第68話 幼き君へ

 クーランはキヨ美さんをしっかり抱きしめて帰ってきた。また急に走り出してしまうかもしれないと思っているのだろう。

 セリカは少し不安げなクーランの頭を優しく撫でた。


 「おかえり。急にキヨ美さんが走って行ってびっくりしたな。特に問題はなかった?」


 クーランはコクンと頷く。ゆっくりとキヨ美さんを足元に置くと、セリカの手を強く握りしめた。


 「何かの気配を感じ取ったのは確かなんですが・・・。キヨ美さんたら、追いかけた先で急に立ち止まり動かなくなったのです。気配を見失ってしまったみたいで・・・。」

 「ふぉっふぉっふぉっふぉ。ここは偉人たちの軌跡が詰まった場所じゃ。常に何かしらの気配はある。それに反応したのじゃろう。優秀な式神じゃのう。」

 「あら・・・ふふふ。」


 叡智の賢者に誉められたシリアは嬉しそうに目を細めた。


 「ソフィア様。頼まれていたクルミなんですが・・・。」


 遠慮がちにジェシドがポケットから取り出したのは、数個の青黒い外皮を被ったクルミの実だった。


 「枝に実っていたクルミはまだ小ぶりだったので、地面に落ちていた実だけを採ってきました。なのであまり数が無くって・・・。」

 「あぁ、構わんよ。キレイに洗って干しておこう。」

 「しかしこの数では、ソフィア様とクーランちゃんが食べるのに心許ないかと・・・。」

 「大丈夫じゃ。ワシはクルミをそんなに食べんからのう。」

 「ソフィアがよくてもクーランはクルミパイが好きだと言っていたぞ。」

 「干したクルミはまだある。今日作れば、しばらくクルミパイを作ることはないじゃろうから構わん。」


 ソフィアの言葉にクーランが顔を上げる。


 「・・・ソフィア様、どういうことですか?クーランちゃんが好きなクルミパイを今後は作らないということですか?」


 セリカはハッとする。


 「ソフィア、まさか・・・。」

 「うむ。さっき言った頼みたい事じゃが、クーランをお前たちと一緒に連れて行ってやってくれんか。」

 「えっ・・・!?」


 シリアとジェシドも驚きの表情を向けた。


 「お前さんたちはいつ学園に戻るんじゃ?シャノハに頼まれた資料は既に回収したのじゃろう。」

 「あ、はい。だから明日の朝にここを発とうと思っていました。」

 「なら、クルミパイは今夜にご馳走してやろう。」

 「ありがとう・・・じゃないだろう、ソフィア。説明しろ。」

 「ふぉっふぉっふぉっふぉ。」

 「ソフィア様、笑い事じゃないですわ。ほら、クーランちゃんが・・・。」


 シリアはチラリとクーランを見た。話の内容をすべて理解できていなくても、自分に関わる何かしらの空気に不安な顔をしている。


 「うむ、そうじゃな。」


 ソフィアはその場に腰を下ろした。


 「娘には少し話をしたが、ここは知識の宝庫。確かにここにおれば大概の情報を得ることができ、世界中の偉人たちの知恵を存分に吸収することができるじゃろう。」

 「それならここに居た方が・・・。」

 「しかし、言霊を詠唱できないクーランにとってここはあまりにも大きく狭い場所じゃ。ワシがずっと付いて回らねば本を具現化することもできん。それは逆にクーランの可能性を閉ざしてしまうことになるじゃろう。」

 「それはそうですが・・・。あまりにも急ではありませんか?期限が明日の朝までなんて・・・。」

 「クーランのこれからについては、ワシもどうにかせぬと思っておった。タイミングよくお前さんたちが来てくれたのは有難い。」



 その時だった。


 【勘弁してくれ・・・。オレにガキの面倒が見れると思うか?】


 セリカがピクリと反応する。セリカに、ある思い出の記憶の声が響いてきた。


 【無茶は分かっている。でも頼む、ヴァースキ・・・。お前しか頼る人が居ないんだ。】

 【そうは言ってもだな・・・】

 【連れて行くわけにはいかない。この子を危険に巻き込みたくない。】


 (おっしょうと・・・誰かが話をしている・・・。この声は・・・)


 そこに、2人の声とは別に女の子の泣き声が聞こえてきた。その声はひどく頼りない小さな声だ。


 【ひっ、いや・・・ひっく・・・ひっ・・・・ぐすっ・・・】

 【ほら、コイツも嫌だって言ってるじゃないか。】

 【僕だって嫌だよ・・・!芹禾と離れたくない。でも・・・!】

 【・・・。】


 (芹禾・・・泣いているのは・・・私か・・・?)


 【いや・・・ひっく・・・・ぱぱといる・・・ぐすっ・・・ひっく・・・】


 か細い声は少しずつ声量を増していく。


 【ぐすっ・・・ひっ・・・ひっく・・・ままにあいたいぃぃーっ!うわぁっん!】

 【チッ!!うるせぇっ!!泣くな、このガキッ!!!】

 【う、うわぁぁぁん!!ままぁぁぁっ!!!】

 【ヴァースキ・・・乱暴な言葉は使わないでくれよ。】

 【うるせぇ!だからガキは嫌いなんだよ!!】

 【うわぁぁん、わぁぁぁん!!ぱぱといるぅぅー!!せりかはぱぱとままといっしょがいぃぃーーっ!!】

 【芹禾、ごめん。芹禾のためにママを見つけてくる。だからそれまで待っていてくれないか?】

 【いやだぁぁっ!!ぱぱといっしょがいいぃー!!この人、なんか臭いもんーー!!】

 【なんだと、このガキっ!!】

 【ひっ!!!ひっく、ひっく・・・うわぁぁぁぁぁぁっん!!】


 幼かった自分の泣き声がこだまして響いている。


 (そうだ・・・おっしょうに預けられる時だ。私はおっしょうが怖くて、ヤニ臭くて・・・。父さんと離れたくなくて・・・。随分と駄々をこねて2人を困らせたんだ。)


 「クーランを学園で預かってもらえるよう手紙はワシが用意する。シャノハに渡せば上層に口をきいてくれるじゃろう。」


 明瞭なソフィアの声が聞こえる。セリカは目の前の現実に目を向けた。


 「でも・・・。」


 やりとりは続けられている。セリカは繋いでいるクーランの手が冷たく震えていることに気が付いた。

 首に巻かれてある分厚いマフラーを口にあて、今にも泣きだしそうな顔をしている。


 (あぁ・・・昔の自分を見ているようだ。怖くて泣くことしかできなかった幼かった私。でもクーランは泣き叫ぶことも、自分の意見も口に出すことができない。)


 「こういうのは早い方がクーランにとっても良いと思うのじゃ。」


 話は進められている。本人の意思と尊重は二の次だ。

 しかしそれはクーランを守るための最善の方法を探るために必要なことなのだ。

 セリカはクーランの手を優しく握りしめた。不安そうなクーランがセリカを見上げる。


 (あの時私は、力を持たない自分にはどうすることもできないと、仕方がないと言い聞かせた。無力で泣き叫ぶことしかできなかったのだから。でも・・・!)


 「お前さんたちの学園は医療分野も優秀じゃ。クーランの声を戻す方法だっていずれは見つかるかもしれ――」

 「ソフィアァッ!!」

 「わっ!!」

 「きゃっ!!」


 ソフィアの言葉を遮るようにセリカの大きな声がこだまする。

 これには、さすがのソフィアも驚きを隠せなかった。


 「な・・・なんじゃ、急に大きな声をだして。びっくりするじゃろうわい。」


 セリカは仁王立ちでソフィアに向き合うと、キュッと顎を引く。


 (結果はどうであれ、あの時私は聞いて欲しかったんだ。「芹禾はどうしたい?と」。そして・・・)


 「言いたいことは分かった。でも、それより先に話さなければならないことがあるんじゃないか?」

 「セリカ・・・?」


 セリカはクーランの背中に手をまわした。そしてソフィアの前に立たせた。


 「ソフィアがクーランのことを想って提案しているのは分かる。それが最善かどうかきっと私たちにも分からない。きっとそれを決めるのは将来のクーランだから。」

 「・・・。」

 「だから、そのクーランの意思を無視して話を進めるのは違うんだ。説明し、納得させろ。今それができるのは、あなたしかいないんだ。」


 セリカは泣いている過去の自分を見ていた。ただ怯え泣く無力な自分を。

 母さんがいなくなって、父さんもいなくなってしまう。急に知らない人に預けられて、すごくすごく・・・怖かった。でも1番怖かったのは――。


 「ソフィア、伝えろ。決してクーランを嫌いになったわけじゃないと。愛しているからこの道を選択したいと。」

 「!」


 私は必要じゃない、邪魔だから置いていかれるのではないか・・・そう思うことが1番・・・怖かったのだ。


 雫が落ちる。はらはらとたくさんの涙がクーランの頬を濡らしていった。


 「クーラン・・・。そうじゃった。ワシとしたことが・・・泣かないでおくれクーラン。」


 そう言うと、ソフィアはクーランを優しく抱きしめた。


 「クーランを嫌いになったからここを追い出すとかでは決してない。むしろ・・・。」


 止まらない涙をソフィアは何度も拭う。


 「寂しい。クーランがいなくるとワシはとても寂しい。でもな、クーラン。ワシはクーランに様々な経験をしてほしい。人と出会い、キレイな景色を見て、あらゆる刺激を受け成長していってほしい。世の中には過酷で、熾烈で慈愛の感情がたくさんあることを知ってほしい。この場所ではその可能性を潰してしまうかもしれん。」

 「クーラン。私もある人に預けられたことがある。怖いよね。不安だよね。でもね、クーラン。私はその人に預けられてあらゆる経験をした。そして、シリアやジェシドに会うことができた。」


 ジェシドとシリアがピクリと体を震わせる。


 「きっとあの時、この選択をしていなければ2人はもちろん、ソフィア、そしてクーラン、あなたにも出会うことができなかったかもしれない。」


 クーランは驚いた顔でセリカを見つめる。セリカはゆっくりと頷いた。


 「だから感謝している。あの時この選択をしてくれた大人に。

 それにソフィアにはいつでも会いに来れるよ。私たちが連れてきてあげる。私たちがここに来たようにいつでも会えるんだよ。永遠のお別れじゃないんだ。」


 クーランはソフィアの顔を見た。その視線にソフィアは優しく微笑んだ。


 「それでも決めるのはクーラン、あなただ。クーランはどうしたい?クーランが決めていいんだ。」


 セリカは小さな両手を自分の手で包み込んだ。

 クーランの涙はまだ止まらない。しかし瞳の奥にある意思をセリカは確かに感じ取った。

 傍にあったスケッチブックと鉛筆を渡すと迷いなく鉛筆を走らせる。そして書いたページをソフィアに見せた。


「いく」


 そこには大きくそう書かれていた。

 ソフィアはもう1度クーランを抱きしめる。そして何度も頭を優しく撫でた。


 「セリカ。」

 「セリカ君。」


 セリカに駆け寄った2人は、セリカの瞳にうっすらと残る涙の痕を見つける。シリアはセリカの腕を強く握りしめた。


 「感謝じゃ。セリカ。」

 「いや、救われたはのは・・・きっと私だよ。」


 泣き叫ぶ女の子は後ろに人の気配を感じ取った。振り返るよりも先にタバコの匂いが鼻につく。他にも個性的な魔法を使う生徒や頼りになる大人の背中がある。

 泣くのをやめた女の子は1歩歩いた。自分の体が大きくなった気がする。

 2歩歩くと自分の中にある力が増大したような気がする。

 3歩歩けば、背中しか見えなかった生徒たちや大人たちの笑った顔を見ることができた。

 迷いなく歩みを進める。真っ暗だった景色に光が差し、風景が変わる。その時フワリと暖かな気配が自分を包み込んだ。


 【怖かったね、不安だったね。大丈夫。あなたはもう1人じゃない。】


 泣き叫んでいた幼い女の子がゆっくりと消えていく。満面の笑みを浮かべた少女の顔を記憶に焼き付けようと、セリカは静かに瞳を閉じた。

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