第109話 ルシル

 レオルの中にあるルシルは、よく笑う少女だった。

 向日葵のように明るくて、お日様のように温かい。そんな少女だ。


「――――消えろ」


 今、彼女が見せている笑顔はどこにも存在しない。拒絶と憎悪に彩られた歪んだ冷たいかお

 欠けた剣でルシルの攻撃を捌きつつ、彼女が持つ大剣を弾き飛ばせないかとレオルは自らも半ばから折れた刃を振るう――――が、彼女の姿は瘴気の霞となって消え失せ、次の瞬間には背後に出現していた。

 しかしレオルもまた、ルシルの出現場所を把握していた。背後に振り向き、ルシルの一撃を弾く。


「瘴気を纏いながら特殊なステップで視線を翻弄し、消えたように見せかける技か……魔法というよりも体術の類だな。努力と研鑽を感じさせる、君らしい技だ」


「これを見切るなんて大したものです。腕を上げましたね」


「自分を見つめ直して鍛錬を積む時間ならいくらでもあったからな」


「あぁ、そうですか。まんまとわたしに溺れて、腕を千切られちゃいましたもんねぇ!」


 ルシルが繰り出したのは、隻腕となっている右からの攻撃。咄嗟に左手で握った剣を防御に回すが、ルシルの剣が空振りに終わる。フェイント、そう気づいた時には既に鋭い蹴りを左から叩き込まれた。


「…………っ!」


 身体が浮くほど鋭く、そして重い蹴り。吹き飛ばされながらも床に叩きつけられることなく両足で着地し、体制を保つ。が、ルシルの持つ大剣には漆黒の魔力が迸り、蓄積していた。


「『黒獅子の咆哮カオスロア』!」


 一閃。振るう斬撃は漆黒の咆哮となってレオルに襲い掛かる。


「『獅子の咆哮レグルスロア』!」


 繰り出した斬撃の咆哮。金色と漆黒。二つの魔力が激突し、その衝撃が漆黒の帳の内部を駆け抜けた。


「…………気に食わない」


 魔力の激突によって生じた衝撃が巻き起こす粉塵が流れていく最中、ルシルの相貌には心の底からの不快感が刻まれていた。


「こちらの攻撃を受けるばかりで攻撃らしい攻撃は一切ない…………確かに。自分を見つめ直して積んだ鍛錬とやらであなたは強くなった。それは認めましょう。ですがそれでわたしを見下すのは、増長が過ぎるというものですよ」


「君を傷つけたくないだけだ。言ったろう? オレは惚れた女に、変わらぬ愛を伝えに来たのだと」


「バカバカしい。わたしはあなたの全てを奪ったんですよ? それでも愛してるって? そんなバカげたことがあるわけがない」


「ありえるさ。現にこうして、ここに、君を愛している男がいるだろう?」


「――――ふざけるな」


 静かなる激昂と共に、ルシルの全身から漆黒の魔力が嵐の如く吹き荒れる。厄災を彷彿とさせる目の前の闇を目の前にして、レオルの瞳は一切揺らぐことはない。


「わたしがお前に与えた愛など紛い物だ。幻想だ。どこにも在りはしない」


「いいや。確かに存在したさ。少なくとも、オレにとってはな」


「何を根拠に……」


「君はいつだって、オレという人間と向き合ってくれたじゃないか」


 学園で送る日々の中でルシルがかけてくれた言葉。レオルはその全てを、今でも一言一句覚えている。裏切られた時の表情、視線、表情でさえ。


「……そんなもの。お前に取り入るための演技でしかない。お前が欲しそうな言葉をかけてやっただけだ」


「そうかもしない。……だけど、はじめてだった。オレにあそこまで向き合ってくれた人間は。オレが抱える痛みも弱さも全てを知って、受け止めてくれたのは、君だけだった。そんな君に溺れて、だけどあの頃のオレは、君に本当に全てを預けることもできなかった」


「ハッ。ええ、そうでしょうとも。お前はわたしに溺れていた。だけど唯一お前だけが隙を見せなかった。肝心なところは隠して、警戒して、怯えていた。……おかげさまで一番楽だと思っていたアナタから『王衣指輪クロスリング』を手に入れるのに苦労しましたよ」


