67 佐藤は聖人
鈴木が帰ってこない日の夜とのこと。
正確にはその日は実家にいるから、聞き出しておけと大役を仰せつかったらしい。
鈴木は佐藤のことなら金に糸目をつけない。
目的のために軍資金を預かり、大量にお酒やつまみを買い込んだようである。それこそ全てを吐かせるために。
男だらけのどんちゃん騒ぎ。
下品な会話やシモネタなど飛び交い、女がいないからこそ出せる話題で盛り上がった。
そうやって佐藤にあれよこれよと飲ませて、ついには泥酔したようだ。
目が虚ろでありながらも、胃の中身を撒き散らすほどではない。
気持ちいいくらいの夢心地。
それを見計らい、田中がまず切り込んだようだ。
「佐藤、おまえって本当に彼女が欲しいのか?」
「あ? そりゃあ、俺も悟りを開いた仙人じゃない。彼女を作って手を繋ぎ、舌の味を覚えながら、やりまくりたいに決まってる」
恥ずかしげもなく、だけど誇るでもなく、ただ当たり前のように言ったらしい。
大学に入るまでは禁欲的に育ってきたが、別にそう育ちたくて育ったわけではない。ただ家庭の環境がそうさせただけ。
聖人だと言われても、佐藤もやはり一人の男だと確認が取れた。
「じゃあなんで鈴木に手を出さないんだ?」
「幼馴染の美少女と同棲だぞ? 普通ならとっくにそれなんてエロゲ、ってよろしくやってるところだろう」
田中と渡辺で揃って、ついに奥まで切り込んだようだ。
そしたら佐藤は、照れるでもなく、怒るでもなく、そっと優しい微笑みを浮かべた。
「鈴木とは長い付き合いだからな。あいつとはもう従兄弟みたいな距離感だ。今更そんな相手にがっついて、仲を壊したくない。向こうも同じで信頼してくれてるからこそ、男の家なのにこうやって転がり込んできてるんだ。鈴木には幸せこそが一番似合う。その幸せにくだらない一時の衝動なんかで、少しの瑕疵もつけたくない。
俺は鈴木の信頼だけは絶対に裏切らない。それだけは自分に誓ってるんだ』
それが佐藤の答えのようだ。
幸せになってほしい人の幸せを願う。それが自分を傷つけるなどもっての他。
そういう意味では、鈴木は本当に大切にされ想われていたようだ。
渡辺も田中も、その真摯な思いは嘘ではなく、心から出た想いだと信じた。
だから、
「じゃあ、もし鈴木から告白されたらどうしたんだ?」
次の切り口で、佐藤の胸の内を聞き出そうとした。
そうしたら考え込むように、佐藤は一度言葉を詰まらせ、
「そんな都合のいいこと……たられば話は好きじゃない」
つい出してしまいそうだった想いを飲み込んで、追求から逃げるかのように顔を逸らしたのだった。
◆
と、いう話だった。
佐藤が鈴木のことをどう思っているのか。
満更ではないどころか、脈があるのがよくわかる話だ。
そして佐藤が鈴木に手を出さずにいた理由もよくわかった。
「鈴木に手を出さなかった理由は一つ。佐藤は聖人、ただそれだけ」
「ヒロインの好意に気づかない鈍感主人公感もあるが……鈴木は高嶺の花とか、そんな安いレベルではなかったからな。格差を考えると、手が届かないと端から諦めて当然か」
鈴木を大切に思っているその心、自らに誓った自制であったのだ。
本当にあの男は聖人だったのかと、それはそれで驚いた。
なにせラクストレーム家の男たちがあの有様である。そんな家で育った私が、男がそんな自制が利く生き物だと信じられるわけがない。だが、信じるしかないようだ。
佐藤と鈴木。ここまで互いを想い合いながらも、まるで噛み合っていない。
鈴木はなにもかもが完璧な女だったらしい。佐藤の持たないものばかりを持っていた。それこそ蒼き叡智を手にしていない煌宮蒼一と、今はなきお姫様くらいの格差があったのだろう。
渡辺が言うように、初めから諦めてた佐藤を責めるのも酷だろう。
「だからわたしたちは鈴木からの告白を推奨した。説得をした。貴方を愛している、ただそれを口にするだけで、好きなだけ佐藤を口にできる日々が待っていると」
「それでも脈があるならいけると、鈴木はなおも佐藤からの告白を望んだわけだ」
「そして戦争が始まってから、泥酔した佐藤に同じことを聞いた」
『長い付き合いだからな。鈴木の醜悪な中身はよく知っている。ま、どれだけ皮が良かろうと、根っこは腐っているからな。家を叩き出さないのは、貧乏性だってのもあるが、いつか必ず意趣返しをしてやるためだ。人の信頼を利用し裏切るようなカスに手を出すほど、俺も趣味が悪くないってこった。ハッハッハッハ!』
「と、真逆のことをゲラゲラと語っていた」
ああ、本当に愚かである。
佐藤ではない。
では誰か?
言うまでもない。
「向こうからの告白を待ちながら妨害し続け、つい勢いでそれを漏らして
諸悪の根源、鈴木クリスである。
そうしてその女は、堰を切ったようにこう喚くのだ。
「佐藤が頑張ってきたのは私が一番よく知ってるわよ! だからそんな佐藤がせめて人間関係で苦労しないよう、沢山手を回してきたのよ!? ずっーと佐藤のことを支え続けてきたんだもの! さあ遊ぶぞ恋をするぞとなったなら、佐藤から好きだと言ってもらえると思うでしょう!? いいや、佐藤から告白してくるべきよ! 手を出しやすいように隙も一杯一杯一杯一杯一杯見せたんだから、押し倒すくらいの男らしさを見せるのが筋よ!? ぜーんぶ、佐藤が悪いのよ!」
どこまでも自分勝手な想いを振りかざし、酷なことを求め、自分が悪いのではない、佐藤が悪いと責めているのだ。
本当にたちの悪い女である。
「それでズルズルズルズルといって、チャンスをドブに捨てたわけね」
もうこの女を相手するのは疲れてきた。あのお姫様ですら、私をここまで疲れさせることはできないだろう。
なおも喚き散らそうとするのを遮るように、たった一言この女をこう評するのだ。
「バカじゃないの?」
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