第89話 変わる日常

 『ママ、きいて。今日はあの子からせーれーかいについておしえてもらったのよ。』

 『精霊界?』

 『そう、せーれーかい!』

 『ふふ。どんなお話しだった?』

 『えっとねー、せーれーかいは、とてもキレイで、とてもしずかなんだって!』

 『それで?』

 『せーれーかいには、その子をうんだお母さんや他のせーれーがたくさんいるんだって!』

 『へぇー、どんな所か行ってみたいわね。』

 『うん。でも、そこはせーれー以外は行けないらしいよ。』

 『なんで?』

 『んーわかんない。あの子がそう言ってた。』

 『分からないわよ?精霊じゃなくても行く方法があるかもよ。』

 『えーあるかなぁ?』

 『あるわよ、きっと。ママは行ってみたいな、精霊界。』

 『せりかも!』

 『どんな場所か想像してみようか?』

 『するーっ!』


 温かいミルクに蜂蜜を垂らした飲み物は、こっくりと甘くて懐かしい味がした。

 精霊と話ができるという私の話をママはいつもニコニコした顔で、パパはちょっと困った顔をしながら聞いてくれた。

 当たり前にあった優しく柔らかな時間。それがどうして奪われたのか、私は知りたい。


 「パパ・・・ママ・・・」


 河原に寝かされたセリカの目元に涙が流れる。ヴァースキはその雫を静かに拭いてやった。


 「セ――・・・」

 「!」


 両親を呼んだ後に紡がれたその単語に眉を潜ませる。そして、濡れた衣類が気持ち悪いと、火を起こす準備を始めた。


 (まさか、オレに言霊を言わせるとはな・・・。)


 タバコを取り出したが、それはずぶ濡れだった為軽く舌打ちをする。その音に、セリカが目を開ける気配がした。


 「おーい。死んだかー?」


 返事はない。どうやら言葉を発する気力も無いようだ。


 「はこというものを知っているか?」


 火が点いたことを確認したヴァースキは、近くにあった大きな石に腰かけると唐突に喋りだした。


 「はこというのは、精霊の力を入れる器だ。人間そのものを器にすることで、複数のエレメントを使えるといわれている。


 (は・・・こ・・・)


 「生まれながらにエレメントを所有し、その精霊を使役することで生活する人間たちに欠かせない魔法。それは誰にでも与えられた権利であり選択に必要な個性だ。

 それが失われるということは、人生の自由を奪われると同義語といっていいだろう。

 魔法が使えなく理由は実は多くない。人間が魔法力の器とエレメントを所有している限り精霊を使役できるからだ。それほどに、精霊は人間界と密接な繋がりがある存在だ。それでも、何かしらの理由で魔法を失うことがある。お前みたいにな。」


 セリカはゆっくりと自分の腹にある魔障痕を撫でた。


 「お前の魔障痕の位置は運悪く魔法力の器がある場所だ。魔障痕が器に干渉して精霊を使役できなくなっているんだろう。厄介なことに魔障痕は治癒魔法では治らない。魔障痕をつけた霊魔を殺さない限り消えないんだ。

 お前はこのまま魔法を使えない人生を歩むか、魔障痕をつけた霊魔を殺す、あるいは誰かがその霊魔を討伐するのを気長に待つか、ということになるだろう。まぁ、後者は運が良ければの条件付きだがな。」


 (そんなの、むりよ・・・)


 セリカは口を動かそうとするが、かすかに息が漏れるだけだった。


 「そこでさっきのはこの話だ。 はこは魔法を失った者への一縷の望みであり試練といってもいい。

 さっきも言ったとおり、はこという精霊の器になることで魔法を使えることができるが、それになるのはそう簡単なことではない。器なんだから内側を空っぽにしなければならないんだ。体力・気力・魔法力・そして生命力の何もかもだ。空っぽになった器に魔法力を注ぎ込むことで、はじめてはこの完成というわけだ。」


 (空っぽ・・・)


 「ただ、そんな出涸らしの状態の人間に魔法力を注いだら死ぬに決まっている。器どころか身体がもたないからな。そもそも、空っぽの定義すら決まっていない。

 体力と気力が中途半端に残っている状態で魔法力を注げば、自己防衛が働き抵抗する力が生まれる。それは生への執着となり、動けないままただの肉塊へと姿を変えるだけだ。

 それほどに、はこという存在は抽象的で稀有で特別な存在だ。オレも実際見たことはない。まぁ、魔法が使えなくなるという状態がそもそも珍しいことだから、はこの存在は薄れ廃れて、今は伝説のような扱いになっているようだ。」


