第52話 誘惑

 ガーランド領は聖女クローディアの故郷というだけあって、国内外問わず多くの者が観光に訪れている。観光資源としてはレイユエール王国としても随一の価値を誇っており、それだけ夜の魔女を打ち倒したパーティーが神聖視されているという証拠だ。中でも聖女クローディアは『火炙りにされても生き返った』、『実は人間のフリをした精霊だった』、などなど。そういった胡散臭い……じゃなくて、神秘的な逸話も多い。それ故に信仰者ファンも多いのだが。


 今、俺たちがいるのは、そのガーランド領にある街だ。流石に王都ほどの規模ではないものの、田舎というほどでもない。外の牧歌的な風景と溶け合うような街並みが広がっている。


「聖女様はこの街でお育ちになられたんですね」


 マキナにせっつかれる形で誘ったシャルは、あちこち忙しなく視線を動かしては目をキラキラと輝かせている。


「見てください、アルくん。あそこに聖女様の像がありますよ」


 シャルが指を向けた先には聖女を象った像が聳え立っている。

 聖女様とやらに対する信仰心も尊敬もない俺にはただの物言わぬ石の塊にしか見えないのだが、シャルにとっては違うらしい。


「ほら、早く早くっ」


「ちょっ……」


 興奮したようにシャルは俺の手を握ってそのまま像の前まで引っ張っていく。


「これが本物の……! 前からこの像を一目見たいと思ってたんです」


「そうだったのか?」


「はいっ。だって、このガーランド領の像は当時現存していた聖女様に関する肖像画をもとにして造られたものなんです。今ではその肖像画も失われてしまっているので、これが聖女様のお顔が分かる唯一の資料でもあるらしいんです。……あ、それにそれに、この像はドワーフ族の名だたる職人たちの手によって造られたものなので芸術品としても高く評価されていてっ」


「へ、へぇー。ためになるー」


 どうやらよっぽど来たかったらしく、シャルが止まらない。

 俺なんかシャルが今喋っていたことの一割も知らなかったぐらいだ。

 というか、なんだろう。これでは婚約者同士の会話というよりも教師と生徒みたいだ。…………教師姿のシャルか。それはそれで……。


「アルくん?」


「いや。なんでもないですシャル先生」


「???」


 危なかった。もう少しで勤勉な生徒にジョブチェンジしてしまうところだった。脳内でだけど。


「ま、浮かれるのもいいけどさ。はしゃいでるうちに胡散臭いもんを売りつけられないように気をつけろよ? こういう観光地にはカモを狙って目を光らせてる連中もいるんだからな」


「ふふっ。アルくんは心配性ですね。大丈夫ですよ」


 お人よしが過ぎる場面もあって心配していたが、今回ばかりは大丈夫そうだ。

 ここは少し様子を見守ってみよう。あんまり隣でぐちぐち注意ばかりしていても、シャルが楽しめないだろうからな。


「オジョウサン、オジョウサン。聖女様のありがたい加護が宿った聖女様人形はいかがデスカ?」


「えっ、聖女様ご本人の加護が宿ってるんですか!?」


「モチロンデース! しかも今なら特別に、この聖女様ウォーターや聖女様ストーンがついて、たったの金貨五十枚デース! HAHAHA!」


「聖女様の加護が宿ったグッズだと考えると、破格のお値段ですねっ!」


「…………………………………………」


 目をキラキラと輝かせるシャルを露店の前から引っぺがしながら、なぜか頭の中に『即落ち』という言葉が浮かんでしまった。


「はぁ……シャルがそこまで聖女様のことが好きだとは知らなかったな」


「好きというより、尊敬しているんです。……今回の遠征に備えてガーランド領について調べていくうちに、聖女クローディア様のことが気になっていったんです。それで、聖女様についての資料にも目を通すようになって……」


