第50話 儚き背中
生まれてから、恵まれてばかりだった。
特別苦労したことも無ければ、特別努力したこともない。しなくてもいい環境にいた。
それが、シミオン・ガーランドという男だった。
そもそもガーランド領は、他の領地と比べて特別だ。
かつて夜の魔女と戦った『聖女クローディアの生まれ故郷』という箔はレイユエール王国国内はおろか他国からも神聖視・特別視されており、巡礼地・観光地としての価値も高い。多少の無理も無茶も通り、目を瞑ってもらえることも多かった。
そんな『特別』な領地にいることに優越感もあったし、それがシミオンをますます増長させることになり、態度にも表れるようになった。
人間は生まれながらにして平等ではない。生まれながらにして強力なカードを配られていることもある。シミオンはそれを幼い頃から実感していた。
「ああ、なるほど。そうか。私は――――特別な人間なのか」
だが、彼はそこで満足しなかった。
もっと。もっと、もっと。金も、宝石も、地位も、名誉も、何もかもを欲した。
最初から恵まれていたが故に、満たされたことがなかった。
満たされたことがなかったが故に、満たされることに焦がれた。
レオル派閥に取り入ったのはそのためだ。お行儀の良い一領主で終わるつもりはない。娘が生まれた時も好都合だと思った。あわよくば王家に嫁に出し、自分が王族に取り入ることが出来ればと。
だからこそ、娘が剣の道を歩みたいと言い出した時は憤慨した。
教育と称して痛めつけ、二度と剣を握れぬ腕にしてやった。
第一王子の後ろ盾。
聖女クローディアの生まれ故郷。
無敵のカードが揃っている。そう思って信じて疑わなかった。
その現実も、ある日簡単に崩れ去ってしまった。
第一王子のレオルが決闘で第三王子に敗れた時から、運命の歯車が歪み始めた。片腕を失い、無様を晒した第一王子の側につくことに『旨味』を感じなくなった者たちは、次々と離れていった。
シミオンとしてもそれに続きたかったものの、『ガーランド領領主のシミオン・ガーランド』は貴族たちの間ではレオル派として既に有名だったため、他の派閥に移ろうにも受け入れ先がないというのが現状だ。
第一王子の凋落は元より、土地神の汚染が何より不味い。
聖女様の地を瘴気で穢してしまったことに対する非難の声も大きいと聞く。特にこれまでのシミオンの振る舞いを面白く思っていなかった者たちは顕著だった。
無敵だと信じて疑わなかったカードが自分に牙をむいた。
そしてこの状況を真っ向から打開するだけの能力も信念もシミオンには欠如していた。
(まずは第一王子の方は切り捨てねば……あんな若造と共に沈んでたまるか……!)
彼の恵まれた環境を脅かすものを切り捨てるのは当然だった。
このまま凋落した第一王子にしがみついていても、仮に第二王子が次なる王となった時に冷や飯を食わされるのは目に見えている。平然と掌を返し、第二王子派に取り入ろうと動き出したが、
「下手なお世辞をどうも。ですが、アナタはたかだか一領主。土地神の汚染を許してしまっただけでなく、そこが聖女様の故郷ともなれば非難の声も上がりましょう。関わるだけで大損だ。アナタと繋がりを得たところで、こちらに何の得があるのでしょうか?」
第二王子の側近である若造――今喋ってるのは、その使い魔だが――からの指摘に、シミオンは何も言い返せなかった。
汚染の予兆はあった。異変についての報告書はあがっていた。だが厄介ごとを嫌ったシミオンは、異変を見なかったことにした。『異常なし』『異変なし』『何も起こりませんでした』で通して祭りを強行した。その結果が、このザマだ。
「ですが……そうですねぇ。ガーランド領は観光資源として非常に価値がある。それに土地神の汚染は浄化されることは分かり切っています。こちらに関してはあなたがじたばたせずとも王家から人員が派遣され、解決される事態でしょう」
言外に「そんなことも気づかなかったのか」と言われている。それぐらいのことはシミオンにも分かった。第二王子の側近は、彼と同い年。ただの若造に舐められていることに頭にかっと血が上ったが、ギリギリのところで堪える。
「アナタのことを第二王子に紹介してもいい。彼も以前から、聖女様の生まれ故郷には関心を寄せていましたから」
「で、ではっ……!」
「ただ手ぶらというのはいただけない」
(若造が……足元を見やがって……!)
