第8話 窓際の友人
水曜日の3限は「悪魔祓い入門」という授業が行われる。
授業内容は主に魔術師と関係の深い悪魔の生態と、それにまつわる犯罪の対処法を学ぶ。担当は八雲先生という、背の高い男であった。
養成所の教師は一般的な学校の教師ではなく、公認魔術師が行うため性格に癖のある人が多い。
ケイの担任の東郷先生は基本的にやる気がなく、他には露骨な贔屓をしたり、突然危険なことを生徒にさせたりする先生もいる。
そんな教師陣の中でも、「悪魔祓い」担当の八雲先生は異彩を放っていた。
何が特異かというと、まずその見た目の時点で相当変わった人物であることがうかがえた。八雲先生は床に引きずるほど長いローブを着ており、フードを深く被っている。そして、その顔には翁の能面をつけているのである。ローブと能面によって肌はすべて隠されているため、暗闇で彼を見ると翁の顔が怪しく浮いているように見えた。
その性格は不審な見た目とは異なって、明るいのがこれまた奇妙であった。大きな声で喋り、彼は自身が言ったことに大きな声で笑う。
言葉の節々には訛りがあり、さらにそれが八雲先生の謎を深めた。
「今日はですね、悪魔の歴史について話そうと思います」
八雲先生は無駄に大きな声で言った。
「悪魔との契約が、人類の歴史でいつ始まったか知ってますか? 知ってたら手挙げてね、成績つけるから」
複数人の生徒が成績欲しさに手を挙げた。ケイは何一つわからず、手を挙げることはできなかった。
「それでは……君」
手を挙げていた生徒の、一人を先生は勢いよく指した。
「不明です」
「そう、よくできました。私質問したんですけど、実は答えは誰も知らないのです。騙されませんでしたか。優秀ですね」八雲先生は言った。「では日本ではいつ始まったか知っている人は?」
また、数人の生徒が手を挙げた。
「いやあ、みんな優秀だね。じゃあ、君」
「はい」トウマが当てられた。「明治時代です」
「そう、その通り。西洋の文化が流入したのと同時期に、悪魔との契約文化が始まったのです」先生は続けた。「まあ、契約すると命だの腕だの奪われて危険なので、悪魔の種類によっては現在契約が禁止されているんですけどね。皆さんは注意してくださいね」
八雲先生は明るくそう言った。だが、その仮面の下に笑顔はないようにケイは感じた。
***
「魔術演習」の試験から1ヶ月が経過し、季節はもう夏に移り変わりつつあった。
そんなとある水曜日、ケイは自身の下駄箱の前で佇んでいた。その眉間には、かすかにシワが寄っている。
下駄箱に、赤い洋封筒が入っていたのだ。もちろん、ケイには心当たりがない。
ーーまさか、ラブレターか?
ケイは辺りを見回して、その封筒をポケットに押し込んだ。その眉間にはいつの間にかシワがなくなり、口角はわずかに上がっていた。
その日の授業が終わって部屋に戻ると、ケイは封筒を取り出した。トウマはどこかに出かけている。封筒にはたしかに「鯨井ケイくんへ」と書かれており、何かの間違いというわけではなさそうだ。
ーーイタズラか?
ケイの表情は、そんな猜疑心に一瞬曇った。
そして、脳内にトウマの義兄を始めとした、名門一家の意地の悪い息子たちが浮かんできた。試験以来、その虐めの対象はトウマだけではなく、ケイにも向くようになったのだ。
しかし、そんな半端なからかいをするほど、やつらの嫌がらせは可愛いものではない。
とにかく、開けてみなければ何もわからない。ケイはそう考え、思い切って封筒を開いた。
***
鯨井ケイくんへ
私は養成所の1組に所属するものです。突然ですが、募った思いを昇華するために、私はこの手紙を書いています。
毎週水曜日の3限目に、1組は4号館で魔術犯罪学の授業を受けなければならないのです。もちろん私もその授業を受けるのですが、食後の授業でどうにも集中できないのです。その感覚、あなたなら分かるでしょうか? ある日、私はあまりにも暇で窓の外を見ると、3号館で授業を受けるあなたの横顔が目に入りました。最初は眠気にウトウトとするあなたに、ただ親近感が湧いただけでした。しかし、毎週そちらを見るとあなたがいて、次第に食堂や廊下でもあなたを目で追うようになっていました。
ところが、私は極度の恥ずかしがり屋なため、これまでも惹かれた相手に対して話しかけることすら躊躇してしまっていました。それでも、あなたと仲良くなりたい気持ちは、胸が張り裂けそうなほどに募っていたのです。そこで、今回はこういった形であなたとの関わりを持ちたいと考えました。
突然このような手紙を送り、あなたのことを困らせてしまっていることは重々承知しています。ですが、もしあなたが私とこういった形で関わりを持ってくれるのなら、1週間後までにお返事をください。
窓際の友人より
***
ーーなんだこれ?
