二人の囚人

棗颯介

第一話

 その日、二人の少年が死んだ。

 一人の少年は一ノ瀬真いちのせまこと

 そしてもう一人がこの俺、柚木良平ゆずきりょうへいだ。


 だが、死んだというのは確かに合っているのだが、厳密に言えば少し違う。世間的には、死んだのは柚木良平の一人だけだ。

 しかし一ノ瀬真という人間が死んだというのもまた事実だ。

 その日、柚木良平という肉体と、一ノ瀬真という人格は、この世から消えた。


 そもそもの始まりは、今から三年前。俺と真が初めて出会った時のことだ。

 高校に入って最初の体育の時間だった。入学したてでまだクラスメイトとも馴染めていなかった俺達を見かねてか、体育教師が体力テストを急遽取りやめてサッカーをやろうと言いだした。出席番号順に二つのチームにクラスメイトが分けられ、俺と真は同じチームになった。

 俺はお世辞にも運動が得意というわけではない。平均よりも低い方だ。自分の分を弁えているからこそ、俺は他の目立ちたがり屋な連中やスポーツが得意な奴らから距離を置き、適度に味方にパスを回す役割に徹していた。

 即席のチームの中でも一際目立っていたのが真だった。別段プレイが上手いというわけではなかった。いや、違う。技術は確かにあったのだが、なんというかあいつは軍師みたいに他のチームメイトを動かしているように見えた。少なくとも俺の目には。

 いけ好かない。それが真への第一印象だった。他人に良いように使われるというのは幼い頃から性に合わなかった。

 真からパスが回ってきた。さっきも言ったが俺は運動が得意ではないし経験も浅い。ましてドリブルで相手を抜くなんて真似はやったことがない。だけどその時、近くに味方は真の一人だけで、他には相手チームの奴らがいるだけ。そして、ゴールはそう遠くない距離にあった。俺がやるしかない。反射的にそう思った。そう思ってしまった。後から知ったことだが、その時俺をマークしていた相手は俺と同じで運動が苦手だったらしい。だからだろうか、俺は滅多にやらないドリブルであっさり過ぎるほどそいつを抜き、一気に相手のゴールにまで迫った。だけど自分でシュートを決めるほど俺は自己主張が激しい性格じゃない。だから、俺は真横にいた真へパスを回した。まるで示し合わせたかのように完璧な位置とタイミングだった。真はそのまま華麗なシュートを決める。

 無事に点が入ったことに内心ホッと胸を撫で下ろしている俺の元に、真が笑みを浮かべて駆け寄ってきた。こちらに向かって手を上げながら。

 少しだけ気分が高揚していた俺は、思わず決めてしまった。ハイタッチを。

 その時、すべてが変わった。

 俺の目の前に俺がいた。

 自分が何を見ているのか理解できなかった。こんな所に鏡など置いてあったかと考えたが、学校のグラウンドにそんなものを置く馬鹿がどこにいる。そこにいるのは紛れもなく、普段見慣れている自分の顔、柚木良平その人だった。

 そして目の前にいる柚木良平もまた、我が目が信じられないという表情でこちらを見ていた。

 本能的に察知した。俺達二人は、身体が入れ替わってしまったと。

 最初にあいつと入れ替わった時はひどく動揺した。何が起きたのか理解できなかった。これは夢だと思いたかった。だが、俺達を照り付ける陽の日射しと、砂混じりの乾いた風、走り回って真の身体に蓄積された疲労は、これが現実だと告げていた。

 授業を終えてから、俺と真は急いで校舎裏に駆けて行った。分かったことは二つだけ。俺と真は、どういうわけか身体が入れ替われる“体質”だということ。そして、そのためには互いの右手に触れなければならないということ。右手だ。他の身体の箇所に触っても入れ替わりは起こらなかった。入れ替わった後に互いの左手に触れれば身体は元に戻る。

 正直なところ、迷惑な話だった。なるべくこの男には近寄りたくなかった。普通そうだろう。人と人の心が入れ替わるなんて馬鹿な話があるわけがない。あったとしたらそれは明らかに非日常。あり得ないことだ。俺はそんな薄気味悪いことに関わりたくなかった。誰にも何にも縛られずに、マイペースに生きていく。それが俺の人生に対する基本的なスタンスだったからだ。

