ガラスのくつ ~アイドル残酷物語~
ニセ梶原康弘
第1話 莉莉亞はもういない
――私は、あの娘を殺してしまった。
「今日は本当にありがとう!」
「私達、『ラ・クロワ』は新しい物語を始めます!」
「さあ行こう、あの星空の向こうへ。私達と一緒に!」
満天の星輝く冬の夜空を指さし、歌姫達が呼びかけると次の瞬間、万を超える観客達から怒濤のような歓声が応えた。
夜を迎えたさいたまアリーナに、寒さを吹き飛ばすほどの熱気と興奮が満ちている。
容姿端麗、オペラ歌手にも劣らぬ歌唱力、優美な立ち振る舞いの聖なる歌姫達。彼女達五人組のアイドルグループの名は「La Cloix(ラ・クロワ)」。
その夜は「リ・スタート」と称された彼女達のイベントが開かれていた。その名の通り、彼女達の新しい伝説がここから始まろうとしている……誰もがそう思っていた。
ただ一人を除いて。
歌姫の一人、
歌も、ダンスも、笑顔も、パフォーマンスも、無数に練習を繰り返した身体が覚えている。
だが、それだけだった。
聴いてくれるみんなに笑顔になって欲しい……かつての思い入れなど心のどこにも、もうなかった。自分が操り人形のように踊らされているように感じる。
歌うのも、歓呼に応えるのも、笑顔を作るのも何もかもが苦痛だった。
――
歓声に応えて手を振る歌姫たちの中、ただひとり俯いて震えだした彼女を、観客達は新しい伝説の始まりの感激に打ち震えているのだと思っていた。
だが、そうではなかった。
彼女は歯を食いしばり、拳を握り締め、悲しみと怒りに耐えていたのだった。
そうとも知らず、ファン達はラ・クロワの歌姫達が指す天空の彼方へ思い思いの叫びを迸らせる。
「オレ達は行くぞ! どこまでも一緒だ!」
「輝き続けてくれラ・クロワ! オレ達の永遠の歌姫!」
歌姫達は手を繋ぐ。この歓喜の潮に乗り、これからイベントを締めくくる決意の誓約を一人一人が告げるのだ。
そうしてラストソング、感動のフィナーレへと繋げてゆく……そんな段取りのはずだった。
「私は誓います。ここにいる皆を、あの星々の極みへと連れてゆくことを」
「みんなに約束する。最高の私を見せるから!」
「見届けて。ラ・クロワの夢がどこへ辿りつくか……私達の行く先を!」
胸を張り、瞳を潤ませ、一人一人が約束するたびに歓声が沸く。
そうして進み出た四人目の歌姫は、今回ラ・クロワに新しく加入した岩倉さゆりだった。彼女が会釈して「私は……」と始めたとき、緊張した会場はさっと静まり返った。
「私は歌います。学校で虐められたり一人で生きるのが寂しかったり……そんな辛い人の為に。慰める人も励ます人もいない悲しい人達の為に」
一瞬の間があり、次の瞬間、感動した観客達からの大歓声と拍手が彼女を包んだ。
岩倉さゆりは、ラ・クロワにふさわしい新しい歌姫としてファン達に認められたのだ。
次はチクサの番となる。
だが、それまで我慢していたものが彼女の心の中でブツリと切れた。
その言葉は、ここにいないラ・クロワの歌姫が遺した誓約を盗用していたのだ。
(こいつ……!)
