流転 -境遇-

ある時はしがない男だった。

毎日、本当に芽が出るのかさえわからない

畑と向き合い、鍬を振り続けていた。

顔のシワを重ねる前に、鍬は振られる事は無くなってしまった。


ある時はきらびやかな世界に生きる女だった。

毎日、旨い酒に、好い男に。生きるのに困らず、豊かさに溢れていた。だが、目の輝きは手に入れることはなかった。内側の輝きを知るよしもなかった。


ある時は血に塗れた中を生きる寡黙な男だった。生き抜くためには命を懸けなければならなかった。命と命の天秤なんてものは、もはや機能していない時代だった。生きるとは即ち命のやり取りだった。


ある時は彫刻のような深い堀のある職人だった。手には岩のような凹凸が幾つもあった。常に姿を見られてはいけなかった。性別も、身分も、名前も、知られてはいけなかった。作者は全て誰か別の者の名前になっていた。



また、ある時は…

 



どの生も、生きるのに必死だった。

自分を生かすために、やれる事をやった。

やれる事自体が少なかった。無力だった。


生てることを感じた事はあったのだろうか。それだけ、他人ひとのことを考える余裕なんて無かった。自分の事すらわからなかった。

 

 

時を重ね、生を重ね、

流るゝままに、物語いのちを重ねる。


人の中を生き、物の流れを掻い潜り、

情の渦に抗いあらがいながら、

呼吸いきを続けてきた。

 

 

自分ひと知れずして、


逆境の中でも挫ぬくじけこと、耐える心を知った。

絶望の中にいて、諦めず未来を見出すこと、希望を覚えた。

疑心の中で、必要なもの、不要なもの、目利めききを養った。

空虚さに浸りながら、命の温かみを感じられる、感性を備えた。

無残な残酷さの最中、一瞬の命の美しさから兆しきざしを得た。

虚偽の渦の中で、誠の変わらぬ普遍さふへんさに触れた。

無常のなかで…




自分ひと知れずして、

今日も生き続ける。

振り返れば、永い道になってる事を知らず、

そしてまた、前にも続く事を知らずして。



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