第8話 夢の世界その四
「おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。おやすみなさい。今日も一日お疲れ様でした。それにしても、今日はいつもより色々な事があったんじゃないですか?」
「こんばんは、ソフィアさんの言う通りで色々あった一日でした」
「回天さんは鮭川さんに仕返しをしたいって思ったりしてますか?」
「仕返しですか。そんな事は考えてもいなかったですね。それに、僕が原因ではないけどそう思われても仕方ないなって思うところはありますからね」
「ご主人様は優しすぎます。そんなんじゃご主人様が傷付くだけで何も良いことないですよ」
「そうですよ。アリスの言う通り回天さんは優しすぎると思います。普通は殴られたらやり返そうって気持ちになるもんでしょ。それなのに、自分が悪いかもしれないなんて思うのは変ですよ。ここは夢の世界なんですから、多少やり返したって問題無いんですからね。もっとも、直接相手を傷つけることなんて出来なんですけど」
「仕返しをしろと言われても、ここじゃそれをやることも出来ないってのは知ってますよ。鮭川のペットをアリスがボコボコにしたところで僕の気が晴れるわけでもないですし、お互いに嫌な気持ちになるだけだと思うんですよ」
「そんなことないです。僕がご主人様の代わりにみんなやっつけてやるのですから命令してくれていいのですよ。僕はご主人様に何もお返し出来てないのですから、この世界ではご主人様の役に立ちたいのです」
「アリスもそう言ってることですし、回天さんもこの世界でもっと自由にのびのびと活動されてみてはいかがですか?」
「そこまで言われるのなら、何かしてみますよ。でも、僕から戦いを挑むとか勝負を仕掛けるといったことはしませんからね」
渋々ながら二人の言っていることを受け入れたのだけれど、なんとなくいい気分にはならなかった。本音を言えば、殴られた時の方がまだ気分がいいように思えた。僕にとってアリスに戦ってもらうということは、それくらい覚悟のいることではあったのだ。
嬉しそうに歩くアリスに手を引かれて僕は当てもなく歩いているのだが、いつもと違う見慣れない場所が目の前に広がっていた。
今までは現実の世界とほぼ同じ場所だと思っていたのだけれど、今目の前に広がる光景はまるで違う国に来たみたいになっていた。テレビで見たことがあるどこかの国の寺院のような場所。そこから視線を動かすと、何度も見たことがある大瀑布。その奥に広がる雄大な草原。さらにそこから視線を動かすと見えてくる大氷河。ここはいったい何なんだろう?
「そうそう、回天さんはこの世界にだいぶ慣れてきたと思いますので、回天さんに有利な条件を探すことが出来るようになったんですよ。回天さんに有利な条件を探すことが出来るということを裏返すと、苦手な場所なんかが見つかる可能性もありますけどね。運のいいことに、この世界に回天さんほど適応できている人がいない今のうちに得意不得意をはっきりさせておくのもいいのではないかという判断なんですけど、第一印象で回天さんはどこに行きたいと思いました?」
「えっと、得意不得意ってどういう事でしょう?」
「そうですね。アリスが戦いやすくて回天さんが落ち着く場所って事でしょうか。アリスの状態はほぼほぼ飼い主である回天さんに左右されるんですけど、それを補う意味でも環境が影響してくるんですよね。それは小さな影響でしかないかもしれませんが、相手にとってマイナスになるものだったら大きなプラス要因になるんですよ。例えば、回天さんが寒いところを苦にしない人だったとして、戦う相手が寒いところが苦手だったとします。そうなってくると、相手は何も出来ずに一方的にアリスの手で攻撃されるということになるんですよ。ま、今まで戦った相手は何も出来ずにアリスの攻撃に屈していたんですけど、今後もそういう風に一方的に攻撃しておこうという事なんですよね。正直に言えば、今のアリスと周りの状況を見ると、私が神の座に就くことは確実だと思うのですが、不安要素は一つでも取り除いておきたいといったところでしょうか。それともう一つ、回天さんに出来ていて、他の人達に出来ていないことがあるんです。それは、この世界の事をわずかでも現実世界で覚えているということです」
「起きた時に夢を覚えているってことですか?」