我慢ならなかった。
会心の笑みを浮かべるさゆりへ、つかつかと歩み寄る。
そして、怪訝な顔で自分を見上げた彼女の頬を……チクサは次の瞬間、思いきり平手打ちした。
乾いた打擲音に観客席から驚愕の叫びや悲鳴があがる。会場は一瞬のうちに蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
「な、何を……」
「フザけないで!」
どこか気弱で己の意思を今までハッキリ出せないでいた歌姫が、剥き出しの怒りも露わに睨みつける。
「それは……莉莉亞が遺した誓約でしょうが!」
莉莉亞の名前を彼女が口にした瞬間、喧騒で湧いていた会場が更にどよめいた。
彼等にとってそれは「禁忌」だった。この場にいる誰もが「そんな歌姫など最初から存在しなかった」とでもいうように、彼女の名前を決して口にせずにいたのだ。暗黙の了解のように。
さゆりも狼狽えながら「な、何よそれ。そんなの知らない! 勝手なこと言わないで……」と咄嗟に口走ったが。
「!!」
カッとなったチクサは、しらばっくれた彼女の頬に手のひらをもう一度叩きつけた。
「何すんのよ!」
さすがに二度も殴られては黙っていられない。怒ったさゆりが「お前こそフザけんな!」とチクサに喰ってかかる。
あっけにとられ、立ち尽くしていた他の歌姫達が我に返り「チクサ、何してんのよ!」「やめなよ!」と、慌てて駆け寄った。そのまま揉み合い、倒れこむ。
彼女達を強引に払いのけ、今度はさゆりがチクサの頬を思い切り叩いた。チクサも負けじと叩き返そうとする。歌姫たちは二人を懸命に押さえつけ、引き離した。
さゆりはラ・クロワの一人に押さえられながら「僻んでるの? 何様だか知らないけど、いい加減にしてよね!」と怒鳴りつける。
押さえつけられながらチクサも罵り返した。
「あんたなんか……あんたなんかが莉莉亞みたいに歌えるもんですか!」
もともとこの少女のことは好きではなかった。
数ヶ月前に行われた、ラ・クロワに新しい歌姫を迎えるオーディション。公開形式だったはずが突然非公開にされ、その後、何の説明もなしにプロダクションの意向で彼女に決まったのだ。
莉莉亞が命を懸けても戻れなかったラ・クロワに……
「『辛い人の気持ちに寄り添って』なんて莉莉亞の想いをまるで自分の気持ちみたいにぬけぬけと……恥知らず!」
詰め寄るチクサをラ・クロワの一人、
時ならぬ修羅場に観客席から罵声が上がりはじめる。怯えた視線を左右に向けた歌姫たちは口々に訴えた。
「るぅなの言う通りだよ! ここはさゆりちゃんに謝って」
「ね、莉莉亞のことは後で話し合おう」
「今はこらえて。ステージ中なのよ!」
懸命に自分をなだめ、諭そうとする歌姫たち。
しかしチクサの目には、そんな彼女たちも、さゆりと同じくらい醜く見えた。
同じ仲間だった歌姫の死に心を痛めるどころか、彼女の遺した悲しい想いを汲んであげようともしない。
そのくせ、自分達の体面と人気だけは浅ましく守ろうと……
「莉莉亞のことは今さらどうしようもないじゃない」
「そうだよ! 私達、新しいラ・クロワに生まれ変わるんだよ」
チクサは「違う!」と、激しく頭を振る。
「莉莉亞のことを忘れていいの? 仲間を捨てて生まれ変わって……私たち何を歌えばいいの?」
「そ、それは……」
厳しく問いかけるチクサを前に、歌姫達は思わず絶句する。彼女たちはチクサを言いくるめてこの場を収めることしか考えていなかったのだ。
凍り付いたようなラ・クロワの歌姫たちに向かって、苛立った観客達から罵声が浴びせられる。
「チクサァァ! 何やってんだ!」
「イベントをブチ壊しやがって、バカヤロー!」
「今夜は莉莉亞の死を乗り越える再出発じゃなかったのかよ!」
チクサはキッとなって振り返る。
「あんた達だって私と同じじゃない! みんなして莉莉亞を殺しちゃったのに何を言って……」
どういう意味だ? と、怪訝そうな観客に向かって、チクサはよろよろと立ち上がった。大きく息を吐き、「あの日」の莉莉亞を真似る。
「『こんな落ちぶれた惨めな私だからこそ、歌いたい』」
「……?」
「『学校や職場で虐められたり、一人で生きるのが寂しかったり……慰める人も励ます人もいない、そんな悲しい人達の為に』」
「……」
何を言い出したのかと困惑する彼らへ、チクサは声を震わせて真実を突き付けた。
