【05/81π】一緒に生まれ変わる
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本編: 『12話 誠意と真心』
視点: ジネット
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その日は、朝から少し風が強い日でした。
ガタガタと、古くなった戸板が音を立てる度に、ヤシロさんは立ち上がり、そして窓の外へ視線を向けていました。
少々落ち着きなく。
ここ数日は、ずっとそんな感じでした。
「来ないな」
「どなたがですか? あ、エステラさんですか?」
「グーズーヤだ」
「あぁ。あの大工さん」
「そう、食い逃げ犯だ」
ヤシロさんはそう呟いて、また入口を見つめます。
その時のヤシロさんのお顔は、とても悲愴な、それでも少しの可能性にすがってでも諦めたくないというような、哀願……わたしの目には、そう映りました。
まるで、迷子になった子供のように不安げな。
待ちぼうけをしている、幼い子供のように寂し気な。
そんな表情に見えました。
はぁ……と、ヤシロさんが深いため息を吐き、その瞬間瞳の色が変わりました。
まるで、何かを諦めたかのような。何かを見捨てたかのような。
何かに酷く苛立っているような。
そんな表情でした。
それはひどく、胸騒ぎを覚える表情でした。
「あの……ヤシロさん?」
なんだか、ヤシロさんが、わたしの知らないところへ行ってしまいそうな予感がして、思わず声をかけてしまいました。
いつもの優しいヤシロさんに戻ってほしいと、そんな願いを込めて。
「顔が……怖い、ですよ? どうかしましたか?」
「いや。俺は割とお人好しなんだろうなぁ、って思ってな」
それは、わたしもそう思います。
割と、という言葉は必要ないくらいに、ヤシロさんは誰かのために何かを出来る方だと思います。
今、そうして眉根を寄せているのも、きっとそういう理由からなのでしょうから。
「ジネット。もしかしたらだが……俺は明日からしばらく家をあけるかもしれない」
「え? どこかへ行かれるんですか?」
「………………あぁ……イカれてくるかもしれん」
「へ?」
「なんでもない」
止めなければ、と思いました。
わたしに何が出来るのかは分かりませんが、ヤシロさんがつらい思いをしなくて済むよう、わたしは何かをしなければいけないと、そう思ったんです。
それなのに、わたしはかける言葉も見つからないまま……閉店の時間を迎えてしまいました。
ヤシロさんが寂しそうな顔をされている理由は、わたしにも分かります。
今日は、約束の日でした。
グーズーヤさんが、未払い金を持ってくると約束した、期日でした。
約束を破れば、嘘を吐けば、その人はカエルにされてしまう。
けれど、ヤシロさんはそれをしたくないのでしょう。
わたしには、そう思えて仕方ないのです。
だったら、期日を延ばしてあげればどうでしょうか?
約束が守られなかったことは悲しいですが、もう一度信じてあげてみてはどうでしょうか?
間違った行いをした人に注意をして、『そんな悪いことをして、自分の価値を下げるな』と教えてやれとヤシロさんはおっしゃいました。
けれど、そのためにヤシロさんがそこまで苦しむ必要はないのではありませんか?
わたしは、ヤシロさんがつらそうな顔をされていることの方がよっぽどつらいです。
少しくらい、わたしの元気を分けてあげられればいいのですが。
どうにかして、ヤシロさんに笑っていただきたいのですが。
わたしは、その術を知りません。
「ヤシロさ~ん! そろそろお店閉めますね~!」
せめて、いつものわたしらしく、元気な声で語りかけます。
ヤシロさんが褒めてくださった笑顔で、ヤシロさんにも笑顔が芽生えるようにと。
だから、ヤシロさん。
また明日、どうするかをもう一度話しませんか?
誰かを正すためにヤシロさんが傷付くなんて、わたしは、そんなの……
ちらりと、ヤシロさんへ視線が向かい――驚きました。
いつもの、一番奥の席に座っていると思っていたヤシロさんが、いつの間にかわたしのすぐ隣に立っていました。
驚き過ぎて言葉に詰まりました。
それよりも……先ほどの考えていたこと、口に出てはいませんよね?