「そうです。その感覚が大事なのです。ハッキリと覚えていなくてもいいのです、なんとなくでいいのです。その意識があればこの世界で何だって出来るようになるんですよ。起きている時の行動がこの世界に来た時に回天さんに大きな影響を与えますからね。その一つが、ペットのアリスを可愛がって愛情を注いだ結果、他の人のペットに比べて異常に強くなっているということがあるのです。回天さんがアリスに与えた愛情って、普通ではありえないくらい強いものですからね。回天さんから家族に向けられる愛情は普通と同じくらいだと思うのですが、回天さんから友人や恋人に向ける愛情ってのが全く無い状態でして、その分の愛情が全てアリスに注がれているという状態なのですよ。誰かを好きになる、誰かを良いなと思う、誰かと仲良くなりたい、そう言った気持ちすら皆無でその気持ちをアリスに全て注いでいる。そんな状態なのが私も今まで何人かの人間を見てきましたが、回天さんほどペットを愛している人は見たことがありませんでした。ペットを一番に考えている人はたくさんいましたけど、それでも多少は恋人や友人を思う気持ちもあったのです。なぜ、回天さんはそんな気持ちを持つことが無いのでしょうか。まあ、そんな事はどうでもいい話ですね。そのおかげで、私はこの世界で一番強い可能性のある回天さんとアリスに出会うことが出来たんですからね。さあ、さあ、一番気に入った場所は見つかりましたか?」
「何となくですけど、あの寺院が気になるような気がしてきました」
「なるほどなるほど、あの寺院跡ですね。あそこは確かに強い力が眠っている可能性がありますからね。ただ、今の時点では何もない廃れた寺院跡ではあるのですが、もしかしたら回天さんとアリスの手で昔の輝きを取り戻すかもしれないですね。回天さんにお願いなのですが、今回からは出来るだけアリスの攻撃を止めないでいただけると助かります。何でしたら、意識を失っている相手を攻撃しているということに喜びを感じていただけると幸いです。アリスが相手を攻撃するということで相手の力をこの寺院跡に取り込むことが出来ると思うんですよね」
僕たちはいつの間にか遠くに見えていた寺院跡に近付いていた。ほぼ目の前にある寂れた古寺。今にも崩れ落ちそうな柱に支えられている屋根を見ていると、なんだか不安な気持ちになってくる。それなのに、一歩足を踏み入れるとなぜか心が落ち着いてきていた。とても不思議な感覚に包まれていたのだった。
アリスもこの場所が気に入ったらしく、嬉しそうに駆け回っていた。それほど大きくないと思っていたけれど、アリスが走っている様子を見守っていたところ、いつまでたっても端につかなかったのだ。いくら何でも広すぎるだろうと思っていたのだが、戻って来るのにそれほど時間はかからないようだった。
「ここはまだ誰の場所でもないのです。ここでたくさん力を獲得して自分だけの場所にしてしまいましょう。そうですね、ここで何人か、いや、何十人か戦って倒せばいいと思いますよ。でも、強い意志を持っている人が相手だったらそんなに人数はいらないかもしれませんね。例えば、回天さんに恨みを持っている人なんかが良いと思いますよ。現実世界で揉めている相手とかだったら尚良いですね。今の回天さんだったら鮭川さん辺りが適任でしょうか。そう思っていると、誰かがここに向かってきたみたいですよ。私はここでいったん戻りますが、くれぐれもアリスが手を抜かないようにしっかりと手綱を握っていてくださいね。回天さんはアリスと心で繋がっている状態ですから、アリスの信頼を失うようなことはしてはいけませんからね」
こちらへ向かってくる人影に注目していると、いつものようにソフィアさんは目の前から消えていた。アリスも僕と一緒にやってくる人影に注目しているようだ。
「ねえ、今からやってくる人と僕が戦えばいいんだよね?」
「そうなんだけど、アリスはこの場所をどう思うかな?」
「僕はとてもここが気に入ったよ。どこまでも遠くに行けるのにご主人様のところに戻りたくなったらすぐに戻ってこれたからね。それに、ここに向かっているのはあの人だけじゃないみたいだからさ」
「アリスはそんな事もわかるのか、凄いね」
僕は自然とアリスを褒めていた。綺麗な金色の髪を撫でていると、撫でられているアリスも嬉しそうにしてくれていた。尻尾が無いのでわかりにくいけれど、アリスは全身で喜びを表現しようとしているのを抑えているといったように見えた。
こちらへやってくる人影が誰なのか認識できる程度の距離に近付いたのだが、てっきり
「ちょっと、なんでこんな場所に一人で来ないといけないのよ」
少し怒り気味だったが、知っている人を見つけたという安堵感があるのか、いつもよりは態度が柔らかいように感じていた。
「今日は巡さんと一緒じゃないんだね」
僕の言葉に驚いているようだったが、その驚きはすぐに警戒心へと変わっているようだった。
「ねえ、前から思ってるんだけど、なんであんたは私達を簡単に見分けられるのよ?」
「なんでって言われても、なんとなくそうなんじゃないかなって思っただけなんだよ」
「私の家族だってそんなに簡単にわかってくれないのに、なんで他人のあんたがそんな簡単に見分けられるのよ。どんだけ私達の事を見てたっていうのよ。そういうところが本当気持ち悪いんだよ。なんで、なんで、なんで、あんたみたいなやつがいるのよ。どうせ、巡の事を隠したのもあんたなんでしょ。いいから巡を呼んできなさいよ。このストーカー野郎」
「ちょっと待ってよ。僕はストーカーでもないし、巡さんをどこかに隠してるってことも無いんだからさ。落ち着いて、落ち着こうよ」