そのラブレターなのか何なのかすら判然としない手紙を、ケイは二度読み直した。何度読み返しても、期待に裏切られたこととその時代錯誤な文体が相まって、ケイはその内容を上手く飲み込めなかったのだ。
不気味に感じながらも、ケイの関心は少なからずその手紙に引かれていた。手紙を返すべきなのか悩み、1週間が経過した。
水曜日の午後、ケイは「悪魔祓い入門」の授業を受けていた。悪魔祓いの授業は3号館の2階で行われる。
例のごとくテンションの高い八雲先生の話を聞き流しながら、ケイはノートの端に落書きをしている。
決して授業がつまらないわけではない。ただ、その授業内容の難易度と昼食後の満腹感が、ケイの集中力を削いでしまうのだ。
ふと手紙の内容を思い出し、ケイは窓の方に目を向けた。3号館は中庭を挟んで4号館と向き合っており、窓を覗けば反対側の教室が見えるのだ。
ケイは4号館の2階の窓に、目を凝らした。そして、さっきまでの眠気はどこかに去ってしまったようにケイは目を見開いた。
そこには、女子がいたのだ。ケイが所属する2組にも、男子か女子かの二択で言えば「女子」と分類される生徒は数名いる。だが、誰を見ても皆華やかさのかけらもなく、男子とも業務的な会話しかしなかったのだ。
だが、4号館の彼女は違うのである。生真面目に板書をする女子たちとは異なり、彼女の横顔はどこか眠そうに遠くを見ていた。窓から差す日光は彼女を照らし、その焦茶色の髪の毛を輝かせていた。そして、それらが重なることで、独特な憂いを生み出している。
ーーあの子が? あの子が窓際の友人なのか?
手紙を貰って以来、ケイの脳内に住み着いていた手紙を返すべきかどうかという疑問はたちまち雲散霧消した。あんな横顔を見せられて、文通をしないという選択肢があるだろうか。
ケイは上機嫌にシャーペンを持ち、ノートに返事を書き始めた。
「手紙を読ませてもらいました。返事が遅くなってごめんなさい。これからよろしくお願いします。」
とても簡素な内容であるとケイ自身も自覚していたが、急いでいたので仕方がなかった。
そして、授業が終わるとケイはその返事を、自身の下駄箱に入れた。
次の日、下駄箱を開けたケイの顔には、笑みが浮かんでいた。返事がもう来ていたのである。
「返事がいただけて嬉しいです。これからよろしくお願いします。何度も封筒を送るのは仰々しいと思い、鯨井くんに習ってノートに書いてみました。」
それはノートの切れ端に書かれており、手紙というには生活感が強すぎた。しかし、その砕けたやり取りへと進んでいく様さえ、ケイには愛おしく思えた。なんといっても、相手はあの少女なのだから。
その後も、1日ずつ交換日記のようなやり取りが続いた。
「1組ってどんな雰囲気なんですか?」
「なんだか、真面目で落ち着かないです。そちらはどうですか?」
「こっちもそんな感じです。でも、担任の先生が緩いです」
「そうなんですね。こちらの先生は少し怖いので、東郷先生が担任なのは羨ましいです」
「今、悪魔祓いの授業なんですけど、すごい眠いです」
「分かります。あと、私は呪術基礎が眠くなるかも」
「たしかに、あれは眠くなる」
そんな当たり障りのない手紙のやり取りが続いた。それでもケイは、楽しかった。
特に、水曜日の3限に彼女の横画を見ながら、手紙を書くのが何よりも幸せな一時であった。
「何読んでんだよ、ニヤニヤして」
ケイがベッドで手紙を読んでいる時、トウマがそう尋ねた。
「え? 教えねえ」
笑みが隠しきれないケイの顔が、トウマの目には不気味に映った。
「気持ち悪い」
「うるせえ、黙ってろ」
手紙のやり取りが始まってから半月が経過し、手紙を書くことはすっかりケイの日課になっていた。
そんな最中、いつもより少し長い文章が送られてきた。
「今日、犯罪調査実演の授業で、殺人現場の模擬調査をしました。そこで、本物そっくりの死体の人形があったんです。なんだか突然、死ってものを意識して、不安になってしまいました。」
突然、死についての話が始まってケイは戸惑った。なんと返事をすればいいのか分からず、ケイは手紙を書くことを先送りにしてしまった。
次の日、ケイのいる2組は1組と同様の「犯罪調査実演」の授業を受けた。窓際の友人が言っていた通り、その授業では本物同様の遺体の人形が用いられた。
授業内容としては、魔術による殺人を模擬的に調査するというものであり、生徒たちはレポートを書くために遺体の状態を詳細に見る必要があった。
