第10話 変わり者が集まる場所(2)

 ライオスは自分がまだこの学園の生徒だった時を思い出した。 


 当時、この学園には学園を守る旧式の結界が学園の空に張り巡らされていた。

 それは学園を中心としたドームのような形をしており、薄いガラスのような結界は見た目にも閉鎖的な空間を作り出していた。

「閉じ込められている」という感覚に陥るその結界に幾度かの反発心を覚えたこともある。


 それがある日突如として消滅したのだ。ドカンでもパリンでもスゥーでもなく本当に突然に。

 学園は混乱を極めた。霊魔討伐に関わる魔術師ウィザード育成学園が防御力を持たないただの建造物になってしまっては、学園を認めない存在から狙い撃ちにされるだろう。

 学園は世界で活躍する学園の卒業生でもある魔術師ウィザードたちに召集命令を出し、さらに国の機関執行法を用いた条例を隠匿で発令し上級魔術師ハイウィザードをこの学園に派遣したという。


 しかし事態は数日で収束する。再び薄いガラス状の結界が学園に張り巡らされたからだ。


 その影にはこの学園の情報システム全てを管理しているソン・シャノハ博士の存在があった。

 彼は消滅した結界の解析を行い、さらに問題を解決した上で新たな結界術を1人で再構築したのだ。

 再び学園に平和が訪れた数週間後、結界を消滅させた犯人が学園に連行されるという話を聞いたライオスは、野次馬で混雑する現場に足を向け驚いた。連行されたのは自分よりも年齢がそう変わらないであろう女の子だったからだ。

 髪はボサボサで身につけていた衣類はお世辞にもキレイとは言い難く、裸足であった彼女の足は小さく頼りなく見えた。

 さらにこの時少女は目隠しされ、両手は後ろで縛られた状態だった。

 緊縛を思わせる妖艶な佇まいは、少年だったライオスに強く刺激的な描写として残ることになる。

 それは他の生徒も同じだったようでしばらくこの少女は注目の的となった。

 真実かどうかも分からない噂は其処彼処に出ては消えていく。

 しかし、尾ひれが付いた噂の独り歩きはそう長くは続かなかった。連行された日から彼女の姿を見た人は居なかったからだ。

 「学園に処刑されたらしい」という噂だけを残し「学園の結界を破った魅惑の少女」はライオスが学園を卒業する頃には既に忘れられ、現在では学園の七不思議の1つとして挙げられる。

 その当の本人が目の前で自分が淹れたお茶を飲んでいるのだから、人生よく分からないものだと笑ってしまう。


 「何だ、何がおかしい?」


 ライオスの小さな笑いを敏感に感じ取ったのだろう。

 顔を上げれば不思議そうな顔をしてこちらを見るレイアと目が合った。

 その目を見てさらに笑いがこみ上げてきてしまう。


 「ふふ。いえ、気にしないでください。とりあえず結界に問題が無いのは分かりました。そしてあなたがTwilight forest(静かなる森)に霊魔が入ったことに関して、まったく興味を持ってないこともね。」 

