第17話「サリタ様、どうぞ。スープが冷める前に」

 結局、エリアスは女官たちの終業時間、四つ時になっても目を覚ますことはなかった。余程疲れていたのか、時鐘の大きな音が鳴ってもずっと眠り続けている。女官たちだけで聖女宮の外に運び出すのも大変だ、勝手に追い出されるのもかわいそうだという理由で、エリアスはそのまま小神殿で寝かされることになった。サリタはもちろん反対したのだが、多勢に無勢であった。

 夜、聖女宮にいるのは聖女ラウラとサリタだけ。外には夜勤の扉番聖騎士が控えているが、ドロレスも女官たちも、家や宿舎に帰ってしまう。皆が帰っていく姿を見送りながら、「やっぱり追い出すべきだったのよ」とサリタは嘆いた。


「ラウラ様、こちらをどうぞ」

「これはなぁに?」

「お父上のくれた飴玉に似ていたので、ちょっと多めにもらっておきました」


 親指の先ほどの大きさの、小さな糖蜜玉だ。着色してあるため、箱には色とりどりの糖蜜玉が並んでいる。ラウラは「わぁ!」と歓声を上げて喜ぶ。

 口の中でホロホロと溶けていく糖蜜玉が気に入ったのか、いくつも頬張ろうとするラウラを止めながら、サリタは少しホッとしていた。あの飴玉がいいと泣き叫ぶような様子はないからだ。依存性はないらしい。


「では、おやすみなさいませ、ラウラ様」

「おやすみ、サリィ」


 サリタはラウラの寝室の隣、支度部屋でしばらく待つ。ラウラの寝息が聞こえてきたら、ようやく部屋を離れる。

 ラウラの居室から廊下に出るときは、あたりにエリアスがいないことを確認してから、そっと退室する。もちろん、小神殿のほうには行かないように、こっそりと自室へと戻る。部屋の中もしっかりと確認をしてから、扉の前に椅子を立て掛け、ようやく靴を脱いで寝台の上に横たわる。

 サリタは女官服から寝間着に着替えることもせず、長めの木の棒を抱いて眠りについた。いつでも起きられるように、いつでも攻撃できるように、神経を細部に行き渡らせたまま。


 そんな浅い眠りだったためか、その物音にはすぐに気づいた。自室ではなく、少し離れたところから聞こえてくる。エリアスが起きたのだろうか、それともラウラが水を求めてきたのだろうか、サリタは木の棒を持ったまま起き上がり、廊下へと出る。

 人が話しているような声が聞こえる。エリアスとラウラが話しているのだろうか、とサリタは疑問に思いながら廊下をゆっくりと進む。


「だーかーらー、王都にいるならいるって言ってよ。花街で遊んでいたボクがバカみたいじゃんか」

「だって、お前、プルケルと比べるとあんまり役に立たないだろ」

「立つよ! ボクの耳の良さを知らないの!? 花街のリリちゃんは今、子爵殿と寝台の上だよ! ……そりゃプルケルほど速く移動はできないけどさぁ」


 声は、女官が使う簡易厨房から聞こえてくる。一人はエリアスの声だ。もう一人はラウラではない。扉を薄く開けて、サリタはその声の主に驚く。

 鍋を温めているエリアスの足元にいるのは、白と銀の交じった毛色のウサギだ。ヒッポグリフの他にエリアスに聖獣がいることを、サリタは思い出す。


「それで、ウェールス、何かわかったのか?」

「南のほうで良くない病気が流行っているとは聞いたよ」

「良くない病気? 疫病か?」

「若い女の子が罹る原因不明の病気みたい。かわいそうだよね。だるくて起き上がれなくて、ずっと寝たきり。薬が全然効かないの。だから、花街も警戒してる。女の子たちが罹っちゃうと大変だから」


 ラウラの症状に似ている、とサリタは気づく。ラウラの父が治めるのは南東の領土だ。南、に違いない。


「ラウラ様と同じか……」


 エリアスは鍋から木の器にスープを移し、二つをテーブルに置く。そうして、スプーンを二つ準備したあと、扉のほう――サリタのほうを見て、微笑む。


「サリタ様、どうぞ。スープが冷める前に」

「エリアス、そんな誘い方じゃサリタは来ないよ。キミ、すごく嫌われているんだから」

「うん、知ってる。でも、サリタ様、知りたいことがあるでしょ? ポケットに隠してあるそれ、俺にも見せて」


 サリタは溜め息をついたあと、木の棒を握ったまま扉を開く。会いたくはないが、そうも言っていられない状況らしい。ヒョコヒョコとやってきたウサギを抱き上げ、サリタはその額を撫でる。


「ウェールス、久しぶりね」

「サリタも、アンギスも、元気そうで何よりだよ」


 サリタは椅子に座り、聖獣ウェールスを膝に乗せる。なるべく、エリアスの顔を直視しないようにする。エリアスは満面の笑みを浮かべてサリタを見てくるが、視線は合わせないようにする。

