第3話

 身長175センチ、性格さっぱり、おまけに制服がないことをラッキーだとしてスーツはいつもパンツスーツ、髪もひっ詰めて編みこんでまとめている。目が悪いからメガネをかけている外見は、ガサツ女と陰口をたたかれる格好のエサだ。

 しかも、元バスケ部員、大昔は少林寺拳法もやっていたので、体育会系に寄っている性格は、男からするとその段階でがさつな部類に片足を突っ込んでいるのだろう、とは想像できる。

 東京では伝統校の中高一貫の私立の女子校だったが、立ち位置はお姉さまポジションである。「みんなが憧れる先輩」などともてはやされ、ファンレターもかなりもらった。

 バスケットボール部ではベンチ入りの補欠で、対外試合に出ることは少なかったが、他校からの黄色い声援を受けたこともある。

 だから共学の大学に行ってもそんなに立ち位置が変わることはなかった。結局、身長がネックになって大学時代はツナギの女だとか言われてしまった。

 さっぱりした性格だから付き合いやすくて、しかし付き合ってみると受け流す如くさらりとしているので、手ごたえがない女だよな、だから、次の彼女を見つけるまでのツナギには良いんだよ、と陰口を叩かれていたことにはショックだった記憶がある。


「そろそろお開きにしますか?」

 誰ともなく言い出したその一言でお開きになり、しかし三人は口々に智子を労い、心配してくれた。今のプロジェクトメンバーでは遅れを挽回するのは結構タイトスケジュールともいえる。昼休みを潰すまではいかないが、着実に仕事をしないといけない状態だ。だというのに、一人は体調不良だし、もう一人は家族の体調不良で充分なサポートがあるとは言い難い。そして営業の他のメンバーも二人は新人で、一人はその教育係。もう一人は仕事はするけれど、営業マンとしてはちょっと慎重すぎるきらいがある、経験の浅いメンバーだった。

 ぐいぐい引っ張ってゆく、という立場ではけん引役に田辺と横内を持ってきた高杉の判断は正しかった。

 けれど、智子の予想ではすぐに軌道に乗ると思っている。ここ1週間、取引先の手ごたえも良く、方々で「宣伝」していることもあって取引に興味を持つ会社も多いのだ。おそらく、高杉の頭にはもう黒字計上された報告書が浮かび上がっているに違いない。


 いつものように均等割りにして横内と田辺は同じ路線なので二人して改札に消えて行った。智子と高杉は二人とは別の路線で、そして同じ路線の隣同士の駅だった。

「大丈夫か?」

「え?何が、です?」

「酒の量は大したことはなかったが、足がもつれていないか?」

「そこまで飲んでませんよ」

 とは言ってても、ろくに食べていないのにわずかでもアルコールが入れば足元はふらつくだろうと高杉は送っていくことを決意する。

 高杉が利用している最寄り駅は快速や急行が止まる駅だが、智子が利用しているのは各駅停車しか止まらない。こんな時間では快速も急行もあまり走っていないし、ひと駅歩いたとしても大した時間でもない。以前から気になっていた女性に何かあったら、と思うと精神衛生上よくないという自分勝手な思い込みで高杉は既に決意していた。

 それに、失恋した、というにはちょっと様子がおかしい、とも思っている。


 高杉からみた智子は、社内の酒の席では、あまり乱れた様子は出さない。必要なら末席に座って幹事でもないのにあれこれと動き回って世話を焼くタイプだ。従ってあまり酒を飲まないタイプだし、飲んでも自制して適量しか口にしないタイプだ。だから今日も目立つほど飲んでいないし、睡眠不足だということを意識してか、いつもより少なく飲んでいる。自己申告で酔ったと言っても見た目はほとんど変わらず、ちょっとだけおしゃべりになる程度である。

