EP3.歌舞伎町雀伝記

1.雀荘は大人の遊び場



 私は伯父からギャンブルのいろはを教えてもらうとともに、数多くの教訓を伝授されたけれども、その中でも最も心に響いたのはこの一言だった。


「いいかい、みーちゃん。ギャンブルは面白いか面白くないかの前に、格好いいんだ」


 何を言っているんだこの碌でなしは、と成長した今なら思わず口にしそうになるけど、当時九歳のいたいけな少女だった私は、この言葉にそりゃあもう感銘を受けたものだ。


 面白いか面白くないか、じゃない。

 まず、格好がいい。


 何だそれめちゃくちゃかっこいいじゃん。


 そして見せられたのが、かの名作である麻雀放浪記だ。博打の世界でしか生きられず、鉄火場で身を焼きながら、燃え尽きるまで博奕をやめられない碌でなしたちの物語。あの残酷なまでの博奕物語は、当時の私を魅了してやまなかった。


 ロマンというものを、学んでしまったのだ。

 おかげで見事に道を踏み外した。


 同年代の女の子たちが、おしゃれや恋に花を咲かせている裏で、私は伯父に様々なギャンブルを習った。特に麻雀なんかは、伯父の交友関係にあるおっちゃん共が、それはもう喜んで教え込んでくれた。オタサーの姫ならぬ雀荘の姫状態。娘か孫娘くらいの女の子が興味を持って教えを請うてくるもんだから、おっちゃんたちはそりゃもう嬉しかったようだ。


 一応弁解しておくと、雀荘とか闇カジノに通い出したのは高校を卒業してからだ。子供の頃は、伯父の知り合いのバーだとか家だとかにお邪魔していた。まあそこが違法じゃないと明言できるかは定かじゃないけど、そのへんは伯父がそれなりに気を使っていたようだ。


 九歳の姪っ子を引き取って男手一つで育ててくれた伯父には、うんと感謝している。

 碌でなしだのギャンブル中毒だのと揶揄しては居るけど、血のつながった両親に比べると聖人みたいな人だ。みやびはここまで大きくなりました、大好きだよ伯父さん。と高校の卒業式で言ったら号泣されたのもいい思い出だ。


 でも、である。

 それでも、私にギャンブルを教えた罪は中々に重い。


 高校の頃に伯父は「少しは女の子らしい趣味を持って欲しい」とか言ってきたけど、こんな私にしたのはあなたである。文句があるなら、九歳の少女に積み込み芸なんて教えるんじゃない。手積み卓なんてどこにあるんだよ。おかげで、自発的に闇カジノに通うような不良娘になってしまったじゃないか。


 こほん。

 伯父の期待に応えられたかは分からないけど、曲がりなりにもアイドルとして軌道に乗った時には、我がことのように喜んでもらえたので、これで少しは育ての親に親孝行できたんじゃないかなって思う。


 それに、アイドルになったおかげで、裏業界ともつながりが持てたしね。

 役得、役得。


 まあ、それは冗談半分にしておくとして――話を少し戻そう。こんなギャンブル好きの碌でなしである私が、曲がりなりにもアイドルを続けていられるのは、ひとえにこの仕事にロマンがあるからである。


 面白いか面白くないかではなく、まず格好いい。

 そう、アイドルっていうのは格好いいのだ。


 可愛いならともかく、格好いいとはどういうこと? と疑問を覚える人は、アイドルに興味がない人だろう。一度推しを見つけてしまえば、そんな考えは一瞬にして消え去るはずだ。一人の人間が懸命にパフォーマンスを見せる姿は、その人間が輝いていれば居るほどに、目を惹いてしまうものだ。


 あまりにも突き抜けたカリスマは、人の目を惹きつけて離さない。


 そこで思い出すのは、麻雀放浪記のとあるキャラの話だ。財産を手放し、身ぐるみを剥がされ、恋人を質に入れてでも博奕を打つような碌でなしが、私にはなぜか輝いて見えた。男尊女卑も甚だしい、乱暴で粗忽な男だったが、博奕に全てを賭けるあの男気は、一つの偶像として私の目に焼き付いた。