この使い魔の先にいる若造に心の中で舌打ちをしつつ、頭の中で考えを巡らせる。これはピンチであると同時にチャンスでもある。第二王子に直接取り入ることが出来る絶好の機会だ。
第一王子のレオルが凋落がした以上、次の王座としてもっとも有力視されているのは第二王子だ。彼の本心は定かではないが、少なくともこの若造は突如として空白と化したその座を狙っていることは明白。
己が主を王にする。その意志があることだけは読み取れた。ならば――――
「…………第三王子と第一王女は如何でしょう。彼らは浄化に派遣されると聞いております」
「と、いうと?」
「第二王子が王座につかれるのはもはや必然。時間の問題。さりとて、あの二人が邪魔であることに変わりはありません。あなた方の帰国も間近だと聞いております。……第三王子と第一王女が失敗した浄化を、第二王子が成し遂げたとなれば……王座はより確実のものとなりましょう」
静寂と沈黙が場を包み込む。使い魔の向こうで第二王子の側近がどのような顔をしているのかは定かではなかったが――――手応えとして、唇の端を上げて笑っていると、シミオンは感じた。
「そうですね。仮に何かしらの理由で第二王子が浄化を行うようなことがあり、それを無事に終えられたのならば……第二王子を労っていただきたいものですね。直に顔を合わせて」
「……そうですな。その時を、心待ちにしておりますとも」
それからシミオンは第三王子と第一王女を蹴落とすために手を尽くした。
領地に居る『土地神』に恨みを持っている連中を秘密裏に集め、手始めに王族の馬車を襲撃するように依頼した。だが、提供した殺傷力の高い
王族の馬車は強固な守りに包まれている。半端な魔法では傷すらつかない。
だがその子供がしくじった。おまけにリーダー役の男には逃げられる始末だ。既に追手を寄越したとはいえ、忌々しいことに変わりはない。
加えて、第三王子と第一王女は健在だ。それが何よりの問題なのだ。
『土地神』の浄化は心配ない。彼らが失敗しようと第二王子が浄化を行う。むしろ、第三王子たちには失敗してもらわなければ困る。
「こんなところでは終わらん……私は、終わらんぞ……!」
☆
ガーランド領に到着した翌日。
現地での詳しい調査と編成、そして浄化に備え俺たちは休息日をとることにした。
浄化は魔力を消耗するし、慣れない土地での初めての浄化。確かに自体は急を要するが、焦り過ぎて失敗しては元も子もない。俺たちがすべきことは、明日に備えて体調を万全にしておくことだった。
少し引っかかるのは、この休息日をとる提案をしたのはシミオンだったということ。
どう見ても俺たちを気遣うような人間ではない。何かしらの裏があると思ってしまうのは当然と言えよう。
「休むにしても屋敷から出た方がいいだろうな。どんな難癖をつけられるか分かったもんじゃないし」
せっかくの休息だというのに屋敷の中にある部屋に籠っているのも勿体ない気がする。
……外に出るとすればどこに行くかだ。浄化に向けて軽く下見にでも……いや。瘴気の漂う場所の近くに行けば『ラグメント』と出くわす可能性がある。そうなっては休息にならない。
婚約者としての選択肢としては、街に出かけるというのもある。……シャルを連れて。
「………………誘ってみるか?」
いやしかし落ち着けアルフレッド。急に誘っても迷惑ではなかろうか。特に予定を決めてもいなかったわけだし、シャルにはシャルの予定があるのかもしれない。……が、婚約者を放っておいて一人だけ(厳密には護衛のマキナもついてくるので一人ではないのだが)街に出かけるというのも……。
「なーにをうだうだと悩んでるんですか」
「ぎゃ――――っ!? ま、マキナ!? い、いいいつの間に入ってきた!?」
「声ならちゃんとかけましたよー。アル様はこんなにかわいいメイドちゃんの存在に気づかなかったようですが」
「うん。全然気づかなかった……」
一人で延々と悩んでいたせいなのだろうが、まさかマキナが入ってきたことにも気づかないほどだったとは……。どんだけ悩んでたんだ、俺。
「で、何に悩んでるんです? アル様の考えてることなんて、だいたい想像つきますけど」
