第十二話:大事な人に
レベッカとナタリアが狼の姿となり、それぞれの背に佳穂とレティリエを乗せ、森の中を疾走していた。
普段経験できない狼の背中の柔らかさに感動し。風を切って走る背に乗る気持ちよさを味わい。空を飛ぶのとはまた別の興奮をしながら彼女が連れて来られた先。
目の前の森が急になくなり、眩しい光と共にそこに広がったのは、海に面した広い入り江と砂浜だった。
「レティ。本当にここでよいのよね?」
「ええ」
「でも、人魚なんて全然いないし、それっぽい石も全然見当たらないけど……」
レティリエと佳穂が狼から降りると、レベッカとナタリアも人狼の姿に戻る。
そして、佳穂からふわっとした光が離れると、エルフィも舞い降りるように隣に姿を現した。
『ここは、どこなのですか?』
「……人魚の、入り江?」
エルフィの問いかけに、ぽつりと応えたのは佳穂。
それを聞き、人狼の三人は少し驚いてみせた。
「佳穂って本当に色々知ってるのね」
「あ、うん。レティリエがグレイルに贈った『人魚の涙』があるっていう入り江だよね?」
感心するように話すナタリアに、佳穂が知った
「……ってことは、いつも彼が身につけているあれがそうなのかしら?」
「え? ええ……」
少し顔を赤く染めながら、レティリエが頷くと、レベッカはやれやれといった顔を見せる。
「つまり。あなたはあの頃既に、グレイルに惚れていたって事よね」
あの頃。
それはもう随分前。群れに加わるためグレイルが孤児院を出た時の事。レベッカはその時既に、彼が大事そうに首飾りを身に着けているのを目にしていた。
──どれだけ健気なんだか……。
心の中でそう思うと同時に、だからこそ二人は結ばれたのかもしれないと、ふっと笑みを浮かべてしまう。
「えっと、今日ここに来たのって、もしかして……」
と。
そんな会話の流れから、ふと何かを察した佳穂が、確認するように問いかけると、ナタリアがにっこりと微笑んだ。
「察しがいいわね。そう。『人魚の涙』を探しに来たの」
「あれって確か、人魚が恋した船乗りに贈るお守りだったよね? もしかしてレベッカやナタリアも、ローウェンやクルスに贈りたいの?」
自然とそう口にした佳穂だが。次の瞬間、レティリエ、レベッカ、ナタリアの視線が彼女に向いた。
呆気に取られた顔をして。
「佳穂。あのね。私達は既に夫婦だし、自分達が欲しいだけなら、わざわざあなた達を呼び出さないわよ」
「え? 違うの?」
我に返ると腕を組み、何処か不満げな顔をするナタリアに、素で問い返す佳穂。
それには流石にレティリエとレベッカも、顔を見合わせてしまう。
「……佳穂。あなた、雅騎と同じくらい鈍感なのね」
「え?」
レベッカの呆れ口調に疑問を返した彼女に、これまた同じ口調でナタリアが続く。
「私達、佳穂のために『人魚の涙』を探しに来たのよ」
「私の、ため?」
思わずきょとんとした佳穂だったが。
そこで、何故かレティリエがあの石を人魚より渡された時に言われた台詞が脳裏によぎり、動きが止まる。
──「あなたの一番大事な人に渡すのよ」
一番大事な人。
そう。今、一番大事な人と言えば……。
ぽんっ。
三人の意図にやっと気づいた佳穂は、瞬間顔を真赤にし、おろおろとしだす。
「え、あ、その。わ、私は別に、速水君は友達で、一番大事っていうわけじゃ。あ、その。大事じゃないって訳じゃなくって。でも、その、あの……」
思わず人差し指を合わせ、その場でもじもじとする彼女の反応が面白かったのか。
ナタリアは思わず吹き出し。レベッカは思わず呆れ。レティリエは思わず微笑ましくなる。
「別に私達、大事な人が雅騎だなんて、一言も言ってないんだけど」
ナタリアの止めの一言に、佳穂はもう何も言い返せず、ぎゅっと目を瞑ったかと思うと。
恥ずかしさに
エルフィははっとすると、彼女と共に、翼をはためかせ付いていく。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて二人を呼び止めたナタリアだったが。彼女達は振り返る事もなく入り江の砂浜を駆けていく。
遠くなっていく彼女達を見ながら、少し申し訳なくなったのか。
「ちょっと、やりすぎだったかしら……」
「そう、かしらね……」
レティリエとレベッカは流石に反省の色を見せる。
ここに一緒に来たのは、勿論三人の気遣いからだ。
四日間、彼等を見て感じたこと。
それは、佳穂はやはり雅騎と共にいるのを喜んでいるという事実だった。
彼女達もまた、互いの相手と
だからこそ。恋だと気づいていないその気持ちを気づかせてやり、二人が結ばれたらきっと幸せになれる。
そんな事を考え、今回の案を実行しようとしたのだが。
恋に対するお節介とは、中々うまくいかないものである。
* * * * *
思わず海岸線を逃げるように駆け抜けた佳穂は、入り江の先の岬にある大岩に寄りかかると、大きく息を切らせ前屈みになった。
流れる汗。整わない息。真っ赤のまま、苦しげな顔。
『佳穂。大丈夫ですか?』
