ライアンの選択


 やっと食事が終わったという頃には,テーブルに食器が山盛り積まれていた。


「いや~,食った食った。本当にごちそうになってもいいのね?」


 満足げにお腹を叩きながらリンナはライアンに尋ねる。

ほんの一時間前,リンナは穴があくほどメニュー表を睨んでいた。そんなリンナにライアンは食べたいものを注文するように言ったものの「お金を持ち合わせていないから」ということで一度は断った。「これから旅をするのに空腹では連れて行けない。お金は気にせず腹一杯食え」というライアンの申し出に,そういうことならと次々と注文をし始めたのだ。

次から次へとテーブルに運ばれるのを吸引力の衰えない掃除機のよう口の中へと運んでいき,その華奢な身体のどこに入るのか,本当に食べているのかと疑わしくなるほどの量を食べきった。

気持ちの良い食べっぷりとは裏腹に,ライアンの顔がどんどん青ざめていき,「無理をするなよ」と控え身に言うものの手持ちのお金を気にしていたのは明らかだった。


「食後の運動だ。もう試練は始まっているからな。まさか,今さら乗った船から下りるという選択をするものはいるまいが・・・・・・」


 吹っ切れたような顔をしてライアンはぼくたち三人の顔を見渡した。


「何をするの? 早くこの冒険を終らせる旅に出たいから余計なことをしたくはないんだけど」

「リンナよ,その通り。ここを出て村の奥へと進むと,旅立ちのほこらと呼ばれる神殿があるのは知っているな? 今からそこへ行く」

「待ってました。そういうことなら,ちゃっちゃと会計を済ませて向かいましょ」


 ご機嫌そうなリンナに向かって一つうなずき、全員を見渡して「用意は良いな?」と声を潜めて言った。

 ライアンの様子に違和感を感じながらも雄大と共に首を縦に振ったのを確認するやいなや,「行くぞ」と短く発声して獲物を視界に捕らえた蜂のような俊敏な動きで出口まで一直線に駆け出した。

 出口の戸を蹴破ったところでこちらを振り返る。ご飯処にいる全員の視線はライアンに注がれていた。この場にいる全員が,何が起きているのか把握できていない。ぼくたちも含めて。


「何をぼけっとしている! ついてこい!」


 言い終わると同時にまたくるりと振り返って,外へと飛び出した。「何なのよあの親父」と吐き捨てるように言ったアンナも荷物を肩に提げてかけ出す。ただぼくと雄大だけは映画のワンシーンを見ているかのようにその場に座っていた。


「食い逃げだ! とっつかまえろ!」


 厨房から店主が叫んだ言葉からやっと二人して事態を飲み込んだ。

 同じテーブルに残っている自分たちにも視線が注がれる。

 目の前にコマンドが表示された。



→ 走る

  頭を下げる



「捕まえてきます!」と叫んで雄大は駆け出した。ぼくは走ることを選択して,涙目で雄大の背中を追いかけた。



「ライアン,何てことをしてくれたんだ。早く捕まえて謝りに行かないと」


 全速力で駆け出しながら誰に聞かせるでもなく言った。雄大は白い歯を覗かせながらこちらを見た。


「何言ってるの? このまま冒険に出かけるんだよ」

「いや,さっき捕まえてくるって宣言したじゃないか」

「嘘も方便だよ」


 自分たちが捕まらないように機転を利かせていったのか。頭の回転が速いなあと感心すると共に,みんなで皿洗いでもして償おうとしていた自分が正しいのか正しくないのか区別がつかなくなってきた。


「それより,なんでそんなに楽しそうなの? こんなに大変なときなのに」


 後ろの方では「待ちやがれー!」と叫びながら集団で追いかけてくる人たちがいる。全員揃って逃げようとしたのを察したのだろう。怒号を飛ばして追いかけてくるその表情を確認することすら恐ろしくて出来ない。とても楽観的に思える状況ではなかった。逃走に失敗したら,旅に出るどころか袋だたきにされるだろう。モンスターにやられるわけでもなく,村人に殴り殺されてゲームオーバーになったりするなんてたまったもんじゃない。どうして笑っていられるんだ。気でも狂ったのだろうか。

 わくわくするんだ,と雄大は息を切らしながら横目でぼくを見た。


「だって,こんなに全力で走ったのなんて久しぶりだし,すごい体験をしている気がするんだ。ぼく,厄介者になるのなんて初めてだ。それだけでわくわくしてきた。自分が自分じゃないみたい!」


 確かに,こんなに必死で走っているなんていつぶりだろうか。現実世界でのことに思いをはせる。年を経るごとに,いつしかぼくは,本気で何かに打ち込まなくなった。全力を出すことに恥ずかしさを感じていた。正義感という武器を捨てて,取り組んでいる人を嘲笑する雰囲気に飲まれていた。運動音痴な結果を出せない自分が惨めではあったけど,それ以前に一生懸命生きるということにかっこ悪さを感じていたのだ。

 ぼくは今,理由がどうであれ一生懸命生きようとしている。こんな気持ちになったのは幼稚園のかけっこぶりかも知れない。


「ライアン達,見えないね」


 雄大は楽しそうに言う。


「追いつけるさ。追い越してやろう」


 雄大の横に並んで,まっすぐ続く道を駆け出した。

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