第九話 文藝部

翌日は、受験対策試験スタディーサポートや部活動紹介などがあった。通常授業はまだ始まっていない。


放課後となり、第一実習棟へと一冴は向かう。


新しい制服にも、スカートの感触にも慣れてきた。


あちこちでは、部活動への勧誘が行われている。そんな声を断りつつ、第一実習棟へ這入った。


数年前に建て替えられた教室棟とは違い、第一実習棟は年季が入っている。人の姿は少ない。教室棟や校庭から聞こえる喧騒も少し遠のいた。


その三階に、文化部の部屋は竝んでいる。美術部、囲碁部、茶道部、演劇部――。演劇部の部屋の前には、段ボールやらリボンやらカラースプレーやらが乱雑に置かれていた。


その最も奥に、「文藝部」と書かれた部屋があった。


文芸部ではなく文藝部である。


元々、「芸」と「藝」は違う漢字だ。「芸」は「ウン」と読み、ヘンルーダという香草ハーブを意味した。しかし新字体採用の際に混同される。なので白山女学院では、「芸」という漢字が「藝」に置き換えられている。


蘭が文藝部に所属していることは朝美から聞き出していた。


同じ学校に入り、同じ寮に住んでいても、蘭とはまだ接点はない。文藝部に入る以外、近づく方法は今のところ見当たらない。


恐る恐る扉を開ける。


「あの――すみません。」


部員の視線が一冴へと向かう。


教室の半分ほどの広さの部室。長テーブルが二つあり、五、六人の少女が着いている。原稿用紙に向かっている者、本を読んでいる者、菓子を食べている者もいる。


窓辺の流し台には、紅茶を淹れる蘭の姿があった。


同時に、テーブルに着く菊花の姿が目に入る。


――何でいんだよ?


「入部希望の人?」


そう言って近づいて来たのは、ふちなし眼鏡をかけたロングボブの少女だ。文学少女らしい――落ち着いた、それでいてあどけない容姿である。


「あ――はい。」


「そう――じゃあ、こちらに。」


彼女に導かれ、菊花の隣へと坐る。


蘭が茶器を運んできた。


「いちごさんもいらして下さったのですね。」


「あ――はい。」


声をかけられ、胸が高鳴る。


「私の名前――憶えて下さっていたんですか?」


「えゝ、初日に部屋まで案内した方ですよね? いちごさんも、わたくしのことを覚えてゐたのでは?」


「はい。鈴宮――蘭先輩ですよね?」


「わたくしのことは、名前で呼んでもらっても構ひません。」


「蘭――先輩ですか。」


男だった時には考えられないくらい蘭は近い。


「文藝部だったんですね。」


「えゝ。」


そして、一冴は視線を横に流す。


「てか、菊花ちゃんも文藝部に入るの?」


「うん。とりあえず見学。」


厭な予感がした。文藝部に一冴が入ることを菊花は見越していたのではないか。ならば、さらなる厭がらせをするつもりで先回りしたに違いない。


テーブルの上には、緑色のインクで印刷された原稿用紙や、冊子、クッキーの入ったかごも置かれている。ココアとバニラが市松模様となった物、紅いジャムが中央で輝いている物、渦を巻いている物もある。


そんな傍らで蘭は紅茶を注ぎ始める。


ロングボブの彼女が自己紹介をした。


「私は、部長の西内にしうち早月さつき。三年ゆず組。プロの作家だよ。」


一冴は目を瞬かせる。


「プロ――なんですか?」


「うん。先月、魚川ホラー文庫さんから『激痛慟哭どうこく拷問地獄』って本が出版されたところ。」


言って、一冊の文庫本を早月は取り出す。


「ほら、これ。」


表紙には、血だまりに転がる眼球とはさみが描かれていた。著者の名前は「西内さつき」となっている。


「そんなわけで、創作のことはプロが教えちゃうから――よろしくね!」


「ああ――はい。」


「よろしくお願いいたします。」


それから、一冴と菊花は順に自己紹介をする。


「今のところ、入部希望者は貴女たち二人だけね。」


眼鏡の位置を早月は軽くなおす。


「部としての活動は、三ヶ月に一度、部誌を発行すること。最低でも原稿用紙二十枚以上、最大で四十枚以内の文章を、全ての部員は発表する決まりだよ。小説でも詩でも随筆でもいいけど。ただし、半年に亘って何も発表できなかった部員は退部する決まりだから、覚悟してね!」


一冴は訊き返す。


「原稿用紙――二十枚ですか?」


「多いように思えるでしょ? けど、そうでもないの――ちょっとした短編小説と同じだから。どうあれ、四月が終わるまでに構想を練ってもらって、五月中に書き終えてもらうけど。六月には夏季誌を出すよ!」