「怖かったんだ。君に拒絶されることが。否定されることが……そうだ。オレは愛に臆病だった――――君と同じように・・・・・・・


「――――――――」


 その、レオルの発した一言。たったの一言に、ルシルは沈黙した。

 レオルはまだ攻撃らしい攻撃は加えていない。せいぜいが、ルシルの武器を弾き飛ばすことを狙った程度のもの。しかしルシルは、かつてないほどの攻撃をその身に受けたかのように瞳を揺らし、硬直していた。


「な、にを…………」


「君と共に過ごしていた時から感じていた。君と剣を交えて確信を得た」


「何を、言っている……!」


「君は偽りの愛を与えることは得意でも、自分に向けられる愛に対しては臆病だ」


「黙れ!」


 激しい怒りと憎悪と共に魔力を迸らせる。次に何の魔法が来るのか、レオルはそれが分かった。故に自身もまた、ルシルに合わせるようにその魔法を発動させる。


「『黒獅子の心臓カオスハート』ッ!」


「『獅子の心臓レグルスハート』!」


 一時的に全ての能力を高める時限式の強化魔法。

 漆黒の輝きを纏い、床を蹴ったルシルに対し、レオルもまた金色の輝きを纏いながら激突する。黒と金の光は奇跡を描きながら帳の中を駆け巡り、幾千幾億もの火花を散らす。やがて刃と刃が鍔競り合い、重なり合った光の光景は比翼の鳥のようでもあった。


「臆病者はお前だろう!」


「ああ、そうだ! かつてはそうだった! しかし、オレはもう君から逃げない! 君がオレの全てを受け止めてくれたように、オレも君の全てを受け止める!」


「嘘だ!」


「君が夜の魔女の娘だろうと! どれだけの罪を犯していようと! 世界を滅ぼそうとしていたとしても関係ない! たとえ世界中を敵に回したとしても、オレは君を愛している!」


「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」


「教えてくれ、君の全てを! 君がなぜ、愛に臆病なのかを!」


 何度繰り返したか分からない、極限まで研ぎ澄まされた魔力を纏いし刃と刃の激突。

 瞬間――――ぶつかり合った二つの獅子の間で光が世界を埋め尽くした。


     ☆


 かつて『夜の魔女』という存在が世界に災厄をもたらしてから、二百年が過ぎた頃。

 夜の魔女が遺した呪い。瘴気によって生まれる異形の怪物『ラグメント』。金色の魔力を用いて『ラグメント』と戦うレイユエール王国をはじめとする王国の王族たちは、世界中の人々にとっての希望だった。


 だがこの頃、世界には『ラグメント』以外にも人類の敵と呼ばれるものが現れていた。

 それが魔族。古の種族たる彼らは魔王軍を率いて人類側に宣戦布告し、人間たちの領土を侵略戦と各地で戦火をまき散らしていた。


 ルシルはそんな新たな戦火に満ちた時代の、とある国の小さな村で生まれた。

 母親はルシルを産んですぐに亡くなり、同じ頃に父親は魔族に殺されてしまった。そんなルシルを引き取ったのは村長だったが、長は愛情を注ぐことはなく、どこか遠ざけるように扱っていた。


 そしてルシルは『第五属性』の魔力こそ持ってはいなかったものの、その身に子供とは思えぬ人並外れた魔力を宿していた。単純な魔力量だけでいえば当時の五大王国の王族すらも上回るほど。


 もし、五大王国のいずれかに生まれていれば、或いは村に生まれていなければ結果は違ったのかもしれない。だが狭い世界で生きる村の人々にとって、人並外れた力を持つルシルは不気味な存在でしかなかった。


 この力は、魔族という新たなる脅威に立ち向かうために、両親の命と引き換えに神様が与えてくれたもの――――そう結論付けたルシルは幼少の頃から自己流の鍛錬をはじめた。村の人々はそんなルシルを変わり者だと言って遠巻きに見ていたが……。


