第12話 ナンバー・オブ・ザ・ビースト


◆ 勝美視点 ◆


 何度負ければいいのだろう……?

 何回悔しさにえれば、〝あの人〟に近づけるんだろう……?


 角倉勝美は、いまだ記憶を取り戻さない秋人の横顔をうかがい見て、小さく溜息をらした。


 勝ちたい――その想いが切実なものになれば、秋人は〝あの人〟を頼らざるを得ないはずだ。


 魔王に。

 666ナンバー・オブ・ザ・ビーストに。


 勝美は〝あの人〟と出会った日のことを回想した。



    ◆ ◆ ◆



『お前、何でさっきの試合、すぐに投了しなかった?』

 

 あれは二年前――初対面の勝美を「お前」呼ばわりした〝あの人〟は、平日大会の三試合を終えた自分に話しかけてきた。


『はあ……?』


 女子だからといって、ナメられるわけにはいかない。勝美は精一杯の虚勢で相手を睨み返した。


『お前はあの試合で、負けを悟ったはずだ。なのになぜプレイを続行した?』


〝あの人〟が言っているのは、最終試合のことだろう。圧倒的優勢の相手に、勝美はまったく手出しができなかった。そのまま対戦相手のペースでゲームは展開し、盤面は制圧され、敗北した。


『圧倒的アドバンテージ差がついた段階で投了しておけば、お前は相手に自分のデッキ――つまり、手の内を明かすことなく次の試合に移行できた』


『じゃあ……投了してたら残りの試合で勝てた、とでも言うの?』


『ああ』


〝あの人〟は即答した。

 すぐさま勝美は反論する。


『結果論だわ!』


『お前のデッキはオリジナルだな?』


 顎をしゃくって、〝あの人〟は勝美のデッキケースを示した。


『コピーデッキとは違う。自分でオリジナルのデッキを大会に持ち込むとは、見上げた心意気だ』


『…………』


 めているのか、バカにしているのか?

〝あの人〟の威圧的な態度からは、その心意を読み取ることはできなかった。


『メイジ・ノワール』のデッキリストは常にSNSに溢れている。


 大会で連勝しているデッキ。

 大型トーナメントのデッキの傾向分析。

 あるいはネタデッキ(黒猫しか亡霊を入れないなどの縛りデッキ)。


 自分で考えたオリジナルデッキが、トーナメントレベルで通用するか否か。

 そんな無駄なことをせずとも、結果を残したデッキがネットに転がっているのだ。


 勝美は、そんなコピーデッキに安易に手を出さなかった。


 ひねくれていた、というのもある。


 みんなが使っている強いデッキだから、使う――そんな動機で『メイジ・ノワール』をプレイしたくなかったのだ。


 なぜなら、TCG《トレーディング・カード・ゲーム》の醍醐味は、(このカードをこういう風に使ったら強いんじゃないか……?)というアイディアをデッキという形で具体化し、自分でそれをとなえること。


 それがうまくいったときの快感こそ、何にも代えがたい体験ではないのか、と思うからだ。


 そんな勝美の開拓フロンティア精神はしかし、全敗というかたちで否定された。


 打ちひしがれていた勝美の心を救ったのが――〝あの人〟だった。


『お前には、デッキビルダーの才能がある。『死の谷』は良いカードだが、使いこなしているヤツを見たことがない。だが、お前はそれをデッキにまとめてきた』

『でも負けたわ……全敗よ』


 勝美は顔を俯けた。


『それだ』


 パチン、と〝あの人〟は指を鳴らす。 


『お前は負けるのに、なぜコピーデッキを使わない?』

『それで勝って、どんな意味があるの?』


 いどむように勝美は〝あの人〟に言った。


『メイジ・ノワール』というカードゲームには、二種類の才能が必要になる。


 プレイングスキルと、デッキ構築能力だ。


 そして、多くのプレイヤーがコピーデッキを使用し、デッキ構築能力の鍛錬を怠っている。


外典アポクリファから一五枚のカードを追加すれば、元のデッキバランスを破壊する。つまり、三試合のうち、二試合はコピーデッキの性能を劣化させることになる』


 オリジナルを生み出した者以外に、デッキの思想を――一枚一枚のカードの選定理由を追体験することは不可能だ。


 殊SNS上で拡散される、デッキリストだけではわかるはずもなく……。


『それで勝っても、強くなっていないわ。勝ったのは、コピーしたデッキの性能だもの。だからアタシは、自分でデッキを組むの』


 全敗しているのに、勝美は胸を張って言い切った。

 そんな勝美に、〝あの人〟は再び指を鳴らした。


『…………?』

『……お前は見どころがある。俺の配下にしてやる』


 突然、何を言い出すのかと思いきや、〝あの人〟はあろうことかそんなことを言ってきた。


 つっこみどころは無数にある。

 まず配下ってなんだよ。百万歩譲って弟子とかならまだしも……。

 女性プレイヤーをバカにするのもいい加減にしろ――勝美は鋭い声で言った。

 

『は? 新手のナンパ? 配下とか何様のつもり?』

666ナンバー・オブ・ザ・ビースト――それが俺の名だ』

『…………』


 こいつが、と思わずうなりそうになって、勝美は口元を抑えた。


『メイジ・ノワール』のトッププレイヤー。

 世界の強豪。

 日本のプロプレイヤー集団『チームSAMURAI』のリーダー。


 彼のゲーム配信動画を見たこともある。

 その時は声だけでわからなかったが、まさか自分と同世代だったとは……。


 圧倒的強さに裏付けされた自信。

 配下とかバカにされていると思いつつも、勝美はこの男から「デッキビルダーとしての才能」を認められてもいた。


 勝美の頭は混乱していた。

 この男を信じていいのか?


