エピソード3

第12話 眠りから覚めて

《エピソード3》



 あれから。

 朝はもはやとっくに過ぎて、正午になろうかという時刻。

 街角の舗道にて。

 本当はもっと眠りたい18歳の迷探偵こと七川若奈々の全身をユサユサ、という振動が幾度も襲っている。

「う、うぐぐ」

 ユサユサ。

 そう、ユサユサと。

「おい、起きろ名探偵」

 美少女私立探偵の身体は同志たちの手によって揺さぶられていた。

「七川よ、あんたいつまでグータラ寝てやがるんだ」

「七川さん、いい加減に目を覚ましてくださいませ!」

「これ以上、揺すってみても一向に起きないのならば、ボクたちはこのまま、あなたを置いていきますからねっ」

 ―――これはもしや夢なのだろーか……、いや夢なんかではあるまい。……うむ、これは冥界にて明快に繰り広げられる地獄のオペラ劇におけるソプラノとテノールとバリトンなどではない。まぎれもないハザマ屋敷の3人の声だ。間違いない。

 ……いや、でも、そんなはずはない。うん、認めてなるものか。

 まず、第一にリック・ワーグナー素人爵に関しては死んだはず。

 それにわたしがやられた後には、例のメイド姉妹も魔女に討たれたに違いあるまい。

 いったい、何故、こいつらが生きているのだろう。声なんて聞こえるはずがない。

 というのもわたし自身、もはや魔女に討たれて死んだ……はずなのだから。

 悲劇のヒロインなのだから。

「ん、なわけねーだろ。おまえはもちろんのこと、魔女と刀を交えた俺たちも運よく生きているよ。もっとも、俺を除いた3人は当初、まるで死んだかのように熟睡していたのだけれどな。さて、おまえに関して言えば、こんな時間になるまで、まるで魔女の呪いにかかって永遠の眠りについたイバラ姫のごとく爆睡していた。残念ながらそれがいまに至るまでの経過だ。それ以上でも以下でもない」

 リック・ワーグナーは事実を認めたがらない(というか、単純に起床を拒んでいる)探偵少女のためにわざわざ現状を告げて諭しにかかる。

「あーもう、分かりましたよ。起きますよ! あと5分したら、まじで本気だすから。本当にまじであと5分をプリーズ」

「分かった。じゃあ、無防備なおまえだけを残して俺たちは準備ができ次第行くわ。せいぜい、異世界の不審者には気をつけろ」

「あ、あわわわわ、いますぐ起きます。はい、起床っ!」

 これには、さすがの七川も観念したらしくガバっと上体を起こして、口元に手を添えると「ふぅあーっ」と長い欠伸を漏らした。

「よかったー。心配したんですからね、もーっ」

「やっとお目覚めになられましたね、七川さんがいないと猫捜しの旅は始まりませんし、きっと終わりもしませんです。ふふふ」

 そんな目覚めの悪い七川を瑞々しい笑みを浮かべて出迎えたのは、エプロンドレスをきっちりと清楚に着こなした賢狼メイド姉妹だ。

 さて、シアラの左目とキアラの右目にはそれぞれの眼帯が元通りに再装着されていた。

 まるで昨晩の魔女との死闘など単なる悪夢であり、そんなものは最初から存在しなかったかのように。

 それは冗談としても、七川が腑に落ちないのはリック・ワーグナーの存在である。

 リック素人爵は昨晩、穴に落ちて間違いなく強制転移したはずだ。

「ふーむ?」

 なのに、どうしてこの路上(どうやら寝ている間に3人は情け容赦ないドワーフ店主の手で酒場から、街角の舗道にまで引きずりだされたらしい)に彼まで無傷でいるのだろうか。

 まぁ……うん、変だよな。だから、やはりこれは夢なのではなかろうか、そんな疑念が再び七川の脳裏をよぎってきたので。

「ああ、もう。えいっ」

 とりあえず七川は無造作に賢狼メイドのうち一人に近づいて、その可憐なるスカートをめくってみた。

 夢か現実かはこうやって確認するものだ、と誰かが言っていた、ような気も。……なんだか寝ぼけているのだろうか。

 さて、と。

「きゃあっ! 何をするんですかっ」

 メイドの狼耳が瞬時にぴくんと立ち上がった。

「あれ、酒場で一瞬見えていた縞模様のひもパンツではないの?」

 七川の言葉通り、そこにあったのは縞パンではなく、ぴったり下腹部にフィットした純白の輝きと呼べる美学だった。エナメル質のニーソックスが織りなす絶対領域が漆黒のうちに光を描いている。

「あ、ごめん。ガン見しすぎた」

 ボーイッシュな探偵役が気まずい場の空気を読んで、メイドのタイトスカートを何事もなかったかのようにゆっくりと元に戻す頃。

「あの、ボクと姉サマを完全に間違えていませんか? 七川さんのバカっ」

 いまにも泣き出しそうな声でキアラがぼそっと吼えた。

 そう、七川がスカートをめくったのはシアラではなくて、キアラ・グルードのほうだったのである。

「……失礼しやした」

 何はともあれ、このような茶番を挟んで『猫捜し界のシャーロック・ホームズ』こと七川若奈々の目は完全に覚めることになる。

「ずいぶんと頭が混乱しているみたいだな。まぁ、いい。おまえにも俺の身におきたことを説明してやる」

 そんな中でリックは苦笑しつつも自分がどうしてここにいるのかを説明してくれた。

 どうやら、強制転移したはずの彼が落下したのは、奇跡的にもこの国の移動式ゲートからそう遠くない場所だったので、すぐに酒場まで戻ってくることができたのだという。

 といいつつも、酒場にはすでに3人はおらず、ドワーフの店主から事情を聴いてここで彼女ら眠り姫の姿を見つけたのだという。

「なるほどね」

 これにて、七川はようやく現実を受け入れることができた。

 が、一番の問題は、そんなことよりも『猫』についてなのである。

 もはや、猫の居場所は突き止められている。すなわち百式の旅行魔女の居場所こそ猫の居場所となったわけだ。

 資産家からの依頼を達成するためにはこの世界で百式の旅行魔女を討伐して猫を奪い返す必要があり、それはもはや避けて通れない道となった。

 しかし、ここで最大の障壁が生じる。

 それというのは。

「で、資産家に報告文書を打つ前に、君たちに聞きたい」

 溜息ののちに、七川は思わせぶりな声でこう続けた。

「誰か、消えた魔女の居場所は分かるかい?」

「…………」

 答えはノーという沈黙だった。

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