「特訓するなら僕も混ぜてよ」


 テオという少年だけは違った。彼は村長の一人息子で、ルシルの幼馴染でもあった。


「僕もいつか魔王を倒したいんだ。みんなを守るために」


 ルシルが得た、はじめての仲間だった。

 やがて時が経ち、二人が十二歳になった頃。ルシルとテオは共に村から旅立った。

 魔王軍に苦しめられている人々を助けるために、各地で剣を振るった。見返りも求めず人々を救っていくうちに、いつしかルシルは『勇者』と呼ばれるようになった。


「勇者ルシルか……だったら僕は、剣士テオだね!」


 ルシルの隣でいつもテオは笑っていた。そんなテオの笑顔が好きだった。


 二人の旅路は順調だったが、それでも全てが上手くいっていたわけではない。

 魔王軍の猛攻によって苦境にたたされることも劣勢を強いられることも珍しくなかった。

 しかしそれでもルシルは諦めなかった。そんなルシルに惹かれ、その背中についてきてくれる人も増えていった。


 剣士のテオ。魔法使いのエルフ。力自慢のドワーフ。王国騎士。

 世界を巡り、絆を結んだ。ルシルたちはいつしか『勇者パーティ』と呼ばれるようになり、人類の希望となった。


 勝利に次ぐ勝利。ルシルは戦いを重ねる度、仲間たちと危機を乗り越える度に強くなり、逆境を跳ね返し続け、やがて魔王との決戦に至った。


 魔王との戦いは熾烈を極めた。刃を躱し、魔法をぶつけ合い、そして――――ルシルは魔王を追い詰めた。


「……なぜ殺さぬ」


 魔王の問いに対し、ルシルは剣を手放した。

 差し伸べたのは刃を持たぬ空の掌。


「……どういうつもりだ」


「魔王。わたしはアナタと友達になりたい」


「ふざけるな。我は魔王だ。貴様ら人類の敵だぞ」


「でもそれは人間にも原因があるってこと、わたしは知ってるよ」


 魔族とは、かつて人間によって虐げられた亜人種だ。

 人類への復讐こそが魔王軍の悲願であり、魔王としての使命。


「愚かな……我は魔王だ! 魔族の王だ! 貴様ら人類の敵だ!」


「それでも絆は結べるよ」


「なぜそう言い切れる!」


「わたしは色んなところに行ってきたよ。エルフの里にも、ドワーフの集落にも、王国にも……色んなことがあった。楽しいことばかりじゃなくて、嫌なこともあった。最初は敵だったこともあった。それでも今は絆を結んで仲間になれた」


