第530話 酔狂な話

 魔石生成用の魔法陣を、新たに十箇所新設したライトとレオニス。

 十個目の魔法陣を設置完了した頃には、太陽が真上に来ようとしていた。


「レオ兄ちゃん、もうそろそろお昼ご飯の時間だね」

「おう、もうそんな時間か。一旦家に帰るか」

「うん。……あ、ねぇねぇ、家に帰るよりもさ、ツィちゃんのところに行ってお昼にしない?」

「あー、それもいいな。ここからツィちゃんのとこまでそんなに遠くないし」


 ライトの提案に、レオニスも賛同する。

 今ライト達がいるところから神樹ユグドラツィの場所まで、駆け足で二十分ほども走れば着く距離だ。

 ラウルを救ってくれたお礼を言いに、レオニスがライト達とともにユグドラツィのもとを訪ねたのは三月初旬。今から一ヶ月半ほど前のことになるか。


「じゃ、ツィちゃんのところでいっしょに昼飯にするか」

「賛成ー!ツィちゃん、今からツィちゃんのところに行きますねー!」

「おう、俺も行くぞー」


 ライトは羽織っているマントの襟元につけたタイピンに、レオニスは深紅のロングジャケットの袖口につけたボタンカフスに、それぞれユグドラツィに向かって話しかける。

 それらは神樹ユグドラツィが直々に枝を分け与え、自身の分体を入れた特別なアクセサリーだ。


 もともとは一歩も動けぬユグドラツィに世界中の景色を見せるための品だったが、アクセサリーに語りかければユグドラツィに声が届くことが分かっている。

 電話のようにリアルタイムの会話はできないが、留守番電話にメッセージを残すような感覚で連絡を入れることもできる。


 今もレオニス達が見ているこの景色を、ユグドラツィも見ていることだろう。

 ユグドラツィに向けて事前にアポイントメントを入れたライト達は、早速ユグドラツィのもとに駆け出した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ツィちゃん、こんにちは!」

「よう、ツィちゃん、久しぶり」

『ライトにレオニス、ようこそいらっしゃいました』


 いつものよう元気に挨拶するライトとレオニスに、穏やかな声で歓迎の意を示すユグドラツィ。


「今日は魔石を作るための魔法陣を新しく作ってたんですよー」

『ええ、そのようですね。私も先程までその作業を見ていましたが……レオニスが駆使する見事な魔法陣に、私も見入ってしまいました』

「ツィちゃんもですか!? ぼくも見惚れちゃいましたよ、あれはカッコよかったですよねー!」

「ぃゃー、ツィちゃんにまでそんなに褒められるなんて、照れるじゃねぇかー」


 ライトとユグドラツィがレオニスの魔法陣を褒め称える中、レオニスはテーブルや椅子を出して昼食の準備をしている。

 ライトはライトで、ユグドラツィと会話しながら謎の水入りバケツをアイテムリュックからいそいそと出してはいくつも並べている。

 レオニスの作業が一通り済んだところで、ライトが本日の謎水のラインナップを発表する。


「はい!本日のツィちゃん用ブレンド水です!」

「左から順に、エーテル、ハイエーテル、アークエーテル、セラフィックエーテル、コズミックエーテル入りです。ベースのお水は、ツィちゃんの好きなツェリザーク産の雪と氷を溶かした雪解け水です。昨日採取してきたばかりなので、鮮度抜群のお水ですよ!」