「みんな知らないでしょ? 教えてあげる。ラ・クロワの新メンバーオーディションの最後に、莉莉亞がそう言ったの。さっき、さゆりが自分の気持ちの振りをして盗用した誓約……」
狼狽し「違う!」と、わめきたてるさゆりには目もくれずチクサは続ける。
「私たちラ・クロワ、ファンのみんな、プロダクション……誰も莉莉亞を許してあげなかった。過ちを償いたい、もう一度ガラスのくつをはかせてってあんなに縋っていた莉莉亞を。あんなに泣いていた莉莉亞を……」
「……」
「だから莉莉亞は、最後にあんな美しい歌を歌って逝っちゃった……」
堪えていた涙が溢れ出す。それまで罵声を浴びせていた人々も思わず言葉を無くした。
瞳を閉じたチクサのまぶたの裏に、嘲笑を浴びながら静かに微笑んだ歌姫の姿が浮かび上がる。
(莉莉亞……)
彼女がビルの屋上から投身したと聞いたとき、どんなに悔やみ、己を責めただろう。
その日まで冷酷なプロデューサーに怯え、同調を強いる仲間達の圧に負け、自分は何も出来なかった。
慰めの言葉ひとつ伝えることすら……
もし、勇気を出して手を差し出していたら……あの日夜空へ己の身を投げた莉莉亞を引き留めることが出来ただろうか。
「私は莉莉亞を殺した。ここにいるみんなも……」
煮えたぎるような熱い涙が独白するチクサの頬を伝い、落ちてゆく。
「私、もう歌えない……ラ・クロワももう終わりよ。私たちも、ファンのみんなも、これから莉莉亞を殺した後悔を心の中にずっと抱いて、みじめに生きてゆくしかないの」
観客席から「何言ってんだ、オレらは悪くねぇぞ!」と叫ぶファンがいた。チクサは憐れむように微笑みかける。
「そうやって言い訳したって無駄だよ。もう取り返しなんかつかないのよ。莉莉亞、死んじゃったもの……」
同感する者がいるはずがない。困惑した顔ばかりがチクサに向けられる。
チクサはそんな周囲を見渡し、泣きながら笑った。
そうか。みんな、どこまでも「自分は関係ない、莉莉亞は勝手に死んだだけだ」と気がつかない振りを続けるのか。人の心の痛みにどこまでも他人顔の卑怯者ども。
「みんな、私と一緒に一生苦しめ! バァァァカ!」
気が狂ったように叫んだチクサへ「なんだと!?」「フザけんなクソアマ!」と、怒号が爆発する。
彼女はさらに何か叫んだがその声は突然途絶えた。指示を受けた音声係が慌ててマイクのスイッチを切ったのだ。
同時に舞台袖から周章狼狽したスタッフや警備員達が飛び出し、歌姫達を無理やりステージから連れ出し始めた。
「会場にご来場の皆様、たいへん申し訳ございません。ラ・クロワメンバーの体調不良、および音声トラブルにより、本日のステージは急遽中止とさせていただきます。間もなくスタッフが誘導いたしますので指示に従って退出を……」
今さら取り繕いようもなく……それでも取り敢えずといった様子でイベントの中断がアナウンスされる。
もちろん、大人しく従う者など誰もいない。罵声が溢れ、ステージに向かって手当たり次第にものが投げられる。
アナウンスの音声の向こうからは「どうすんだよ、これ!」というディレクターの苛立った声や「チクサをつまみ出せ!」というプロデューサーの怒号が漏れ聞こえた。
イベントステージは完全に崩壊していた。収拾などつかない修羅場に誰も彼もが怒りに任せて荒れ狂い、虚しくわめき散らすばかり。
この修羅場はこれからSNSで拡散され、マスコミに書き立てられ、芸能界を騒がせるに違いない。
幾つもの手が荒々しくチクサの身体を掴み、引きずってゆく。引きずられてゆく先にはきっと地獄が待っている。
そして、二度と光差すステージに立つことは出来ないだろう。
連れ去ろうとする力に抗い、ひたすらに莉莉亞の名を叫びながらチクサは謝り続けた。
「莉莉亞。私、最後まであなたを助けなかった。今さら許してなんて言えないけど……ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい……」
ステージの向こうに広がる阿鼻叫喚が、涙で歪んだ彼女の視界の中でどこか幻想的に見えた。
その幻想の向こうにあの少女がいるような気がして……手を伸ばし、チクサは絶叫する。
「莉莉亞! 莉莉亞ぁぁぁぁぁ!」
姫咲莉莉亞はもういない。
どんなに泣いても、叫んでも彼女に届くことはない。
そうだとわかっていても、それでも……
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