第81話 間話・親達の密談 3

 ファティシア王国の国王アイザック・ロベルト・ファティシアは執務室で深いため息を吐いた。


 手元にはトラット帝国からの書簡。

 中身は愛娘ルティアに関することだった。


「どうしてこんなものが送られてきたと思う?」


 ヒラヒラと書簡を手で振りながら宰相のカルバ・ハウンドに意見を求めると、彼はさて、と言いながら肩をすくめる。

 カルバにとってもその書簡の内容は頭が痛くなる内容だったが、どうしてその書簡が来たのか見当もつかない。


「まさか、姫殿下をトラット帝国にやったりしませんよね?」


 魔術師団長のアマンダ・ロックウェルは剣呑な目つきで書簡を見ている。

 ルティアをとても気に入っている彼女からすれば、その書簡の内容は容認し難いものだろう。


 それは騎士団長のリカルド・ヒュースも同じであった。

 いや、この部屋にいる全員が同意見である。


「ルティアを……トラットに嫁がせるつもりはない」

「ですよね!なんせ姫殿下は今やこの国の一番の功労者ですもの!!」


 ポーションも勿論素晴らしい物だが、ファティシア王国にとっての一番は魔力過多の畑を作り出せたことだろう。

 魔力過多の畑だと天候が多少悪かろうとも作物がよく育つ。


 余ってしまった穀物は国が買い取り、他国へ輸出できるし、ファティシア王国で育てづらかった作物も魔力過多の畑では育てることができる。

 そう言った諸々の実験をルティアは繰り返していた。


 本人的には趣味なのだろうけど、王族が手ずから作って大丈夫だと太鼓判を押すのだ。それならば、と作り出す農家も増えてくる。

 そうなると自然と農地面積が増え、働き手が必要になり、食料自給率も右肩上がりに増えていく。


 特に夏場でも涼しい土地では酪農が盛んであったが、今やそう言ったことに関わらず農地面積も増えていた。

 寒冷地でも育てられるのが魔力過多の畑の強みだろう。


「ルティアのおかげで貧民街も解消されつつあるし、初級ポーションならば殆どの者が買えるようになった」

「ラステア国とも友好的な関係を築けていますし……わざわざトラット帝国に姫殿下を嫁がせる必要はありませんね」


 カルバの言葉にその場の全員が頷く。


「一番の問題は、どうして他国のデビュタントに皇太子自ら来たのか、と言うことね」

「そうだな。トラット帝国はプライドがえっらい高いからなあ……皇族がわざわざ来るなんてまずない」

「来たとしても伯爵位ぐらいの者がおざなりな挨拶をするぐらいだろう」

「そうですね。毎回失礼な挨拶して帰りますからね」


 レイラン王国のように閉鎖的だったり、ラステア国のように以前戦争をしていた、と呼ばない理由があるのであれば別だが……

 現状、トラット帝国とはある程度友好な関係を築いている。だからこそ呼ばない、と言う選択肢はないのだ。

 国同士の関わり合いというのはなかなか難しいものがある。


「そう言えば、リュージュ妃はどうしたんだ?」


 いつもならいるはずの、表向きはアイザックの正妃であるリュージュがいないことにリカルドが首を傾げた。


「……今、厄介な方が来てるんですよ」


 アイザックの代わりに、ため息を吐きながらカルバが答える。


「厄介な方……?」

「フィルタード侯爵だ」

「ゲッ……」

「リカルド、一応相手は侯爵ですからね?」

「まあ、そうなんだけどな……」


 昔から苦手なのだとリカルドは顔をしかめた。

 五年前に前フィルタード侯爵から爵位を受け継いだ、ダン・フィルタードはリュージュの同母の兄である。


 しかし、リュージュとは違いかなりの野心家だ。

 時折、リュージュを訪ねては彼女に色々と注文をつけていた。もっとも、彼女がその言葉を聞くことはないのだが。



 不意に、執務室の扉がノックされる。



「陛下!失礼いたします!!」



 大きな声と共に大股でズカズカと執務室に入ってきたのは、噂の張本人。

 ダン・フィルタードだった。その後ろから慌てたようにリュージュが部屋に入ってくる。


「……フィルタード侯爵、中からの返事を待たずに入って来るとは失礼では?」

「ああ、これは失礼!気が逸りましてな!!」


 カルバにチラリと視線を向けただけで、ダンはそのままアイザックに近寄る。


「おめでとうございます!陛下!!」

「……何がだ?」

「ルティア姫ですよ!トラット帝国に嫁がれるのでしょう?」


 ダンがその言葉を放った瞬間、執務室の温度が一気に下がった。

 しかし当の本人は全く気にすることもなくベラベラと捲し立てている。


「いやいや、早々に姫君の嫁ぎ先が決まってよかったではありませんか!しかもトラット帝国なら相手として不足ない……いや、姫君の方が不足と言われてしまうかもしれませんが」