 (は、こ・・・ま、ほう・・・)


 「お前は既に魔法力の器の機能が止まっている。だから魔法力はすでに空っぽだ。残るは体力と気力と生命力。

 この1年でオレの魔法を注いでも耐えることができる体力と気力は備わっているはずだ。オレを道連れにしようとするほどの行動力もあったことは誉めてやろう。まぁ、それすらも根こそぎ奪ってやったがな。」


 ヴァースキはカラカラと笑った。


 (もう、つか、れた・・・)


 もう体は動かない。殴れないならせめて道連れにしようと考えた計画も失敗し、さらにはヴァースキの魔法で助けられてしまった。

 空に響くヴァースキの笑いは既に呼吸と一緒に溶けていっている。


 「あとは生命力だが、生命力を空っぽにすれば人は死ぬ。それをどう解釈すればいいかオレにも分からん。死への抵抗は失敗と同じ。はこになることはできないだろう。それでもお前はこの危ない橋を渡る覚悟があるか?」


 (もう、わたしは、むり・・・)


 体の痛みと、疲れた気持ちはどんどんとセリカを追い詰めた。もう楽になりたい。

 私が居なくなっても何も変わらない。だって、パパもママも私を迎えにきてくれないじゃないか。

 そう思うと自然と瞼が重たくなってきた。強い眠気を感じる。このまま深く眠ったらとても気持ちがいいだろう。


 (もう、いいや・・・)


 考えることを放棄すればとても気分が楽になった。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。セリカはなすがままに体を預けることにした。

 ヴァースキは立ち上がり、反応の無いセリカに近づいた。セリカの顔色は真っ青で、半開きに開いた唇は乾いている。


 「お前は魔法を取り戻す選択をした。そしてオレはそれに最後まで付き合ってやる。たとえそれが、お前の死だとしてもだ。そもそも・・・オレに子育ては向いていない。」


 (もう、どうで、も・・・)


 ヴァースキはセリカの身体に手を触れる。そして意識を集中しはじめた。

 セリカに恐怖はなかった。それよりも、強烈に襲ってくる睡魔にただ流されていたかった。触れた手から流れる魔法力が、どんどんと強く濃くなっていく。


 「さようならだ、芹禾。」


 ヴァースキは一気に魔法力を放出した。


 (あ、名前・・・)


 ぼんやりと聞こえたヴァースキの声に、セリカはピクリと反応をした。



 (芹禾、この本に興味があるのかい?じゃあ未来は学者さんだな!)

 (パパ・・・)


 (芹禾の好きなチョコケーキを作ったから、お茶にしましょ。)

 (ママ・・・)


 頭に揺れる懐かしく温かい声に思わず手を伸ばさずにはいられない。


 (芹禾ちゃんは僕が守るから!絶対守るから!)

 (ユイ君・・・)


 (芹禾――私の名前を覚えておいて。そして絶対に――)

 (水精霊ウンディーネ・・・!)



 「忘れないで、芹禾。私たちはいつも一緒よ。」


 「・・・っっ!!!!」


 声なき声が辺りに響き渡る。セリカの身体がスカイブルーの色に染まると、強烈な輝きを放った。


 「くっ!!!何だ、何が起きたっ!!!」


ヴァースキも思わず目を瞑るほどの強い光が少しずつ収束していくと、そこにはセリカが静かに横たわっていた。

 セリカに変化はない。しかし、服の下に淡く光を見つけたヴァースキは、すぐさまめくってみた。


 「こ、これは・・・!」


 セリカの魔障痕の上に、水精霊ウンディーネの紋様が浮かび上がっている。その淡い光さえも消えた時、セリカが身じろぎした。


 「ん・・・」

 「・・・まさか、成功するとはな。」


 笑おうと思ったがうまく笑えない。ヴァースキはセリカを抱き上げると、ゆっくりと歩き出した。


 「やれやれ、子育ては苦手だというのに・・・。」


 小さな身体から感じるエレメントは自分のエレメントそのもの。まるで分身のようだと、ヴァースキはセリカを抱き上げ直した。

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