彼女の側に立つエルフィが心配そうな声を掛けるも、彼女は前屈みになっている身体を起こすことも、顔を上げることもしなかった。
──私……。私っ……。
三人はきっと、
それは、分かっていた。
だが。何時も以上に雅騎と一緒にいる時間。
普段と違い、同棲して、ずっと一緒にいる時間。
それは彼女の心を迷わせ、より彼女を不安定にさせていた。
一緒にいる喜びだけを素直に受け入れ、ごまかそうとした。
幸せだけを感じ、ごまかそうとした。
だが、三人の言葉に改めて気づかされた。
自分の迷う心が、何を求め、どんな心となっていたのか。
この数日。雅騎の魅力をより強く感じ。
この数日。雅騎を強く意識したにもかかわらず。
未だに分からなかった。
この感情が、ただの憧れなのか。優しさが嬉しいだけなのか。それとも、恋なのか。
だからこそ。三人の言葉に、より心が乱れた。
思わず走りだしたのは、その場から逃げたかったから。だがそれ以上に。必死に、苦しくなる程走れば、忘れられるかもと思っていた。
己の苦しい心を、苦しい呼吸と共に吐き捨てたかった。
しかし。
できなかった。
額から、汗が砂浜に落ちる。
釣られるように、涙が砂浜に落ちる。
「私、分からない。私が速水君をどう思ってるかなんて……」
悔しかった。申し訳なかった。不安だった。混乱していた。
「私っ。分からない。分からないのっ」
目をぎゅっと
佳穂の気持ちを知るエルフィは、そんな彼女に掛ける言葉が浮かばず、同じく心を痛め、目を伏せる。
身体が震えた。心が震えた。
どうすればいいのか、分からなかった。
『……人間も、泣くのね』
と。突然彼女達の耳に、落ち着いた女性の声がし、佳穂ははっと目を見開く。
「誰!?」
慌てて服の袖で涙を拭い、周囲を見渡す。
その声は、レティリエでも、レベッカでも、ナタリアでもない。
しかし、どこか魅力的な、澄んだ女性の声。
周囲を見るも、彼女の視線の中に誰かいる様子はない。
凪いだ海から柔らかく波が打ち寄せ、返る小さな音が、耳に聴こえるだけ。
『ふふっ。こっちよ』
悪戯っぽくも、優しさ溢れるようも聴こえる誘い声。それは、寄りかかった岩の裏手。海の方から届く。
佳穂とエルフィは互いの顔を見た後、恐る恐る、足元の岩を確認しながら岩の裏手に回る。
そこは、岩の足場の先がすぐ海となる場所。
その海に面した足場に、一人の女性が座っていた。
長く、不思議な水色の長い髪を持ち。
羽衣のような薄手の服を纏い。その足は……魚のようなひれ。
佳穂とエルフィはその姿に、彼女が人魚であると理解する。
彼女は、じっと海を見ていた。
『あなた達は何故、こんな所に来たの? 私達を捕らえに?』
「ち、違うんです! あの、友達が、私のために『人魚の涙』を探そうって誘ってくれて……。でも、大事な人に渡すべきその石を、私が手にする資格なんてなくって」
『どうして?』
「だって、私にとっての大事な人を、私がどう思っているか、分からないから……」
静かに問いかけてきた相手に、彼女は気落ちしな
がら、本音を
と。それを聞き、彼女の空気を和らいだ気がした。
ゆっくりと振り返った人魚が、二人を凛とした表情で見つめてくる。
彼女はレティリエに劣らない程の、魅力的な美女だった。
「友達って、あの遠くにいる人狼?」
「あ、はい……」
戸惑いをはっきりと見せながらも答える佳穂に、人魚は何か懐かしむような柔らかい表情を見せる。
『昔、必死に『人魚の涙』を探しに来た人狼の少女がいたわ。どこか懐かしい香りは、きっとそれね』
人魚の言葉に、彼女ははっとする。
──まさか、この人……。
それに感づいたのか。ふっと人魚がにこりと笑うと、彼女の座っているすぐ側に、何処かで見たような首飾りを置いた。
『あなたの大事な人が、一番大事だって思えるようになったら、これを渡してあげて』
そう告げ、優しい笑みを返した直後。
バシャン!
人魚は身を翻し、勢いよく海に飛び込んだ。
「あっ!」
慌てて佳穂とエルフィが彼女のいた場所に立つも、既にその姿は見えず、顔を出すこともなく。
残されたのは、青空の元輝く石が付いた首飾りだけ。
佳穂は暫し茫然と海を眺めた後。ゆっくりと屈み、残された首飾りを手にした。
それは、グレイルが肌身離さず付けている物に似た、素敵な首飾り。
「エルフィ。私……これを貰う資格なんて……」
うな垂れる彼女に対し、エルフィは肩に手を乗せると、慰めるように微笑む。
『彼女が言っていたではありませんか。大事な人を一番大事に思えたら渡すのだと。今はその時ではないでしょうし、この先別の大事な人が現れるかもしれません。ですが、そんな時の為に、大事にしておけば良いだけなのですよ』
諭すように語るエルフィに、佳穂は顔をあげ視線を向けると、普段と同じ、優しい笑みで出迎えてくれる。
──いつか、渡そうって思えるまで……。
手にした首飾りを胸元でぎゅっと握りしめた佳穂は、吹っ切れたような笑みを浮かべ、エルフィに頷くのだった。
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