第98話 鳴神
「『
「全身に高密度の雷の魔力を纏う高位の強化魔法……本気ということか。君と分かり合えないのは残念だよ、ルーチェ」
「どの口が……!」
「本当さ。その証拠に、私は今も君のことを親友だと思っている。分かり合えないとわかった今でもね」
なのに……ああ、くそっ。分かりたくないのに分かってしまう。
ロレッタは心の底からそう思っている。何の嘘も欺瞞もない。
あたしの知るロレッタ・ガーランドと何一つ変わっていない。
「あたしの中にいた親友は、もういない! もう死んだ!」
たぶんいなかったのかもしれない。あたしの親友であるロレッタ・ガーランドなんて少女は、最初から存在していなかったのかもしれない。
それが苦しい。哀しい。どうしようもなく胸がしめつけられる。痛くて苦しい。声が枯れてしまうまで泣き叫びたいほどに。
「『万雷』!」
泣き叫ぶ代わりに、あたしは手から雷の雨をぶん投げた。
一つ一つの雷が、鋼鉄すらも灰にする火力と威力を備えている。だがロレッタはそんな雷の雨を涼しい顔をしながら躱してみせた。学生時代、独自に作り上げ、研磨したステップ。放課後になると二人で技を磨き合った。あれもその共に磨き合った技の一つだ。
「相も変わらず凄い迫力だ。『ゼウス』――――君が契約することに成功した最高位精霊。その身に宿した規格外の魔力の結晶。まさに君の才能そのもの」
ロレッタは独自のステップを駆使し、雷の雨の中をすり抜けるようにして接近してくる。
剣に纏ったのは瘴気の風。あたしは腕に雷をまといながらその刃を受け止める。
「攻防一体の雷も相変わらずか。……あぁ、ルーチェ。君は眩しいよ。本当に。輝く君は、本当に美しい」
雷と風。交わる魔力を幾度もぶつけ合い、鍔競り合い――――こうしていると、どうしてもロレッタと共に鍛錬した日々が頭を過ぎる。
どうして頭を過ぎるの。そんな記憶、思い出、今は邪魔でしかないのに。
「でもね。どれだけ輝こうと、どれだけ雷を纏おうと、最強の精霊を従えようと……君自身はただの人間だ」
「…………っ!?」
がくん、と。あたしの身体は、突如として膝から崩れ落ちた。
「かっ……ぁ…………?」
苦しい。
「かはっ……はぁっ……はぁっ……!」
全身から力が抜けていく。身体が熱い。汗が滝のように流れ落ちていく。
まるで風邪でもひいたみたいな寒気もして、徐々に脱力感や疲労感も重くなっていく。頭も痛い。吐き気もこみあげてくる。
毒を盛られた? いや、仮に刃に毒が塗られてたとして、ロレッタの剣には掠りもしていない。全て雷で防いでいる。だとすれば魔法? あいつの攻撃は一撃も当たっていない。設置型の魔法を踏んだ覚えもない。だとすれば……。
「風、か……!」
「正解だ」
地面に膝をついたあたしを見下ろしながら、ロレッタは学園で見せた時と同じように笑ってみせた。
「この風は病を運ぶ。たとえ直撃はしていなくとも、君は風に乗って運ばれた病を、十二分に肺に取り込んだ。それが私の『
「…………っ!」
身体に纏った雷が弱々しく明滅を繰り返し、そして消えた。
あたしの契約したゼウスは最強の精霊と言ってもいい。でもそれを操るあたしはただの人間。病に侵されてしまうような、ただの人間なのだと。ロレッタは、そう言いたかったのだろう。
「ふふっ……」
「なに、を……嬉……し……そう、に……!」
「嬉しいさ。これが喜ばずにいられるものか」
ロレッタは優雅に片膝をつくとあたしの顎に指を添えて、強引に目線を合わせさせる。
その眼は心の底からの喜びに満ち、染まっていた。
「あのね、ルーチェ。私もよく考えてみたんだ。私にとっての喜びとは何なのか。なぜ、他人の未来を奪うと嬉しいのか。なぜ、君の歪んだ顔を想うだけでこんなにも喜びを抱けるのか」
簡単なことだった、とロレッタはどこか色気すら感じさせる笑顔のまま告げる。
「私はね。他人の不幸に喜びを感じる人間だったんだ」
「なん、ですって……?」
「うん。驚くほど平凡な理由だろう? でも、色々考えてみたんだけど、やっぱりこれが一番しっくりくる理由だった。君が誰かを見下す側だとすれば、私はただ見上げる側だ。見上げてばかりだとね、悔しいし、寂しいし、惨めになる。見上げた先にいる者が妬ましくなって、破滅を願うようになる。それって自然なことじゃないかな?」
「…………っ……」
「君は私を異常だと思っているようだけれど、私はそうは思わない。むしろ普通のことだよ。たとえば、莫大な富を持つ権力者がいたとしよう。その権力者が幸せであることに喜びを見出す庶民など、居たとしても一握り。殆どの人間は妬み、恨み、僻むだけ。だけど、もしその権力者が地位も名誉も富も、全てを失ったとしたら。そう言う時の大衆はね――――喜ぶんだよ。ざまぁみろ、ってね」
ロレッタの言葉を否定することができなかった。
喜び。その感情が、ただ善いことだけではないことは、理解できる。