「人間と魔族でも絆は結べると? ただの理想論だ。ただの綺麗事だ」


「わたしは理想も綺麗事も、諦めたくない。アナタだって本当は、諦めたくないんでしょう?」


「…………なぜそう思った」


「本気で戦ったから。アナタの剣から、眼から、伝わってきたよ。綺麗事が叶うなら、それが一番いいって」


「…………………………」


 少しの沈黙の後。差し出された手に、魔王は応じた。


「勇者ルシル。お前を信じてみよう」


 こうして魔王軍との戦いは、和平という誰も予想としていなかった形で終結した。


「やったね、テオ! わたしたちの夢が叶ったよ!」


「そうだね。君のおかげだよ、勇者ルシル」


「やめてよ。本当は勇者なんて肩書き、ちょっとくすぐったいんだから」


 何よりテオの前では、ただの『ルシル』でいたかった。

 この頃にはもう、彼のことを愛していた。誰からも怯えられ、避けられていた村の中で唯一、テオだけがルシルに触れてくれたから。


「……でも、君はまだ勇者で在り続けるんだろ?」


「うん。和平を結んだとはいっても、まだ人間と魔族の間には憎しみと争いが残ってる。わたしはそれを失くしたい」


「やれやれ。また君お得意の綺麗事が飛び出してきた」


「でも付き合ってくれるんでしょ?」


「勿論。僕は勇者ルシルの一番の仲間、剣士テオだからね。でも……それだけじゃないんだ」


「テオ? んっ――――」


 不意打ち、だった。テオがすぐ目の前に居て。テオの唇が、ルシルの唇を塞いでいた。


「君の傍で、君を守りたいんだ」


「…………テオ」


「君を愛してるから」


「…………うん。わたしも」


 ルシルはちょっぴり照れくさそうにはにかみながら、愛を告げた。


「テオ。あなたを愛してる」


 魔王軍との戦いが集結した後も、人類と魔族は様々な問題があった。

 争いがあった。憎しみがあった。その度に勇者ルシルは剣を手に取り戦った。

 戦って、戦って、戦って、戦って、戦って――――その全てにおいて勝利した。


 勝ちすぎたほどに、勝ち続けた。

 強くなり過ぎたほどに、強くなり続けた。


「――――やぁぁあああああああああっ!」


 その日は、突如として発生した魔物のスタンピードを止めるために勇者パーティとして前線に立っていた。最後の魔物を崖際まで追い詰め、一太刀を浴びせる。


「今ので最後……やったね、テオ――――」


 口からどろりとした赤い液体が零れた。ふと、下を見てみると――――自分の腹から血に塗れた刃が突き出していた。


「え…………ぁ……?」


「君は強いよ。本当に強い」


「テオ…………?」


 冷たい刃が、背中からルシルの腹を刺し貫いていた。

 その刃を握っているのは、愛しい人。テオ本人だと、声ですぐに分かった。


「強くて強くて――――恐ろしい」


「なに、を……言って、る、の…………?」


「ルシル。君は強くなり過ぎた。この平和な世界に、勇者という力は邪魔だと……そう思われてしまうぐらいに」


「意味わかんないよ……ねぇ…………」


「僕たちは君が恐ろしいんだ。どこまでも強くなり続ける君が。勝利し続ける君が。その刃がいつか、僕たちに向けられてしまうんじゃないかって考えると、怖くてたまらない」


「嘘だよね……テオ…………」


 テオがルシルに向ける目は。幼い頃、村人たちが向けてきたものと全く同じで。


「わたしのこと……愛してるって…………!」


「嘘に決まってるだろ?」


「えっ…………?」


「君を正面から倒すのは不可能だ。だが背中を預ける仲間であり、かつ恋人になら、警戒心は解ける。不意の一撃を喰らわせることだって可能だろうと思ってね。……あぁ、よかった。目論見が成功して」


「嘘……嘘だよね…………」


「君を愛していたのが嘘偽り。君を殺そうとしたのは真実だ。……あぁ、他の仲間に頼ろうとしても無駄だよ。これはみんなが了承していることだから」


「みん、な…………?」


「勇者パーティのみんなも、王様も、王国軍の人々も、魔王軍も、魔王も。みんなさ」


「…………そんな……」


「最初はね、みんな君に惹かれたんだ。でも気づいたんだ。際限なく強くなっていく君の正体が、ただの化け物だと。恐ろしいんだよ。化け物である君が、恐ろしくてたまらないんだ」


「ぁ……あぁ…………」


「安心して逝くといい。君が築き上げてきた勇者ルシルの物語は勇者テオの物語に書き換わるよ。後世には絵本にでもなるだろうさ。……あぁ、そうだ。君の陰に隠れるだけの僕はもう終わりさ。これからは僕が勇者だ」


 テオは血まみれになった剣を引き抜くと、そのままルシルに斬撃を叩き込んだ。


「さようなら、ルシル」


 飛び散る鮮血と激しい痛みが身体を襲う。足がもつれたルシルの身体は、そのまま背中から倒れ込むように、崖から落ちていく。


「ぁ……ぐ…………」


 地面に叩きつけられても尚、ルシルは生きていた。身体は辛うじて繋がってる状態で、地面には夥しいほどの血が溢れていて、すぐに絶命するであろうことは明白だった。


(嘘だった……全部…………全部………………愛なんて……嘘、だった……)


