第71話 思わぬ再会

 「クーラン、怖くないか?」


 セリカの手を固く握ったクーランがコクリと小さく頷く。はじめは目をつぶり怯える様子を見せていたが、慣れてきたのか、今では上から見下ろす劫火渓谷デフェールキャニオンの絶景を興味津々で見つめていた。

 セリカたちは魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーへ訪れた時と同様に、信江さんの背に乗り帰路についている。行きと違うのは小さな仲間、クーランが増えたことだ。

 クーランが背負っているリュックサックの中には、少しの着替えとソフィアが昨晩作ってくれたクルミパイ、そしてクーランのお気に入りの本である【人魚姫】の本が入っていた。


 旅立つ時、クーランは幾度かの躊躇を見せた。

 ソフィアとの別れ、外界への恐怖、環境が大きく変わることへの抵抗だったのだろう。


 「また顔を見せておくれ。待っているよ。」


 ソフィアは優しくクーランを抱きしめた。

 ソフィアの手には丸められたスケッチブックの紙がある。それは大きく力強い筆圧で書かれた「ありがとう」の文字と、ソフィアの似顔絵が描かれたクーランからの手紙だった。

 ポロポロと途切れることのない涙を厚手のマフラーで何度も拭いたせいか、目の周りが赤くなっている。


 「クーラン、この信江さんはキヨ美さんとお友達だそうだ。きっとクーランとも仲良くなれるぞ。」


 クーランの緊張を解こうとシリアの魔法を紹介する。クーランは信江さんの羽にこわごわと手を伸ばした。フルフルと震える羽に興味を示したクーランの姿に、ソフィアもホッとしたようだ。


 「クーランちゃん、お水です。どうぞ。」


 暑さで顔を赤くしているクーランにシリアが水を差しだした。

 火蜥蜴ひとかげの粉を振りかけたとしても、劫火渓谷デフェールキャニオンの灼熱は身体に応えるだろう。

 その中で、厚手のマフラーを着用しているクーランには余計に負担が大きいはずだ。 

 しかし、マフラーの意味を知っているセリカたちにそれを外そうという考えはない。

 セリカは、渡された水をクピクピと飲むクーランの額に光る汗を拭いてやった。


 「魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリー・・・不思議で神秘的な場所でしたわね。」


 シリアが後ろを振り返る。そこにはすでにあの大きく緑豊かに茂る巨木の姿をない。


 「うん、本当に貴重な体験だった。このクエストをすることができてよかったよ。」


 ジェシドも振り返った。


 「まさか叡智の賢者様にお会いできるなんてね。」

 「えぇ、一生にお会いできるか分からないほどの人物ですものね。」

 「そういえば、セリカ君・・・。さっき、ソフィア様と2人で何を話していたんだい?何かを渡されていたようだけど。」


 シリアとジェシドが帰る準備をしている時、2人が真剣な顔をして話をしていたのが気になっていたのだ。


 「あ・・・あぁ。あの・・・あれだ。クーランの入学手続き書類の説明を受けていた・・・。」

 「クーランちゃんの?」

 「あ・・・あぁ。クーランを初等部に入学できるよう取り計らってくれる手紙と書類を受け取ったんだ。大事なものだからクーランのリュックサックに入れておいた。」

 「そうかい。それは大事なものだね。」


 言いながらジェシドは違和感を覚える。

 (それにしては怒気迫った様子だったけど・・・。)


 「そ、それよりも、どのくらいでサージュベル学園へ着くんだ?」


  セリカの質問にジェシドは腕時計を見る。


 「順調に行けばあと30分弱で劫火渓谷デフェールキャニオンを抜けるはずだよ。」

 「そうか。信江さん、しばらく頼む。」


 セリカが信江さんの首をやさしく撫でた時だった。シリアが異変にある気付いたのだ。


 「あれ・・・?セリカ、ジェシドさん・・・あれ、何でしょう?あの黒煙・・・」

 「黒煙?どこだ?」


 セリカはシリアが指さす方向へ身を乗り出した。


 「あれです。あの山間から見える煙です。」

 「劫火渓谷デフェールキャニオンのガスから出る煙じゃないのいかい?」


 ジェシドもその方角に目を細める。


 「最初はそう思ったのですが、どうやら周りの煙とは様子が違うようなのです。ほら、細長くたなびいていませんか?」


 ジェシドは目を凝らす。そこには劫火渓谷デフェールキャニオンから噴出される煙とは質の違う黒煙がゆっくりと空へ昇っていた。


 「・・・ジェシド、シリア、行ってみよう。イヤな気配がする。」

 「イヤな気配?」

 「あぁ。今まで感じたことのない邪悪な気配だ。」


 その時セリカの腕が強く引かれた。そこには、クーランが不安な顔をして見上げている。


 「大丈夫だ、クーラン。クーランは私が必ず守る。私の傍から絶対離れるな。」


 セリカはクーランを力強く抱きしめた。小さな背中に手を回したままシリアに合図を送る。

 コクンと頷いたシリアは、吹く風にかき消されないように大きな声を出した。


 「信江さん、あそこへ行ってください。」


 シリアの指示に、信江さんが大きく羽を羽ばたかせた。



 