「いつもと違うのは回復剤の量、それぞれ二本分が入っています。エリクシルほど美味ではないと思いますが、いつもより濃いめのお味を是非ともご堪能ください!」

「ささ、レオ兄ちゃん、いつも通りツィちゃんにかけてあげてね!」

「はいよー」


 本日のブレンド水の詳細を解説するライト。今日のブレンド水は、各種回復剤が倍増で入っているらしい。

 ライトに水やりを頼まれたレオニス、早速バケツを手に飛びユグドラツィの幹と根元の境目あたりにブレンド水を注いでいく。

 水をあげる場所もちゃんと間隔を空けるあたり、もうすっかり手慣れたものである。


「ツィちゃん、お味は如何ですか?」

『これくらい味がはっきりしているのも良いですね。どれも滋養に満ちていて、とても美味です』

「そうですか、それは良かった!」


 ユグドラツィの枝が、サワサワという優しい音を立てながら揺れ動く。美味しいブレンド水を飲んで、ユグドラツィも機嫌が良いようだ。


「じゃ、ぼく達もお昼ご飯にしよっか!」

「おう。いっただっきまーす」

「いっただっきまーす♪」


 ユグドラツィにブレンド水を飲んでもらった後は、ライト達のランチタイムだ。

 レオニスがテーブルの上に出したおにぎりやサンドイッチ、唐揚げなどを二人で頬張る。もちろん全てラウル特製である。


「天気の良い日にお外で食べるご飯って、ホント美味しいよねぇー」

「ああ、気分最高だな!」

『貴方方が美味しそうに食べる姿を見るのは、私もとても楽しいですよ』

「ツィちゃんにも後でツェリザークの雪のかき氷、シャーベットを出しますからね。デザートもいっしょに食べましょうね!」


 ランチタイムの締めにデザートは欠かせない。これはライトの持論である。

 するとここで、ライトが何気なく発した『シャーベット』という言葉にユグドラツィが反応する。


『……シャーベット、ですか?』

「ン? ツィちゃん、シャーベットは嫌いですか? シャーベットというのはいわゆるかき氷で、ぶっちゃけツェリザークの雪そのままみたいなもんですが……」

『いえ、嫌いという訳ではないのですが……実は先日、ラウルがここに来た時にクレーム・ド・カシスのシャーベットなるものをご馳走になりまして……』

「「え"」」


 シャーベットという言葉に、おそるおそるといった感じで反応するユグドラツィ。

 その様子を怪訝に思ったライトが問い返すと、何とそこでラウルの名が出てきたではないか。

 しかもクレーム・ド・カシスと聞いたライトとレオニスはさらに驚く。二人ともそれがお酒の一種、リキュールであることを知っていたからだ。


「何、ラウルが一人でここに来たのか? 珍しいこともあるもんだが……」

「あー、ラウルは多分その時砂漠蟹やジャイアントホタテの殻処理のために来たんじゃないかな。殻を割るのに騒音問題を気にしてたから」

「ああ、それでか。……つーか、それよりもだな。クレーム・ド・カシスって、酒だよな?」

「うん、リキュールでそんな名前のがあったと思うけど……ツィちゃん、お酒なんて飲……んではいないか、食べて大丈夫なんですか?」


 ユグドラツィがリキュール入りのシャーベットを食したと聞き、ライトが心配そうに大丈夫かを尋ねた。

 ライトの問いに、ユグドラツィがおずおずと答える。


『ぃぇ、それが……そのシャーベットをいただいてから、その後の記憶がほとんどなくてですね……何だか空に浮く雲にでもなったような、ふわふわとした気分になったことまでは覚えてるのですが……』