 喉の奥から血が溢れる中で、それでもルシルは叫んだ。


「嫌だ……い、やだ……嫌だ……誰か……愛してよ……わたしを、愛して……!」


 誰にも愛されなかった。誰かに愛されたかった。その想いだけで戦ってきた。誰からも愛される自分になろうと思った。ようやく得たと思った愛は、偽物だった。幻想だった。


「誰か……ねぇ、お願い…………誰か……!」


 天を掻き毟るように手を伸ばす。その指は、青い空に血の軌跡を描いていた。


「誰か……わたしを…………愛してよぉぉぉおおおお……!」


 ――――感じるぞ。強い、『愛』の心を。


 その時だった。ルシルの身体を、漆黒の瘴気が包み込み、誰かが囁いた。


「あなた、は……誰……?」


 ――――我が名は『夜の魔女』。


「夜の……魔女…………」


 ――――裏切りによって散った哀れなる勇者……ルシル。勇者ルシル。お前を私の娘にしてやろう。


「むす、めに…………?」


 ――――そうだ。私はお前の母となる。お前はそれが欲しかったのだろう? 他者から注がれる愛情というものが。


「ぁ…………」


 村でいつも一人だった。親といる他の子供たちが羨ましかった。

 ルシルという少女は生まれた時から、愛に飢えていた。


 ――――私はお前の欲する家族というものをくれてやる。だからお前は、私に尽くせ。娘として、母のために動くがいい。


 その提案はルシルにとってこれ以上ない幸運で――――これ以上ない誕生日プレゼントだった。


「わたしを……娘に、してください…………わたしに……愛を、ください……」


 ――――いいだろう。その望み、叶えてやる。


「あ……あぁ…………ぁぁああああああああああああああああッ!」


 瘴気が体を包み込み、侵食する全てを受け入れた。

 次に目を開けた時。そこにいたのはかつての勇者であり、魔女の娘。


 ――――ルシル。愛を司りし、六情の子供。お前は今から私の愛しい娘だ。


「…………はい。お母様」


 愛は素晴らしいと、ルシルは想った。


 勇者ルシルは誰かに愛されたかった。愛する人のためならなんだって出来たし、どんな戦いも乗り越えられた。


 愛はくだらないと、ルシルは思った。愛なんて不安定で不確定で、いつかは裏切るものだから。


 愛なんてくだらない。それでも誰かに愛されたい。

 誰かに愛されたい。だけど愛なんてくだらない。


 そんな矛盾を抱えた存在が、ルシルという少女だった。


     ☆


「――――っ……!」


 長い、長い記憶の旅路を終えた時、レオルは理解した。

 今のはルシルの過去の記憶なのだと。


「…………視たな……! わたしの記憶を!」


 そしてルシルもまた、それを察知したのだと。


「どうやら互いの『獅子レグルス』が共鳴し、記憶の流出が起きたようだな。極限まで魔力を高めた同じ精霊の力が激突することで起きた……奇跡にも近い現象だ」


「…………なんだその顔は。同情でもするつもりか?」


 ルシルは嗤う。悪辣に、残虐に。


「あはっ! あはははははははははは! だったら教えてやる! わたしはお母様の娘になってすぐに何をしたか! 全員を殺した! かつての仲間を殺し、国を滅ぼし、魔族も根絶やしにした! 歴史か消え去るほど完膚なきまでに殺しつくした! それがわたしだ! 怪物で、化け物だ! それでもお前は――――」


「――――愛せるさ。どんな怪物だろうと化け物だろうと、オレは君の全てを愛している」


「…………ッ……!」


「君は確かに罪を犯した。ならば、共に罪を償おう。君とオレで、二人でだ。オレにはその覚悟がある。言ったろ? 全てを受け入れると。君の罪すらも受け入れるさ」


 レオルの愛の囁きに対し、これまで言葉巧みに翻弄し続けてきたルシルが返したのは言葉ではなく刃だった。レオルはそれでも構わないとばかりに刃を繰り出し、全ての剣戟に応じ続ける。


「この腕から君を失ってから、オレはずっと悔いていた。君の愛に応えられなかったことを。……そうだ。腕も、指輪も、誇りも、王座も。全てを失ったことよりも、君を失ったことが何よりも辛かった」


「……………………ッッ……!」


「オレは君がくれた愛に救われた。臆病でいつも逃げてばかりだった『レオル・バーグ・レイユエール』という人間を見つけてくれた君に救われたんだ。そんな君をどうしようもなく愛してしまった。君の全てを受け止めて、君に触れて、共に在り続けたいと。それは今も変わらない。君の本性を知り、君の過去の所業を知った今でもだ」


「………………………………ッッッ……!」


「惚れた弱み、というやつなのだろう。愚かだと笑ってくれて構わない。……けれど、もう既に伝わっているはずだろう? オレの愛に嘘偽りがないことも。オレがどれだけ君を愛しているのかも。たった今、オレが君の記憶を視たように――――君だってオレの記憶を視たはずだ。君への愛に満ち溢れた、オレの記憶を」


