第3話 2月6日(月)
「じゃあ、別に彼女ではないんだ」
応接スペースで普段より少し早い昼食を取っていた。向かいに座る哲朗は、父の買ってきたうな重に箸をつけている。「えぇ、まあ」と口を隠しながら頷いた哲朗に、なぜか隣の親父は嬉しそうに微笑み、うな重の残りを掻き込んだ。
早飯が染み付いた彼は先に食べ終え、「ごちそうさまでした」と両手を合わせ、自分が散らかした食器を片付ける。自分で持ってきた紙コップと来客用のカップホルダーを組み合わせ、来客用の緑茶パックをあけてウォーターサーバーからお湯を注いだ。
「で、親父はいつまでいるんだ?」
「ん?」と特に悪びれる様子もなく、元の席に戻ってきた。カップホルダーに垂れた紐を数回上下させ、息を吹きかけて少し冷ますと、ズルズルと音を立ててお茶を啜った。
「昼休みが終わるまでには帰るさ。たまにはうな重も悪くないだろ、哲朗くん」
割り箸の入っていた袋から楊枝を取り出し、口の中を掃除しながら哲朗に投げかけた。哲朗は少々緊張した面持ちで「はい」と答えた。
「史穂さんのお遣いで弁当届けて、ついでに息子と飯食って帰るぐらい、いいだろう?」
「一応機密っていうか、セキュリティってのがあって」
「どうせ見たって、俺には分からん」
彼はそう言いながらも、応接スペースの書棚、オフィススペースの張り紙やポスターに視線を向ける。僕は父の持ってきた愛妻弁当を、向かいの哲朗は父と同じうな重を黙々と口に運ぶ。父の視線はいつの間にか、僕と哲朗に向けられる。
「そうやってると、本物の親子みたいだな」
「なぁ、似てないか?」と電話番をしてくれている香織に話を振った。香織は自分のMacから目を離し、こちらを振り向いた。
「智希に似てなくもないけど、他人の空似じゃない?」
「そうか。気のせいか......」
息子の智希はどちらかといえば母親似。比較対象としてはズレている気もするが、血縁者からの否定は心強い。哲朗は少々面食らったように箸を止めていたが、香織の回答に納得する父を見て、箸を再び動かし始めた。
「あ、安藤さんからモデル選定の件どうですかって、メールが来てる」
香織がMacのモニターを見ながら言った。
「モデル選定ってなんだ?」
父の疑問に、香織がサッとチラシのラフ案を差し出した。コピーやレイアウトは概ね固まっているものの、肝心の写真がまだ入っていない、レンタル衣装屋のチラシ。ど真ん中に「和装モデルで」と安藤さんの指示が書き添えてある。チラシをじっと見ていた父は、急に視線を上げてこちらを見た。
「和装モデルなら、瑞希さんでいいんじゃないか?」
うな重を食べ終えた哲朗が、驚いた表情で父を見る。
「瑞希さんって、哲朗くんのいいお友達の......」
父は頷き、胸ポケットから覗くストラップを引っ張ってスマホを取り出した。「こんな娘だけど」と、昨日のサイゼリヤで撮ったらしい瑞希さんとのツーショット写真を画面に写した。
「何で親父が」という言葉を飲み込み、画面の中の女性をじっと見る。昨日は一瞬の余り印象に残らなかったが、程よい存在感と和装が似合いそうな顔立ちをしている。プロのモデルを使うほどの予算がないなら、ダメ元で頼んでみるのはありかもしれない。
「浪川くん経由で、色々頼んでみるか」
どうせなら、先日見かけたド派手な彼女と二人にすれば、いい塩梅で仕上げられるかも。弁当箱に残っていたご飯を掻き込み、昼からの展開に妄想を膨らませた。
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