第98話 鳴神

「『鳴神なるかみ』!」


「全身に高密度の雷の魔力を纏う高位の強化魔法……本気ということか。君と分かり合えないのは残念だよ、ルーチェ」


「どの口が……!」


 風魔王パズズと告げられた『混沌指輪カオスリング』の力をまとったロレッタの姿は、最早あたしの知るものじゃない。背中に広がる四枚の翼も。獅子や蛇を思わせる衣をまとった姿も。何もかも。それなのに、ロレッタの顔も、振るう剣も、全てあたしの知るロレッタそのものだ。


「本当さ。その証拠に、私は今も君のことを親友だと思っている。分かり合えないとわかった今でもね」


 なのに……ああ、くそっ。分かりたくないのに分かってしまう。

 ロレッタは心の底からそう思っている。何の嘘も欺瞞もない。

 あたしの知るロレッタ・ガーランドと何一つ変わっていない。


「あたしの中にいた親友は、もういない! もう死んだ!」


 たぶんいなかったのかもしれない。あたしの親友であるロレッタ・ガーランドなんて少女は、最初から存在していなかったのかもしれない。

 それが苦しい。哀しい。どうしようもなく胸がしめつけられる。痛くて苦しい。声が枯れてしまうまで泣き叫びたいほどに。


「『万雷』!」


 泣き叫ぶ代わりに、あたしは手から雷の雨をぶん投げた。

 一つ一つの雷が、鋼鉄すらも灰にする火力と威力を備えている。だがロレッタはそんな雷の雨を涼しい顔をしながら躱してみせた。学生時代、独自に作り上げ、研磨したステップ。放課後になると二人で技を磨き合った。あれもその共に磨き合った技の一つだ。


「相も変わらず凄い迫力だ。『ゼウス』――――君が契約することに成功した最高位精霊。その身に宿した規格外の魔力の結晶。まさに君の才能そのもの」


 ロレッタは独自のステップを駆使し、雷の雨の中をすり抜けるようにして接近してくる。

 剣に纏ったのは瘴気の風。あたしは腕に雷をまといながらその刃を受け止める。


「攻防一体の雷も相変わらずか。……あぁ、ルーチェ。君は眩しいよ。本当に。輝く君は、本当に美しい」


 雷と風。交わる魔力を幾度もぶつけ合い、鍔競り合い――――こうしていると、どうしてもロレッタと共に鍛錬した日々が頭を過ぎる。

 どうして頭を過ぎるの。そんな記憶、思い出、今は邪魔でしかないのに。


「でもね。どれだけ輝こうと、どれだけ雷を纏おうと、最強の精霊を従えようと……君自身はただの人間だ」


「…………っ!?」


 がくん、と。あたしの身体は、突如として膝から崩れ落ちた。


「かっ……ぁ…………?」


 苦しい。呼吸いきが上手くできない。苦しい。痛くて、苦しい。


「かはっ……はぁっ……はぁっ……!」


 全身から力が抜けていく。身体が熱い。汗が滝のように流れ落ちていく。

 まるで風邪でもひいたみたいな寒気もして、徐々に脱力感や疲労感も重くなっていく。頭も痛い。吐き気もこみあげてくる。


 毒を盛られた? いや、仮に刃に毒が塗られてたとして、ロレッタの剣には掠りもしていない。全て雷で防いでいる。だとすれば魔法? あいつの攻撃は一撃も当たっていない。設置型の魔法を踏んだ覚えもない。だとすれば……。


「風、か……!」


「正解だ」


 地面に膝をついたあたしを見下ろしながら、ロレッタは学園で見せた時と同じように笑ってみせた。


「この風は病を運ぶ。たとえ直撃はしていなくとも、君は風に乗って運ばれた病を、十二分に肺に取り込んだ。それが私の『混沌指輪カオスリング』……『風魔王パズズ』の力」


「…………っ!」


 身体に纏った雷が弱々しく明滅を繰り返し、そして消えた。

 あたしの契約したゼウスは最強の精霊と言ってもいい。でもそれを操るあたしはただの人間。病に侵されてしまうような、ただの人間なのだと。ロレッタは、そう言いたかったのだろう。


「ふふっ……」


「なに、を……嬉……し……そう、に……!」


「嬉しいさ。これが喜ばずにいられるものか」


 ロレッタは優雅に片膝をつくとあたしの顎に指を添えて、強引に目線を合わせさせる。

 その眼は心の底からの喜びに満ち、染まっていた。


「あのね、ルーチェ。私もよく考えてみたんだ。私にとっての喜びとは何なのか。なぜ、他人の未来を奪うと嬉しいのか。なぜ、君の歪んだ顔を想うだけでこんなにも喜びを抱けるのか」


 簡単なことだった、とロレッタはどこか色気すら感じさせる笑顔のまま告げる。


「私はね。他人の不幸に喜びを感じる人間だったんだ」


「なん、ですって……?」


「うん。驚くほど平凡な理由だろう? でも、色々考えてみたんだけど、やっぱりこれが一番しっくりくる理由だった。君が誰かを見下す側だとすれば、私はただ見上げる側だ。見上げてばかりだとね、悔しいし、寂しいし、惨めになる。見上げた先にいる者が妬ましくなって、破滅を願うようになる。それって自然なことじゃないかな?」


「…………っ……」


「君は私を異常だと思っているようだけれど、私はそうは思わない。むしろ普通のことだよ。たとえば、莫大な富を持つ権力者がいたとしよう。その権力者が幸せであることに喜びを見出す庶民など、居たとしても一握り。殆どの人間は妬み、恨み、僻むだけ。だけど、もしその権力者が地位も名誉も富も、全てを失ったとしたら。そう言う時の大衆はね――――喜ぶんだよ。ざまぁみろ、ってね」