 無意識の内だろうか。ルシルは一歩、後ろに後ずさった。

 一方的に攻撃しているはずのルシルが。


「君の記憶を視た今なら分かる」


「なにを…………!」


「『愛』を司る君が最も恐れているものもまた、『愛』だったということが」


 ルシルはこれまで、他者が抱く『愛』を弄び、暗躍してきた。

 それは彼女が『愛』を司る存在だったから、というだけの話ではない。『愛』を司る者だったからこそ、それが持つ力、その恐ろしさを誰よりも理解していたが故のもの。


「君はもう、愛を恐れなくていい。オレの愛が君を包み込む。君の全てを受け入れる」


「…………信じるものか」


「そうだな。だったら――――こうしよう」


 レオルは剣を手放し、『霊装衣』すらも解除した。


「これでオレは無防備だ。君にとってもチャンスのはずだろう?」


「…………っ!」


 床を蹴って加速したルシル。次の瞬間には、その巨大な漆黒の刃をレオルの首元に突きつけていた。


「流石はかつて世界を救った勇者だな。素晴らしい反応と反射だ。……君の強さの秘密。知らなかった君を知れて、嬉しいよ」


「黙れ。わたしがほんの少し刃をはしらせるだけで、その首が落ちるんだぞ」


「精霊を召喚する間もなく、な」


「それが分かっていながらなぜ剣を手放した」


「愛を恐れる君を抱きしめるには、多少の無茶は必要だと思ってな」


「…………まだ……そんな戯言を……っ!」


 レオルの片腕は、目の前にいるルシルを抱きしめた。

 学園に居た頃は両腕だった。ルシルは自然と受け入れていて、今のように身体が強張ることもなかった。


「…………もし君がオレの愛を拒むなら、その刃でオレを貫いても構わない。恨みはしない。だが、君がオレの愛を信じてくれるのなら……」


「――――っ……」


 レオルはルシルへと顔を近づけていく。ルシルがいつでも拒めるように、ゆっくりと。

 しかし互いの唇が重なるまでの間も、重なってからも。ルシルの剣が――――レオルを貫くことはなかった。代わりに、巨大な剣が床に滑り落ちた音と、漆黒の『霊装衣』が解けた気配が漆黒の帳の中に響き渡る。

 口づけは一瞬。触れ合った唇はすぐに、だけど確かめるように緩やかに離れた。


「…………レオル……くん……」


「あぁ……やっぱり、君からはそう呼ばれる方が良いな」


 失ってしまったものの中で惜しいと思ったものの一つを取り戻せた。


「ルシル。これから何度でも言うよ。オレは、君を愛している」


「…………レオルくん。わたしも……アナタを――――――――」


 刹那。二人を包む闇の帳が、僅かに歪んだ。


「――――――――愛してる、なんて言うと思った?」


「ぐっ!?」


 瘴気を纏ったルシルの手が、レオルを突きとばした。

 完全な不意打ち。受け身すら取れず、微かに宙に浮きながら後ろに吹き飛ばされるレオルの瞳に映ったのは。


「――――――――っ……かはっ……」


 帳を強引にこじ開けながら侵入してきた瘴気が、ルシルの身体を背後から貫いた光景。


「ルシル……? ルシルッ!」


「あは、は……まぁた、騙されて、る………………男の子って……ホント単純……」


「ルシル……! オレを、庇って……!」


「だから……違います、って……わたしは……そんな、お人好しじゃ……がふっ……!」


 ルシルの身体を貫いた瘴気は、そのまま知れぬ闇へとルシルの身体を引き込もうとしている。こじ開けられた帳の先にいたのはシャルロット。否。夜の魔女。


「どこまでも愚かですよ……アナタは…………本当に、愚かなひと……罪に塗れた、こんなわたしを……愛してるなんて………………やっぱり……『愛』はどこまでも愚かしい……」


 母が娘を、取り込もうとしている。


「まァ、でも……アナタの言葉を……無視、できなかった…………わたしも……十分に、愚か者ですね……ある意味では、お似合いですか……」


 ルシルが喰われていく。


「…………お母様の娘になって、長く生きてきたけど…………アナタと過ごした学園での日々は……けっこう、好きだったよ……」


 闇の中に、消えていく。


「………………………………レオル、くん……」


「ルシル――――――――!」


 慟哭の叫びは届くことなく。ルシルという一人の少女は、魔女の中へと喰われて消えた。


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