 そんな勝美を突き放すように、〝あの人〟――666ナンバー・オブ・ザ・ビーストは言った。


『気に食わなきゃ、それでいい。ここで負けを重ねてろ』



    ◆ ◆ ◆



 あの日から、〝あの人〟は強くなりたいという劣等感コンプレックスを抱く自分を、育ててくれた。


 まるでもうひとりの兄のように目をかけてくれたし、一緒にプロツアーと呼ばれる海外の試合にも同行させてくれた。


 それなのに――勝美はいっこうに強くなれなかった。


 こんなに自分のためにいろいろ教えてくれる人のためになりたい、報いたい――それなのに、そんな思いが空回りするかのように、結果が伴わなかった。


『――アタシはアンタの足手まといになっている』


 あの日。

 世界大会決勝をひかえた〝あの人〟に、勝美は告げた。


『そうかな……? そんなことはないと思うが?』

『誤魔化さないで』


〝あの人〟は、確かに実力と戦績で調整チームを圧倒していた。


 しかし、あまりにも横暴すぎた。


 人格的に問題があった……とされた。

 結果、『チームSAMURAI』を追放されることになった。


 でも――勝美の前では一度もそんなところを見せなかった。


 だから、ネットに氾濫する〝あの人〟への罵詈雑言が正直、信じられなかった。


『純粋に『勝つ』ことだけを追いかけてるヤツを見るのが好きなんだ』


 調整チームを追放された〝あの人〟は、そんなことを勝美に語った。


『人間ってヤツは、『勝つ』以外のことに多くの時間を割くようになる。政治とかな?』


 それが調整チーム『チームSAMURAI』のことだというのはわかった。企業のスポンサードされている以上、SNS上での言動や態度は、企業イメージにも影響する。


『俺は、勝ちたい――それも、圧倒的に。相手を完膚無きまでに踏みつけ、絶望させ、ひざまずかせたい。俺は間違っているのだろうか?』


 野蛮な殺し合いに礼儀を持ち出すのはおかしい。

 貪欲なまでに勝ちに執着する〝あの人〟は、純粋な人なのだ。



    ◆ ◆ ◆



 そんな〝あの人〟が、記憶を消す直前――勝美に告白したことがあった。


『ブレイン・サウンド』――〝あの人〟が最強無敵でいられる秘密について、だった。


『つまり……アンタはチート行為してたってこと?』

『いいや、ドーピングに近いかな?』


 何か問題があるか、というような口調で彼は言った。


『俺は『ブレイン・サウンド』と呼ばれる特殊な音源によって、脳機能を拡張させ、駿河秋人という中学生の頭に生じた、別人格だ』


 どういうルートで手に入れたのか知らないが、〝あの人〟は脳機能を拡張させる実験によって生み出された存在だった。


 走馬灯そうまとう――死の間際、生きるための手段を脳がフル回転させて探す現象。


 原初的な色濃い欲求。


 勝利への渇望かつぼうはすなわち、生への執着しゅうちゃく


 脳機能の拡張は、「死ぬかもしれない」という危機状態を作り出すことで生まれる。


〝あの人〟はつまり――そんな精神崩壊の一歩手前、ギリギリのところでいつも踏ん張っていたのだ。それなのに、周囲の者たちは〝あの人〟をののしっていたというのか? 結果を残し、勝利を重ねている者を。社会の規範からはみ出しているということで……。


『しばらく、俺は消えることにした――それまで、預かっていてくれないか?』


 そうして〝あの人〟は、すべてのカード資産を勝美にあずけた。


『教えて。どうしてアタシなの? アタシは――』


『すまない。お前にデッキビルダーとしての才能がある、というのはウソだった』


『…………!?』


 目の前の視界がぐにやりと歪む。涙が瞳から溢れ出る。自分が泣いているのは、「弱い」という現実を突きつけられたからか? 〝あの人〟がついたやさしい嘘ゆえか? はたまた、精神崩壊寸前の極限状態のなか、戦い続け、結果も残しながら皆から叩かれる、孤独な男の想いに触れてか? 


『しかし、だ――』


 勝美の頬を伝う涙を、〝あの人〟は拭って言った。


『お前を愛する気持ちは、本物だった』


 何だよ、結局、声をかけたのはナンパ目的だったんじゃないか。そんな憎まれ口を、泣きじゃくる勝美はようやく絞り出した。


『俺が戻ってくるまでに、勝てるようになれよ?』


 と〝あの人〟は笑った。


 だから――。

 

 勝美は、〝あの人〟を取り戻さなければならない。勝ちたいのであれば、秋人は『ブレイン・サウンド』を聞かなくてはならないだろう。


 クロエの存在は、秋人を奪う危険因子とも思ったが、彼が自らの意思で『メイジ・ノワール』に復帰し、トーナメントで勝ちたいと願う動機になった。


 ――勝ちたい。


 秋人が心の底から願った時、〝あの人〟に頼らなくてはならないだろう。


 そのときこそが、666ナンバー・オブ・ザ・ビースト再誕リボーンのときだ。

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