「そう――ですか。」


隣から蘭が口をはさむ。


「実際に、部誌を見てもらってはいかゞでせうか?」


「それはそうね。」


早月は立ち上がる。本棚から部誌を二つ取り出し、二人へさしだした。


「ほら、これが今年の春季誌。」


二人は部誌を受け取る。


蘭の書いたものが気にかかり、一冴は目次を開いた。


そして次の文字を見つける。


こひに先立つ失戀(最終回)  鈴宮蘭」


該当のページを開く。


「蘭先輩の書かれたこれ――連載小説なんですか?」


蘭は恥ずかしそうな顔となる。


「えゝ、随分と長くなってしまったのですけれども。」


早月はにやにやした。


「蘭の小説は凄いよね。何しろ、部を潰しかけたんだから。」


「潰しかけた?」


「うん。蘭が初めて書いた『みにじられた椿』っていう小説が、去年の夏季誌に載ったんだけどね――それが職員会議で問題になって、一か月の部停になったの。」


「あ――あのときは、早月先輩の小説も問題になったではありませんか。『人面瘡感染症』ってホラー小説が、あまりにも残虐すぎるって。わたくしだけの責任ではありませんよ。」


「まあ――そうではあるけど。」


――人面瘡感染症。


内容を想像し、皮膚が粟立った。文学少女的な――あどけない顔の早月がそんなものを書いたのか。


「そんなわけで――去年の夏季誌は封印されてるの。」


「――そうですか。」


手元の部誌へ一冴は目を落とす。


「けど――この『戀に先立つ失戀』っていうのは違うんですよね? できれば最初から読んでみたいです。」


「ああ――それだったら。」


早月は棚から二冊の部誌を取り出し、一冴へ渡した。


「この、秋季誌に第一回、冬季誌に第二回が載ってるから。」


「ありがとうございます。」


蘭は恥ずかしそうに顔をそらす。


『戀に先立つ失戀』を目次から探し出し、ページを開いた。


『戀に先立つ失戀(第一回)   鈴宮蘭


 戀に先立つ失戀といふものがあります。

 たとへば、その國の王女・リヽアンの場合がさうでした。彼女が戀をしたのは、王城に仕へる一人の侍女だつたのです。何もかもが手に入る身分のリヽアンにとつて、下僕であるはずのその侍女は、唯一、手に入らないものでした。』


当然、その書き出しは引っかかった。


王女が――侍女に恋をしたのだ。


そんな小説を――少女の姿で自分も読んでいる。


意外なことに、それは中世ヨーロッパ風の異世界ファンタジーだった。


主人公は小さな王国の王女である。王城には多くの召使がいた。その中、アジア人らしいメイドが一人いる。切り揃えられた黒い髪と切れ長の目を持つ少女――しかし彼女は王城で苛められている。そんな髪と目を持つ彼女に、王女だけが惹かれてゆく。


『「なぜ殿下だけは私に優しくしてくださるのですか?」と琴子は言ひました。

 「分からないわ」とリヽアンは答へます。「たゞ、コトコを見てゐると胸が高鳴つてくるの。その黒い髮も、瞳も、切れ長の目も――とても綺麗。ずつと眺めてゐたい。こんな氣持ちは初めて。」

 「いえ、そんな――」

 「コトコといふ名前の響きも不思議。一體いつたい、貴女はどこの國の生まれなの?」

 琴子は目を伏せました。

 「じつは――私は別の世界からやつて來たんです。」』


読み進めるにつれ、胸がざわついてきた。


友情と愛情のあいだでゆれる二人の心。それが愛情であると気づいた時の抵抗と葛藤。そんな彼女たちに一冴は心を重ねる。胸のざわめきは、高鳴りへと変わっていった。


第一回は十分ほどで読み終えた。


「なんか――すごい。」


部誌を閉じ、息をつく。


「すごく――どきどきする。」


蘭の顔がほころぶ。


「まあ――よかった!」


「出てくる女の子たちが可愛いですね――お互いを思う心が一途で。ですます調で書かれてるので、おとぎ噺を読んでいるような感じもします。けれども、大人向けの恋愛ものなんですね。それも――女の子と女の子の。」


「えゝ――そこが苦手といふ方もゐるのですけどね。」


「私は素敵だと思います!」


言って、少し迂闊だったかと思った。自分は女の格好をしている。女性と女性の恋愛が好きだと言うと、少し変には見られないか。


しかし、蘭の顔は明るい。


「まあ! いちごさん、ひょっとしたら私と気が合ふのかもしれませんね。」


一冴は顔をうつむけ、はい、と言う。


小説を読んでいたときと同様に、胸が高鳴った。

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