第拾四話 創世のペン


「書いたことが現実になる」という、不思議なペン。


 或る日突然、部屋の文机の上に、見たこともないそれが現れたのだ。

 鳥の翼や5弁の花の模様があしらわれた、優美な銀色のペン先。真珠色の柔らかな輝きを湛えたペン軸。その美しい万年筆を手に取った時、あたしの頭の中に声が響いた。


「これは、創造のペン。このペンでお話を書いて、世界を救って。君にはその能力チカラがある」



 頭の中の声によれば、この世界は7日間をかけて創造され、以来地球は人々の想像力で回っているのだという。人々の想像力がなくなれば、地球は動きを止め、永遠に時を止める。だから古来より世界各地の能力者が物語を創造し、人々の想像力をかきたて続けてきたのだ、と。


 そんな莫迦な話があるものか、とあたしは思った。7日間で世界を創ったなんて、まるで創世記ではないか。地球の成り立ちや宇宙との関係の話くらい、女學校で習った。それに、基督教の聖書だって読んだことはある。今でこそ見る影も無いけれど、昔は意欲と希望に溢れた優等生だったのだ。


 あたしは頭の中の声に答えた。


「世界なんてどうでもいい。止まりたければ勝手に止まっておしまいなさい」



 でも、ペンが現れた翌日、あの方がまたいらした。少し長めの前髪をさらりと揺らし優しく微笑む、美しい男性ひと

 彼は主人ではなく、今度はこのあたしを訪ねていらしたのだ。数冊の本と、珈琲によく合うチョコレートを携えて。


 その日から、あたしの生活は変わった。彼の来訪を愉しみに、彼の語るお話を生きる糧に、あたしは日々を過ごすようになった。

 意地悪な姑も、外で遊び惚けてばかりの夫も気にならない。ただ、生まれてすぐに取り上げられてしまった子供たちのことは、いつも気にかかってはいたけれど。



 あたしは創造のペンをふるった。彼の来訪を妨げそうなものを排除するために。

 はじめは小さなことから書いた。使用人がみな外出するよう仕向けたり、義母がうっかり深い昼寝をしたり。

 驚いたことに、書いたことはちゃんと現実になった。頭の中の声が言っていたのは、本当のことだったのだ。

 構成に無理があれば、句点を書き入れると同時に文章は消えてしまう。この世のことはりに反すること、例えば何の前触れもなく重力が反転するというような出鱈目は、現実化しないのだ。

 身の回りの小さなことで練習し、あたしは徐々に創作のコツをつかんでいった。



 彼の話は、いつも楽しかった。とても物知りで、質問には何でも答えてくれた。知らないことは、次の訪問の時までに調べてきてくれた。時には専門書を持ってきてくれることも。

 そのうちあたしは、彼から聞いた話を参考に、ある物語を綴り始めた。あたし自身が紡ぐ、全くの別世界の物語を。


 あたしは夢中で物語を綴った。地球上のどこでもない、でもよく似た世界。あたしのよく知る、山に囲まれた故郷に少し似た、架空の世界。

 ただし、あたしの描いた世界には争いはなく、性別による著しい格差も、大きな権力の偏りもない。離れた相手と心通う力を持つ可愛らしい生き物と、優しい人々が、のどかにゆったりと暮らしている。自然に寄り添う昔ながらの方法で、生きるために助け合いながら。

 そこでは、文明は至極ゆっくりと進む。テクノロジイの性急な進化は争いを生むと、あたしは知っていたから。人間は、あまりにも早い技術の進歩に追いつけない。

 だから、なるべくゆっくりと。技術より先に、心を育てる世界にしたかった。


 婚家で不本意な生活を強いられていたあたしにとって、その物語は辛い現実から目を背けて逃げ込める場所であり、生きる力だった。


 不思議なペンで綴られたその世界がどこかで現実のものとなり、あたしの生み出した登場人物たちが生き生きと日々を営んでいる。飢えることもなく、懐かしい故郷の言葉で優しく語り合う。遠く離れた家族や友人たちとも自由に心を通わせられる。あたしが現実で成し得なかった幸せを、大切に育んでいる。そう思えば思うほど、その世界が愛おしくなった。

 あたしはより一層、創作にのめり込んだ。愛する登場人物たちと共に一喜一憂し、彼らの歴史を作っていく。未来を創っていく。


 だが或る時から、その創作に問題が生じ始めた。物語が展開しないのだ。いくら文章を書いても、句点を打ったその瞬間に文章が消えてしまう。何度書き直しても、それは同じだった。

 そのうち、すでに書き終えた文章までが消え始めた。最後に書いたところから、だんだんと文字が薄くなっていく。おかしい。ここまでは、既に現実となっている筈なのに。


 きっとこれまでのどこかで、あたしは書き損じたのだ。物語がこれ以上進むのを妨げるような綻びを、矛盾を、いつの間にか生じさせてしまったのだ。


 あたしは焦った。書いたものは直せない。過去は消せない。このままでは、愛しい世界が終わってしまう。


 この世界は、あたしのもの。絶対に終わらせたりしない。



 あたしは自ら、ペンで創り出した世界に飛び込むことにした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る