「大衆は、他人の不幸を喜ぶ。それが権力者だったり、上位の者であればなおのことね。それと同じさ。夢を一方的に絶たれた私の傍に、同じく夢を絶たれた者が転がり落ちてくれると、たまらなく嬉しい。だから、他人の未来を奪ってやると嬉しくなるんだ。こういうの、なんていうのかな。他人の不幸は蜜の味?」
「だから、って…………誰か、の……不幸を……作り、だし、て……いいわけ、が、ない……!」
「そうかな? うーん、やっぱりこの辺りの考え方は合わないね。私からすれば君の方が異常だよ」
「なん、ですって……?」
「君は常に周りにいる人の幸福を願っているよね。自分の一番の夢は諦めてしまったくせに、他人が最善を掴むためなら全力を尽くす。……いやほんと、素晴らしいよ。でもね、やっぱり異常なんだよ。それは」
こうして話している間にもどんどん体が重くなっていく。
全身に回る熱。思考も徐々に乱れて、意識も遠ざりつつある。
「一番欲しいものは手に入らなかったが、それ以外は全部いただく? 誰かが幸せなら自分も幸せ? この戯言を聞いた時はね、私は心をかき乱されたよ! その時は分からなかったが、今なら分かる! 私が君に抱き続けてきたこの感情は――――殺意だ! この戯言を吐く女の全てをこの手で否定し、苦痛に歪ませ、殺してやりたいという衝動!」
「…………っ!」
「一番欲しいものが手に入らなくても平気でいられるのは、君が恵まれているからだ! 大勢の人間はね、自分が幸せだから幸せなんだ! 私もそうだ。一番欲しいものが欲しいんだ!」
ルーチェの手があたしの首を捉えた。握る力は徐々に強くなり、喉を圧迫していく。
「ねぇ、ルーチェ。苦しいかい? 地べたに転がって、こうして見上げることしかできないのは、とても苦しいだろう? それが私の感じていた苦しみだよ。あんなクズみたいな父親の下に生まれて、ずっとずっと抱いていた苦しみだ。一番大切なものを掴めなくても生きていけるような、恵まれた君には一生理解できないものだ」
「かっ……くっ……!」
「最期に教えてあげるよルーチェ。喜びというのはね、他人の不幸を貪って生まれるものだ。暗くて、深くて、どす黒いものだ! それこそが真の喜びだ!」
意識が遠のいていく最中、心の底からの喜びに塗れた笑い声だけが聞こえてくる。
「
……あぁ、そっか。これがロレッタの本音なんだ。
今、ここで見たこと聞いたこと。全部、あたしの知ってるロレッタの顔で話してた。
お昼休みにご飯を食べている時みたいに。
技や魔法について意見を交わしてた時みたいに。
休みの日にケーキの店でお喋りしてる時みたいに。
その時と同じ顔で、口で、あたしを殺せることが嬉しいって、言ってる。
「さようなら、恵まれた異常者!」
何も変わっていない。変貌していない。だから、これは……ずっと前から、あたしと一緒にいた時から感じていたこと。思っていたこと――――本音なんだ。
「…………なる、かみ……!」
「ぐっ!?」
気力を振り絞って発動した魔法。発した雷に弾かれ、ロレッタの手が解ける。
圧迫されていた喉が解き放たれ、肺が空気を貪り始めた。
「げほっ、がはっ……かはぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
「……っ! まだ『鳴神』を出せるだけの力が残っていたとはね。けど、君の身体は病に侵されきっている。今更、強化魔法ではどうにもならないよ」
あたしを警戒したのか、ロレッタは剣から大量の瘴気の風を生み出した。
病を齎す死の風は瞬く間に部屋中に満ち、逃げ場の一切を蹂躙する。
「君が最強の精霊を従えようと、規格外の魔力を持とうと、最後の力を振り絞ろうと! 所詮は脆弱な人間だ! この病に抗えはしない!」
ロレッタが出して見せたこの瘴気の風は、言うなれば致死量の猛毒だ。
ただの人間なら、一息吸い込んだだけで死に至るほどの。
「ははははははははははははははっ!」
こうして黙って突っ立っているだけでも、あたしの中には大量の病める風が入り込んでくる。人間にとって呼吸とは止められるものではないのだから。
「ははは、は…………」
笑い声が、止んだ。
「…………なぜだ」
瘴気の病める風で包まれた闇の中でも、向こうはあたしのことが見えるらしい。
「なぜ、君はまだ生きている……!」
「…………なんでだと思う?」
「ふざけるな! 普通の人間なら、とっくに――――!」
「そうね。普通の人間なら、とっくに死んでるかもね」
でも現に、あたしも、ロレッタも、まだ立っている。
「今のあたしは、普通の人間じゃない」
「なんだと?」
ロレッタはあたしの言葉に眉を顰めるが、すぐにその答えに辿り着いた。
「……なるほど。先ほど発動した『
「違う」
だけどその答えは、とんだ見当違いだ。
「さっき発動したのは『
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