 会社から新宿に出て、新宿からは各駅停車の電車に乗り換え、20分余り。

 その間は高尾山つながりでどんな山に登ったことがあるか、という話になった。最も、学校の遠足や家族で言った紅葉狩りの山の話だが。


「送っていただかなくても…」

「いや、酔い覚まし」

 いつもなら電車の中で別れるのだが、今日だけは高杉は智子と一緒に改札を出た。

「月島はどっち方面だ?」

 線路を挟んで北側か、南側か、と聞いてきた。

「南側の5階建てのマンションです。グリーンパークマンション。結構歩きますよ?」

「俺んちも結構歩くな。15分はないが。パークレジデンスなんだ」

 この近辺では最も大きなマンションである。正確には7階建てのマンションが二棟並んでいる、ちょっとオシャレなマンションだ。

「あ、その裏のマンションですよ」

 二人で顔を見合わせて笑った。

 出入口の違いで最寄り駅を分けたのだろうと考える場所だった。

「なんだ、お隣さんか」

「ちょっとびっくりですね」

「ん?でもグリーンパークって、賃貸専用じゃなかったか?」

「家族で住んでいたマンションは今人に貸しているんです。一人で住むには広すぎるので。というか、パークレジデンスって、高級マンションじゃないですか」

「オヤジの持ち物なんだよ。俺が買ったマンションの方を気に入ってしまって、今はそっちに親父たちが住んでいるんだ。横浜勤務だったら良かったんだが、転勤になっちゃったからな」

「横浜勤務だったんですか?」

「最初はな。3年向こうにいて、もう転勤はないだろうとマンションを買ったとたんに本社転勤で困ったよ。まぁ、ウチは本社と横浜しかないからどっちでも通勤できるマンションを買ったんだけどさ、羽田から飛び立つ飛行機が見えるって子供みたいにはしゃいでさ」

 地下改札から地上に出るために階段を上がってゆく。

 上から降りてきた団体は学生のようで、お酒も入っているのか賑やかに横一杯に広がって来る。智子は高杉と一緒に横によけてやり過ごそうとした。

「あ」

 先に登っていた智子がバランスを崩した。壁面に頭をぶつけると予測した高杉が支えようと手をのばし、その手が智子のメガネに当たって落ちた。


ぐちゃり。ばき。ぱき。


そんな音だった。智子の足の下で、メガネがフレームごと割れてしまった。

「あ」

「やっちゃった」

 フレームはねじれているのでリカバリーできるかわからないが、智子はそのフレームを回収する。

「大丈夫か?見えているか?」

「多少は。大丈夫ですよ」

 とは言っているが、足元がますます怪しくなってきた。高杉が見る限り、結構分厚いレンズを使っているのだ。

「怪しいな。ゆっくりで良いよ」

 高杉がリードする形で道路に出て、家までの道のりを歩く。

 駅の階段は手すりがあり、高杉のリードがあったので割合早く歩けたが、駅から家までは大体の地形がわかるとはいえ、思うように歩けない。

「見えてないのか?」

「乱視だからぼんやりと」

「じゃぁつかまれ」

 高杉は智子の手を取ると、自分の腕に回させた。

「え?あの…」

「大丈夫だよ。こっち、歩け」

 高杉が示したのは歩道側。車道側に自分が立つと落ち着け、というようにとんとんと智子の手を叩いた。

「目が悪いことは知っていたんだが、乱視か」

「おかげでレンズが分厚くなって。家に帰れば予備があるんで心配ないんですが、細かいところは全然見えません」

 そう言いながら歩いてゆく。平坦な道なので急がなければ問題なく歩けた。

 途中、ドラッグストアに用事があるという智子に付き合って、智子だけが店内に入り、高杉はその間店の出口で待っていた。

 智子は失恋したと言ったが、ふとおかしいと疑念にとらわれた。何か忘れていると引っ掛かりを覚えて、気になりつつも思い出せない。

 智子は社内恋愛だと言ったはずだ。だが、相手の名前を口にしたことはない。

 仕方ない、と携帯電話を取る。介入するつもりはないが、情報は必要だった。

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