第46話 時夫おじいちゃんの死

 おじいちゃんが亡くなった。

 昼間は普通に過ごしていたのに、夜になって急に意識レベルが下がってゆき、眠るように息を引き取ったのだ。

 エマトールから前もって報らされていたとはいえ、やはりその時を迎えるのは辛かった。でも、それまでの時間を俺たちは大切に過ごすことができた。おじいちゃんとたくさん話せたし、制服姿を見せることもできた。写真だっていっぱい撮った。

 だから俺は今までの感謝を込めておじいちゃんの手を握り、静かに見送った。


 最後のお別れの時、俺は棺に2通の手紙を入れた。1通はおじいちゃんへのお礼。そしてもう1通は、船頭さんへのお礼。

 おじいちゃんはきっとあの川で、例の船頭さんに向こう岸へ渡してもらうのだろう。そう思ったから、あの時ろくに言えなかった感謝の気持ちを書いたのだ。そこには、由良と莉子のメッセージも加えられていた。届いたかどうか、確認はできないけれど……それでも、書きたかったんだ。



 徹の家には今、葬儀を終えた親戚が集まっている。だから彼らは、由良の家にお邪魔していた。


「あいつら、元気かなぁ……」畳に足を伸ばして座る莉子が、寂しそうに呟く。

「ねえ……もっとお話ししたかったなぁ」そう返す由良も、宝石箱から取り出した竹細工の髪留めを弄りながら、遠い目をしている。


 俺はといえば、悠長に話している暇はなかった。刺繍をするのに忙しかったからだ。何度も針で指先を突きながら、俺は刺繍枠を両手に格闘を続けていた。


「徹、代わろうか?」せっかくの由良の提案だが、首を振った。「刺繍は女子がするもの」そう思い込んでいた自分が許せなくて、俺は最後まで自力でやり遂げると決めたのだ。


「別に男女どうこうじゃなく、得意な人がやればいいと思うんだけどなぁ」

「そうだよ。だから、次のハナサキの像はあたしが作ったんだから」


 二人の言うことはもっともだ。俺だってそう思う。でも、これだけは……


「そういえばさ、こないだテレビで見たんだけど、あっちの言葉に似た言語を喋ってる人がいて」

「いって!」左手の中指に鋭い痛みが走った。ぷつんと赤い点が生まれ、玉になって転がり落ちた。でも、そんなことはどうでもいい。僕は指を咥えながら莉子に尋ねた。


「それって、どこの国?!」

「いや日本だよ」

 こちらの会話には加わらず、由良は慣れた手つきで俺の手を取ると消毒を済ませ、絆創膏を巻いてくれる。もう4枚目の絆創膏だ。


「なんか、東北の方。音程っていうか、イントネーション? が、そんな感じだった」

「へえ……」


 そういえば、3人とも外見は日本人っぽかった。彼らの住む世界は、何年か前に博物館で見た「大昔の日本の暮らし」に似ているような気がする。いわゆる、パラレルワールドってやつだろうか。徹はSFをあまり読まないけれど、その言葉くらいは知っていた。


「ひとくちに『東北』って言っても、県や地域が違えば言葉や風習も全然違うらしいね」

「うんと田舎の方だと、わりとどこもそうなのかもな」

「ね。うちなんかは親戚みんなコッチだから、よくわかんないけど」


 会話を切り上げ、再び刺繍に集中する。もう指は刺したくない。


「東北の山奥に行けば、マガリコいるかなぁ」

「それはさすがに居ないでしょ」

 女性陣二人はマガリコ羨ましさのあまり、もしスマホを買ってもらえたらスマホに名前を付けるという話をし出した。そんなの、他所で話したら笑われると思うけど。そう思いながら徹は刺繍を続ける。ちく、ちく、ちく……