「何言ってんのよ。巡は私の半分みたいなもんなんだよ。その巡がいないのに落ち着けるわけないじゃない。あんたが何かやってるってことは知ってるんだからね。それに、その金髪の女も怪しいわね。良いわ、あんたたちまとめて私のマークが相手をしてあげるわ。マーク、あいつらをやってしまいなさい」
眠さんが僕たちを指さしながらそう言うと、上空から物凄い大きな塊が落ちてきた。大きさとスピードの割には着地は緩やかで、その中から塊を割るような勢いで一人の少年が出てきた。
熊山姉妹が飼っているペットだと思うのだけれど、前回見た姿よりも成長しているように見えたのだった。見た目の年齢も僕らと同じくらいに見えている。
「あいつを倒せば巡ちゃんが戻ってくるんだよね?」
「そうよ、全ての元凶はあいつだって言ってたし、手加減しないでやっちゃいなさい」
「わかったよ。眠を悲しませるものは絶対に許さないからね」
少年マークは僕に向かって一直線に向かってきたのだが、思っているよりもその動きは素早く、僕は避けることも出来なかった。逃げなきゃマズいと思った時には、目の前に少年マークがやってきていた。
しかし、彼の攻撃が僕にあたることは無く、僕の体はアリスに抱えられて少し離れた場所で降ろされた。
「僕がご主人様を守るから安心してね。あんな奴さっさとやっつけちゃうからさ。あれ、さっさとやっつけたらダメなんだったっけ?」
「そう言われたような気はするけれど、あんまり気にしないで戦っていいよ。出来ればアリスが怪我無く終わってくれればいいんだけどね。最初は相手の出方を窺うためにも様子を見ておこうか」
「大丈夫、僕はご主人様のペットだからね。あんな奴には負けないよ」
僕はアリスのその言葉に全く不安を感じることは無かった。他の人が言っていたら負けてしまいそうだと感じているような言葉だったとしても、アリスが言っている言葉だと妙な安心感があった。
熊山姉妹の飼っている少年マークが前よりも強くなっているかもしれない。でも、それと同時にアリスも強くなっているはずだ。小さな男の子だったマークも今では僕と同じくらいに成長している。それに比べると、アリスはこの世界に来てから見てわかる成長は無いようにも思えてきた。内面的に成長している様子もないし、もしかしたらもしかしてしまうのではないかと思っていたけれど、大丈夫。僕はアリスが負けることは無いと信じているのだ。
少年マークは牽制をいくつか入れながらアリスに攻撃をしているのだけれど、それを全て見切っているかのようにアリスは捌いていた。
アリスから攻撃することはまだ一度も無いのだけれど、少年マークの攻撃は牽制も含めてやむことは無かった。このままだとアリスは何も出来ないまま一方的に攻撃されてしまうのかもしれない。でも、そんなことは無い。アリスならきっとやってくれるはずだ。
「ご主人様。そろそろ僕も様子見をやめていいですか?」
「どういう意味かな?」
「様子見をやめて攻撃してもいいですか?」
「え、攻撃ならしてもいいけど」
「そうだったんだ。それじゃあ、僕も攻撃することにするのですよ」
アリスは少年マークの攻撃をかわしながらも僕と会話をする余裕があったようだ。てっきり防戦一方なのかと思っていたけれど、僕が様子を見ろと言ったことを忠実に守っているだけだったようだ。忠実すぎるのも考え物だなと思ってしまう出来事だった。
攻撃していいとわかってからのアリスの動きは異次元の動きそのものだった。
少年マークの牽制攻撃に合わせる形で左手を顔面に叩きこむと、そのまま右手でボディをえぐり、前かがみになったところに強烈な膝を叩き込んだ。前のめりになって倒れていく顔面に向かって戻した膝をもう一度当ててから、そのまま顔面にサッカーボールキックを決めている。この時点で少年マークの意識は無くなっているようだったが、のけ反った少年マークの頭を左手で掴んで空いている顔面を右手で何度も殴り続けていた。
眠さんはその光景を見て泣き叫んでいたけれど、アリスの耳にはまるで届いていないかというように、その攻撃が止まることは無かった。
普通だったら死ぬことが無いとわかっていても攻撃をさせることに躊躇してしまうかもしれない。見た目以上に体にダメージが残らないとわかっていても、その攻撃を止めてしまうのが普通なのかもしれない。もしかしたら、最初の膝攻撃の前に止めるべきだったのかもしれない。
でも、僕はアリスを止めることはしなかった。
アリスの気が済んだのか、攻撃が終わった時には熊山眠はもう泣くことも無く呆然としているだけであった。
「私が思っていた以上にやってくれたね。よかったよかった。君たちを選んで本当に良かったと思うよ」
突然聞こえてきたソフィアさんの声はとても嬉しそうに感じたけれど、僕はその言葉を聞いて嬉しいとは思えなかったのも事実である。
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