第61話 救われぬ正しさ
結果的にはルシルからもたらされた情報で、浄化作業の障害となりうるシミオンを排除することには成功した。
シミオンに関しては問いたださねばならない点がいくつもあるが、本格的な取り調べは浄化作業を終えてからになるだろう。
……問題は。
「今度は別の問題が出てきたってこと、だな……」
モーガン、ルシル、そしてあの兜の女。
浄化作業を妨害してくることは、ほぼ確実だろう。しかもその強さは侮れない。対抗戦力として数えられるのは、『
単純計算で三対二。しかもモーガンが持つ『
浄化作業を明日に控えている段階で、俺たちは圧倒的不利な立場に居ることが分かってしまった。
(せめてルチ姉がいてくれたら、数の上では三対三なんだが……)
そのルチ姉は夜になっても姿を現さない。何かあったと考えるのが自然だが……足取りを掴むための手がかりがない。
「アルフレッド様」
考えに耽っている俺のもとに、黒いフードを被り、仮面をつけた男が音もなく現れた。王都から連れてきた『影』の一人、ロスという。『影』の中ではマキナに並ぶほどの古株だ。
「ルチ姉の足取りは掴めたか」
「……申し訳ありません。収穫はありませんでした」
「お前らでも掴めないとなると、ルチ姉自身が意図的に痕跡を消してるな」
「そのようです」
「ルチ姉に本気を出して隠密行動なんかされたら、お手上げだな。俺はあの人に、一回もかくれんぼで勝てたことがない」
だが、これで一つ分かったことがある。
ルチ姉が単独で隠密行動をしたということは、何らかの情報を掴んだということだ。
元から単独行動する予定ではあったし、俺たちに出来ることは無事を祈るぐらいか。……ルチ姉がそう簡単にくたばるとも思えないしな。
「それと一つだけ、ご報告させていただきたいことがございます」
「話せ」
「は。昼間、アルフレッド様たちが潜入した地下工房の付近に、もう一つ似た地下工房があることが確認されました」
「やっぱりあったか」
俺たちが見た地下工房だけでは、『
「その施設については調べたのか」
「どうやら何者かの手によって爆破されたようで、瓦礫の下に埋もれている状況です。あの中から手がかりを探し出すには時間がかかることでしょう」
「明日の浄化作業に間に合わせるのは無理そうだな」
そこまで期待していたわけじゃないが、掘り出し物はなさそうだな。
(……となると。鍵は連携か)
確実な戦力として数えられるのが俺と氷結の王子様しかいない以上、協力して戦わなければ勝ち目はない。バラバラに戦った結果が今日だ。繰り返したところで上手くいくとは思えないのだが……。
「……ノエルの婚約者とネネルの両親についての情報は」
「こちらに」
「さすが。仕事が早い」
頼んだのは昼間なのに、夜にはもう上げてくれるとは我が部下ながら優秀だ。
ロスが調べておいてくれた資料に目を通してみると、あのルシルの言ったことは概ね真実のようだ。事実、ノエルの婚約者は『ラグメント』に襲われて消息不明となったことが記されている。
そしてネネルの方も、可能な範囲で調査してもらった結果、あの幻術で見せられた光景は事実である可能性が高いことが示唆されている。
「主よ。質問をお許しください」
「許す」
「今回の裏付けになぜ私を使われたのでしょうか。この手の仕事は今やマキナの方が長けていましょう。時間を惜しむ状況であるならなおさらです」
「……痛いとこを突いてくるな」
王宮に引き取られ、当時まだ幼かったマキナに諜報活動や戦闘技術などを叩き込んだのはこのロスだ。言うなればマキナの師匠であり……親代わりみたいなものだ。
だからこそ、感じ取っている部分があったのだろう。いや、むしろ何らかの確信を得ているのかもしれない。
「この領地に来てから……いや。ネネルとの一件があった頃ぐらいからかな。マキナの様子が少しおかしいんだよ。シャルとかにはまだ普通に接してるのに、俺の前だと無理に笑ってる感じがするっつーか……」
「……なるほど。限界がきましたか」
「心当たりがあるのか」
「……アルフレッド様」
「なんだ、言ってみろ」
俺はロスに言葉を促しつつ、喉を潤すために紅茶に口をつけて――――
「側室をとる気はありますか?」
「ぶぼっ!!???」
盛大にリバースした。
「げほっ、ごほっ……! ばっ、おまっ……急になに言ってんだ!?」
「申し訳ありません。我が主には刺激の強すぎる質問でしたか。忘れてください」
「てめぇマジで容赦ねぇな……!」