「兄上!」

「なんだ、リュージュ……事実だろう?姫君は取り立てて何かに秀でているわけでもなし、継承順位こそ三位というだけだ」

「それでも王族に対してなんて失礼なことを言うのです!」


 青ざめた顔でリュージュがそう非難すると、ダンは肩をすくめてみせた。事実を言っているのに、とでもいうように。


「————フィルタード侯爵、一体どこでその話を聞かれたのです?」

「え?」


 ダンはあまりにも冷たいアイザックの視線と声に思わず後ずさる。


「そ、それは……我が家にもトラット帝国とはツテがありますし……」

「なるほど?トラット帝国は決まってもいない話をベラベラと話して回っていると?」

「そう言うわけでは……」


 たじろぐダンに対して、アイザックはカンと執務机を爪で叩く。


「ルティアをトラット帝国へ嫁がせるつもりはない。侯爵のご友人にもそう伝えるといい」

「な、なぜです!こんなに良い話はありませんよ!?」

「トラット帝国がどんな国かわかっていて言っているのか?」

「それは……しかし、この大陸で一番強大な力のある国です」

「その国がルティアを盾にポーションをよこせと言ってきたらどうする?」

「そんなことは……」

「絶対にないと言い切れるか?あの好戦的な国が?」


 アイザックの言葉にダンは唇を噛み締める。


「しかしですね、トラット帝国と友好関係を結ぶことは良いことだと……」

「娘の命と引き換えに結ばれる条約などなんの意味がある?そんなに友好関係が結びたいのであれば侯爵の娘でも構わないが?」

「いや、うちの娘はまだ幼いので……」

「幼くとも、婚約はできるだろう?」


 暫くの間、アイザックとダンは睨み合う。

 それに終止符を打ったのはリュージュであった。


「陛下、兄が大変無礼な物言いを致しましたこと誠に申し訳ございません」

「リュージュ!」

「兄上、これ以上無礼な振る舞いをする前にどうぞお引き取りを!」


 リュージュはダンを睨みつける。アイザックもそれにのり、お客様のお帰りだと近衛騎士達にダンを部屋の外に出すように言いつけた。


 近衛騎士達に促され、ダンが部屋から去った後—————

 その場の誰もが深いため息を吐く。


「陛下、本当に申し訳ございません」

「リュージュ、君のせいではないよ」

「いいえ、兄を止められなかったのは私の責任です」

「アレを止めるのは骨が折れるわ」

「まるで暴走した馬みたいだな」


 まさか本人も馬と言われているとは思わないだろうが、リカルドの言葉にその場にいた全員が吹きだす。


「馬ね、まあ……暴れ馬の方がまだマシな気はしますが」

「そうねえ」

「それよりも、姫殿下のことをトラット帝国に売ったのは誰か判明したな」

「ああ。確実に彼だな」

「噂スズメだけじゃ飽き足らず、余計なことをしてくれたものです」


 トラット帝国の書簡に目をやりつつ、これからどうするべきかと話し合う。


「早く、国を落ち着かせたいものだな……」

「そのためには努力しかありません」


 カルバの言うことはもっともだが、これがなかなか骨が折れる作業なのだ。


「そうだ。トラット帝国に嫁がせないのはわかるんだけど、ラステア国はどうなの?」


 アマンダの言葉にアイザックの動きがピタリと止まる。それを気にする素振りもなく、アマンダとリュージュが話しだした。


「ルティア姫もだいぶ懐いてらっしゃる方でしょう?」

「ええ、そうよ。ラステアのコンラッド様!」


 あの方なら良いんじゃないかしら?とアマンダが言うと、リュージュもとても誠実そうな方ですものねと微笑む。


「……歳が、離れすぎてないか?」


 アイザックがなんとか絞り出した言葉に、アマンダとリュージュはそれぐらいで丁度良いと告げた。


「ルティア姫の突発的な行動に振り回されることもないでしょうし」

「それになんと言っても婿入りが可能ですしね!」


 王弟ではあるが、コンラッドの立場は既に王位から遠ざかっている。

 本人にその気がないのもあるが、ランカナ女王は健在であり、王太子も既に結婚し子供もできていた。


 一番はランカナ女王が乗り気なことだ。

 いつでも婿入りさせるのでもらって欲しいと言われている。

 トラット帝国との関係よりも、今現在とても友好的なラステア国とファティシア王国の更なる友好の架け橋となるにはもってこいなのだ。


「ルティアは……まだ、幼い」

「陛下、娘はいつか嫁に行くものですよ?」

「まだ手元に置いておきたいんだっっ!!」

「うちも……娘が産まれたけど、将来夫と息子がこうなったらどうしましょう」


 アマンダのため息にアイザックを除いたみんなが笑うのであった。


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