 語りながら、シャルは聖女クローディアの像へと視線を注ぐ。

 その瞳にはまるで導を見るような尊敬の念が込められていて。


「聖女様は生まれつき、精霊の力を引き出すことが出来る特別な力がありました。ですが当時の人々は彼女の特異な力を恐れ、魔女だと蔑み、ついには火にかけた……絶望的な状況に陥っても諦めず、抗い、最後には人々の理解を勝ち取ったんです。このガーランド領が一度壊滅的な被害を受けても、率先して復興の指揮をとりました。……そんな聖女クローディア様の持つ『強さ』を、私は尊敬しているんです」


「俺もガーランド領に関する資料は目を通してるけど、聖女についての記述までは漁らなかったしな……相変わらずシャルは凄いな。勉強熱心で」


 何気なく讃えた俺の言葉に、シャルは力なく首を横に振る。


「凄くなんかありません。……聖女様と違って、私にはこれぐらいのことしか出来ませんから」


「これぐらいって……」


「私はいつもアルくんに助けられてばかりです。婚約破棄の時だって、王都での戦いの時だって……いつも私は助けられてばかりで」


「王都での戦いだって、シャルがみんなを率いて戦ったから、あの程度の被害で済んだんだろ?」


「でも最後にはアルくんに助けられてしまいました。……私に力がなくて、弱いままだから……。でも、聖女様のように強い……何者にも屈することのない力があれば……私も……」


 聖女様の像を見上げるシャル。その言葉に、声に、瞳に。どことなく言葉では言い表せないような不安を感じてしまう。どこかに行ってしまいそうになるシャルを引き留めたくて、俺は思わず彼女の肩を掴んだ。


「ひゃっ。あ、アルくん?」


「あんまり思い悩むな。シャルは自分に出来ることをすればいいんだよ。今回の公務だって、シャルがいなきゃ俺は関わることすら出来なかったんだ。……少なくとも、俺はレオ兄やルチ姉たちみたいに浄化なんて出来ないわけだし……」


 ダメだ。なんか、良い感じの励ましの言葉が出てこない。

 こういう時レオ兄なら何て言うんだろう。ルチ姉がいたら、「もっと気の利いたことは言えないの?」とか怒られそうだ。

 まさか影に徹してきた代償がこんなところに現れようとは……!


「――――っ……」


「…………シャル?」


 言葉に詰まっていると、不思議とシャルが固まっていることに気づいた。


「どうした? 顔が赤いぞ。熱があるなら、すぐ屋敷に戻って――――……」


「ち、違うんですっ。えっと…………」


 シャルは少し躊躇うようなそぶりを見せつつも、上目遣いになりながら俺に視線を合わせた。


「…………こ、公共の場ですし……他の方々も見てますし……えっと、私にも心の準備というものが……」


「心の準備……?」


 ふと、冷静になった俺は客観的に自分の姿を考えてみる。

 シャルの肩を掴んで、今にも迫るような姿勢で…………なんか、今にも口づけを迫ろうとしているようにも……見えなくもないような……。


「で、でも……アルくんが望むなら、私もがんばりますっ……!」


「がんばらなくていいっ! あ、いや、したくないわけじゃなくて、その、今のはちょっとミスったっていうか、なんというかっ!」


「えっ? アルくんが隠してた本に、こういうのがあったので、私はてっきり……」


「その本のことは忘れてくれ、後生だから……!」


 マキナのやろう! また勝手に隠し場所から秘蔵のお宝本を掘り出しやがったな!

 隠しても隠してもすぐに見つけやがって……! そもそもシャルに横流ししてんじゃねーよ! そういう時は何も言わずそっと隠しといてくれや!


「……エロエロ男」


「誰がエロエロだ! むしろこの年頃の男としてはド健全で……」


 横から口を挟んできたのは、一人の少女。というか……ネネルだ。

 頭が冷えて完全に我に返った俺は、不潔なものを見るような視線を送るネネルと、


「いやぁー、なかなか愉快な見世物でしたねぇ」


「そうだねぇ。見物料でも払ってやりたい気分だよ」


 妙に息の合った様子を見せるマキナとエリーヌの二人の姿があった。

 そのことに俺とシャルが気づいて数秒ほど硬直し、


「「これは違うんだ(です)――――!」」


 二人で必死に言い訳をするはめになってしまった。


     ☆


「まさかわたしたちがいるのにあそこまで堂々といちゃつかれるとは思いませんでしたよ。お二人も婚約者らしくなってきたということなんでしょうかねー」


「だから、さっきから言ってるがアレは事故なんだよ!」


 こっそりとシャルの様子を窺ってみるが……。


「…………っ……」


 真っ赤になっている顔ごと、視線を逸らされてしまった……! ぐぉぉおおおおおおお……! やはり事故とはいえ今のは致命的すぎたのか!?