「ほぉー。言ってくれるじゃねぇか。じゃあ当ててみろ。俺が何を考えていたかをな!」
「シャル様をデートに誘うかどうか」
「…………で、デートじゃないし」
「それはそれでどうかと思いますよ」
ごもっともな意見に返す言葉が見当たらない。
「いいですか、アル様。婚約者が一緒に街へお出かけしにいくことを、世間一般ではデートと言うのです。それに今のお二人は婚約者なんですから、普通に、堂々と誘っちゃえばいいんですよ」
「普通にって言うけどな……お前、デートに誘ったことあるのかよ?」
「アル様。キュートなメイドさんと一緒にデートとかどうですか?」
「俺で実績をでっちあげようとすんな」
「あはは。バレちゃいましたかー」
「…………?」
ふと、マキナの笑顔に違和感を覚える。いつもならもっと、こう……。
「どうした、体調でも悪いのか?」
「何がですか? どうしたもこうしたも、マキナちゃんはいつも元気満点のフルパワーですが」
「いや……なんか、さっきの笑顔がどうにも引っかかって……お前らしくないっていうか」
自然と前のめりになり、マキナへと顔を近づける。
「な、なんですか急に……」
マキナが一歩下がる。そうなってくると俺もまた一歩前に踏み出す。
俺が感じたちょっとした違和感を確かめるために、顔を近づける。
それを繰り返していくうちに、マキナは徐々に壁まで追い詰められていく。
「ま、待ってくださいアルさまっ。…………あっ」
下がり続けていたマキナだが、ついに行き止まりになったらしい。
おかげで俺も違和感を探るべくマキナの顔をよーく見ることが出来るわけだが……。
「……おいマキナ。お前、何か隠してるだろ」
「そ、そんなことないですよ。マキナちゃんに隠し事なんてありません。ご主人様に全て曝け出す系メイドですので」
「そんなメイドがいてたまるか」
こいつにしては珍しく明らかに目が泳いでる。いつもはマイペースに俺のことをからかってくるくせに。攻めは得意だが受け身になると一気に弱体化する感じか。
「……ま、いいけどな。隠してることを無理に暴こうとするつもりはないし」
「それは……どうも?」
「けどな」
すっかり油断したマキナの頬を、隙ありとばかりに両手で軽く挟み込む。頬がもちもちで柔らかい。
「ふみゅっ」
「本当に辛い時は俺に言え。何とかしてやる」
「い、いいんですか。そんな安請け合いしちゃって」
「他のやつならこんなこと言わねーよ。お前だから言うんだ」
「…………っ……」
これは別にからかっているわけでも何でもない。
真剣に、心の底から思っていること。
何より俺はつい最近見たばかりだ。心の奥底にずっと抑え続けてきたものを爆発させ、周囲を傷つけてしまった……レオ兄のことを。
「無理でも、無謀でも。お前が困ってるなら全力で何とかしてやる。自分の心を傷つけるぐらいなら俺に吐き出せ。受け止めてやるから」
全てを曝け出せとは言わない。
けれどせめて、出来る範囲で話してほしい。言葉を零してほしい。自分の心が傷つく前に弱音を吐き出してほしい。
俺はもう、人の心から逃げないと決めたのだから。
「……………………言えませんよ。そんなこと」
マキナは俺の目から逃げるように視線を逸らし、俯いて。
「言えないんです。わたしの心は、外に出しちゃだめなんです。だから、心配しないでください」
マキナは俺の手を解き、するりと猫のように抜け出した。
振り返った時には――――俺をからかってくる、いつもの非常識なメイドの姿しかそこにはいない。
「こんなメイドにかまけてないで、さっさとシャル様をデートに誘いに行きましょう! とーぜん、わたしも護衛として同行いたしますので! アル様的には残念でしょうけど、お仕事だったりするわけなんですよねー、これが」
そんなことを言いながら、マキナは一足早く部屋を出る。
……なぜだろうか。その背中はどこか遠くて、儚くて。
今にも俺の手から消えてしまいそうな――――そんな気がした。
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