ケイは遺体に近づき、その状態を調べようとした。
すると、その成人男性を模した人形と目が合った。魔術によって亡くなった人間は、基本的に不審死とされる状態にある。魔術による死は、苦しみを伴うのである。
ケイは大きく開かれた人形の目を見ると、叔父さんの顔を思い出した。叔父さんは死ぬ時、幸せだったんだろうか? ケイはそんなことを考えた。
「僕も今日、犯罪調査実演の授業を受けました。死に触れて、気分が沈んでしまう気持ちがよく分かります」
そうノートに書いて、ケイは下駄箱に入れた。
次の日、返事が下駄箱に入っていた。
「死は怖いです。何かのために必死で生きても、死んだら何も残らないから。」
何も残らないという言葉に、ケイは違和感を覚えた。
「何も残らないわけではないと思います。人は必死で何かのために生きたら、残せるものはあると思います」
次の日、またもや長文の手紙が入っていた。
「人間は幸せになるために生きるってアリストテレスだか誰かが言ったそうです。あと、幼い頃見た映画で、『人生はチョコレートの箱みたいに、何があるかは分からない』みたいなセリフがあるんです。人生って、本当にそんなものなんでしょうか?」
ケイはまた、返信に困ってしまった。
人生とは何か? そんなことは15年の人生でまともに考えたことがなかったのだ。
彼女が何を言いたいのか、そして彼女が自分からどんな返事が来るのを期待しているのか、どうにも検討がつかなかった。
そんなこんなで2日が経過した。水曜日の3限、ケイはいつものように窓から彼女を見た。そこには、珍しく板書をする彼女の姿があった。
ーー君は、何を考えてるんだろう?
そう思いながら、ケイは髪の毛を耳にかけた彼女の横顔に見入っていた。そして、ついにケイは正直な考えを伝えようと決心した。
「たしかに正論すぎる気もするけど、納得する面もありました。人間はどんなに辛いことがあっても、未来に待っている何かしらの幸せのために生きているんだと思います。」
次の日、手紙は返って来なかった。その日は一日中、ケイは気が気ではなかった。しかし、金曜日に返事が来た。
「じゃあ、もう未来に幸せが見いだせない人は、どうすればいいでしょうか。」
ここ最近の手紙とは打って変わって、それはとても小さなノートの切れ端に書かれていた。
ケイはその言葉といつもより乱れた字体を目にして、不安になった。
「大丈夫ですか? 何かあったら、お話聞きます」
そのやり取り以来、返事は来なかった。
ケイは日課であった手紙を書くことも読むこともなくなり、生活において重要なものが欠けてしまったように感じた。
喪失感に支配されて、何もやる気が起きなかった。トウマの義兄たちに嫌がらせを受けても、やり返す気すら起きない始末である。
ーー何か、悪いことを書いちゃったのか?
彼女からの手紙を読み返して、自分の返答を思い出してみる。それでも、ケイには何がことを悪く運んでしまったのか理解できなかった。
***
手紙のやり取りが途絶えて、1週間半が経過した。水曜日の午後、ケイは薄い期待を胸に下駄箱を開けた。
すると、そこには赤い洋封筒が入っていた。ケイは思わず微笑み、そこに手を伸ばした。
「おい鯨井、何ニヤついてんだよ。気持ち悪いなあ」
廊下の奥から、トウマの義兄の腰巾着である、毒島という男が言った。周りにはトウマの義兄など、いつものやつらがいた。
ケイは無視を決め込み、手紙を取り出そうとした。しかし、下駄箱に手を伸ばした瞬間、毒島にそれを奪われてしまった。
「おい、これなんだよ?」毒島は笑いながらそう叫んだ。「ラブレターか?」
「返せよ」
奪い返そうとしたが、縦横に体格が大きな毒島が高く挙げた手紙に、ケイは届かなかった。そして、その努力も虚しく、ケイは蹴り倒されてしまった。
「開けてみようぜ」
「やめろ、お前らに関係ないだろ!」
毒島たちは下世話な笑みを浮かべながら、封筒を開けた。
毒島が手紙の内容を読み上げようとした次の瞬間、彼は突然白目を剥いた。
そして、静かに後ろへ倒れてしまった。遠くからは悲鳴が聞こえ、トウマの義兄たちは怯えたような声を出していた。
ケイは何があったのか確認するために起き上がり、毒島を見た。毒島の口は力なく開かれて小刻みに揺れている。
そして、廊下に力なく倒れた彼の手には、窓際の友人からの手紙が握られていた。
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