第十話 白山女学院

一冴の受験は東條邸で秘密裡に行われた。いくら麦彦の命令でも、相応の学力がなければ話にならない。会場以外は他の受験生と同じ条件だ。


そして一冴は白山女学院に合格した。


同時に菊花も合格する。一冴は内心ほっとした。菊花がいなければ、見知らぬ女子と寮で相部屋となるのだ。


クラスメイトや教師へは、海外へ留学すると説明した。


三月一日――中学校を一冴は卒業する。


白山女子寮へ入居したのは、四月四日――入学式の三日前だ。


母が運転する車に乗せられて白山女学院へと向かった。


当然、完全な女装姿だ。上着はベージュのカットソー。下は、つつじ色のスカートと黒のニーソックスである。坐り方も、菊花に教わった女子仕草だ。足元には、大きな車輪付鞄トロリーバッグがあった。


バックミラーへと目をやる。


髪は肩まで伸びていた。清楚系男の娘だ。実際、童貞なのだから清楚には違いない。


――俺を男だと見破れる人はいない。


たとえ街で知人とすれ違っても、もはや誰も自分を一冴だとは思わない。そもそも、自分は今ごろアメリカにいるはずなのだ。上原一冴という存在は、この街から完全に姿を消している。


ゆるやかな坂を上り、山へ近づいてゆく。


やがて白山女学院が現れた。


白山女学院は山辺の高台にある。その名前は、学院の裏山にある白山神社に由来する。白山神社からは鎮守の杜が拡がり、学園の中に浸透していた。


やがて駐車場に車は停まる。


車から降りると、目の前を桜のはなびらがかすめた。


一冴は少し緊張する。ここは男子禁制だ。今の自分は女子トイレに侵入しているのと変わりがない――たとえ母と一緒でも。


メモを頼りに女子寮へ向かった。


校内には多くの桜が生えている。


やがて、樹々に隠れて校舎が見えなくなる。桜のトンネルに敷かれた波紋状の石畳――その先に、二階建ての洋館が現れた。白山女子寮だ。


学院には、数多くの女子たちが全国から集まる。


ただし、全寮制ではない。遠くから入学する生徒の中には、マンションを借りて通学する者もいる。それでも、年ごろの少女を独り暮らしさせるのは心配なのだろう――寮の人気は絶えない。


玄関の前には、和服姿の女性が立っていた。歳は三十代ほどか。頭はボブカットである。


「入寮されるかたですか?」


「はい」と母は答える。「今日から『娘』がお世話になります上原です。」


「ああ――上原さんですね。」


彼女は軽くお辞儀をする。


「私は、寮長の伊吹いぶき朝美あさみと申します。――よろしくお願いします。」


「ええ――よろしくお願いします。」


そして母は一冴へ目をやる。


「さ――『いちご』。」


女性の声で一冴は応える。


「う――上原いちごです。よろしくお願いします。」


そのとき、生まれたときから女性であったような気がした。「いちご」という名前で母から呼ばれ、自分もそう自己紹介したのだ。


「いちごさん――ですね。ひとまずこれから一緒に暮らすこととなります。寮のことで何か分からないことがあったなら、何でも相談してくださいね。」


「はい。」


「それでは、こちらへ。」


朝美に導かれ、親子は寮へ上がる。


漆喰と化粧板で作られたカフェのような広間――食堂ダイニングルームへと通される。入口にやや近い処にあるテーブルには、数名の上級生が坐っていた。


その中に、見知った顔を見つける。


ゆるやかに波打つ深い栗色。幼めの顔立ち。


一年前から、ずっとその姿を心に思い描いてきた。彼女の姿を追って、自分はこの学校へと来たのだ――性別を偽ってまでも。


「鈴宮さん」と朝美は声をかける。「新入生の上原いちごさんです。寮を案内してください。」


はいと言い、蘭は立ち上がり、一冴へ顔を向けた。


透き通った声色こわねが一年ぶりに聴こえる。


「初めまして。今年から二年になる鈴宮蘭と申します。」


「あ、う、上原いちごです。よろしくお願いします。」


「えゝ。よろしくお願ひします。」


母はにやにやしながら、娘がお世話になりますと言った。


朝美が口を開く。


「それでは、私は他の入寮生の方をお迎えしなければなりませんので――失礼します。」


朝美が去ったあと、蘭が語りかけた。


「こゝからは、わたくしが案内いたしますね。」


はい、と一冴はうなづく。


風呂やトイレ、洗濯場などを案内され、寮のルールを説明される。


「寮は、一年ごとに部屋替へがあります。ルームメイトもそのとき変はってしまひますね。」


大人のように落ち着いた口調で蘭は説明する。


「食事は、伊吹先生に指導されてみんなで作ります。料理が得意ではない子もゐるので、得意不得意を伊吹先生が把握して、何を作ったり、何を調理したりするのか決めてゐます。料理の経験については、事前に聴かれますので安心してください。」


やがて寮の一角へと導かれた。


ドアを蘭がノックする。


伯伯伎ははきさん――よろしいですか?」


はぁい――と中から返事がした。


ドアが開き、ポニーテイルの少女が出てくる。髪の長さは一冴と同じくらいか。――利発そうな少女だ。


「伯伯伎さん――今日から同じ部屋になる上原いちごさんです。」


「あ、この人が!」


彼女は、ぱっと明るい笑みを浮かべる。


伯伯伎ははき梨恵りえです! 今日から一年、よろしくね!」


しかし、一冴は固まった。


――あれえ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る