「何を今更」
仮面をつけているが故に表情は定かではないが、口元に笑みを浮かべていることだけは分かる。マキナに並ぶほどの古株ということは、それだけ長い間、俺に仕えてくれているということだ。それこそ『影』の中では、かなり気心の知れた相手といえる。
「あのマキナの面倒を見たのは私ですよ」
「おかげで、とんでもメイドに育ちやがったけどな」
記憶がなく、身元も分からないマキナの親代わりとして面倒を見ていたのがロスだ。
今のとんでもメイドっぷりに影響を与えたのは間違いない。
「マキナとは私が話してみます」
「……ま、そうだな。ここはお前に任せるわ」
何となくだが、今は俺が行っても逆効果な気がする。
「マキナの本心としては、むしろ…………いえ。なんでもありません」
それだけを言い残し、ロスはまた闇へと消えた。
今や『影』が得意としている音もなく移動するこの技術は、元々ロスが会得していたものを『影』のメンバーに広めたものだ。それだけに注視していても気を抜けば俺でも見失ってしまいそうになる。流石の熟練度と言わざるを得ない。
「…………」
椅子に深く腰掛け、瞼を閉じる。
ノエル。
ネネル。
マキナ。
……この三人に限った話じゃないが、あのルシルがきっかけでこっちは随分とかき乱されている。王都の時のように『ラグメント』をばら撒かれているわけじゃない。その方がよほど分かりやすいが、そうじゃない。
肉体的な傷じゃなく、あいつが狙っているのはもっと内面的なもの……そう。人間の『心』とでも言うべきか。
あいつは人間の心を踊るように弄んでいる。その方が随分としっくりとくる。
レオ兄の件にしてもそうだ。幻術を使うことのできる仲間がいるなら、それを使うのが手っ取り早い。……いや。レオ兄はそういった類に対する耐性があったというのもあるが、それでもレオ兄以外の人間を騙すなら幻術でも使った方が早いのは確かだ。
しかし、あいつはわざわざ変装までして周囲を欺いた。その心を掌の上で転がしていた。
何より……こういうのは癪だが、人を良く見ている。人間が持つ心というものを賛美し、脅威と認め、だからこそ熟知している。そんな気がする。
「心、か……」
まだ完全に理解したわけじゃない。むしろ分からないことの方が多い。
だけど……『心』というものが、あの悪魔の女がどういう存在なのかを紐解くヒントになっている気がする。
「……ん?」
ふと、窓の外に目をやると、暗闇の中で何かが動いているのが見えた。
振るわれる木剣の軌跡。どこか覚えのある動作で黙々と剣を振るい続ける少女の姿。
「シャル……」
明日には浄化作業を控えている。休息をとってほしいというのが正直なところだけれど、それ以上に懸命に剣を振るう姿をいつまでも見つめていたいという気持ちもある。
あんな風にひたむきに、正しく努力を重ねられる姿が愛おしい。
……俺にはできなかったことだ。
真っ当な鍛錬をしている暇なんてなかった。レオ兄を王様にするため、影に徹するためにも力が欲しかった。だからひたすらに実戦を重ねた。経験を積んだ。強くなるために無茶も随分とした。死にかけたこともあった。あまり褒められたような方法でもなかった。
シャルのように正しく努力をしている姿は、きっと人々を励まし、勇気を与えることが出来るものだ。
俺のやり方なんてとてもお見せできるものじゃない。それこそ教育に悪いってもんだ。
「……差し入れでも持って行くか」
☆
生暖かくも湿ったような夜の匂いが漂う中、整えられた花々は屋敷の喧騒など知らずに凛然と咲き誇っている。雨風に晒されてもなお美しく咲き誇るその在り方に、少し羨ましいとさえ感じてしまうのは、やっぱり昼間の件が私の中でこびり付いていることを嫌でも思い知らされた。
「…………っ!」
握った木剣を振る。月明かりの下で描かれる軌跡はイメージより遅れていて、それが今の私の実力を示している。
「もっと……もっと、早く……!」
アルくんはもっと速い。速くて、力強くて、柔軟で。
私なんかよりも――――強い。
――――弱いですねぇ、シャルロットさんは。
ルシルさんの言葉はまるで茨のようだった。私の心に蛇のように絡みついて、棘が深々と食い込んで離さず、更には締め付けてくる。
――――弱い弱いお姫様。誰かに護ってもらわなくちゃ生きていけない、囚われが似合うお姫様。しくしく泣いて助けを乞うて、王子様が来てくれるのを待つことしか出来ない、哀れでか弱いお姫様。それがアナタですよ、シャルロットさん。