 乾いた褐色の岩石が無数に連なり、傍には見たことの無い植物がフルフルと震えている。

 足跡を残した先から煙のような砂埃がたつ道を、4人は急ぎ足で進んだ。

 クーランはキヨ美さんを抱きしめている。不安そうなクーランを見たシリアが再び出してくれたのだ。


 「さっき見た煙はこの道の先のはずだ・・・。確かにここまでくると、煤のような匂いがしてくるね。」


 先頭を歩くジェシドは前を見据えたまま鼻を動かす。

 その時だった。


 「ジェシドッ、止まれっ!!」


 いち早く気配に気付いたセリカは、ジェシドの腕を思いきり引っ張った。


 「うわっっ!!!?」


 その反動で、ジェシドは思いきり尻もちをつくことになる。


 「イタタタタ・・・何だい、セリカ君・・・。」


 目を開けたジェシドは驚愕する。そこには、先ほど自分が歩いていた地面から煙が昇っていたからだ。


 「えっ・・・・?魔法・・・?!」

 「ジェシドさん、大丈夫ですか!?」

 「あ、あぁ・・・。セリカ君ありがとう。君が引っ張ってくれなかったら直撃していたよ。一体誰が・・・。」


 セリカを見上げれば既に目星を付けているのか、ある方向を睨み見据えていた。


 「セリカ、私たちは攻撃されたのですか?」


 セリカは視線を逸らさない。


 「いや・・・。攻撃というよりか威嚇のようだ。まったく、何を考えているんだ・・・!」


 足音が聞こえる。その音は少しずつこちらに近づいてきていた。

 クーランはセリカの影に身を潜め、ジェシドたちも応戦の構えを取る。


 「みんな、大丈夫だ。この魔法の気配は知っている。」

 「え・・・?」


 セリカが1歩踏み出した。


 「セリカ君、あぶな――」


 ジェシドが止めに入ろうとしたとき、向こうの足音が止まる。そこにセリカは怒声を張りあげた。


 「お前たち、いきなり何を考えている!?」


 大きな声にクーランが大きく体を震わせたのが分かった。セリカはクーランをしっかりと抱きしめる。

 再び聞こえてきた足音と共に姿を現した2人に、ジェシドとシリアも目を疑った。


 「テオッ!オルジッ!!?」

 「今の声って・・・やっぱりセリカか!お前たち、こんなところで何をしてんだよ。」


 目を丸くしながら駆け寄ってくるテオたちに、セリカは怒りをぶつけた。


 「何をしてるじゃないだろっ!!姿も見えない相手に魔法をぶつけるなんて何を考えているっ!!?」


 あまりのセリカの気迫に、テオとオルジが息を詰めた。


 「お前らは魔術師ウィザードを目指すものだろう!正体も分からないものにいきなり魔法を放てと学んだのかっ!?」

 「あ、いや・・・ごめん・・・。まさかお前たちだとは思いもしなかった・・・。」


 普段、あまり感情を表に出さないセリカの怒気に萎縮する。そして、その理由がセリカが大事そうに抱えている小さな女の子であることに気が付いた。


 「確かに確認もせず魔法を放ったのは悪かったよ。でも、僕たちにだって事情があったんだ。」


 自分たちが悪いとはいえ、テオが一方的に責められている様子にオルジは思わず反論した。


 「2人とも何をそんなに殺気立っていらっしゃるのですか・・・?」

 「そうだ!この先の村が、何者かに襲われているかもしれないんだっ!」

 「何だって・・・!?」

 「危険な真似をしたことは後で謝らせてくれっ!今はこっちが先だっ!」


 テオはそのまま駆け出すと、オルジもそれに続いた。


 「な・・・何ですの・・・?」


 あまりにも突然のことにジェシドとシリアは呆気に取られていた。が、そこにセリカの声が耳に届いた。


 「ジェシド、シリア!2人はテオたちを追ってくれ。イヤな気配がするんだ。」

 「え・・・?セリカはどうする――」


 セリカの方へ振り向いた時、シリアは思わず息を吸い込んだ。そこにはセリカの腕の中で、顔面蒼白で震えるクーランの姿があったからだ。


 「クーランちゃ・・・」


 セリカが頷く。


 「私はクーランを落ち着かせる。2人は行ってくれ。」

 「分かった。行こう、シリア君。」

 「あ、はい!キヨ美さん、クーランちゃんをお願いしますね!」


 クーランの傍にいたキヨ美さんが、鼻をヒクヒクと動かす様子を見せたところで、2人も駆け出して行った。

 残ったセリカはクーランの背中を優しくポンポンとたたいた。


 「ごめん、クーラン。大きな声を出して驚かせてしまったね。大丈夫だよ。私が居るから。」


 クーランは小刻みに震えている。セリカは時間をかけてクーランを落ち着かせる為にその場に座らせる。そこにキヨ美さんが膝に乗ってきた。


 「私が怖い?」


 クーランの顔を覗き込むように聞くとゆっくりと首を横に振る。ギュッと握ったまま離さないマフラーにくっきりと皺がよっている。

 その様子から、セリカはあることに気が付いた。


 「・・・クーラン、傷が疼くのか?」


 クーランが上目遣いでセリカを見る。疼くという感覚が分からないのかもしれない。


 「首の傷がいつもと違う?」


 クーランは逡巡した後、わずかに頷いた。セリカは思わず目を見張る。

 (クーランを傷つけた霊魔がすぐ傍に居る・・・!?)


 テオ達が向かった先をセリカは睨みつける。まだ見えないかたきの姿がそこにあるかのように、闘志の火を燃やした瞳で。

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