「「…………」」


 ユグドラツィの話を聞く限り、どうやらユグドラツィは酔い潰れて記憶が飛んでしまったらしい。

 レオニスは『神樹でも酒飲んだら酔っ払うんか……』と思い、ライトは『樹木にアルコールって、普通にダメじゃね?』と考えていた。


「ったく……ラウルのやつめ、何を考えてんだ」

「ホントだよ、ツィちゃんにお酒を与えるなんて……」

『あっ、いいえ!ラウルは悪くありません!ラウルのお料理教室に興味を持った私の方から、お酒のことを尋ねたんです!』


 呆れ返るように呟いたライトとレオニスの言葉に、ユグドラツィが必死にラウルのことを庇う。


「ぃゃ、それにしたって……なぁ?」

「うん……ツィちゃん、お酒入りのシャーベットを食べた後の体調はどうですか? 記憶が飛んだ他に、どこか具合が悪くなったりしてませんか?」

『そのクレーム・ド・カシスという液体も、氷にほんの数滴垂らしただけのものでしたし!私の体調の方は本当に、もう全然大丈夫です!……それに……』

「「???」」


 なおもユグドラツィの心配をするライト達に、ユグドラツィは懸命にラウルを擁護する。

 自身の体調は全く問題ないことを強く主張した後、ユグドラツィはしばし黙り込む。

 ライト達はユグドラツィの懸命な様子に、しばし無言のままユグドラツィの次の言葉を待った。


『ラウルを責めないでやってください……ラウルは……あの心優しい妖精は、ただ私の願いを聞き入れて……私の我儘な望みを叶えてくれただけなのです……』

『結果としては、貴方方にまで要らぬ心配をかけてしまいましたが……ラウルの私に対する思い遣りが、私にはとても嬉しかったのです……』

『だから、このことでラウルを叱らないでください……どうか、お願いします……』


 それまで必死だったユグドラツィの声が、だんだんと消え入りそうなくらいに小さくなっていく。

 ライト達が心配してくれることも、ユグドラツィは重々承知している。二人の気持ちもユグドラツィにとっては嬉しいしありがたいことだ。

 だが、それ以上にラウルが常に自分を気遣い、どんな小さな願いでも全力で叶えようとしてくれる真摯な姿勢がユグドラツィには嬉しかったのだ。


 そんなユグドラツィの切ない気持ちが、ライトとレオニスにも十分に伝わる。


「……分かりました。ツィちゃんがそこまで言うなら、この件に関してはぼく達はもう何も言いません。ね、レオ兄ちゃん?」

「そうだな。ツィちゃん本人が大丈夫だって言ってんだから、これ以上俺達がどうこう言い続けるのは野暮ってもんだ」

『……!! 分かってくれて、ありがとう……!』


 ライト達が理解を示したことに、消え入りそうだったユグドラツィの声に元気が戻る。

 ユグドラツィにあんなにしょんぼりとした声で説得されたら、ライトもレオニスも引き下がらざるを得ないというものだ。

 それに、ユグドラツィがラウルのことを決して悪く言わないこともライト達の心に響いた。


「全くなぁ、ラウルって本当に不思議なやつだよなぁ」

「本当だよね。でも、ラウルは妖精で、その気持ちや行動に裏表が一切ないからね。きっとそこが良いんだろうね」

「そうだなぁ。あいつの辞書には『お世辞』だの『忖度』だの『建前』なんて一切ないもんな。その分余計な一言も多いけど」


 ライトとレオニスが、何やら好き放題言っている。

 もしここにラウル本人がいたら、さらりとした顔で『度重なるお褒めの言葉、誠に光栄だ』と事も無げに言い放つであろう。

 そして当のラウルは今頃ラグナロッツァの屋敷で、盛大なくしゃみを連発しているに違いない。


「ラウルは絶対に嘘つかないし、ツィちゃんがラウルのことを気に入るのも分かるよね」

「だよな。ツィちゃんの一番のお気に入りの友達は、間違いなくラウルだよな」

『え!? そそそそんなことは……』


 レオニスの言葉に、ユグドラツィが慌てたような声になる。

 だが、『そんなことは』の後に『ない』という否定形の言葉が続かないあたり、そんなことはあるようだ。

 ユグドラツィ本人もラウルと同じく、下手な嘘などつけない。神樹もまた高位の存在であり、人間のように意味もなく嘘をついたり他者を騙したりなど決してしないのだ。


