていることなのに、何度も、同じ言葉を、繰り返す……心の中で。
だから、どうだと言うんだ?
諦めたいのか……それとも……やり直したいのか?
やり直したい?
始まってもいないのに?
杏子が俺を好きで、俺は杏子が好きだった、あの頃で、止まったまま。
このまま、知らん顔して別れたら、苦くて甘い、初恋として、いつの日か、いい思い出になるかもしれない……何年後か、何十年後かに。
「……結婚するんだ」
心の中で唱え続けていたフレーズが、思わず口に出てしまった。
「え……?」
驚いたように俺を見て、慌てて前を向きなおす。
運転に集中している杏子の横顔が、心なしか強張っている気がする。
辺りは国道を外れ、市街から離れた、薄暗い道だ……もう、家までわずかの所に来ている。
あと10分足らずで、俺の家に着いてしまう。
どうしようか?
車は減速し、赤信号で止まった。
対向車はない。
後続の車も、ない。
だからと言って、いくら何でも、こんな所では……ことに及ぶこともできない。
気分が悪いと言って、車を寄せてもらおうか?
きっと杏子は、親身になって、介抱してくれるに違いない。
そうしたら、あとは、勢いで……。
一瞬の間に、様々な妄想が、頭の中をよぎっていく。ドキドキする。自分の動悸で、耳が痛い。
杏子に聞かれそうで、怖い。
思わず唾を飲んで、その音があまりに大きくて、さらに動悸が酷くなる。
ジッと、杏子を、見つめて。
視線に気がついたのか、杏子も、俺を、見つめる。
「……あのさ……!」
「!」
ビクン、と、杏子の肩が、震える。
全てを見透かされたような気がして、俺は、パッと目を逸らした。
「信号、変わるよ」
誤魔化すように、呟く。
赤から青に信号が変わるのが、目に映った。
前方の暗闇に、コンビニの看板が、ギラギラとやたら光っているのも、目に入った。
家に一番近い、コンビニだった。
「アソコのコンビニで、降ろして」
「え? でもまだ……」
「ちょっと酔い冷ましながら、歩いていく。アソコからなら、じきだから」
散々妄想して、何とか手にいれようと脳内で足掻いてみながら行動には移せず。
そんな俺が最後に下した決断が『何もしないこと』だなんて、我ながら情けないと思う。
気持ちを伝えることも出来なくて。
「じゃあ、ね」
俺をコンビニの駐車場に下ろすと、そう一言言って、あっさり杏子は車を発進させた。
ジッと、見送り、テールランプが見えなくなって……俺はその場にへたりこんだ。
「じゃあね、か」
杏子の最後の言葉……味もソッケもなくて、むしろ清々する。
次に会うときは、杏子はもう南川杏子じゃない。
何になるか聞き損ねたけど、聞きたくもなかったけど、とにかく杏子は、もう人の奥さんだ。
「俺って、バカだ……」
こんな思いをするくらいなら、最初から意地を張らなきゃよかった。
ガラヤンなんかに遠慮せず、自分の想いをぶつければよかった。
結果的に上手くいかなくても、こんな風に、生殺しにはならなかったのに。
「杏子……好きだよ」
誰にも聞いてもらえない、告白。
馬鹿馬鹿しい、独白。
「好きだった……」
自分に言い聞かせるなんて、情けなくって、涙が出る。
「やべ、マジ泣けてきた……」
失恋すら出来なくて、どうしようもない
そして。
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