「あ、あのっ。すみませんっ。私、ちょっと向こうの方を見てきますねっ!」


「シャル!?」


「えーっと……心配なんで、わたしはシャル様についておきますね」


「そんじゃあ、あたしもそっちに行こうかね」


 続くようにしてマキナとエリーヌは、シャルを追いかけてどこかへと行ってしまった。

 残されたのは俺と……ネネルだけ。


「ねぇ、エロエロ男」


「……なんだ? このクソガキ……じゃなくてネネル」


 キレるな。落ち着け。俺は大人……俺は大人……俺は大人……俺は大人……俺は大人……俺は大人……。


「なんで、あたしも連れてきたの?」


「なんだ。あのまま屋敷の部屋に押し込められてる方がよかったか」


「そうじゃないけど……」


「…………ま、お前は半分ぐらいは捕まってるのと変わらない身だし、急に連れてこられたら不安なのは当然だよな」


 最初はシャルだけを誘って来る予定だったのだが、途中で予定を変えてネネルもこの外出に連れていくことにした(エリーヌのやつは勝手にフラッとついてきただけなんだけど)。


「理由は二つ。一つは、あの屋敷にお前だけを置いとくと、シミオンに利用されるかもしれないから。もう一つは…………お前に知ってほしかったからだな」


「何を?」


「選択肢が一つじゃないってことをだよ」


 よく意味が分からないのか、ネネルは首を傾げている。


「お前、まだ『土地神』を許してないんだろ」


「…………なんで、そんなこと分かるの」


「分かるもなにも、お前はただ悪戯をして掴まっただけだ。それで捨てられる程度の復讐心ならそもそもあんなことしてないだろ。それに……まあ、目ぇ見てりゃだいたいな。似たような目をした人を、知ってるから」


 ネネルの目に未だ滲む憎悪には覚えがあった。だから分かった。


「俺さ、兄貴がいるんだよ。ずっと尊敬してて、今もその気持ちは変わらない。でも……つい最近さ、その兄貴と大喧嘩したんだ」


「勝ったの?」


「一応。いや、勝ち負けの話じゃなくて」


 レオ兄との戦いは記憶に新しい。あの時の痛みも、感触も、頭の中に鮮明に刻まれている。忘れることなんて出来そうにないぐらいには。


「兄貴は……レオ兄は、俺たち家族のことをずっと妬んでたし、憎んでた。……たぶんレオ兄には、それしかなかったんだ。自分と周囲のギャップに苦しんで、追い詰められて、俺たち家族を憎むことしか選択肢がなかった。俺はそのことにずっと気づかなかくて……間違ってばかりで。後悔したよ。なんでもっと話さなかったんだろう。なんでもっと早くに傷つけあう覚悟をしなかったんだろうって」


