第14話 無痛症と無神経



「この間は変なところを見せて、八つ当たりしちゃってごめんなさい」



 鈴が丘記念病院にある羽子さんの部屋を訪れると、彼女は僕を見て開口一番こう言った。

 今日も羽子さんは窓辺に立ち、絵を描いていた。しっかり頭を下げる様子から、この前のときほど体調は悪くないようだとわかる。



「変なところ?」


「びっくりしたでしょ? 私があんな風に、痛いからってイライラして」


「……驚きはしましたけど。痛がるのって、変なことなんですか?」



 痛がることは普通の人にとってはごく普通のことだと思っていたのだが、違ったのだろうか。

 僕の問いかけに羽子さんは目を丸くしたあと、筆の柄をあごに当てて考える仕草をした。



「そう言われると、別に変なことじゃないかも」


「僕もそう思います」


 僕が頷くと、羽子さんは破顔した。


「ふふ。君、変わってるね」


「よく言われます」


「あはは。本当に変わってる!」



 彼女はひとしきり笑ったあと、持っていた道具をサイドテーブルに置き、すとんとベッドに腰を下ろした。

 まるで力を使い切り、立っていられなくなったかのような動きだったのでどきりとする。



「あの……大丈夫ですか?」


「うん? ああ、平気平気。ちょっと疲れただけだから」


「僕、帰ったほうがいいんじゃ」


 僕が帰る素振りを見せると、羽子さんは慌て出す。


「ええっ? 待って、帰らないで! せっかく来たんだから、少し私の話に付き合ってよ。家族以外で面会に来る人ってそういないし、退屈してるんだ体調もそこまで悪くないし」


「この前よりはマシ、ですか?」



 僕の言葉に羽子さんは苦笑いすると、ベッドに上がり、クッションを背もたれにして横になる。

 口調は軽いが顔色は悪く、体も随分重そうだった。


 緩和ケア病棟にいるということは、おそらく彼女は癌で、余命の短い患者なのだろう。

 ここはそういう患者たちが苦しい治療の最後に訪れる場所だ。

 天国へと旅立つまでの残り少ない人生から、できる限り苦痛を取り除き、心穏やかに過ごすためにここはある。


 羽子さんはやせ細り、いかにも病人といった風体だが、不思議と悲壮感がない。

 陰鬱さで言えば僕の方がずっとひどいだろうなと、客観的に思った。



「そこのイス持ってきて座って。そう。じゃあ、自己紹介からしましょうか」


 言われた通り僕が丸椅子に腰かけると、羽子さんはそんなことを言い出した。


「なんかお見合いみたいだけど。お見合いっていうか、合コン? 君は合コンしたことある?」


「ないですね」


「そうだろうね。合コンでそんなつまらなそうな顔してたら、すぐ対象外になっちゃうよ。何しに来たんだよ、帰れ帰れーって」


「……別に、つまらなくはないです。元々こういう顔で」



 僕の言い訳に、羽子さんはあきれたような顔をする。



「あのねぇ。元々どういう顔かは関係ないの。これから仲良くしようってときに、君は笑顔のひとつも見せられないの?」


「はあ……すみません。あまり意識して笑ったことがないんで」


「じゃあ、これから意識して。あと敬語は禁止ね」



 人差し指を突きつけられ、僕はこくりとうなずいた。

 元から人に逆らうことはほぼない僕だが、彼女の言葉はさらに有無を言わせない響きがあった。



「まず私からね。椿坂つばさか羽子、二十歳。元美大生。好きなものはキャラメルフラペチーノ。趣味は絵を描くこと。八月二十七日生まれのおとめ座で、血液型はB型。家族は両親と妹がひとり。長女だけど、こう見えて甘やかされて育ってきたの」



 こう見えて、というかわりとそうにしか見えないと思ったが、口には出さない。

 母の汐里も長女なのだが、羽子さんと少し似ているかもしれない。

 母もなかなか強引な人で、強引に僕を生かし、強引に僕にケガを許さなかった。

 そういう母の強引さに、僕は守られてきたのだが。



「嫌いなものは痛いこと。それで、余命は三ヶ月」



 はっきりと、僕を見据えて羽子さんは告げた。

 僕の反応をひとつも見逃さない、というように。


 そんな視線にも彼女の余命にも、僕は動揺することはなかった。

 ただ、思ったよりも長いなと思うだけだった。



「僕も、自己紹介しなきゃダメですか」


「……敬語になってる」


「あ」



 思わず口に手を当てた僕に、羽子さんは悪戯っぽく笑う。



「もちろんしてもらうよ。私は君のこと、何も知らないんだもん。たしか、コウくんだっけ? 名前と、あとは植物博士ってことくらいしか情報がないんだから、きっちり自己紹介してね」



 仕方なく、僕は羽子さんの自己紹介を習い、プロフィールと家族構成を話した。

 ただ、僕は自分の星座など知らないし、好きなものも嫌いなものも特にない。

 必然的に短くなってしまい、羽子さんには不満そうな顔をされた。



「もうちょっとなんかあるでしょ? 好きとまでいかなくても、よく食べるものとか」


「特には。まあ、辛いものよりは、甘いもののほうがまだマシかな。多少は味がわかるし」


「……味? もしかして、辛味はわからないってこと?」


「辛味というか、甘味以外はほとんど。無痛症患者には多いみたいです……だ」



 つい敬語になってしまい、なんとか修正しようとあがいた僕に、羽子さんは吹きだした。



「ですだ、って! おっかしい。……そっかあ。君、無痛症なんだもんね。痛みがないってどんな感じ?」



 これまで数えきれないほど受けてきた質問だが、僕はいまだにその答えを見つけられずにいる。

 もとからそうであったことを、どんな感じがするのか聞かれても、言語化するのは難しかった。



「逆に僕も、痛いってどんな感じなのか知りたいよ」


「あー……ごめん。この間もだけど、軽率な質問だったね。怒った?」


「いえ、別に。よく聞かれるし。そもそも怒るっていうのもよくわからなくて」


「ええ? 腹が立ったりしないの? 相手を殴りたくなるとか、全然?」


「殴られることはよくあるけど、殴りたいと思ったことはないかな……」



 羽子さんは思い切り変な顔をして「虹って、やっぱりちょっと変わってるね」と言った。

 軽率だったと言ったそばからこれなので、悪気はまったくないのだろう。


 それに僕自身、自分が普通とはどうもちがうことは理解している。

 変、恐い、気持ち悪い、かわいそう。

 どれも自分を形容する言葉であり、それについて特に思うところはなかった。

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