僕の彼女は左利き

 今日は僕たちが付き合ってから3年目の記念日。

 だから南海(みなみ)はきっとあのお店に行きたがるだろうと思っていた。


「ねえ暁人(あきと)、今日はハンバーグ食べに行こうよ」


そしてその予想は見事に的中したのだった。


 2人で玄関を出ると、途端に夏の気だるい日暮れの空気が僕たちを包んだ。十数分前までエアコンを利かせた部屋で、布団に並んでうとうとしていたから汗が一気に噴き出した。


 アパートの階段を降りたところで、僕の右後ろを半歩遅れながら歩いていた南海が、がさごそとカバンをかき回してから「スマホ忘れた」と言った。


「取り行く?」


「うん、ごめん鍵貸して」


僕が軽くほうった鍵を南海は左手でナイスキャッチした。やっぱりこいつは運動神経がいい。彼女が部屋に戻っている間に僕は自分のスマホでメールを確認した。よしよし、日付も内容も間違えてない。


 近道の細い道を通って僕と南海は並んで歩いていた。


「あそこのハンバーグを食べに行くのも久しぶりだねー」


傍目にはいつもと変わらないけれど、ちょっとした仕草や声のトーンから、南海がかなりはしゃいでいるのが分かった。感情を全面的に出すタイプではないが、ポーカーフェイスができる性質でもない。ちなみにそこを突っ込むと、本人はえらく反論してくる。


 パッと後ろから光で照らされる。車のヘッドライトだった。僕は左側を歩いていた南海を軽く引き寄せて車道側と交代した。


「結構スピード出してたね」


あまり減速もせずに走り抜けた車を見送りながら彼女が呟く。


「ありがとね。でも初めから車道側を歩いていたら、もっと紳士だったのにねー」


「へいへいっと」


「そういうところが、モテる男子に一歩及ばない暁人の残念なとこよね」


「ほっとけ」


 夕飯時になるからか、店は結構にぎわっていた。奥から出てきたウェイトレスが「何名様ですか」とお決まりのフレーズで尋ねてくる。


「中島です、2人で」


「あ、中島さんですね、奥のカウンター席でどうぞ」


「どうも」


示された席に近づきながら、南海がぽてん、と僕の肩をたたく。


「なんで名前まで名乗ってんのよ」


「ま、間違えたんだよ。細かいことは気にするなって」


「予約客でもないのに、ドジなの」


「へいへい」


基本的に僕らの場合おしゃべりなのは彼女のほうだし、お洒落なお店や気になるスポットを仕入れてくるのも大概南海だった。「あたしがいないと暁人は人生の楽しみ方を知らないまま死んじゃうよ」なんて言って、それ自体は南海が楽しんでいるのだけど、傍から見ると圧倒的に彼女側の力が強いカップルに見えるらしく、「お前も大変だよな」とサークルの男友達には慰められることもあった。


「メニューはどれにする?」


答えはわかっていたけれど、左に座った南海に一応聞いてみる。すると彼女はニッと笑って


「もちろんデミグラスハンバーグ!」


「だよな」


 久しぶりに食べたここのハンバーグはやっぱり格別の味だった。


「やっぱり旨いな」


「だよねだよね。今日は特に美味しかったと思うもん」


「それ毎回言ってね?」


「毎回おいしいんだからいいでしょ」


食べ終わったお皿を下げてくれたウェイトレスの人が厨房に戻ろうとしたところを、僕は振り返りながら声をかけた。


「すみません、あの……お願いします」


「あ!はい。かしこまりました」


暗黙のやり取り。隣で露骨に不審そうな空気を漂わせる南海。しかしそれにはあえて気づかないふり。振り向いたときにちょっと痛んだ首をさすった。


「首いたいの?」


「さっき2人で布団にごろごろしてたとき、ずっと同じ方向向いてたからかな」


しばらくして「記念日おめでとう」というチョコプレートが乗せられたケーキが2つ運ばれてきた。


「え、これなんで?え、やったケーキ!あたしの好きなチョコのやつ」


驚きながらも子犬のように椅子の上でぴょんぴょんする南海。それを見ているとサプライズを仕掛けた甲斐もあるというものだ。ウェイトレスにお礼を言うと、おめでとうございますとお祝いしてくれた。


「あたしがハンバーグ食べたいって言うのわかってたの?」


「当たり前だろ」


3年付き合ってはいるが、それでも時折可愛くてたまらなくなる。左手をそっと伸ばして彼女の頭を撫でた。


 そう、彼女は左利きだから、僕は彼女の右にいることが多くなった。初めは意識して、そして当たり前になっていった。座るとき、歩くとき、眠るとき。僕にとって左側は、南海の特等席なのだ。


「ありがとな、いつも。これからもよろしく」


やっぱり照れ臭くなって、僕は少しぶっきらぼうに言った。

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