「でも、ツィちゃんにはもう二度とお酒をあげないように、これだけはラウルにもちゃんと言っておかんとな」

「うん、ラウルも一応分かってはいると思うけどね」

『ぇ?……一滴二滴なら良いのでは……?』


 ラウルにユグドラツィへの酒類の提供をくれぐれも禁止するように言うというレオニスの言葉に、ユグドラツィが思わず反論してきた。

 まさかそこで反論されるとは思っていなかったライトが、驚いたようにユグドラツィに問い返す。


「ン? ツィちゃん、もしかしてまたクレーム・ド・カシスのシャーベットを食べたいんですか?」

『んんん……あの、空に浮く雲にでもなったかのような、何とも不思議な気分だけは、またというか、たまーーーになら、味わってみても、いい、かなぁ、と、思い、まして……』


 またもユグドラツィの声がどんどん小さくなっていく。

 だが今度の消え入りそうな声は、先程の憂いを帯びたものとは全く違う。自分が我儘を言っているという自覚があり、その羞恥心から来ているようだ。

 下戸なのに、アルコールがもたらす不思議な気分を味わいたいとは何とも酔狂な話だ。酒の話だけに酔狂、なんちゃって。


 普段は控えめな性格のユグドラツィが、若干どもりながら実に言い難そうに、でも自分の希望はちゃんと伝える努力をしているのがその声音からも分かる。

 またもユグドラツィの愛らしい一面を垣間見た、ライトとレオニス。こんなに可愛らしい願いを無碍にするなど、できようはずもない。


「しゃあないなぁ。そしたらラウルにそれも言っておかんとな」

「うん、氷にリキュールは一滴だけ!ってラウルにちゃんと伝えておこうね」

『……ぅぅぅ……ありがとうございますぅ……』


 未だ恥ずかしそうな声でライト達に礼を言うユグドラツィ。

 ワッシャワッシャと大きめに揺れる枝、その葉擦れの音がユグドラツィの照れを現しているようだ。

 ライトは葉擦れの音を聞きながら、ふふふ、と笑いユグドラツィに話しかける。


「今日のツィちゃんは、いつにも増して可愛いですねぇ」

『ええッ!? ラ、ライトってば、いきなり何を言い出すんですか!?』

「ホントだな、今日のツィちゃんは特別可愛いよな!」

『レ、レオニスまで……し、神樹を揶揄うものではありませんよ!』

「えー、揶揄ってなんかいないさ、なぁライト?」

「そうですよ!ツィちゃんもラウルだけじゃなくて、ぼく達の言うことも少しは信じてくださいね?」

「そうだそうだー、俺達のこともちったぁ信じてくれー!」

『……ぅぅぅ……すみません……』


 可愛い、とライト達に言われたユグドラツィ。

 揶揄われたと思って怒ったフリをするも、すぐにライト達の逆襲に遭い敢えなく撃沈する。

 ライト達にしてみれば、可愛いと思ったのは嘘偽りない本音なので、信じてくれー!と逆襲するのは当然のことだ。


 少し前までは、神樹とこんな関係になるとは思っていなかったライトとレオニス。

 神々しいまでに雄大な神樹が、こんなに可愛らしい性格だとは夢にも思わなかった。

 普段の厳かで神々しい姿ももちろんいいが、今の親しみやすいユグドラツィの方がより好ましく思える。

 人族二人と神樹がともに過ごす今日のランチタイムは、ずっと笑い声が絶えなかった。





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 ユグドラツィの先日の酔っ払いエピソードがバレた回です。

 ユグドラツィがクレーム・ド・カシスのシャーベットで酔っ払ったのは、作中時間で言うと二週間前のことになります。

 ラウルはこの時のことは誰にも話していなかったので、ライトもレオニスも全く知らなかったんですね。

 ラウルが話さなかった理由は、特に報告する必要もなかったことと、酔っ払ったことを他人に話されたらユグドラツィが恥ずかしがるかな、とラウルが考えたためです。

 ですがまぁ、ユグドラツィ本人がバラす分には問題ない訳です。

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