 俺がもっと早く気づけていれば、それ以外の未来だってあったかもしれないのに。


「その『れおにい』って人は、どうなったの?」


「片腕を失くして、今は家族とも離れ離れになった」


「…………」


「復讐をしたって構わない。『土地神』を憎み続けたっていい。それはお前の自由だ。……けどな、『これしかない』とは思ってほしくないんだよ」


 空で輝く太陽に向けて、そっと手を伸ばす。

 届くはずもない。掴めるはずもない。握ったのは、虚空だけ。

 あの時、俺は……結局最後の最後まで、レオ兄の手を掴めなかった。


「諦めさえしなかったら、何か別の道が開けるかもしれないだろ」


 しゃがんで、ネネルと視線を合わせる。


「過去しか見えなくて、未来を選び取れないなんて……誰かを憎むことしか選べないなんて、きっと悲しいと思うから」


 かつての俺は諦めていた。諦めていたから、影に徹することしか出来なかった。

 でもシャルとの一件で諦めることを止めてから、別の未来が広がってることに気づけた。

 ……ああ、そうか。俺は多分、こいつにも同じように気づいてほしかったのかもな。


「はぁ……柄にもない説教ことしちまったか。ひとまず、俺らもてきとうにぶらつくか。お前だってずっとここで突っ立ってても面白くないだろ」


 シャルのことはマキナに任せておいて大丈夫だろう。エリーヌもついてるし。


     ☆


 恋をしたことがなかった。


 勿論、知識としては知っている。

 大好きな絵本の中にも、物語の中にも、星の数ほどの恋があったから。

 けれど自分が恋をすると考えるのはいまいちピンと来ないし、想像が出来なかった。


 生まれた時から第一王子の婚約者という立場にあったからだろうか。

 私にとって恋は、窓の外に広がる色鮮やかな景色のようなもの。見ているだけで楽しくて、観ているだけで満たされるものだった。


 絵本の中で。物語の中で。歳の近い令嬢たちとのお茶会の中で。

 そんな『話』としての、『言葉』としての、『知識』としての恋を眺めていく。

 これからも、これから先も、ずっとそうだと思っていた――――自分が恋をしていると、気づくまでは。


 あの日。レオル様との戦いや、王都襲撃の騒動が落ち着いてから行われたパーティーの場で、アルくんと一緒に踊った時。


 私はこの人に恋としているのだと気が付いた。

 その時に落ちたわけじゃない。たぶん、それよりも前から私は恋に落ちていた。


 あのパーティーでアルくんが駆け付けてくれた時から?

 巨大な『ラグメント』から助けてもらった時から?

 レオル様から婚約破棄を突き付けられたところを救ってもらった時から?


 ……遡って、自分に問いかけて、その上で違うと判断する。


 もっと前。ずっと前。

 私が捨てた夢を、絵本と一緒に拾ってもらった時――――きっと、あの時から私は……。


 たまに会っては、少ない言葉を交わす。今思えばそのささやかな時間に幸せと癒しを感じていた。それが『恋』だと気づくのに、こんなにも時間がかかってしまった。


「うぅぅ~……なんで、今更になって……」


 逃げ出した先の路地裏で思わず一人へたり込む。

 自覚してからというもの、心臓がとても忙しい。


 アルくんと一緒に歩いているだけで嬉しい。同じ席でお茶をしているだけで胸が躍る。一緒に勉強をしているだけで幸せな気持ちになる。ましてやさっきのように顔があんなにも近くにあったりしたら、どうしていいのか分からなくなってしまう。


 何気ない、ありふれた一つ一つの出来事に、振り回されている。こんなこと、はじめての経験だ。どうすればいいのかも分からない。本に答えが載っているわけでもない。だけどそうして振り回されていることすらも――――楽しい。


「……でも、今のはよくありませんよね」


 恥ずかしさと緊張でいっぱいいっぱいになってしまって、まともに言葉を交わすことが出来なかった。そうでなくとも勝手に走ってどこかへと行ってしまうなんて…………。


「…………?」


 ふと。この段階になってようやく……遅まきながらに、違和感に気づいた。

 確かに私はアルくんから離れるように、つい走り去ってしまったけれど。

 すぐにマキナさんやエリーヌさんが追いかけに来ていたはず。あの二人を振り切るほどの速度で走ってはいないし、何よりマキナさんがあの距離で私を見逃すなんてことはあり得ない。


 違う。そもそも――――ここは、どこ?