 「フン。私が作った結界術は完璧だ。結界に問題がない以上、霊魔が出現した矛先をこちらに向けられても時間の無駄というものだ。」


 レイアは仏頂面をしたまま勢いよくお茶を呑んだ。

 レイアの様子を見てライオスは少しの違和感を覚える。


 「今回の課題に情報管理部は関与していないということですね。」


 ライオスの言葉にレイアは肩をすくめる。それは肯定を示す態度より他ならない。

 レイアは近くにあったイスに深く腰掛け、直し足を組み替えた。

 あの時見た頼りなく小さな裸足は、今はグレーのタイツとワイン色をしたスエードのパンプスに包まれている。


 「確かにTwilight forest(静かなる森)の課題には私が作った魔術具を使用しておる。だから魔術具を通して内部の異変はすぐに感知した。」

 「魔術具というのはエレメントロガーのことですね。あのTwilight forest(静かなる森)でも使用できる機械なんて、スゴイアイテムを開発しましたね。」


 課題の準備をしていた教師たちが森に擬態できる機械を持っていたことを思い出し、ライオスは素直に称賛する。実際にあの森で使用できる機械を作ったのはレイアが初めてだ。


 「あれは大昔に作ったプロトタイプだ。数が必要と言われたから貸し出したにすぎん。

 私のエレメントを注ぎこんではいるが所詮は初期型。狭い範囲の異常を微弱に感知できるくらいだ。

 感知はしたがそれを報告する義務は私にはない。」


 レイアはここの教師でもなければ研究者でもない。

 関係者ではない彼女がこの学園に居る理由。それは、エレメントの研究において世界トップクラスの優れた設備と環境が整っているこの場所に他ならない。

 当時、旧式型の結界を一瞬で無効化した彼女の頭脳を危険因子と判断した学園は、彼女を見つけ連行し監禁した。

 レイアに攻撃の意思が無かったとはいえ、国が運営する機関への干渉を理由に、そのまま処刑されようとしていたところを助けたのがソン・シャノハ博士だという。

 彼は彼女の頭脳の高さとエレメントに対する研究欲求に目を付け、レイアの身元を一任させてほしいと学園に要求したという。

 上層部は渋ったが、件の功労者であったシャノハの要望を無下にもできず、レイアはシャノハの管理下に置かれたのだ。

 しかしシャノハはレイアに何かを強制することも拘束することもなかった。


 「この学園の道具や設備を自由に使用してエレメントの研究をすればいい。君の行動は僕が責任を取ろう。」


 そう言ってシャノハはレイアに研究の場所を提供する代わりにある条件を提示する──。

 レイアはその条件を承諾し現在の自由を手に入れたのだ。

 故にレイアは学園への忠誠心など持ち合わせてはいないのだ。


 「報告しろと命令されてもあなたはしないでしょ?元々期待などしていませんよ。僕の目的は結界の機能が正常に働いているかの確認ですから。

 ただ、あなたのエレメントを注いでいる魔術具で異変を察知したなら、その正体の目星ぐらい付いているのでは、とも期待したのですが。」


 レイアは唇を歪め黙っている。空虚な眼差しはどこも捉えてはない。

 自分が構築した結界の不備により、霊魔の出現を疑われていることが不機嫌な理由かと思っていたがどうやら違うようだ。

 ライオスは確証を得るために質問を変えてみた。


 「シャノハ博士はどちらに?」


 案の定、レイアの口元がピクっと微動し、眼に少しの光が戻る。


 「いつもお茶を淹れてくれるのは博士なのに。今日は不在ですか?」


 唇を尖らせ腕組をしたレイアは、憤懣やるかたない様子で顎をクイっと上に上げて見せた。

 その意味を瞬時に理解したライオスは納得する。


 (なるほど。先ほどからの違和感はこれですね。)


 「上層部から召集がかかったわけですね。そしてあなたは置いていかれたと・・・。」


 キッとレイアはライオスを睨んだ。その視線にさえ色っぽさを感じるのは男の性だろうか。

 腕組により強調された胸元と、タイツに包まれていても分かる形の良い足は艶めかしく組まれている。

 自分が構築した結界が霊魔の出現により欠陥を疑われている。しかし、結界は正常に働いているから責任はない。それについて蚊帳の外に追いやられていることと、シャノハに尻ぬぐいさせていることが面白くないのだろう。

 その姿と思考の子供っぽさとのギャップに、笑いが抑えられない。


 「仕方ないでしょう。あなたはこの研究室から出たがらないのだから。それに、上のお偉いさん方がこの研究室に入ることさえ許さないくせに。

 ドアに転送術を施しているお陰で、ここに部屋があるなんて誰にも分かりませんよ。だったら博士が出向くしかないじゃないですか。」

 「転送術を施したのは奴じゃ。私ではない!」


 久しぶりに口を開いたレイアは噛みつくように断言する。


 「ここはエレメント開発の中枢であり脳じゃ。その中枢に人が自由に出入りすることは危険だとアイツが窓やドアを消したんじゃ。私がそうしろと言ったわけではない。」


 それもそうかとライオスは頷く。

 学園の管理システムを運営している場所が簡単に特定されれば格好の標的だ。国が運営する機関となればそれも顕著だろう。


 学園の機密情報を一括に管理しているソン・シャノハ博士はこの学園を首席で卒業し、わずか数年で学園の管理システムを設計し、情報管理部を立ち上げた天才と言われている。

 彼なら重要な情報に鍵をかけ、しまい込むことなんて造作もないことだ。

 しかし彼はそれより複雑な鍵を考え付いた。それがレイアだ。

 まず研究室から滅多に出ないレイアを知る人は多くない。

 レイアの存在が希薄なことに目を付けた博士は、彼女を学園の中枢の鍵に仕立て上げた。

 かつて「処刑された学園七不思議の魅惑の少女」と現在のレイアを結びつける糸は無い。

 当時、学園の沽券に関わる事件の当事者であるレイアは抹消されかけたのだ。

 シャノハ博士がその少女を助け身元を引き受けたことを知る人間は当然限られてくる。

 次に、他人に無関心な彼女は自分にとって必要な人間の顔しか覚えない。

 彼女の中で「必要」という定義は測りかねるが、しかし顔を覚えている人間は全員安全なのかと聞かれるとそこは同等ではないはずだ。

 研究しかしてこなかったレイアに、人を見る確かな目があるとは思えない。


 「レイアは自分を悪用する存在を本能で排除してしまうんですよ。なんかノラ猫みたいですよね。」


 彼女の定義からふるい落とされた人の話には一切耳を傾けない様子を見て、博士は面白がってそう表現したことをライオスは思い出す。


 「野生の感って言うんですかね。今まで一人で生きてきたレイアはその感覚が人一倍鋭い気がするんです。」


 そう話したシャノハ博士はのほほんとお茶をすすった。

 

 レイアが顔を覚えていない人イコール信用できない人という図式が博士の頭にあるらしい。

 そして博士はそのレイアの『本能』を無条件に信用しているのだ。


 「おぬしが使役獣と間違えた妖精フェアリーたちがおっただろう。あの妖精たちの目と私の目を同期させることで、あいつらが見た視界の情報を私に伝達できるように初期型を改良したのだ。

