7話 メイドと彼女


 恋の駆け引きとは、策略的であり建設的なものだ。


 帰り際、ポケットに違和感を覚えて手を突っ込んでみると、四つ折りのメモ用紙が入っていた。開封してみれば、LINEのアカウントIDだった。試しにIDを打ち込んだら安良岡さんらしきアカウント「うた」が表示された。教室での騒動中、恐らく、安良岡さんに窓際へ追い詰められた時だろう。俺の神経が耳元に注目している間にメモを忍ばせたのか。


 友達登録してみると、すぐにスマホの通知が来た。LINEに黒い招き猫のスタンプが送られてきた。顔が潰れたブサイクな招き猫だ。これがキモカワイイというやつなのか。


『よろしく。安良岡です』


 今時の女子高生にしては何やら硬い文面が届いた。


『例の件、返事待ってるから』


 そう来たか。例の件とはもちろん恋人の件だろう。あの言葉は聞き間違いじゃないらしい。


『考えておく。まずはキミがどういう人か知りたいから』


 とりあえず棚に上げることにした。付き合うか付き合わないか以前に、お互いのことを良く知るべきだと思う。


『それじゃあ来月まで待ってあげる。それまでに考えておいてね』


 期限を決められると曖昧な返事は出来ない。はい、いいえの二択。これは策士の技だ。こちらの動きを手玉に取られているようだった。


 どうしたものかと唸っていると「おやすみ」とメッセージが飛んできたので、こちらもおやすみなさいと返して今日の会話は終了した……と思いきや「特別サービスよ♡」という言葉と共に謎のファイルが転送された。


 なんだこれ、と思いながらもタップする。


 数秒の後、ファイルが開いて出てきたのは、肩をはだけたピンク色のパジャマを着て、今にも零れそうな胸の谷間を映した大変際どい自撮り写真だった。右胸の内側には魅惑を体現させた一点のほくろがあり、ついそこに視点が動く。こんな場所にほくろがあるなんて、学校中探しても俺ぐらいしか知りえない情報じゃないか――いやいや、何を考えているんだ。道端のアスファルトでも眺めて気を紛らわせようか。


 我に返り、一度、瞼を閉じてから冷静に返信する。


『何送って来てるの!?』


『返信がちょっと遅かったわね。興奮したの?』 


『してない』


『強がっちゃって。これをオカズにすればぐっすり寝れるわよ』


『はいはい、おやすみ』


 まったく、入学式初日から大変な女子生徒に目を付けられてしまったようだ。スマホをポケットに仕舞い込んで、ソファに寝転がって渋い顔をしていると、上から舞桜が覗き込んできた。彼女の長い髪が顔に当たってくすぐったい。


