第2章 2部

第45話 妖しく重なる影

 薄暗い廊下は黒を基調としたマーブル柄の大理石でできている。光沢のある質感は、壁面に飾ってあるアンティークのブラケットライトの光を淡く照らし出していた。

 コツコツと響く足音は廊下のつきあたりでピタリと止んだ。シンプルだが重厚感のある扉の前に、ある人影を捉えたからだ。


 「ゼロは部屋にいねーぞ。」


 ビクリと体を震わす姿が可笑しくて自然と口角が上がった。

 まるでイタズラが見つかった子供のように顔をこわばらせて振り向いた女性は、そこに居たファルナの姿にあからさまに落胆した顔になった。


 「相変わらずゼロのストーカーかよ、シトリー。」


 シトリーは落胆の顔から不機嫌な顔つきになる。


 「お前に用はない。」


 投げ捨てるように吐かれた言葉は、その女性にはまるで似合わなかった。


 目元を大きく強調するように施された派手なメイクに下品さは無い。目尻まで伸びた黒いラインと二重にまぶたに乗せられた薄紫のカラーが色っぽさを演出している。

 大きく開いた胸元から見える豊満なバストは誰もが目を止めるほど魅力的で、最小限の布で包まれている形の良いお尻と、そこから伸びる網タイツの長い脚が彼女の妖艶さをさらに引き立たせている。

 肩から全身まで伸びる黒のベールが露出度の高い服をフォローしているように見えるが、彼女の女性らしいスタイルをより際立たせていた。


 「はは、冷たいねー。」


 ファルナは持っていた資料で自分の肩を2,3度叩いた。


 「ゼロならまだ研究室に籠っているぜ。」

 「またぁ?最近、全然部屋に帰ってこないじゃない。」


 ゼロに魅せるために彩られた艶のある赤い唇が柔らかくとがった。


 「ガロがこっぴどくやられちまったからなぁ。もう少しで器が壊れてエレメントが使えなくなるところだったらしいぜ。改良者としてはほっとけねーんだろ。」

 「それでも、ちょっとくらい休んでもいいのに・・・。」


 腕を組み、ため息をついたシトリーの胸元がより強調されている。自然とファルナの視線もそこに吸い寄せられた。

 ファルナはシトリーを壁際に追い込むと耳元で囁いた。


 「身体が鳴いているんだったら、ゼロの代わりにしずめてやろうか?」


 ブラケットライトによる光が重なった影を映し出している。


 「あんなガキより満足させてやれるぜ?」


 アイラインで黒く縁取られた目が僅かに揺れるのをファルナは見逃さなかった。


 「ちょ・・・んっ!!」


 ファルナは躊躇なくその赤い唇に自分の口を重ね、さらに無理やり口を開かせた。


 「んんっ!!」


 突如呼吸を奪われたシトリーは苦しそうに目を瞑る。その歪んだ顔に加虐心を煽られたファルナは、シトリーの舌をさらに絡めとり呼吸を乱した。

 何度かお相手をした時に見た彼女のよがる姿が思い出される。


 「んっ!ハァッハァ!!」


 重なった唇を解放したシトリーは貪るように呼吸をしている。潤んだ目元が色っぽいとファルナは思った。


 「ゼロの部屋のベッドで鳴かせてやるよ。」


 ファルナがその豊満で柔らかそうなバストに触れようとした時、パチンという音とファルナが持っていた資料が床に落ちる音が廊下に響いた。


 「いったー!なにすんだよっ!」


 自分の左頬を摩っているファルナの隙を見て、シトリーは壁際から逃げだした。


 「何するのはこっちのセリフよ!悪趣味なこと言わないで!」


 雰囲気に酔った自分の失言に気付いたファルナは心の中で舌打ちをする。


 「そんなにゼロがいいかぁ?あいつ童貞だぞ?」

 「はぁ!?そんなわけ無いでしょ!何度も私と――。」

 「身体はな。でも脳内がなぁー。」


 やれやれ、と言いながらファルナは床に落ちた資料を拾った。すっかり興ざめだ。


 「何?どういうこと・・・?」


 自分の口づけで艶っぽかったシトリーの顔が、ゼロへの興味にうつり面白くない。


 「ガキみたいに頭は誰かのことでいっぱい、ってこと。」


 ここで止めておけばよかったのだと、ファルナは後から後悔することになる。


 「まぁ、いつも冷静なアイツが熱烈なキスをしたことには驚きだけどなぁ。やっぱり想い人であるセリカとの再会がそうさせたのかねー。でも、オレならそのまま押し倒――」


 (って、ヤベッ!)