 アイドルと博奕打ち。

 両者に共通するのは、人を魅了するということだ。

 だから私にとってのアイドルの原点とは、博奕を打つ碌でなしの姿なのだった。



 さて、前フリがふさわしいかはわからないけれど、今回の話は、人々を魅了したある二人の勝負のお話だ。


 地上に輝く七星と、それを塗りつぶそうとした一色。


 敵のように出会い、師弟のように利用しあい、敵のように対立し、執着とともに一騎打ちをした二人の男のお話。

 いつの時代も、因縁の対決というのは偶像以上に人を魅了する。



 ※ ※ ※



「英知くん、フリー雀荘行こうよ!」

「嫌です」


 そんな風に快諾してくれた英知くんを連れて、私はその日の夕方、歌舞伎町一丁目に立ち並ぶ雑居ビルの一つ、その三階に入っている雀荘『紅一点こういってん』の前に立っていた。


 まだお外は明るい午後四時。今日の私の予定はレッスンのみだったので、少しだけ早めの仕事終わりである。通行人も仕事中の人が多く、帰宅ラッシュにはまだ早いこの時間に、自由気ままに歩けるのは得した気分である。


 最も、お目付け役としてついてきている英知くんは、げんなりした顔をしているが。


「いやぁ、早上がりで遊びに行けるって素敵だね、英知くん!」

「そりゃあみやびちゃんは良いでしょうよ……。僕はどちらかと言えば残業ですからね。うう、まだ仕事終わってないのに」

「そんなに言うなら帰っていいけど?」

「みやびちゃんが雀荘に行かないなら考えますけど」

「そりゃ無理だ」

「なら無理です」


 そんなわけで、互いの利害は一致していた。


 私のカジノ禁止令が出てもう一ヶ月。ひとまず来週には大きな仕事が一つ終わるので、社長からはその時に禁止令は解いてやるというありがたい言葉を賜っているのだけれど、果たしてその間、私がギャンブルを我慢できるかと言うとそんなわけが無いのである。

 あれだけオンラインカジノで遊んでおいて何を言っているんだと思われるかもしれないけど、やっぱりデジタルとリアルでは楽しみ方も違うもので、いい加減我慢の限界だったのだ。


 森須社長から許可されている遊びは、合法の公営ギャンブルのたぐいである。それを監視するのがマネージャーである英知くんの役割であり、私が違法な賭場に出入りしないかを見張っているのだった。


 そんな英知くんが、『紅一点』の看板の前でボソリと言った。


「というか、ですよ。みやびちゃん」

「なあに?」

「雀荘って、アウトじゃないですか?」

「…………」


 英知くんの言葉に私は沈黙で返す。


 これはあくまで一般的な話だが――日本において麻雀は、賭博的な要素を持つゲームであると広く認知されている。それもあって、麻雀を遊ぶゲーム場である雀荘では、まあ、なんだ。それを前提としたルールを雀荘側が用意しているのが、一般的だ。


 看板を掲げて『レートはいくらです!』なんて言ったら一発で摘発されるので、基本的には隠語を使われている。点五てんごとか点ピンとか、風速いくらとか、ワンスリーだのご祝儀だのと言った用語がそれだ。

 まあその上でハッキリ言うけど、雀荘はグレーと言うより普通に黒だ。刑法に則ればどんな少額でも賭博は賭博、普通にしょっぴかれる。いちいち摘発していたらきりがないから、悪質でない限り見逃されているだけというのが実情だ。


 ちなみに、最近は健康マージャンという看板を掲げる、ノーレートの健全な雀荘も増えてきているとは聞くけれども、残念ながらまだ一般的ではない。

 個人的にはノーレートでも十分面白いんだけどね、麻雀。基本ルールがゼロサムゲームだから、対人間での賭けの計算がしやすいってのがギャンブルとして相性が良すぎるんだけど、普通にゲーム性自体が面白いから好きなんだけどな。