「どうだったよ、高校は?」


「ついに始まったって気持ちが湧き上がっているよ。けど、俺はともかく珠李が心配」


「どうしてだ?」


「学校の中でも俺のメイドとして振舞うんだよ」


 安良岡さんとの件よりも、こちらの問題の方がよっぽど苦労しそうだ。


「そりゃそうだろ。そういう契約だからな」


「どんな契約を結んだらそうなるんだよ」


「そりゃあアタシの口からは言えたもんじゃないさ。珠李とアタシで結んでいる契約内容は別モンだからな。詳しくはあの子に聞きなよ。教えてくれないだろうけど」


「それじゃあ舞桜はどんな契約をしているんだ?」


「アタシも教えるつもりはなーい」


「はいはい、そうですか。ところで、珠李は何処へ行ったんだ?」


「知らない。買い物じゃないか?」


「それまで舞桜と2人きりか」


「きゃー、ガク様のエッチー!」


「何がだよ」


「密室に2人きり、何も起きないはずもなく……」


「何も起きないから」


 付き合っていられない。舞桜と喋っていたら永遠とツッコミせざるを得ないのだ。自室に戻ってしばらく勉強をしていると、珠李が戻って来た。


「ただいま戻りました」


「おかえり」


 リビングに向かうと、大きなビニール袋を両手に抱えた珠李が冷蔵庫を開けていた。


「そんなに買うんだったら荷物運ぶの手伝ったのに」


「結構です。これもメイドの仕事ですから。ご主人様は勉強でもしていてください。成績が悪いとお仕置きしますよ」


 お仕置きとはなんだろう。頭の中で、黒い鞭を持って恍惚とした表情をする珠李を思い浮かべた。


「何ですかニヤニヤしちゃって。お仕置きというワードで変な妄想しないでください」


「し、してない」


「――ド変態が…………」


 そう言って蔑んだ表情をする顔が、妄想と瓜二つだったなんて口が裂けてもいえなかった。




    *




「今日は唐揚げです」


 黄金色に染まった鳥の唐揚げが食卓に並んだ。


 珠李が席に座ると、問答無用で大皿にレモンをかけ始めた。それを見た舞桜は机に両手を付いて立ち上がった。


「てめぇ! なんで大皿の唐揚げにレモン汁かけてやがる!」


「私が作った唐揚げです。私の味付けに文句があるんですか? それに、レモンかけた方が美味しいからです」


「ああ。たしかに珠李の言う通りではある。レモンをかけた方が100倍美味い。それには激しく同意する―—しかし、だ。大皿に乗せられた状態の唐揚げにレモンをかけるのだけは許せない!」


 くだらない。舞桜は興味のない事にこれでもかと無関心を決め込む癖に、こだわる所にはトコトンこだわるのだ。今回のことに関しては、何も言わずにレモンを掛けた珠李にも非はあると思うが。


「では、お姉様は鉄板に乗ったお好み焼きにソースをかけますか?」


「あたりまえだろ」


「であれば、唐揚げにレモンをかけるのと同じことでしょう」


「ちげえ! 全然わかってねぇじゃなぇか!」


 混沌を極めそうな勢いだ。このあたりで止めにかからないと、いらぬ飛び火がやって来る。


「まあそう争うなって。唐揚げにレモンをかける時は一言添えようぜって話じゃないか」


「ガク様」


「なに?」


「きのことたけの――」


「やめろ! 関係のない新たな火種を生み出そうとするな!」



     *



―———こうして激動の1日が終わる。


 新天地での新たな生活。


 1人暮らしにはほど遠いものとなってしまったが、人生の糧となる充実した日々と信じて良しとしよう。


『——学様、少々よろしいでしょうか』


 とんとん、と静かなノック。扉越しに珠李の声が部屋に届いた。


「ああ、入ってくれ」


 返答すると扉を開けて一礼した。


「失礼いたします。就寝前にすみません」


「いや、いいんだ。それよりどうした?」


「……この生活、不服でしょうか」


「どういうこと」


「学様は1人暮らしがお望みだったでしょう」


「まぁそうだけどね」


「ご主人様が望むのであれば、メイドという仕事柄、この家を離れるわけにはいきませんが、極限までご主人様との関わりを絶つ生活をしようと思います。いかがでしょうか?」


「それは違うだろ。俺が珠李と舞桜を受け入れたんだからそんなことしなくていいんだ」


「左様、でございますか。てっきり提案を受け入れるものだと思っておりました」


「そんなことしないよ。俺は舞桜と珠李、この家に住む3人でしばらく暮らしていきたいと思っているから。でも、その間に俺が1人でも生活できるようなスキルを身に付けなくちゃならない」


 俺の最終目標は『1人で生活をする』こと。朝は1人で起きて朝食を作り、ゴミを出して学校に行く。家に帰って洗濯をして夕食を作り、風呂に入り、就寝する。


「だから……珠李、俺に力を貸してくれ」


 当たり前のようで、とても難しい1日の営み。


 だけど、誰の力を借りずとも、俺はこの営みを達成させたい。


「ご主人様のお気持ち、理解しました。私、犬星珠李はご主人様を全力助力いたします。——そうですね……まずは、お料理でも勉強しましょうか」


 そう言って優しく微笑む珠李の表情を見ただけで、これからの生活はきっと明るいものになると、想像が容易かった。




<あとがき>


 次回、一旦一区切りです。

 1話の前夜の話をします。

 

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