 ファルナが慌てて口を押さえた時にはすでに遅かった。シトリーの目が完全に吊り上がっている。


 「キス・・・?想い人・・・?セリカ・・・?」

 「いや、シトリー落ち着け、な?」


 完全に口が滑ってしまった。先ほどの状況が面白くなくて、少しだけ意地悪を言ってやりたかったのだ。


 「セリカって誰よ?」

 「さぁ~誰だったかなぁ・・・。今のイベントのSSRキャラの名前だったっけな~。」

 「ゼロはゲームなんてしないでしょ。誰が誰にキスしたって?」


 いつの間にかファルナが壁際に追い込まれている。さっきとは逆の光景だ。シトリーの履いている細く鋭い黒のピンヒールがカツンと一際高い音を鳴らした。


 「いや、落ち着けって。お前たちだってキスの1回や2回、当たり前にしてるだろうっ!?」


 その時、シトリーの顔が醜く歪んだ。


 「・・・わよ・・・。」

 「はっ?」

 「したことも、されたことも1度も無いわよっっ!!!」

 「ぐほっ!!」


 ファルナの腹部にシトリーの拳がめり込んだ。そして、そのままシトリーは暗い廊下を走り去っていってしまった。

 殴られた箇所を押さえながらズルズルと座り込めば、彼女の響かせるヒールの音が次第に小さくなっていく。


 「っ・・・げほ・・・。よくあんな靴で走れるなー。ってか体を重ねてもキスはしないって、マジでゼロの奴童貞じゃん・・・。」


 完全に力を抜いたファルナは固く冷たい廊下に倒れ込んだ。


 「あ~ぁ。どっちがガキだか・・・。」


 ボソリと呟いた言葉が空気に溶けていく。ファルナは目を瞑り、そのまましばらく動かなかった。



 そんなファルナとは裏腹に、怒りの形相をしたシトリーは目的もなくただ足を動かし歩いていた。


 「痛っ!」


 しかし、突然走った痛みに光沢のあるピンヒールを脱いでみれば、右足の親指の爪が少し割れている。

 ゼロに少しでも美しい姿を見せたくて塗ったペディキュアが剥がれていた。それだけで、さっき押し止めた涙が再び溢れそうになる。

 シトリーは両方のヒールを脱ぎ裸足になった。冷たい床が気持ちがいい。


 (泣き顔を見せたくなくて逃げてしまった。でもファルナが悪い。デリカシーの無いことを言うから・・・。)


 ペタリペタリとゆっくり冷たい階段を上がれば、ステンドグラスが飾られた踊り場で足を止めた。

 先ほどファルナと交わした会話を思い出し、再び唇を噛む。


 (ゼロからキス?しかも熱烈な・・・?)


 シトリーはゼロと交わした逢瀬を思い出す。しかし何度思い出してもキスはしてないし、されたことがない。

 勿論、シトリーからせがんだ事は何度もあるが、悉く躱されているのだ。

 

 ゼロが好きだ。だが、同じ気持ちをゼロが持っていないことぐらい既に分かっている。

 それでも銀髪のあの美しい顔が、必ず目を瞑り余裕なく表情を歪ませて達する瞬間を見ることができるのは自分だけだと自負しているのだ。


 「たかがキスじゃない・・・。そうよ、たかが・・・。」


 ほんの少し濡れた目元を指で触れ、腕を組んだシトリーは低い声音で話しかけた。


 「イカゲ。居るわね?」

 「は。」


 シトリーの後方に細長く伸びる影が姿を現す。


 「この間、ゼロとファルナが赴いた場所について調べなさい。そこで『セリカ』という人物を見つけ出しなさい。」

 「ゼロ様には?」

 「モチロン、ヒ・ミ・ツ。」

 「・・・。」

 「イキなさい。」


 軽く首を動かし、流し目をしたシトリーは妖しく美しい。


 「は。」


 瞬間、イカゲの気配が消えるとシトリーはピンヒールを履き直した。

 ステンドグラスから漏れる月の光が、踊り場に佇むシトリーを照らし出している。

 口だけに笑みをたたえた美しい咎人の姿を。

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