 見覚えのある人間だったら誰でもここに転送できるようにしておる。」


 湯呑みを机に置いたレイアは得意げに胸を張った。


 「嘘おっしゃい。来訪者がお土産を持参していないとここには通さないでしょ。あの妖精フェアリーたちもしっかりみたらし団子を見つめていましたよ。

 あなたが今食べたいお菓子を持参しないといけないって、どれだけ難易度の高い入り口なんですか、ここは。」


 レイアが無類のお菓子好きということも彼女をよく知った人間でしか知らない情報だ。

 レイアはあらかじめ妖精たちの視覚情報から誰が何を持ってきたかを簡単に知ることができ、さらに持参したお土産がお気に召さないと扉を開けてくれないというから厄介だ。

 ライオスの言葉にプイっと顔を背けたレイアの頬は膨れている。その姿は子供そのものだ。

 ドアや窓のない部屋、レイアのお菓子好きを知っている顔見知り、さらに彼女が気に入るお土産を持参必須。

 おまけに、人間が壁の前で急に消えたり現れたりする現象が怪奇現象だと噂になり「変わり者が集まる場所」といわれるこの場所に近づこうとする人は少ない。


 この学園の脳は、複雑な条件と形のない幾重にも重なった抽象的な鍵により守られているのだ。

 レイアを引き取った時からこの強固なセキュリティを作り出そうとしていたのかは分からない。

 しかしレイアに首輪をかけ懐柔し(本人は認めないだろうが)頭脳を学園の運営に役立たせる手腕はさすがというべきか──。


 「相変わらず喰えない人だ──。」


 レイアには聞こえないように呟く。

 そして、さてと、と言いながらイスから立ち上がった。


 「これはただの興味なんですが──。」


 いまだにふくれ面をしているレイアに向かって、ライオスは切り出した。


 「あなたはあの霊魔は何だと思いますか?」


 レイアはライオスの顔をチラリと見ると、空になった湯呑みに再び急須からお茶を注ぎ入れた。

 時間が経ち茶葉が十分に開いたお茶は、先ほどより緑が濃くなって湯呑みに滑り落ちる。


 「知らん。」


 おおよそ予想していた答えだったがもう少し食い下がってみる。


 「エレメント研究の最先端をいく天才のあなたでも分からないことがあるんですね。あなたのエレメントを有した魔術具が使用される場所で、しかもあなたが誰よりも早くその存在を感知していたのに?解析の時間も多少はあったのでは?」


 丸い棘を含んだ言い回しはレイアの機嫌をより損ねると思ったが、これからさらに機嫌の悪い人に状況説明をしなければいけないという重荷にから、思わず口に出てしまう。

 しかし、ライオスの挑発にレイアは意外にも冷静だった。


 「実はな、昨日のおやつもみたらし団子だったんじゃ」

 「え?」


 脈絡のない話に面食らったライオスだったが、一瞬で思考の整理をして眉をひそめた。目の前のレイアは、もう子供のようなふくれ面をしていない。


 「検体を持ってこい。血でも毛髪でも爪でも何でもいい。」

 「あなたでさえも知らないエレメントなんですか。」

 「あぁ。だから知らんと答えた。」


 レイアが2日連続で同じお菓子を食べるはずがない。気分ではないお土産だと理解した上でこの部屋にライオスを招いた理由、それは今回の霊魔について情報を確約すること。


 「この学園内に未知のエレメントを持っている霊魔が出現した時点で、誰かがここに来ることは予想していた。結界が機能していれば霊魔が侵入してくることはまずないからな。

 まぁここに来る人間は限られてくる。

 得体の知れないエレメントなんて・・・ゾクゾクするぞぃ!」


 口角を片方だけあげ、ニヤリとレイアは笑う。


 「感謝せいよ。私の今日の気分は豆大福じゃ。中身はもちろんこしあんじゃ。」


 レイアのしたり顔とは裏腹にライオスは苦り切った顔をした。手のひらで転がされているようで面白くない。


 「まんざらでもない顔をして食べていたくせに・・・毎回チョイスがピンポイントすぎるんだよ。」


 チッと小さく舌打ちをしたライオスは、目にかかる前髪をかきあげレイアから視線を外す。とりあえず、今はそう言ってもいられない。

 瞬時に苦り切った顔から、いつもの微笑をたたえた表情へと切り替えた。


 「お茶、ごちそうさまでした。博士によろしくお伝えくださいね。転送お願いします。」


 レイアは短い詠唱を口にする。この部屋に入ってきた時と同じように白い光に思わず目を瞑った。

 目を開けるとライオスは暗く冷たい廊下に立っていた。後ろを振り返るとそこには薄汚い壁が一面に広がっている。

 先ほど飲んだお茶で温まった体が急速に冷えていく。しかしレイアの最後に発した声がライオスの耳には響いていた。


 そして、眉間の皺が増えていないことを願い、Twilight forest(静かなる森)に足を向けた。

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