 この街の路地に入り込んだところまでは覚えている。でもそんなに奥まで入り込んだ覚えはない。何より、周囲に漂っているこの不気味な気配は……。


「甘い甘ぁい、恋の味。初心うぶ純粋ピュアで甘ったるい、愚かで愉快な恋の味」


 かつん、かつん、と。

 歌うように口ずさみながら、瘴気で淀んだ奥の空間から、一人の少女が歩いてくる。

 蕩けるような桃色の髪。真珠のように白い肌。向日葵のように慈愛に満ちた表情。

 だけどその瞳孔や僅かな口の歪み方が、どことなく悪魔のような不気味さと冷たさを感じさせる。

 見間違えるはずもない。この人は、アルくんとレオル様が戦うきっかけを作り出し、王都に圧倒的な暴威を振りまいた者。


「――――ルシル、さん……!」


「ごきげんよう、シャルロットさん。お元気でしたか?」


 この薄暗い路地裏を煌びやかなパーティー会場だと言わんばかりに、優雅にカーテシーを魅せる。


「…………!」


 この状況がまずいことぐらいは、私でも分かる。

 アルくんですら捉えることの出来なかったルシルさんと、この狭い空間で二人きり。

 魔指輪リングはある。けれど……私が、勝てるのだろうか。私のように……力のない人間が……。


「そんなに警戒しないでくださいな。私は別に、アナタと戦いたいわけじゃないんです。たまたま街を歩いていたら……ねぇ? キラキラ輝く素敵なシャルロットさんがいたから、我慢できなくて、ついご招待しちゃったんです」


「やはりこの空間は、アナタの仕業なんですね」


「ええ。ついでに言っておくと、マキナさんとエリーヌさんならここには来ませんよ。こことは違う空間ばしょにご招待していますので」


「…………っ……!」


「……ああ、心配しなくても、マキナさんとエリーヌさんを傷つけるつもりなんてありません。こちらとしても、大切な用事がありますし」


 それより、と。ルシルさんが一歩踏み出す。

 思わず後ずさりそうになるけれど、心の中で己を鼓舞してなんとか踏み止まった。


「アナタがここにいるということは……やはり『土地神』を汚染したのは……」


「さあ? なんのことでしょう」


「瘴気を操る力なんて、ルシルさんしか――――」


「私しか居ないなんて、誰が言いました?」


 彼女の言葉に、思考が一瞬停止する。

 そんな私の顔を見て、ルシルさんはクスッと小さく笑みを零した。


「瘴気の力を使って世界征服を企んでる、分かりやすーい魔王の手下とでも思いました? まさか。私はただ、お母様のために動いているだけの健気な孝行娘ですよ。……その過程で、自分の趣味は愉しみますけどね?」


