第20話 王宮の危機

 カヤンの城で、おれの前に返事を待つ安兵衛がいる。

 乗りかかった船だ、ここで安兵衛を一人にしてしまう訳にはいかない。


「安兵衛、また共に戦ってくれるか?」

「もちろんです」


 安兵衛はそう言い切った。

 ユミさんと安兵衛とおれ、三人が館の外に出ると、トコトコと近寄って来た馬がいる。


「あっ、タイムじぁないか!」


 あのおれを二度も落とした奴だ。


「今まで何処に居たんだよ」


 タイムは首を振り振り顔を寄せて来た。

 その日の内におれはタイムに乗り、安兵衛と共に従軍する事になった。






 離宮で結菜さんからメイクをしてもらった王妃は、その綺麗なメイクアップ用品の  数々に興味津々だった。

 そしてナチュラルなメイクアップをしたビーナスが、王宮に帰る事になる。


「ユイナさん、行きましょう」

「あの、私は遠慮しておきます」

「なぜ?」

「だって、堅苦しい処は苦手なんです」


 王妃は微笑んだ。その気持ちは良く分かるからだ。

 結局宮廷に行く事を辞退した結菜さんを離宮に残して、王妃は公の場に戻った。だが、かつらも羽根飾りも付けず、シュミーズドレスを着て、アップにした髪は櫛で留められているだけだった。

 その変身した王妃に、周囲の者は思わず息を呑み、声も出ない。

 噂は瞬く間に、パリ中の貴婦人達はもちろん、市井の庶民にまで広まっていった。


「王妃さまが」

「まるで美の女神のように変身された」

「ビーナスでは」


 多くの貴婦人達は、さっそく真似をしようとするのだが、どうしても戸惑ってしまう。その変身ぶりがあまりにも驚愕的だったからだ。

 王妃の変身に隠された秘密を探ろうと、皆騒然となってしまった。

 ファッションは他人より一味違う装いをすることで、成り立ってきた歴史がある。

 より高いかつらを付けたり、変わった羽根を差したり、コルセットは締め付け、スカートの裾を極限まで広げたりと涙ぐましい努力をしてきた。

 だがここで貴婦人達の想像を超えたファッションが出現したのだ。

 しかも、その髪は全く粉を付けていない。

 メイクも明らかに以前のものとは違っていた。

 かつらも無く羽根も飾らず、さらに驚くことに、はっきり言って下着のようなシュミーズドレスを着て表舞台に現れたのだった。



 まだ若いマリー・アントワネット王妃は、何かにつけ秘密主義であったヴェルサイユ宮殿内の習慣や儀式を、簡素化していくことに力を注いだ。

 しかし、こうした合理的な施策は、宮廷内での序列や特権をなくしていくことを意味し、オーストリア出身の王妃を敵視するグループ、反マリー・アントワネット派(反 オーストリア派)の貴族達によってささやかれる陰口は日増しにひどくなり、それが後々大問題になるのだった。



 当時の宮廷マナーでは、身分の低い側から高い側へ声をかけることは許されていなかったが、王妃も結菜さんも構わず声を掛け合った。


「ユイナさん、パーティーをしましょう」


 王妃が好んだお菓子をふんだんに取り揃えて、フランス宮廷のサロン文化を彩るスイーツパーティーを離宮でも催した。

 焼きメレンゲにクリームをつけて食べるマリー・アントワネットと結菜さん。そしてそのほかの貴婦人たち。

 しかし、ここでこの場にそぐわない話題が、参加していた婦人達の口から出た。


「下々の民がパンをよこせって、騒いでいるらしいわ」

「バンなんかいくらでもあるでしょうにね」


 さらに別の貴婦人が、「ブリオッシュを食べればいいじゃない」と言った。伝え聞いた反王妃サイドの貴族達はそれを見逃さず、即座に反応した。ちなみにブリオッシュとは牛乳と砂糖を加えたパンのことで、普通のパンと比べるとやや高価ではあるものの、お菓子とは別ものだ。とはいえ、王妃達の経済感覚が庶民とかけ離れていたことには変わりがなかった。


「王妃がとんでもない事を言ったぞ」

「パンが無ければお菓子を食べれば良いじゃないだと」

「そんな事を言ったのか!」


 飢饉が続き食糧難で困窮していた民衆に対し、マリー・アントワネットが「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」と、発言したと王妃に反感を持つ貴族達は言いふらしたのだった。




「王妃さま!」

「そんなに慌てて、どうしたの?」


 離宮でくつろぐ王妃のもとに、宮廷からとんでもない知らせが届いた。


「直ぐお逃げください。武器を手に暴徒どもがこちらに向かっているそうです」

「えっ」


 王妃の傍に居た結菜さんが、思わず声を出して立ち上がる。


「まさかフランス革命――」

「フランス革命?」

「あっ、いえ、何でもないです」


 王妃は発言を取り繕う結菜さんを伴い、すぐ離宮を離れて五百メートルほど離れた宮殿にむかう。


 到着した宮殿内は、さすがに緊張した空気がみなぎっている。民衆の鬱積したエネルギーが、遂に噴出したのだった。

 ルイ16世の表情も硬く、王妃が結菜さんを紹介したのだが、うわの空で聞いていいる。


「王さま、民達が……」


 遂に中庭にまで入り込んだ暴徒が、「王は何処だ」「王妃を出せ」と叫び始めた。



 前倒しは万博だけではなかった。フランス革命までもが早くも始まっていた。これが過去の事象を少しだけ史実よりも進めてしまった結果生じた、その後の歴史に及ぼす加速度的変化なのだ。

 バルコニーに出た王が、バンも小麦粉も十分与えると約束すると、その場はなんとか収まり、暴徒達は引き上げて行く。


 しかし事態を重く見た宮殿の者達により、フランスから国王一家を逃亡させる計画は既に立てられていた。

 王妃が離宮でファッションの話題に花を咲かせている間に、フランス国内の事態は既にそこまで悪化していたのだった。


 当時フランスの北はベルギーでなく、オランダ、ルクセンブルクと合わせたネーデルランドで、ハプスブルク家の支配下にあった。馬車で二日ほど走れば国境に達する。

 王妃は結菜さんに話しかけた。


「逃げる為の馬車は特別な注文をしたの。長く乗っているから、居心地がよくって綺麗な方がいいでしょ」

「…………」

「内装は白いキルティングを張って、カーペットは赤、クッションはグリーンと白よ」

「王妃さま――」


 さらに国境までは数日かかるだろうからと、王が不自由なく食事が出来るよう、必要な調理用具から銀食器、十分なワインまで、様々なものが携行品としてリストアップされていると話す。

 なんと危機感のない事を。本音を言えば、王妃には男に変装して馬に跨り、国境まで突っ走ってもらいたいくらいなのに。

 本当にフランス革命が前倒しで勃発してしまったのなら、王妃の命が危ない緊急事態だ。


「王妃さま、この逃避行には命がかかっているのですよ!」

「…………」


 フランス革命の重大性を王妃は認識していない。

 結菜さんは思わず声を出した。


「ユミさん、結翔さん、早く来て」

「ユミさん?」

「あっ、これは、あの、おまじないなんです」


 ユミさん達と別れた時に、迎えに来てもらう日にちまでは決めていなかったのが悔やまれる。空間移動をすれば一気に解決出来るのに。

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