二二年 サンザールの月 二十一日 縞曜日





 アミエリタの娘、カリアラガンの子、ハルモールのサイネカリアが記す。





二二年 サンザールの月 二十一日 縞曜日


 これからのことはすべて日記に書いておくように言われたので、せっかくだから、村(※1)を出た時のことから書いておく。


 騎士様の従者にするために頭の良い子供を探しているというお達しにのこのこ顔を出した結果、ほとんど流れ作業のように荷造りとお別れを済ませて、人さらいよろしく馬車に詰め込まれて家を出たのがほとんどひと月前。

 あたしがいくらで売れたのかはよく知らないけど、あたしがお勤めの間に月々貰えるお給金については、それが嘘でなければ、村にいたって一生稼げやしない金額だった。

 騎士様の従者(※2)ってのが、こんなに儲かるとは知らなかった。みんななりたがるわけだ。出世とか、いつか騎士の身分にとか、そう言うのは興味がないけど、ご飯がたくさん食べられるのはいいことだ。

 はじめておさがりではない服も着せてもらったし、旅の間は食事も食べさせてもらった。とはいっても、馬車で急ぐ旅だったから、多くは野営で硬いパンと薄いスープ、たまに宿場町でちょっといいご飯っていう程度。ほとんど馬車に乗ってるだけとはいえ、強行軍でひた走る馬車って言うのはずいぶん疲れるもので、あたしは腰が砕けて粉になるかと思った。

 それも、ひと月もの間だ。

 ひと月! てっきり隣の領地くらいと思っていたら、あたしは飛ばしに飛ばした馬車に振り回されて、ひと月もかけて邊土にやってきたのだった。道中何回も、あたしはどこに連れて行かれるんですか、お家に返してください、って泣く度に、連れの騎士様は困ったようにあたしに飴玉を寄越して、それで毎回誤魔化されてしまった。最後の方は飴玉貰うために泣いてた気がする。

 邊土についてお別れした時も、本当は自分で食べようと思ってたんだぞって思いっきり恨み言を言いながら、残り三分の一を切った飴玉の瓶を寄越してくれたので、本当にいい人だと思う。

 あたしが引き渡されたのは、ハルモールのご領主様の館よりも立派な大きなお屋敷(※3)で、石造りのそれはむしろ城って言った方がいいのかもしれない。あ、砦かな。

 あたしがお仕えするという騎士様は、その砦に住んでいらして、ハルモールで見かけた騎士様より多分ずっとえらい騎士様なんだと思う。騎士様のお名前はゼ゠クー・エルマ(※4)とおっしゃった。

 わざわざあたしをド田舎からド田舎に連れてくるなんてどんな方なんだろうって、馬車の中でずっと考えていたんだけど、騎士様はその予想のどれとも違った。

 まず、女の人だった。女騎士(※5)という奴だった。あたしでなくても見上げてしまうほどすらっと背が高くて、燃えるような赤毛が、くしゃくしゃっと癖毛になってた。騎士様はチビっちゃいあたしに合わせるようにかがんで、あたしにいくつか尋ねた。ちゃんとご飯は食べてるかとか、得意なことはとか。それに旅は好きかって。あたしは緊張して、はい、はい、と答えるばかりだったけど、騎士様は満足したようだった。

 その日はメジロワシのローストや、新鮮な生野菜、混ぜ物のない白くて柔らかいパンなど、飛び切り美味しいご馳走を頂いて、恐ろしく柔らかいベッドで休ませてもらった。これからしばらくはこういうのがないから楽しんで、と言われて、逆にこの先が不安で楽しめなかった。

 翌日の朝早く、騎士様からいくつかの贈り物があった。ひとつは丈夫な靴で、村を出た時からずっとはだしだったあたしの足に、大きさを確かめるように履かせてくれた。靴なんて滅多に履かないから落ち着かないけど、邊土は足元が危ういこともあるからということだった。

 次にはたくさんの荷物が詰まった背負い鞄だった。保存食や、衣類や、細々とした旅の道具、それになぜだかたっぷりの笹紙と筆記用具が詰まっていた。あたしがこれを背負って運ばなきゃいけないらしい。せめて紙は置いていきましょうよと言ったけど、あたしがちゃんと従者をできているか、日記に書いておくようにっておっしゃる。書くのは好きだけど、荷物が多いのは困る。

 そして三つめは、馬だった。鞍も荷もすっかり準備されて、旅立つ時を待つ馬だった。尾羽がふわりと広がる健康そうな立派な馬で、くちばしを撫でてやると、人懐っこくすり寄ってきて、可愛い。小さいあたしがよじ登れるように、屈んで首を下げてくれる賢い子だ。

 そう、従者のあたしも馬に乗っていいんだって! そりゃ、走るのは苦じゃないけど、でも荷物を背負ってついてくのは大変だって思ってたから、一番うれしい贈り物かもしれない。荷物が多いからついでにって言うけど、それでもうれしい。

 騎士様は旅装に身を包み、腰に剣をいて、馬にまたがってとても格好良い。その後ろにくっつくあたしは、どう見ても荷物にうずまって、馬の背中にしがみついてるみっともないチビだけど、そのうち何とか見れるようにはなるんだろうか。

 あたしは騎士様の旅について、そのお世話をすることになる。旅というのは、ここから東の方、邊土を巡って土地柄や人々のことを調べて、領主様にお伝えするための旅(※6)だそうだ。


 この日記は、最初にして最後の宿場町で書いている。この先はもう、王国の力が及ばない土地なんだそうだ。

 明日からは、いよいよ邊土に挑むことになる。

 あたしの旅は、ここから始まるのだ。


※1 うちの村

 ハルモールには現在でもひなびた農村が広がっているが、従者サイネカリアの出身地とされる村は判然としない。『邊土紀行』中の表記に合致する村は三つまで絞られているが、そのどれもが出身地を自称しているのだ。

※2 騎士様の従者

 サイネカリアはあまり理解していないが、ここでいう騎士とは勅任騎士、つまり王から任じられる騎士のことではなく、領主がそれぞれの私兵として任じた騎士のことである。この騎士の従者は平民からなることが多く、その従者が見習いを経て騎士となる。平民からすると出世街道だったわけだ。勅任騎士の従者として抜擢されたサイネカリアはその出世街道を大きく飛び越えてしまった形になる。

※3 お屋敷

 現在もほぼそのままで残っているサンクラン砦である。当時邊土公はサンクラン子爵として一時この砦に起居していた。邊土公の位を叙せられ、アルメント城が建てられて以降は、生涯をそこで過ごした。

※4 ゼ゠クー・エルマ

 騎士に扮した邊土公の変名。本名の愛称系ゼ゠クーと、母姓エルマから。親しい友人との書簡にも短縮形として用いることが多々あった。

※5 女騎士

 十五世紀当時のムン王国では、女性騎士の割合はわずかに一割程度だったとされる。それも貴婦人の護衛などに従事する者が多く、戦力としては期待されていなかった。

※6 旅

 領主であるサンクラン子爵が、その配下である騎士ゼ゠クーに命じた、という建前による視察であり、領主本人が自身に旅を命じて自身で旅をするという妙なことになっている。第二王女であった邊土公は十分継承権争いの範囲内で、当時第二王子派と第一王女派から疎まれ、邊土視察及び開発という功をもって地位を確かにしようとしていた。また旅自体も、両派からの刺客を警戒してとの説もある。






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