 だが、真は違った。以来真は何かにつけて俺に絡んでくるようになった。傍から見たら不思議な光景だったに違いない。真は容姿端麗で成績は常にトップ、友人も多い上に女子からもモテる。そんな絵に描いたような優等生と、どこにでもいる平凡以下の冴えない男子が一緒にいるんだから。最初は渋々だった。適当に会話を流して、さっさとどこへでも行ってほしいと思っていた。だけどどうしてだろう、長く時間を共に過ごすうちに、俺は自然と真に惹かれていった。今にして思えば、それは真の生まれ持ったカリスマってもののせいだったのかもしれない。高校に入学して一年が経つ頃には、俺と真は一番の友達になっていた。

 そして高校入学から二年目に入った頃、真は時々俺と入れ替わってほしいと申し出てきた。最初にその話を持ちかけられた時、やはりという思いと、同情にも似た思いがこみ上げてきたことを良く覚えている。

 真の家庭環境は特殊だった。本人から詳しい話は聞いたことはなかったが、断片的にだが人づてに聞いたことはある。真の生家は格式高い家庭で、父は大企業の社長を務めており、母は学者として世界的に知名度のある人物らしい。そのせいで物心ついた頃から両親から多大な期待を寄せられ、同い年の普通の子供のように過ごすことがほとんど出来なかったと。

 時々でいいから、普通の学生として過ごしてみたい。この真の頼みに、俺はいとも簡単に折れてしまった。

 端的に言うと、真の代わりは俺にはとてもではないが務まらなかった。学校が終わって真の家に帰ると、待っているのは専属の講師による様々な英才教育。明らかにこの年代の学生がやるような内容ではないものまで数多くあった。

 真の両親がほとんど家を空けていたので顔を合わせることが一度もなかったことだけがせめてもの救いだった。入れ替わる頻度はそう多くはなかったし、他の人の目からすれば単純に今日は調子が悪いのか程度に思われていたんだと思いたい。

 正直、自分が普通の家庭に生まれたことが幸福だとここまで実感したことは無かった。金や社会的な立場はあるに越したことは無いのかもしれないが、少なくとも自分には荷が重すぎる。

 自分が一ノ瀬真ではなく、柚木良平で本当に良かった。

 真は真で、俺の身体を借りて自由奔放に過ごしていたらしい。ゲームセンターやカラオケにすら今まで一度も行ったことがなかったというのだから驚きだ。

 こんな風に、俺達の青春は過ぎていった。

 だが、唐突に、俺達二人の人生は終わった。

 それは高校の卒業式を間近に控えた、高校三年の三月。国公立の大学受験も終わり、後は結果を待つだけの時期だった。雪の季節が終わりを迎え、麗らかな春の風が吹き始めた、そんな穏やかな日だったことをよく覚えている。

 その日、俺と真は高校からの帰り道を二人で歩いていた。


「良平はどうだった、二次試験?」

「ボチボチ。まぁ、そこまで偏差値が高い所でもないしな。そっちは?」

「こっちもまぁまぁって感じかな」

「お前がまぁまぁって思うなら受かってるだろ。高校の試験でもいつも手ごたえはまぁまぁって言っといて学年一位だったしな」

「え、そうかな?」


 相変わらずとぼけた奴だ。でも、この控えめで飾らない真の性格が周囲の人間を惹き付ける魅力になっていることも、そして自分自身もまた、そんな彼に惹かれ、憧れていることも自覚している。だからこそ、少し腹立たしくもある。


「それにしても、俺達ももうすぐ離れ離れになるんだな」


 どこか遠くを見つめながら、真が寂しそうに呟いた。


「俺はせいせいするよ。もうお前に面倒な役回りを押し付けられることもなくなるしな」

「ひどいなぁ。何度か追試の時に代わりに試験受けてあげたりもしたじゃないか」

「そ、そうだったか?」


 言い返す言葉もなかった。


「明日が卒業式だもんな~。なぁ、今日一日、最後にもう一度だけ入れ替わってくれないか?」


 不意に真が提案してきた。軽い口調だったが、そう訴える真の目はどこか切実で、悲しみを湛えているようにも見えた。

 最後か。どうせ明日の卒業式が終われば、もう会うこともないのだ。大学に入ってしまえば俺も真も他所の街へ引っ越すことになる。なら、最後に思い出を作らせてやってもいいだろう。