弱い。
私は、弱い。
ルシルさんに手も足も出なかった。地下工房での戦いだって、何もできなかった。……いや、違う。仮に私が何かしても足手まといになることだけは分かっていた。巨大『ラグメント』相手に振り絞った力をあの場で出せたとしても、ルシルさんたちに届かないことが頭で分かってしまった。
強くなってみせると言った。
今でもその思いに変わりはないけれど……でも。こうして剣を振っていても、まったく強くなれるイメージが湧いてこない。
どうすれば強くなれるのだろう。どうすれば今よりも強い力を手に入れることが出来るのだろう。
私よりもずっと前を往く彼と――――肩を並べることが出来るのだろう。
「随分と熱心だね、シャルロットさん」
「…………っ!」
透き通るような声をかけられ、剣を振るう腕が止まる。
「ロレッタさん……」
「鍛錬は感心するが、明日は浄化作業が控えている。今日のところはその辺りで切り上げてもいいんじゃないかな?」
「……そうですね。すみません」
「どうしたんだ? 何か焦っているように見えるけれど」
「…………」
自分の中にある焦りを見抜かれて思わず息が詰まり、返す言葉が浮かばない。
ただそんな私に対してロレッタさんは何も言わず、黙って待ってくれていた。そんな気遣いをさせてしまう自分の未熟さと至らなさが情けない。
「私は何もできませんでした。アルくんがルシルさんと戦ってる間、何も…………」
「だから、強くなるために鍛錬を?」
「……はい」
「それは随分と可愛らしいことをしているね」
自分でも幼稚なことをしていると思う。
ここで一晩剣を振ったところで強くなれるわけがないのに。でも、ただじっとしていることが出来なくて。少しでもこの無力感を振り払いたかった。
「……ロレッタさんは、どうやって強くなったんですか?」
その言葉は自然と口から出ていた。高みへと目指すとか、己の腕を磨くためとか、そんな立派な理由ではない。足元に縋りつくような、簡単で都合の良い答えを求めているような、そんな浅ましい考えのものでしかない。
「…………っ! すみません、私……!」
つい口をついて出てきたのは謝罪の言葉だ。
ロレッタさんはもう剣士としての道を絶たれている。強さを奪われた人に対し、私は既に失われた強さを問うた。
残酷で、自分勝手で、身勝手で。
謝罪だってただの自己満足でしかない。自分で自分が恥ずかしくなってきて、言葉すら出てこなくなった私は、もうロレッタさんの顔もまともに見ることが出来ず、ただ黙って俯くことしか出来なくなった。
「喜びだよ」
暗闇に溶け込んだ地面に視線を落としていると、優しい声が返ってきた。
「私は剣を振るっていた頃。常に『喜び』を胸に抱き、糧としていた」
「喜び……?」
「剣を振るう速度が上がった時。技に磨きがかかった時。確かな手応えを得た時。強者を打ち倒した時。……そんな『喜び』の積み重ねが、私の足を前に進ませてくれた」
「……素敵な考え方ですね」
「そうでもない。無理やりにでも喜びを見出すことが出来ないと、この家での暮らしに耐えられなかった。それだけのことさ」
どこか自虐的な笑みを零しながら、ロレッタさんは聳え立つガーランド家の屋敷へと視線を送る。
「私にとって一番の喜びは……学園を卒業した後、騎士団に入ること『だった』。それも、もはや叶うことはないけどね」
右腕に手を添える彼女の仕草に胸が痛む。理解を得られなかった環境の最中でも、喜びを糧に前へと進んできた彼女にとって、それはどれだけ大きな喪失か。
私なんかではとても理解することなどできない。理解しようとすることすら烏滸がましく、同時にこのロレッタさんを前に残酷な質問をしてしまった自分を改めて恥じた。
「……思っていたような方法じゃなくて、ガッカリしたかな?」
「……そんなことは」
「ない、と言い切れるのかい? 本当に?」
ロレッタさんの指摘に対して次の言葉が出てこない。喉に鉛を詰められて、せき止められているような。
「君は善い子だね。シャルロット嬢」
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味さ。君は善い子だから、きっとこう思っている――――『正しい方法で強くならなければいけない』。『間違った手段で短期的に強くなることはいけないことだ』と」
「それは……だって、そうでしょう?」
ふと、頭の中を過ぎったのは昼間のルシルさんとの一件。