「お母様……?」


「――――夜の魔女」


 その言葉に。単語に。どくん、と心臓が激しく脈動する。

 かつてこの世界を混沌に包み込んだ存在。レイユエール王国の初代国王や聖女クローディア様をはじめとする『第五属性』の魔力を持つ者たちによって打倒されたはずの存在。


「『夜の魔女』の……娘? アナタが?」


「正確には私たち、ですけどね。私には『お母様』がいるんですから、『妹』や『お姉さま』がいても、不思議じゃないでしょう?」


 否定したかった。バカげた話だと、否定したかった。

 けれど瘴気や『ラグメント』を操ることが出来る力なんて、夜の魔女が由来でも何らおかしくはない。だからこそ、彼女の言葉が真実だと納得してしまう。


「何が目的なんですか? 『土地神』を汚染して、一体何をするつもりなんですか?」


「言ったでしょう? 私は、お母様のために動いているだけの健気な孝行娘だと」


 もったいぶったような言い回し。人を嘲っているような、翻弄するような、そんなルシルさんの言葉にじれったくなる。

 そんな私のきもちを知ってか知らずか、ルシルさんは両手をめいいっぱいに広げて自分の顔を覆う。


「あはっ。やっぱりだめですねぇ。いけませんねぇ。喋り過ぎちゃいました。大好きなシャルロットさん相手だと、つい甘くなっちゃいます」


 指の隙間から視える瞳。歪で歪んだ残虐な色に爛々と輝く眼が、私の姿を映し出している。


「……アナタになんの目的があるのかは知りません。ですが!」


 制御できる限界ギリギリまで魔力を瞬時に供給し、魔指輪リングを輝かせる。

 金色には至らない銀の輝きが迸り、名を叫ぶ。


「私がここでアナタを止めます! 『烈風拡散弾ディフュージョン』!」


 吹きすさぶ烈風が風の球体が弾け、無数の閃光となってルシルさんへと殺到する。

 エリーヌさんに作ってもらった魔指輪リング。今、私の手持ちにある魔法の中では最も速い。この狭い路地裏の中ならば逃げ場もなく、避けることは難しいはず。

 防御に回って動きを止めたところを、次の魔法を一気に叩き込んで――――。


「真面目ですねぇ」


 ルシルさんは私の魔法を微笑ましく眺めると、そのまま無数の閃光へと自ら突っ込んだ。

 予想外の行動アクションに思わず私の動きが硬直する。それすらも嘲笑うかのように、ルシルさんはその肢体を自在に操りながら、壁や地面を蹴り、跳躍し、紙一重で風の閃光を躱していく。

 魔力弾の嵐の中で、優雅にステップを踏んで踊っているかのように――。


「攻撃まで素直で真面目。あはっ。やっぱり可愛らしいですねぇ。シャルロットさんは」


「――――っ……!」


 全て躱された。私の攻撃なんて意にも介していない。

 完全に不意を突かれた私に次の攻撃が間に合うはずがなく、ルシルさんは私との距離をゼロにする。


烈風魔法槍スパイラ――――」


「だぁーめ」


 ガラスのように華奢で繊細な手が私の手を掴み口を塞ぎ、そのまま地面に押し倒す。


「…………うっ……!」


 動けない。視えない力で全身を拘束されているような……。


「弱いですねぇ、シャルロットさんは」


 ルシルさんの言葉がナイフのように突き刺さる。

 魔法の力? 違う。そうじゃない。これは……心の、痛み。


「弱い弱いお姫様。誰かに護ってもらわなくちゃ生きていけない、囚われが似合うお姫様。しくしく泣いて助けを乞うて、王子様が来てくれるのを待つことしか出来ない、哀れでか弱いお姫様。それがアナタですよ、シャルロットさん」


「違う……私は……!」


「何が違うんですか? これまでずぅーっと、アルフレッドさんに助けられてばかりのくせに。今回も助けてもらうんでしょう? 『土地神』の浄化なんてアナタに出来っこありませんし」


「…………っ……!」


 何も言い返せない。言い返してやりたいのに、言葉が出てこない。

 そうだ。私はずっとアルくんに守られてばかりで……助けられてばかりで……。


「あはははははっ! そう、その顔が見たかったんです!」


 今にも互いの鼻が重なり合ってしまうほどの近くにある顔が、蕩けて歪む。


「シャルロットさん。アナタを初めてみた時の衝撃は忘れません。今でもちゃぁーんと覚えてます。キラキラとした光。眩い太陽。純粋で、透き通っていて、汚れを知らない無垢な人。すぐに惹かれました。アナタという光から、目が離せなくなりました」


 ルシルさんは興奮したように、洪水のように言葉を浴びせてくる。


「だからレオルくんに近づいたんです。『王衣指輪クロスリング』を手に入れるという目的もありましたし、彼の心は面白そうでしたから。でも……でもね? 一番の目的は、シャルロットさん。アナタだったんです」


「私……? なん、で……」


「アナタの光を闇に染めるために」


 この人は、何を言っているのだろう。

 彼女の言葉の意味が……よく、分からない。


「わざわざ婚約破棄なんて回りくどいことをしたのもそのため。無垢に無邪気に信じてきた夢を踏み躙られたら、アナタもこちらに来てくれると、そう思ったんです。絶望に染まってくれると思ったんです。結果的にはあいつ……アルフレッドに邪魔されてしまいましたが……いいんです。それはもう」


 視線が交じり合う。彼女の深淵のような瞳に、吸い込まれそうになる。


「だってアナタの中には、闇がある。大きな絶望が渦巻いている」


「…………違う。そんなことは……!」


「ありますよ。だって……欲しいんでしょう? 強さが。強大な力が」


「――――――――」


 否定の言葉が出てこない。口だけが開いて、声が出せない。

 言わなくちゃ。違うって。否定しなくちゃ……いけないのに……。


「守られたくないんですよね? もう役に立たない、しくしく泣くだけのお姫様でいるのは嫌なんですよね? そのために、弱者から強者になるための力が欲しいんですよね? 分かります。分かりますよ。アナタのことはずぅーっと見てきましたから」