 そう、俺は安易に考えてしまった。


「あぁ、分かったよ」


 溜め息交じりに、どこかうんざりとした声と共に右手を挙げた。

 真は顔を輝かせると、自分の右手で俺の右手を軽く叩く。次の瞬間、俺と真は入れ替わっていた。


「ふぅ、この身体とも今日限りか」

「この身体って、気持ち悪い言い方するなよ」


 赤の他人が自分の姿で言葉を発したり行動するのはやはりあまり見ていて楽しいものではない。自分の意思とは無関係に行動する自分の姿を見るというのは変な気分だ。

 そのままお互いの家路に別れるための交差点に差し掛かった時、ふと俺の視界に入ってきた人影があった。


「あれ、琴葉ことはちゃんじゃないか?」

「え、本当か?」


 俺達が歩いていた歩道のちょうど反対車線側に、信号待ちをしている小柄な少女が立っていた。

 一ノ瀬琴葉。真の妹だ。俺も真の身体を借りている時に何度か会ったり話したりしたことはあった。とても兄思いな子だと真からは聞いていたし、実際その通りだった。中身が兄ではないということなど知る由もなかったのは仕方ないとはいえ、時折真の身体で家に行くたびに、彼女は俺に懐いてきた。俺が真の部屋で与えられた課題に悪戦苦闘している時にも、俺が一人でいる時を見計らっては部屋に入ってきて、二人で親の目を盗んで一緒にボードゲームをして遊んだり。兄妹がいなかった自分から見ても、真が羨ましく思えるほどに琴葉は可愛い奴だった。


「おーい―――っと、そうだ、今は良平になってるんだった。良平、代わりに声かけてやってよ」

「いや、別に呼ばなくたって交差点渡れば一緒に帰るんだろ?……あ、そうか、帰るのは俺になるのか」


 入れ替わっていると本当に思考が追いつかなくなる時がある。自分が自分でないというのは何度繰り返しても慣れはしない。


「仕方ないな。おーい、琴葉~!」


 俺は真の身体と声を借りて琴葉を呼んだ。俺の声に気付いたのか、琴葉はこちらを振り向くと、屈託のない笑みを浮かべてこちらに手を振ってくる。実に愛らしい。

 タイミングよく、俺達と琴葉の間を繋ぐ信号が青に変わった。青信号に代わるや否や、琴葉はこちらに駆け寄ってくる。

 刹那、左折してきたトラックの存在に俺は気付く。

 そのトラックの進行方向には、琴葉。

 ヤバい。頭が理解するよりも先に、本能が告げていた。目の前で命が消える可能性を。

 死、死、死――――――。


「あぶな―――」

「琴葉!!」


 一瞬早く“それ”に気付き、駆け出していく“俺”。違う、俺じゃなかった。いや、俺ではあるが、俺ではない。俺の目の前で、柚木良平が走り出していく。

 当の琴葉は一瞬キョトンとした表情を見せて、足を止めた。目の前から兄の友人らしき男がこちらに向かって血相を変えて走ってくるのだ。年端のいかない少女が気圧されてしまうのも無理はないだろう。そして次の瞬間、彼女は自分のすぐそばまで迫ってきていた大きな影の存在に気付く。琴葉がその影の正体に気付き顔を歪めたのと、琴葉が突き飛ばされたのはほとんど同時だった。

 その場から動くことのできなかった俺には、その一瞬のうちに起きた出来事が、何分、何時間、何日、何年もの出来事にも感じられた。

 気付いたときには、俺は俺の目の前で死んでいた。血だまりの中に横たわりながら。

 この日、柚木良平という少年は死んだ。

そして、皆が知っている一ノ瀬真という少年もまた、この日に死んだのだ。

 後に残ったのは、一ノ瀬真という名前と体を与えられた、ただの人形。一ノ瀬真としての人生を押し付けられた、出来損ないの駒だけだった。


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