 まあでも、このまま沈黙を続けていると駄目と言われそうなので、私がこの雀荘を選んだ理由を説明することにした。


「英知くん、私がこのお店を選んだ理由は、私の知り合いがやっているってことも理由の一つだけど、何よりここが、お金を賭けたりしないからだよ」

「言われてみると、看板にはレートが書いてませんけど、ノーレートってことですか?」

「そうとも言う」

「そうとも言う?」

「まあまあ、ほら、とりあえず入ろう」


 こんなもんは既成事実を作っちゃえば良いのである。そんなわけで、私は無理やり英知くんを店の中に押し込んだ。


 雀荘『紅一点』は、雑居ビルの手狭なワンフロアをパーティションで区切り、全部で六台の麻雀卓を並べた、こぢんまりとした店である。

 入ってすぐのカウンターには、いかつい顔をした角刈りの店長が、いつものようにタバコを吹かしながら競馬新聞を読んでいた。


「いらっしゃい――」


 店長はちらりと私達の方に視線を向けると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「綺麗な娘さんが二人も来るとは、この店の健全さにも箔が付いてきたようだ。これなら二度と鉄火場なんて呼ばせないですむ。いっそ若い女向けに改装でもしようか」

「周りが風俗だらけのこの立地じゃ無理でしょ。来ても夜職の女なんだから、レート上げた方がウケは良いと思うけどね」

「ふ、違いない」


 指に挟んだタバコを灰皿に押し付けながら、店長はにやりと意地悪く笑った。


「それで。今日は何をしに来た? 残念ながら今のこの店は、現金を賭けないノーレートの至って健全なもんだが――冷やかしならお断りだぜ、

「みーちゃん?」


 店長の言葉に、英知くんが怪訝そうに私を見てくる。


「冷やかしなんてとんでもない。たまにはこのぬるま湯みたいなレートで遊ぶのも悪くないかなぁって思って、友だちを連れてきたんだよ。

「伯父さん!?」


 私の言葉に、英知くんはぎょっとしながら店長の方を見た。

 面白いくらい分かりやすい反応してくれるから、隠し事のしがいがあるというもんだ。


「だから言ったじゃない、知り合いの店だって。ここ、私の伯父がやってるお店」


 そう言いながら、私は目の前の男性を紹介した。


 店長改め、私の伯父であり、そして育ての親でもあるこの男。

 一色いっしき勘九朗かんくろう


 いかつい顔立ちとバッチリ決まった角刈りも相まって、その筋の人間に見えなくもない。チェックのシャツの前を開けて街を練り歩く様子は、なまじガタイも良いもんだから、どこに出しても恥ずかしくないヤクザものである。これで今年四十八になるというのだから、姪っ子としては苦笑いするしか無い。


「みやびちゃんが伯父さんに育てられたって話は何度か聞いたことありましたけど、まさかこんな所で合うなんて思わなかったんで……あ、初めまして。僕、みやびさんのマネージャーをしています、暁英知です。こんな形でご挨拶になってしまい、申し訳ありません。」

「マネージャーさんか。これはご丁寧に。いつもこの馬鹿な姪っ子がお世話になって……」


 かしこまって頭を下げる英知くんに釣られて、伯父は律儀に立ち上がって頭を下げる。この人、強面だけどこういう所は結構マメなのだ。


 と、そこで、伯父は「ん?」と眉をしかめる。


「あんた今、『僕』っつったか? それに、英知くんって呼ばれてなかったか……?」


 伯父は怪訝そうにしながら、英知くんの姿を上から下まで舐めるように見る。


 今日の英知くんのコーディネートは、トップスはブラウンのVネックカーディガンで、ボトムスは淡いライトグリーンのプリーツスカート。パーマのかかったセミロングの黒髪はつややかで、薄く塗られたファンデーションがナチュラルな肌色を演出している。薄桃色のアイラインが血色をよく見せ、ラメ入りの赤いリップが控えめな色っぽさを表現する。どこからどう見ても清楚な女性がそこに立っている。


 だが男だ。


「伯父さん。この人、男」


 私が端的に事実を口にすると、伯父はフリーズしたように固まった。まあ無理もない。私も最初はそうだったし、彼と初対面の人はだいたい同じ反応をする。


 当の英知くんはと言うと、困惑したようにオロオロと視線を泳がせている。いや、困惑したいのは相手の方であって、あなたは好きな格好しているんだから堂々としてろよ、と思う。


