第62話弾丸のように ✴︎

 鼻腔びこうに触れる道場の匂いに、いろいろな事を思い出す。

 決していい匂いとは言えないけど、道場の独特な空気、素足の触れる畳の感触。

 久々に袖を通した道着袴どうぎはかまの着心地に、スッと気持ちが引き締まる。


「相変わらず道着に着られてるね」

「中学のころとサイズもかわってないだろ」

 ストレッチをしながらからかってくるジュニアとイチをにらみつけ、道場の中に足を進める。


「まだまだまだ成長期なのっ」


「ほら、ストレッチ始めるぞ」

「むううぅぅぅ。

 来年にはあたしも身長2メートルえなんだからね!」

 近づくカイリにビシッと指をさし八つ当たり宣言。


「おおぅ。アングリー⁉

 ……牛乳飲めよ」


 ###


 ストレッチも終わり道場の時計が午後2時を指すころ、緊張感とともに師範が姿を現す。


 もう、あたしからしたらモンスターに遭遇エンカウントしちゃった並みの精神疲労なんだけど。


「懐かしい顔がいるな」

 よく言えば渋い声。悪く言うと威圧的。

 ところどころに白髪の混じった短い髪に、年齢はもう50近いはずじゃないかな。

 引き締まった体つき、油断のならない瞳は猫系の大型動物を連想させる。


「お久しぶりです」


 横一列に並んだ端っこで、頭を下げた。

 えと、中学3年生の強制夏合宿以来かな。


 それ以上はあたしに興味がないらしく、カイリを主体にアップやかたのおさらい。

 うん。

 やっぱりちゃんと身体動かすのって、いい。




「手合わせを始める。

 海流かいり剣士けんし前へ」

『はいっ』


 師範の指示に、座っていた壁際からカイリとジュニアが立ち上がる。


 ジュニアがどいた後から、イチの気まずそうな横顔が覗いた。

 真っ直ぐに伸びる視線の先のカイリとジュニア。


 ?


 一礼をする2人に、師範が手を振り上げる。

「始めっ!」


 パワー対スピード。


 あたしだってジュニアには追い付けないもん。

 カイリだったらなおさら捕まえられないんじゃないのかな。


 師範の手前もあるし、あたしと手合わせしたときみたいにちょろちょろ逃げることもせず、一直線にジュニアが走り出す。

 低く構えるカイリの強い眼差し。


 間合いに入ったジュニアのサイドからの蹴りが、カバーに入ったカイリの二の腕を叩く。

 ひじを支点に腕を返したカイリの手のひらが、くうを掴んだ。


 ジュニアの、足を狙った?


 連続的に、角度を変えたジュニアの蹴りに防戦に徹するしかないカイリだけど、あたしの見る位置からカイリが何かを待ってるっていうか、狙ってる気配が伝わって来る。


 んっ。

 ジュニアの蹴りが高さを出した一瞬、クロスしてカバーに入っていた腕がバッと払いのけるように弾けた。

 多分腕が当たったことよりも、動きの大きさにジュニアの集中が切れてバランスが揺らぐ。


 やっぱり。

 今度こそ、ジュニアの足首をとらえたカイリの大きな手がそのまま力任せにジュニアの身体を引きずり上げた。


 って、ええっ。


「おおおっ?」

 ビックリしたジュニアの声。

 まぁ、早い話が逆さ吊り。

 男の子の体重ってどのくらいあるのかよくわからないけど、人一人分って片手で持ち上げるには結構あるよ。


 そのまま間髪いれずに、自分の身体ごと大きく振り回すと壁に向かって投げつける。


 叩きつけない辺りがカイリらしいけど、これはこれで回避が難しいよね。


 頭を抱え込むように丸くなったジュニアが、バク宙の要領で体勢を戻すとギリギリのところで足から四つん這いになって着地する。

 この辺のバランス感覚は、さすがジュニアとしか言えないよ。


 足に溜めたバネの力が身体を一気に押し出して、弾丸のようにカイリに向かって突き進む。


 なんか顔が楽しそうなんだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る