「あらまぁ、みなさんお揃いで」

 庭先から、廊下を上がって由良のおばあちゃんが入ってきた。喪服に白い割烹着姿で、ガラスのボウルを持っている。


「莉子ちゃん、うちに来るのは久々だねぇ。すっかり大きくなって」

「ばっちゃん、久しぶり。お邪魔してまーす」


「ほら、庭の枇杷むいたから、おやつにおあがんなさい」

 ガラスの皿をテーブルに置くと、途端に全員の手が伸びた。枇杷は3人の大好物だった。


「徹ちゃんのおじいちゃんもサキちゃんも、うちの枇杷が大好きだったねえ。まさか二人とも、あたしより先に逝っちゃうなんてねえ」

 由良のおばあちゃんがくすんと鼻を鳴らしたが、すぐにしゃんと背を伸ばした。


「そうだ。こんなことしてる場合じゃなかった。アルバムを取りにきたのよ。昔の写真を皆さんに見せたくてね。由良、手伝って頂戴」

 由良とおばあちゃんが奥の部屋へ行き、莉子も枇杷を食べ尽くすと彼女達の後を追った。徹はまた、刺繍に没頭することができた。中学に上がれば忙しくなるだろうから、春休み中に仕上げてしまった方がいい。


 刺繍は本当に骨が折れる作業だ。最少の文字数で留めたくなる気持ちがよくわかる。

 だが、紙に書いたのでは劣化が早いし散逸しやすい。木は彫りやすいが腐るし、石版は固いが脆く、壁画では持ち運べない。最新のデバイスに残したとして、次に開かれるのが100年以上後であれば、それは役に立たないかもしれない。

 それでやはり、布に記録しておくことにしたのだ。布の保存なら、ハスミュラに貰った知識が役に立った。原始的ではあるが確実だ。

 全てを詳細に残すわけにはいかない。誰かに悪用されないとも限らないのだから。


『ハナサキは体長3M。強いアゴと鋭い歯、毒を持つ。視力より聴力に頼り高音に反応する』


 鏡を包んでいる布と一緒に、これを隠すつもりだ。この追加情報があれば、次のシキミ隊はそれなりの武器を携帯して行くだろうから、あんなに苦戦せずに済むかもしれない。そうか、前のシキミチームは資料を残す時間があまり無かったのかもしれないな。なにせ100年以上も前のことだし………それとも、充分な武器を持って行ったのか……


 「シキミ隊」だの「シキミチーム」だのと名称が定まらないながらも、いつかまた同様の危機が訪れることを、徹は確信していた。時が来れば、あの場所はきっとまた繋がる。そしてやはりその時には、オトナは頼りにならないであろうことも。

 そういうわけで頑張って刺繍に励んでいるのだが、まだ「毒」のところまでしか出来上がっていない。果たして、春休み中に終わるだろうか。莉子はさっさと「新たな器」を作り終えたというのに……



 と、バタバタとうるさい足音と共にふたりが居間に駆け込んできた。


「徹! これ見て」

「マガリコがいる!!!」


 由良の手には、古い写真があった。

 中央には、徹のおばあちゃん。その膝の上には満点の笑顔の、幼い徹と由良。由良と徹の間にあるのは、手書きの紙芝居。写真の裏には、「徹と由良は、サキちゃんの紙芝居がお気に入り」と手書きのメモが残されている。サキちゃん、とあるからには、メモを書いたのはおじいちゃんなのだろう。


 写真をよく見ようと手に取ったが、目の前に由良のキッズ携帯が突き出された。その画面には、写真の紙芝居の部分をクローズアップした画像が映し出されていた。


 少々画像が荒いが、水彩絵の具とクレヨンで書かれた絵には、アニメの昔話に出てくるような簡素な衣服に身を包んだ笑顔の人々と、それぞれの肩に乗るカラフルな小動物が描かれているのが見て取れる。色とりどりの小動物は、尻尾のない猿のような姿だ。実際のマガリコとはかなり違うが、現実にいる動物のどれにも似ていない………


「うちに行こう! 紙芝居が残ってるかもしれない!」



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