 伯父はしばらく頭痛をこらえるような顔をしながら頭を押さえていたが、やがて


「まあ、趣味嗜好は自由だな。今流行りの多様性だ。文化的じゃねぇか」と無理やり納得したようだった。頭がカタそうに見えて柔軟な人なのだ。見習いたいものだ。


 その時、店の奥からガラの悪い声が聞こえてきた。


「おぅい勘ちゃん。若い姉ちゃんだからって鼻の下伸ばしてねぇよ。こちとら昼間っから席温めてやってんだ。とっとと案内しやがれってんだ」


 窓際の雀卓に座った、恰幅のいいおっちゃんだった。

 顔もでかけりゃ腹もでかい。白髪交じりのボサボサ髪を乱暴に掻きながら、彼はキャンディーを舐めていた。


「け、いい加減、ここの薄いコーヒーも飽きちまったよ。ちったぁ、客にサービスしてもいいんじゃねぇか? あぁん?」

「やかましいぞ、トラ! 何時間もコーヒーだけで粘りやがって。てめぇが居るから客が寄り付かないんだろうが。とっとと失せろ」


 小汚いおっちゃんに対して、伯父はドスの利いた声で吐き捨てるように言った。

 口喧嘩――というより、気心の知れた軽口の類だけれども、その勢いは知らない人からするとびっくりするくらい乱暴だ。私は慣れてるけど、英知くんはビックリしていた。


 それに対して、おっちゃんの方は大して気にした風もなく、下卑た笑い顔で私達を見る。


「そう言うなや、せっかく客が来たのに、オレっちが帰っちゃ、姉ちゃんたちにお茶を引かせちまうだろうが。へへへ――って、なんだなんだ、誰かと思ったらみーちゃんじゃねぇか」

「やっと気づいたのね。久しぶり、トラおじちゃん」


 この小汚い太ったおっちゃんの名前は、早見はやみ寅男とらお

 通称トラおじちゃん。


 伯父の昔なじみであり、そして、私に麻雀を教えてくれたロクでなしの一人だ。その昔、伯父が裏稼業に片足を突っ込んでいた時に、一番深い付き合いをしていたのがこのトラおじちゃんだと聞いている。そのつながりもあって、私が伯父に引き取られた時に、よく面倒を見てくれた大人の一人だ。


 そういう意味では親戚の人くらいの距離感なのだけど――身内だからといって人格者かと言えばそんなわけもなく、まあ普通に小汚いおっさんである。


「おうおう、久しぶりだなぁ、みーちゃん。しっかしおっきくなったなぁ。ちょっと前までこんなにちっちゃかったのに。やっぱりアレか? アイドルっつーのはお盛んだから育つのか? 背も胸も尻も立派に育っちまって――いや、胸はそうでもねぇな」

「セクハラでぶっ飛ばすぞクソオヤジ」


 というか、そんなに何年ぶりでもねぇ。せいぜい半年ぶりだろうが。


 この歳のオヤジは、すぐ人のことを子供扱いするから困ったもんだ。そのくせすぐにセクハラを飛ばしてくる。それがコミュニケーションだと勘違いしてしまっている悲しい生き物なのだ。絶滅すればいいのに。


 私にひとしきりセクハラをかました後、私の後ろに清楚な姿をした人物を見つけたトラおじちゃんは、流れるようにセクハラを口にしようとする。


「おいおいみーちゃん。こんなゴミみてぇな場所に友達連れてきたのか? がはは、不良だなぁ。しっかし、後ろの娘さんも偉いべっぴんさんで――」

「その人、男だから」

「は?」

「私のマネージャー。英知くん。男」

「…………は?」


 端的に突きつけられた情報を処理できなかったのか、トラおじちゃんは処理落ちしてフリーズした。見るからに燃費悪そうだし、これは粗大ごみかな?


 そんなわけで。

 二人続けて英知くんの女装の洗礼を受けた所で、ようやく私達は店内に入ることが出来た。


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