 ロレッタの言葉を否定することができなかった。

 喜び。その感情が、ただ善いことだけではないことは、理解できる。


「大衆は、他人の不幸を喜ぶ。それが権力者だったり、上位の者であればなおのことね。それと同じさ。夢を一方的に絶たれた私の傍に、同じく夢を絶たれた者が転がり落ちてくれると、たまらなく嬉しい。だから、他人の未来を奪ってやると嬉しくなるんだ。こういうの、なんていうのかな。他人の不幸は蜜の味?」


「だから、って…………誰か、の……不幸を……作り、だし、て……いいわけ、が、ない……!」


「そうかな? うーん、やっぱりこの辺りの考え方は合わないね。私からすれば君の方が異常だよ」


「なん、ですって……?」


「君は常に周りにいる人の幸福を願っているよね。自分の一番の夢は諦めてしまったくせに、他人が最善を掴むためなら全力を尽くす。……いやほんと、素晴らしいよ。でもね、やっぱり異常なんだよ。それは」


 こうして話している間にもどんどん体が重くなっていく。

 全身に回る熱。思考も徐々に乱れて、意識も遠ざりつつある。


「一番欲しいものは手に入らなかったが、それ以外は全部いただく? 誰かが幸せなら自分も幸せ? この戯言を聞いた時はね、私は心をかき乱されたよ! その時は分からなかったが、今なら分かる! 私が君に抱き続けてきたこの感情は――――殺意だ! この戯言を吐く女の全てをこの手で否定し、苦痛に歪ませ、殺してやりたいという衝動!」


「…………っ!」


「一番欲しいものが手に入らなくても平気でいられるのは、君が恵まれているからだ! 大勢の人間はね、自分が幸せだから幸せなんだ! 私もそうだ。一番欲しいものが欲しいんだ!」


 ルーチェの手があたしの首を捉えた。握る力は徐々に強くなり、喉を圧迫していく。


「ねぇ、ルーチェ。苦しいかい? 地べたに転がって、こうして見上げることしかできないのは、とても苦しいだろう? それが私の感じていた苦しみだよ。あんなクズみたいな父親の下に生まれて、ずっとずっと抱いていた苦しみだ。一番大切なものを掴めなくても生きていけるような、恵まれた君には一生理解できないものだ」


「かっ……くっ……!」


「最期に教えてあげるよルーチェ。喜びというのはね、他人の不幸を貪って生まれるものだ。暗くて、深くて、どす黒いものだ! それこそが真の喜びだ!」


 意識が遠のいていく最中、心の底からの喜びに塗れた笑い声だけが聞こえてくる。


嗚呼ああ、ずっとずっとこうしたかった! 幸せそうな君の全てを否定して、君をこの手で殺してやりたかった! ついにそれが叶うんだ! 実に喜ばしい!」


 ……あぁ、そっか。これがロレッタの本音なんだ。

 今、ここで見たこと聞いたこと。全部、あたしの知ってるロレッタの顔で話してた。


 お昼休みにご飯を食べている時みたいに。

 技や魔法について意見を交わしてた時みたいに。

 休みの日にケーキの店でお喋りしてる時みたいに。


 その時と同じ顔で、口で、あたしを殺せることが嬉しいって、言ってる。


「さようなら、恵まれた異常者!」


 何も変わっていない。変貌していない。だから、これは……ずっと前から、あたしと一緒にいた時から感じていたこと。思っていたこと――――本音なんだ。


「…………なる、かみ……!」


「ぐっ!?」


 気力を振り絞って発動した魔法。発した雷に弾かれ、ロレッタの手が解ける。

 圧迫されていた喉が解き放たれ、肺が空気を貪り始めた。


「げほっ、がはっ……かはぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」


「……っ! まだ『鳴神』を出せるだけの力が残っていたとはね。けど、君の身体は病に侵されきっている。今更、強化魔法ではどうにもならないよ」


 あたしを警戒したのか、ロレッタは剣から大量の瘴気の風を生み出した。

 病を齎す死の風は瞬く間に部屋中に満ち、逃げ場の一切を蹂躙する。


「君が最強の精霊を従えようと、規格外の魔力を持とうと、最後の力を振り絞ろうと! 所詮は脆弱な人間だ! この病に抗えはしない!」


 ロレッタが出して見せたこの瘴気の風は、言うなれば致死量の猛毒だ。

 ただの人間なら、一息吸い込んだだけで死に至るほどの。


「ははははははははははははははっ!」


 こうして黙って突っ立っているだけでも、あたしの中には大量の病める風が入り込んでくる。人間にとって呼吸とは止められるものではないのだから。


「ははは、は…………」


 笑い声が、止んだ。


「…………なぜだ」


 瘴気の病める風で包まれた闇の中でも、向こうはあたしのことが見えるらしい。


「なぜ、君はまだ生きている……!」


「…………なんでだと思う?」


「ふざけるな! 普通の人間なら、とっくに――――!」


「そうね。普通の人間なら、とっくに死んでるかもね」


 でも現に、あたしも、ロレッタも、まだ立っている。


「今のあたしは、普通の人間じゃない」


「なんだと?」


 ロレッタはあたしの言葉に眉を顰めるが、すぐにその答えに辿り着いた。


「……なるほど。先ほど発動した『鳴神なるかみ』か。あれは強化魔法の一種。身体を強化することで、病に対する抵抗を強化した。しかし無意味だ。そんなものは時間稼ぎにしか――――」


「違う」


 だけどその答えは、とんだ見当違いだ。


「さっき発動したのは『鳴神なるかみ』じゃなくて――――『成神なるかみ』。『神』に『成』る魔法よ」

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