彼女が私に差し伸べた手。今にも指にはめられようとしていた禍々しい闇の
「間違った方法で手に入れた力が正しいものだとは思えません」
「確かに、正しい道を歩んで強くなれるのならそれが一番だとも。だが、その正しい道を歩んできた君は今、結果として無力感に苛まれている」
「それは…………」
何も言い返せない。現に私はアルくんの足を引っ張っている。
「……では、間違った方法に頼ればいいと?」
「そもそも君は誤解しているよ。強くなるための方法に、正しいも間違いもない。君はあまりにも『正しさ』に囚われている」
「…………っ……」
正しさに囚われている。
その一言は、私の胸に深々と突き刺さった。
「君はその『正しさ』を盲目的に信じた結果、ルシルに嵌められ、欺かれ、絶望の奈落へと墜ちた。君が信じていた『正しさ』とやらは君を救わなかった。……君を救ったのは、忌み嫌われている邪道の存在だ」
「アルくん……」
「レオル様や君を王道とするなら、彼はまさに邪道と言えるだろう。そんな彼が手に入れた実践的な強さはレオル様を凌駕し、王都での事件においても活躍し、多くの人々を救った。……ただ真面目に正しく鍛錬して得た強さでは、この結果はあり得なかった」
「…………」
あの王都の事件の最中でまともに戦えていたのはアルくんと、その部下であるマキナさんを含んだ『影』の人々だけだ。私は自分の命を使っても、結局は届かなかった。
アルくんが全ての『ラグメント』を倒し切った。私は力尽きているだけだった。
正しい努力なんて王都の事件でも、地下工房での戦いも……何の役にも立たなかった。
「私は……どうすればいいんでしょうか。どうすれば、アルくんと肩を並べることが出来るのでしょうか」
私がなりたいのは、守ってもらうだけのか弱いお姫様なんかじゃない。
私がなりたいのは、アルくんと一緒に戦えるだけの力を持った人だ。
「そうだね……私が思うに、君には足りないものがある」
「……足りないもの?」
「心だよ」
ロレッタさんの言葉がイマイチ掴み切れない。そんな私の反応を予見していたのか、彼女は更に言葉を続けた。
「君は『正しさ』に囚われるあまり、自分の心を抑え込む癖がある。それが君の力を阻害しているんだ」
「心……」
自然と胸に手を当てる。心という不確かなもの。だけど確かに、私の中に在るもの。それが、私の強さを阻害していた……?
「君には心が足りていない。どんな手を使ってでも強くなるという強さへの欲望が。力への渇望が」
「…………っ……」
「私が『喜び』を糧に強くなったと語った時、君は落胆した。……本当は思ったはずだ。『心構え一つで強くなれるわけがない』。『そんなものより力を得る方法を教えてほしい』と」
「そんな……私は…………」
「いいんだ。それでいい。恥じることはない。その欲望こそが君を強くする」
「欲望……望み……それが、強さに繋がる?」
「そうさ。人間には『心』という素晴らしい力がある。心の力こそ、人間が持つ最大の武器だ。それを押さえつけたところで、強くなれるはずがない」
「…………」
私が信じてきた『正しさ』。それが逆に、私を押さえつけていた?
それが本当なら……私は……。
「…………『正しさ』を捨てたら、私も強くなれますか?」
「自分の心をどこまで解き放てるか。それ次第だろうね」
「自分の心を、解き放つ……」
強くなりたい。強さが欲しい。アルくんと一緒に肩を並べられるだけの強さが欲しい。アルくんを独りにしたくない。そのために必要なら、私は……。
「私から言えることはそれだけだ。あとは君が、君の自身の『喜び』を掴めることを祈っているよ」
――――――――――――――――――――――――――――
2月17日(木)に発売する書籍版の特典情報となります!!
アニメイトさま
「メイドの少女は夜に想う」
ゲーマーズさま
「ご令嬢は夜明けに想う」
メロンブックスさま
「ご令嬢、婚約者を学ぶ」
TSUTAYAさま
「メイドは全てお見通し」
タイトルでだいたいわかると思いますが、基本的にはシャルとマキナ関連のお話です。
電撃の新文芸のツイッターアカウントではキャラデザや口絵など諸々が公開されておりますので、是非ご覧ください!
https://twitter.com/D_shinbungei/status/1486910902578286594
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます