第66話 上級魔術師
「じゃあ、好きな食べ物。」
『くるみぱい』
「へぇ、美味しそう。私は~チョコレートケーキかな。」
サッサッと鉛筆のはしる音が聞こえる。クーランはスケッチブックに『ちょこれーときーき』と書き、その横に三角形の絵を足した。どうやらケーキを描いたようだ。
その可愛らしい絵にセリカは自然と笑みがこぼれる。
「じゃあ、今度は好きな色。」
『みずいろ』
「なんで?」
キョトンとした顔から眉をひそめる。なぜ水色が好きなのか、理由を考えているのだろう。
しばらくすると再び鉛筆を走らせた。ふっくらとした頬と揃えられた睫毛、一生懸命に文字を書く姿はいつまで見ていても飽きない。
『あそんだかわのいろ』
差し出された紙にはそう書かれてあった。
「近くに川があったのか?」
クーランはコクリと頷く。そしてその文字の横に魚の絵を描き始めた。
2人がうつ伏せて肘をつく周りにはフリージアの花が咲き誇っている。セリカの手を引っ張りクーランが連れてきてくれたのだ。この場所はクーランのお気に入りの場所で、一面山吹色の中に薄紅色や菫色も混じったグラデーションがとても美しかった。
ここでお互いに(主にセリカが)質問をし、答え合っている。本を具現化できない2人には互いを知るいい時間のように思えた。
好きな季節(セリカは春、クーランは冬)、好きな動物(セリカは犬、クーランはキヨ美さん)、好きな天気(セリカは夜の雨、クーランは曇り)、と魔法やエレメントには関係のないやり取りを続けていた。
「今何食べたい?」
『やきりんご』
「今まで美味しかった食べ物は?」
『ままがつくったぱい』
そう書くとクーランは無邪気にほほ笑んだ。
「・・・。クーランの夢は?」
クーランがセリカの目をじっと見つめる。夢という単語にピンときていないようだ。
「これからしたい事・・・かな?」
クーランの顔がパァッと明るくなる。そして小刻み良くスケッチブックに書き始めた。
差し出された内容に、セリカは強張る表情を気付かれないように努めた。
『ぱぱとままにあう』
そう大きく書かれてあったからだ。
「そうか。」
セリカは頷く。するとクーランが新しい画用紙を出し再び鉛筆を動かしはじめた。
「クーラン?」
クーランは嬉しそうに鉛筆を走らせている。そして書き終わったらそれを差し出した。
そこには
『おねえちゃんのなまえをよぶ。』
と書かれていた。セリカの反応をうかがう瞳はキラキラと輝いている。
その優しさと無邪気さに胸がギュッと締め付けられた。
「クーラン・・・。」
うつ伏せの状態から体を起こすと、同じくうつ伏せ状態であるクーランを抱き起こす。そして優しく抱きしめた。
「ありがとうクーラン。きっとあなたの声を取り戻してみせる。」
小さな後頭部を何度も撫でた。クーランもセリカの服をぎゅっと握り返した。
その時、クーランの近くにいたキヨ美さんが耳をピクピクさせる。
「見つけましたわ。」
そこにシリアがゆっくりと歩いてきた。後ろにはフリージアの風景に見惚れるジェシドもいる。
「よくここが分かったな。」
「えぇ、キヨ美さんの気配を辿って。ステキな場所ですね。」
「あぁ、クーランのお気に入りの場所らしい。」
「こんなステキな場所を2人で独占していたのかい?」
からかうようにジェシドが笑うとクーランは自慢げに笑ってみせた。どうやらジェシドにも慣れてきたようだ。
「それにしましても・・・。」
2人を見たシリアが思わずため息をこぼす。
「そうしていると、本当の姉妹のようですわ。」
ふふふっと笑う視線の先には、長い髪をポニーテールにした2人の姿があった。セリカはいつもの赤いリボンが結ばれクーランの髪にはフリージアの髪飾りが挿してある。
「同じ髪型にして欲しいって言われたんだ。似合っているだろ?」
クーランの長いポニーテールに指を滑らす。細く茶色の髪がフワリと揺れた。
「えぇ、クーランちゃんとっても可愛いですわ。」
「うん、よく似合っているよ。」
2人の感想にクーランは嬉しそうに笑った。
「本はどうだった?」
「えぇ、とりあえず分かりやすそうな文献を幾つか見繕ってきましたわ。」
「ありがとう。無理を言ってすまなかった。」
「いいえ。私も興味がありますわ。」
ソフィアから人間と精霊の始まりの話を聞いたセリカは、霊魔と咎人について知りたくなった。ソフィアから聞くよりもまずは自分で調べてみたいと思い、シリアに本の具現化をお願いしていたのだ。
「驚きましたわ。『霊魔』、『咎人』、この単語に該当する文献は数える程しかありませんでした。」
「この
「うん。世界で1番大きな図書館と言われているこの場所でもだ。それほど謎に包まれている存在だといってもいいだろうね。」
シリアは持ってきた本の中から、1番上に重ねてあった本をめくった。
「この資料に目を通してみましたが、学園の初等部で修学する内容と大して変わらない内容でしたわ。基礎的なものばかりで、特に目新しいことは記されていませんでした。」
「こっちの本もだ。咎人は負の感情を精霊に植え付け使役し、そして負の感情を抱いた精霊は霊魔へと姿を変える・・・という普遍的な文章が目立つね。咎人への変身も学園で修学する内容と一致する。」
「咎人への変身か・・・なぁ、それを初等部ではどのように学ぶんだ?」
シリアはスカートの裾に配慮しながら腰を下ろした。
「咎人とは、4つのエレメントをもつ
「え・・・?」
セリカは眉をひそめる。
「どうなさいました、セリカ?」
セリカは慌てて首を振った。
「・・・いや。それよりそれはどういうことなんだ?」
「四元素、即ち
「それはそうですわ。
「そうだね。そんなことができるのは同じ
咎人とは、その辺の情報も解明されていない本当に稀有な存在なんだろうね。文献が少ないのも納得がいくよ。」
腕組みをしたジェシドは何度も頷いた。
「ふ~ん。それで、その
「まさか!!」
「おわっ!!」
シリアは勢いよく顔を近づける。セリカはその迫力に思わずのけぞってしまった。
「
「そ・・・そうなのか?」
「はい!エリスがノートで説明したのを覚えていますか?