わたしはたまに、考えていることが口から漏れていることがあるのだそうです。シスターや子供たちが言っていました。「またしゃべってたよ」って。
……今考えていたことを聞かれていたら、それはとっても恥ずかしいです。
「あれ? ヤシロさん、お手洗いですか?」
「いや。いいから、気にしないで閉めてくれ」
「はい……?」
下手な誤魔化しが仇になって、変な挙動になってしまいました。
変な顔をしていなかったでしょうか。
……変な娘だと思われなかったでしょうか? ……心配です。
さりげなく、ヤシロさんの顔を窺ってみます…………はぅっ、顔を逸らされてしまいました。
きっと、おそらく、変な顔をしてしまっていたのでしょう。
どうしましょう。
なんだかすごく恥ずかしいです…………
「待ってくれッスー!」
その時、食堂の外から賑やかな音が聞こえてきました。
複数の方たちがどたばたと走る音。
その方たちはぐんぐん速度を上げてこちらへ近付いてきて、ドアに飛び込むように突っ込んできて、その勢いのまま店内へなだれ込んでこられました。
「まだ閉店してないッスか!? 間に合ったッスか!?」
キツネ人族の方が、わたしを見て確認をされます。
わたしは、呆気にとられつつも、まだ閉店はしていない旨を伝えようと、ゆっくりと首肯しました。
「お食事ですか? でしたら、まだ大丈夫ですよ?」
「どっひゃぁああっ!? べ、べ、ベッピンさんッスねぇ!? オ、オイラ、き、ききき……」
キツネ人族さんは、なんだかとても慌てた様子でわたわたと手をばたつかせていました。
面白い方ですね。場の空気が一気に明るくなりました。
聞けば、彼はウーマロさんという大工さんで、グーズーヤさんの所属する大工さんの棟梁さんなのだそうです。
ウーマロさんはグーズーヤさんの過失を認め、代わりに謝罪し、代金を肩代わりするとおっしゃいました。
グーズーヤさんを守りたい。そんな思いが、ひしひしと伝わってきました。
最初は険しい表情をしていたヤシロさんですが、ウーマロさんの熱心な説得に心を動かされたのか、最後にはウーマロさんの要求をすべてのむ形で決着がつきました。
けれど、わたしはこうなるって分かっていましたよ。
だって、ウーマロさんの声がして、賑やかな足音が聞こえた時――
ヤシロさん、ほっとした顔をされていましたもの。
そして、何がどうなったのか実はよく分かっていないのですが、陽だまり亭がリニューアルされることになりました。
そんなお金を持ち合わせていないのですが、ヤシロさんに当てがあるということで、お言葉に甘えてお任せすることにしました。
その代わり、わたしにもやってほしいことがあるそうですので、その部分はしっかりと責務を果たしたいと思います。
「はい! お仕事期間中のみなさんのお食事は、わたしが腕によりをかけて作らせていただきます!」
思い出がたくさん詰まった陽だまり亭。
けれど、長い年月の中でどこもかしこも古くなり、お客さんを迎え入れるには少しだけ危険な箇所も出てきました。
新しいお仕事仲間が出来た今が、いいタイミングなのかもしれませんね。
思い出は思い出として、胸の内に大切にしまっておくとして、新しい仲間と、新しい陽だまり亭を始めるのもいいのかもしれません。
今のわたしは、とても前向きにそう思えたのです。
そんな意気込みの元、頑張ってお食事を用意すると宣言したのですが、ヤシロさんが求めていたのはこういうことで合っていたのでしょうか?
少々不安になったので、そっとヤシロさんの顔を窺います。
「……と、いうことでいいんですよね?」
ヤシロさんは一瞬目を丸くして、そしてとても優しい顔をしてくれました。
軽く肩をすくめて、口元に笑みを湛えて、いつもの調子でこうおっしゃいました。
「あぁ、そうだな。昼と夜の飯くらいはご馳走してやってもいいんじゃないか」
「ホントッスかっ!?」
ウーマロさんが歓喜の声を上げ、それを横目にヤシロさんがそそそっと近付いてきて耳打ちをします。
「(……どうせ、食材は余り気味だしな)」
「(はい。ご馳走して、その分頑張ってもらった方が『お得』ですね)」
そんなことを言って、二人でくすくすと笑いました。
「なんだか、わたしもヤシロさんみたいになっちゃいましたね」
そう言うと、ヤシロさんは呆れたような顔をされましたが、わたしは変われた気がしたんです。
とても前向きに。いい方向に。
一緒に生まれ変わりましょうね、陽だまり亭。
ヤシロさんが、きっと素敵な未来を指し示してくれます。
もっともっと素敵になって、そして――
ヤシロさんが心から安らげる場所になりましょうね。
いつでも、あの穏やかな優しい笑顔を浮かべていてもらえるように。
そう考えると、なんだかわたしはやる気が満ちてきて、明日からはもっともっと頑張ろうと一人意気込みを新たにしたのでした。
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