「……………………」


「力が欲しいなら、私があげますよ」


 ルシルさんが取り出したのは、禍々しい闇のオーラに包まれた……魔指輪リング

 彼女は私の指から、魔指輪リングを邪魔だとばかりに抜き取った。

 捨てられた魔指輪リングが地面に落ちて、きぃん、と涼やかで儚い金属音を奏でる。


「一緒に堕ちましょう? 深い闇に、どこまでも……そうすれば、力が手に入りますから」


「あ……――――」


 指に闇の魔指輪リングがはめられようとしている。

 これを受け入れてしまえば……私も、アルくんに守られるだけの自分じゃなくなるのだろうか。彼と一緒に、肩を並べて歩いて行けるのだろうか……。


「――――っ!」


 きぃん、と。再び金属音が奏でられる。

 私の手で叩き落とした禍々しい闇の魔指輪リングが、路地裏に落ちた音。

 ルシルさんはどこか呆けたように、拒絶された私のことを見つめている。


「…………は?」


「そんな力を手に入れて、強くなっても……アルくんはきっと笑ってはくれません」


 浮かんだのは彼の顔だった。確かに私はまだまだ弱くて、力もないけれど。

 その方法だけは間違えたくない。彼の笑顔を失くしてしまうことだけは、したくない。


「『火炎魔法球シュート』!」


「…………っ!?」


 ルシルさんの反応が遅れている。明確な隙を突いた火球は彼女を確かに捉え、迸る爆炎と共にお互いの身体が地面を転がる。


「ぐっ……!」


「うぅっ……!」


 至近距離の爆炎。私自身にも衝撃はダイレクトに伝わってきたけれど、そんなものは耐えればいいだけのこと。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……私は、アナタの力に頼らなくても、強くなってみせます!」


「…………っ……痛いなぁ、もう……シャルロットさんだから、許してあげますけど」


 ルシルさんは私が叩き落した闇の魔指輪リングを拾い上げる。

 ダメージは入ったようだけど、大した痛手でもなさそうだ。


「あーあ、フラれちゃいましたか。まあ、いいですよ。今はまだ、時期尚早だったということでしょう」


 彼女の身体が闇に包まれていく。それだけじゃない。

 この空間そのものの瘴気が蠢き、揺らめき、形を崩していく。


「シャルロットさん。後がつかえているので、今回はこの辺にしておきますが……力が欲しいと思った時は、いつでも私のことを思い出してくださいな」


「……………………」


「ふふっ……アナタの眼。今は光に満ち、輝いていても。無力と弱さを嘆き、呪い、輝きは闇に蝕まれ、いつかは裏返る。その時を……楽しみにしていますよ」


 最後に言葉を残し、溶けるようにしてルシルさんは消えた。

 私はいつの間にか元の路地裏に戻っていて……思わずその場に座り込む。

 緊張の糸が切れてしまったようだ。


「…………『後がつかえている』」


 彼女は確かにそう言った。私だけじゃない。他にも誰かが、同じようにルシルさんに狙われている……?


     ☆


「ちょっと焦っちゃったかなぁ……」


 ルシルは闇の中で独りごちる。腹部に受けたシャルロットの一撃がじくじくと痛むが、その痛みすら彼女にとっては甘い果実のようなものだった。思わず恍惚の笑みが零れそうになるが、己を律する。


「ああ、いけないいけない。次があるんだから。思い出して、愉しむのは、帰ってからにしないと」


 闇を潜り抜ける。その先にいた人物に、心無い笑みを張り付けた。

 元よりシャルロットはまだ時期尚早だとは思っていた。今回の本命は次。

 今、目の前にいる少女の方だ。


「ごきげんよう――――マキナさん。少しだけお話、よろしいですか?」



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