私たちは学園を卒業した後、まず
「そもそも
知識、体力、魔法力すべてを試される検定らしいんだけど、その詳細な内容は在学生の僕たちには教えられることはまずない。勿論、卒業生たちに聞くことも禁止されているんだよ。」
「1割から2割って・・・相当狭き門じゃないか。」
「うん。
セリカは顎に手を添える。そして考えるように眉をひそめた。
その姿を見て、隣にいたクーランが真似をするような素振りを見せている。
「今さら聞くことではないのかもしれないのだが・・・。」
珍しく歯切れの悪いセリカにシリアはピンとくる。そして苦笑した。
「何でもどうぞ。といっても、質問の内容は薄々分かっていますが。」
諦めの表情に優しさが浮かぶ。だからセリカは安心して質問を続けることができた。
「
「ふふふ。そうくると思いましたわ。」
「・・・すまない。」
「謝ることなんてないですわ。確かにサージュベル学園は
「そうだよ。サージュベル学園はエレメント研究について最先端の技術と幅広い知識を有していると名の知れた機関だからね。研究者や専門職を目指す人も多いと思うよ。」
「シリアは
「えぇ、私は祖母も母も
「ジェシドは話してくれたよな。シャノハ博士に憧れて学園に入ったと。」
「うん。僕は
「なるほど。
セリカは安心したように姿勢を変えた。クーランも同じ姿勢になる。そして膝にキヨ美さんを乗せ、体を撫ではじめた。
その姿に頬を緩めたシリアが再び話し始める。
「先ほどの質問ですが、まず
「エレメント
「多くはその象徴である存在に憧れ渇望し、切磋琢磨しながら
セリカは何度も頷いた。学園の中で出会った幾人もの先輩の顔が思い出される。
「もちろん、戦いで傷つき命を落とす
「
「えぇ、そうですわね。」
「なるほどな。そして、その
「はい。
「途方もないな。」
「えぇ、本当に。」
その時、クーランの膝で眠っていたキヨ美さんの耳がピクリと動く。そして鼻を忙しなく動かした。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。そんな
音もなく姿を現したのはソフィアだった。
「ソフィア・・・。ということは、咎人は4つのエレメントをもつ
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。」
「またそれか・・・。」
セリカは長いため息をつく。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。ワシもそのような事象を見たことがないから断言ができぬということじゃ。それほどに
どんなに昏く濃い闇を抱えた咎人が使役した霊魔でも、
「そんな歴然の差が・・・?」
「ふぅむ。」
長い髭をなでながら小刻みに頷いている。
「でも、ソフィア様――。」
ジェシドは腑に落ちない顔をした。
「
「確かに・・・。魔術師と咎人と霊魔・・・決して近年に勃発した争いではありませんわ。」
3人の視線を集めたソフィアは古びた杖をカツンと鳴らした。
「
「そうなのか?」
「大昔の話じゃ。
「咎人たちも力を蓄えるために進化していった・・・ということか。」
「そうじゃのう。闇を抱えた人間はどの時代でも必ず現れる。病み、痛み、嘆き、苦しみは表裏一体。常に光の裏に潜んでおるのじゃ。」
「・・・。」
「明かされなかった名誉ある伝説。胸が張り裂けるほどの情景。涙で滲んだインクに抱かれた吐息――今、ワシらの上で優しく震える多くの文献にも残せなかった叫びが、姿や影すら無くとも脈々とどこかで繋がっておるのかもしれん。」
「・・・。」
「・・・。」
風が騒いでいる。ザァァッと揺れた葉が悲し気な音を出しているようだ。
それは確かに紡がれた物語の主張の声なのかもしれない。
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