クリックの先に

それからのこと



 冷えた部屋で作業をしていたので身体が緊張して少し動かすと痛みが走る。壁にかけたリモコンに手を伸ばし,スイッチを入れた。集中していた作業を中断したくなくて凍てつく寒さの中でパソコンを睨んでいたが,暖房なしでは効率よく作業もできない。

リモコンをテーブルに机に置いて,乾燥した目と凝り固まった身体をほぐすために立ち上がる。目を固くつぶって首を回すと同時に肩をもみこみ,入念にほぐした。ふと窓の外に目をやると,しんしんと雪が降り始めていた。ディズニーのキャラクターがプリントされたカレンダーの中では,雪だるまを作ったりプレゼントが入った箱を嬉しそうに開けたりしている。


「これでどうだ・・・・・・。うまくいくといいんだけど」


 大学に入ってから三年間,学校やアルバイトの時間以外はほとんどこのことだけに時間を費やした。試行錯誤を繰り返し,作ってはやり直し,構想を練っては白紙に戻し,完成間近の原稿用紙を破り捨てる作家のような気分を味わいながらここまできた。やっと満足のいくものが出来上がった。これから,この作品が日の目を見る。そう思うと,高ぶる気持ちが抑えきれなかった。

 深い呼吸で神経を整え,また机の前に戻る。

 ログインするためのURLを添付して,三つのメールアドレスに添付した。胸の鼓動が高鳴り,体温が上昇して熱い。宛先が間違っていないことを確認して,送信ボタンにマウスのポイントを合わせた。


 あとはクリックをするだけ。左クリックをする直前に,件名を入力していないことに気が付いた。普段は私用のメールで件名を打つことなどないのだが,今日は入れておこう。そうだな。件名はこれだ。



ようこそ,この素晴らしき世界へ



 よし,と一つうなずき,送信ボタンをクリックした。



 視界がぼやける。まぶしい光に包まれていたので,目が慣れるのに時間がかかった。かすむ目をこすりながら周りを見渡すと,人影が見えた。


「大丈夫・・・・・・ですか?」


 だんだんと目の焦点が定まり始める。木々の生い茂る村のはずれといったところだろうか。そこで声を掛けられた女性に目をやる。


 ハイブランドの白いスニーカーから白くて細い足が伸びている。つやのある足はただ細いという感じではなく,普段から運動をして余計なものをそぎ落としているような印象を与える。ダメージの入ったショートパンツのジーンズは快活な雰囲気を彼女に与え,スポーツブランド音ロゴが大きく入ったTシャツが全体のバランスをカジュアルに仕立て上げている。そのシャツのブランドが山のように膨らむところで目が留まり,思わず赤面してしまった。そのまま視点を上げると,肩口まで髪を伸ばして前髪を上げた女性と目が合った。ナチュラルメイクで化粧っけはあまり感じられないが,黒目が大きくて筋の通った鼻をしており,知り合いにいたらモテただろうなと思う。お姉さんのような雰囲気があるが,歳はそう離れていないに違いない。



「ねえ,あなた,まさる・・・・・・まさるなの 」

「そうだけど・・・・・・どこかで会ったかな?」


 プログラムは成功だ。何年もかけて作ったバーチャル世界に入り込むことができた。RPGの世界に飛び込むことが出来たらどれほど幸せと学びを得ることができるだろうとずっと研究開発をしてきた。身をもってその世界に飛び込むことができたが,自分の知り合いを登場人物に組み入れた記憶はない。でも,こういうイレギュラーなことが起こるのが冒険の醍醐味だ。

 ぼくに話しかけた綺麗な女性は,分かりやすく頬を福ら褪せて機嫌を損ねている。こんな美人と冒険出来たらどんな困難も楽園に代わりそうだ。ぼくのフィアンセ役にもぴったり。どうにかご機嫌を取りたいけど,あいにく女性の扱いは運動よりも苦手だ。


「ひどいわね。私のことを忘れるなんて」


 前髪を書き上げながら目の前の女性はぼくに近づいた。そして,でこがくっつくんじゃないかとひやひやするほどの距離で動きを止め,「本当に分からないの?」と問い詰めてきた。


 ドキドキしながらその目を見つめていたが,ふと聞き覚えのある声だということに気が付いた。面影は・・・・・・言われてみればそうかもしれない。心臓が高鳴るのを抑えながら,彼女の肩に手を置いて揺さぶった。


「リンナ・・・・・・? もしかしてリンナなの⁈」

「そうよ。忘れたなんて言ったらぶっ飛ばしてた」


 思わず飛び上がりそうになった。久しぶりの再会を行くりと味わう前に,後ろから声がした。

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