 こうして、勇者と先代聖女による深夜の会合が始まったのだ。




「なるほど。これをカルド伯爵がラウラ様に、と」


 黒色の小瓶を、エリアスは凝視する。


「偉い人からもらった飴玉だとカルド伯爵はラウラ様には言っていたそうよ。でも、真偽はわからないわ」

「ラウラ様の背中の痣はこれが原因か。サリタ様、もちろん痣は祓ったよね?」

「ええ。だって、ラウラ様がかわいそうだったもの。ということは、やっぱり」


 エリアスは頷く。


「これは『瘴気の澱』の結晶だね」

「結晶? 触れたら死ぬのに、『瘴気の澱』を結晶化させることなんてできるの?」

「そういう技術を、ロッソトリア王国の誰かが発見したという噂があるんだ。今、フィデルが確認しに行っている」


 道理でフィデルが長期間もラグナベルデから離れているというわけだ。気体から固体に変化させることができるのなら、人を救うことに応用できるかもしれないと考えたのだろう。


「まぁ、フィデルのほうは確認できないだろうね。結晶化させる技術はどうやらこんなふうに悪用されているようだから、簡単には表に出てこないんじゃないかな」

「そんな……」

「この瓶にも細工がしてあるよね。聖なる力を跳ね除けるほどの力がある。どんな素材なんだろう? だから、俺が『瘴気の澱』を徹底的に祓っても、この飴玉は残り続けるんだろうね。厄介だなぁ」


 エリアスが珍しく弱気なことを言っている姿が、サリタの目には新鮮に映る。いつも能天気にヘラヘラ笑っているエリアスではない。彼が曲がりなりにも勇者であったことを、サリタは思い出す。


「ウェールス、他に情報は?」

「小瓶の出どころ? わかんないよ。でも、若い女の子の手に渡るんなら、絞ることはできるかもしれない。服屋に、宝石店に、屋台や辻占いも怪しいね」

「雑貨店、もだね」


 ワンピースや染粉を買ったような服飾店や雑貨店なら、若い女の子たちが気軽に手に取っていきそうだ。王都から南に位置するあの街のどこかに小瓶はあっただろうか、とサリタは思い返すも記憶にない。

 しかし、贈答用の箱の中に隠されていたらわからない。すぐそばにまで行かないと知覚できない、というのが厄介だ。


「南部領の若い女の子たちが行きそうな店……ちょっと確認してみるか」

「エリアス、私にできることはない?」


 思わず、サリタはエリアスの顔を見てしまう。彼の赤銅色の瞳と視線がかち合う。エリアスは一瞬照れたような笑みを浮かべたが、真面目に応じる。


「サリタ様が気づいているかどうかはわからないけれど……ラウラ様が自力で『瘴気の澱』を祓うことができない以上、彼女が真の聖女である可能性は低いんだよ」

「え……?」

「聖獣アンギスがサリタ様のそばにいることが何よりの証明でもある。今、ラウラ様への神託が虚偽であったのではないかということも含めて、フィデルと真相を追っている。だから、サリタ様は、結婚前と同じように国と民のために祈りを捧げて欲しい」


 エリアスの真面目な口調に、サリタは頷く。頷くしかない。


「わかった。祈るわ。それで、『瘴気の澱』が少しでもなくなるなら」

「ありがとう、サリタ様。助かるよ」


 微笑むエリアスを、やはり格好いいとは思えない。好みではない。だが、彼は勇者に違いない。サリタと同じ志を持つ者なのだ。


「……あと、絶対に、サリタ様が先代聖女だと気づかれてはいけないから気をつけてね」

「どうして?」

「ラウラ様が偽物の聖女だと知っていながら、彼女を聖女に仕立て上げた人がいる。聖職者の中の誰か、特に権力を持っている人だと思う。神託が降りていないのなら、真の聖女が誰なのかはわかっているよね、その人」


 サリタは息を呑む。


「……私が、聖女?」

「先代なんかじゃないよ。サリタ様は、現役の聖女なんだ。バレたら純潔を奪われるどころか、殺される可能性だってある」

「え」

「でも、サリタ様が純潔や命を失うと、新たな、正しい神託が降りてしまう。そうなると、ラウラ様は聖女を騙った者として処刑されてしまうだろうね。おそらく、一人で責任を負わされて。あんなに幼いのに」


 現役の聖女を守ることは、同時にラウラを守ることでもある――エリアスはそう説明する。エリアスがサリタを命がけで守るのには理由があったのだ。

 ラウラのためだと言われると、サリタも納得せざるを得ない。エリアスは誰よりもサリタを知っている。説得の仕方でさえも。


「だから、せめて黒幕を引きずり出すまでは、絶対に聖女宮から出ないで。俺の目の届かないところに行ってしまわないで。ここはまぁ外よりは安全だから。よろしくね、アンギス」


 話を聞いていたのか、腕輪に擬態したアンギスがチロリと小さな舌を出す。エリアスの言葉を了承したようだ。


「あとそれから、この件が片付いたら、俺と結婚して」


 一瞬でも、頼り甲斐のある勇者だなと思ってしまった自分を、サリタは恥じた。そうだ、エリアスはこういう男だ。何でもかんでもいつでもどこでも「結婚して」と言う人だった。


「お断りいたします」

「絶対に幸せにするから。あ、キスでもいいよ! キスだけでも」

「嫌」

「あ、手を! 手を繋ぐだけでいいから! ほんのちょっと、触れるだけでいいから!」


 サリタの膝の上でうとうとしていたウェールスは「またやってる。飽きないねぇ」と呟き、あくびをする。聖獣たちも呆れている不毛な追いかけっこは、まだ終わりが見えそうにない。



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