第412話 転職マラソン
「こんにちは、ライト君」
鮮緑色の髪に鮮やかな紅緋色の瞳、殷紅色のローブを着たそのうら若き女性がライトに向かって明るい声で挨拶をした。
彼女の名はヴァレリア。『鮮緑と紅緋の渾沌魔女』という二つ名を持つ、BCOの中でも重要な役割を担うNPCであった。
「こんにちは、ヴァレリアさん。お久しぶりです」
「そうだねぇ、前回ここで初めて君と会ったのは二ヶ月くらい前のことかな?」
「そのくらい前ですかね」
「二ヶ月で四次職をマスターするなんて、すごいじゃないか!本当に頑張ってるんだね」
ライトの頑張りを笑顔で褒め称えるヴァレリア。
だが、ライトはその言葉を額面通りには受け取れない。何しろ彼女の意図が不明瞭過ぎて、不気味なことこの上ないのだ。
しかし、そんな不穏な空気を読めない巫女がここに一人。
『ヴァレリアさん、ライトさんの悩みを聞いて差し上げてくださいませんか?』
「ん? ライト君の悩みって何?」
『ライトさんが今お住みの家は、この神殿からものすごく遠いところなのだそうで』
ミーアは先程ライトと話していたことをヴァレリアにも聞かせた。
職業をマスターするためにはレベルリセットを繰り返し行うことが有効だ。だが、ライトの住む家からこの神殿まで物理的距離があり過ぎて、頻繁に通うことは不可能であることをミーアはヴァレリアに伝えた。
「ふむ。つまりライト君は勇者達の修行に必須の『転マラ』ができない状況にあるのか」
『はい、そのようです』
「……!!」
ヴァレリアが『転マラ』という謎の言葉を使ったことに、ライトは内心ものすごく驚愕していた。
この『転マラ』という言葉は『転職マラソン』という、BCOユーザー独自の単語およびその略語である。その言葉の意味するところは文字通りで、転職に伴うレベルリセットをマラソンのように延々と繰り返すことで、職業の習熟度アップをガンガン進めてスキルの早期獲得を目指す作業である。
前世のゲームユーザー由来の専門用語を、何故ヴァレリアは知っているのだろう。ヴァレリアどころか、ミーアまで知っているっぽいことにライトは内心で困惑するばかりだ。
そんなライトを他所に、ヴァレリアはライトに問いかける。
「時にライト君。君は今どこに住んでるんだい?」
「カタポレンの森のど真ん中と、ラグナロッツァの二ヶ所に家がありまして。どちらにも半々くらいで住んでます」
「あらまぁ、そりゃここに通うのは距離的にも無理があるねぇ」
「ええ。それにぼく、普段はラグーン学園に通ってるのでここに来れるのは土日だけなんです」
「あちゃー……そんな中で、よく二ヶ月で【常闇冥王】をマスターできたね。まぁ君のその年齢ではね、学校に通うのは当然のことだろうけど」
ライトの置かれている状況を聞き、ヴァレリアはほとほと感心しきったように呟く。
ヴァレリアはラグナロッツァがどこにあるかなどの地理的状況もちゃんと把握できているようだ。それに加えて学生という身分ではさらに動きが取れないことも、ヴァレリアは瞬時に理解した。
『ヴァレリアさん、何とか良い方法はないでしょうか?』
「うーん、そうだねぇ……ミーアが頼み事するなんて滅多にないことだし、私としても何とかライト君の力になってあげたいけど……」
ミーアの懇願するような声に、ヴァレリアも難しい顔をしながら考え込む。
ヴァレリアに言わせれば、ミーアが人に頼み事をすること自体滅多にないことらしい。転職神殿の専属巫女ともなれば滅私奉公が当然のことで、私利私欲など元より持ち合わせていないのだろう。何とも謙虚なミーアらしい。
しばらく考え込んだヴァレリアだったが、ふと顔を上げる。
何やら案が浮かんだようだ。
「よし!そしたらここに、瞬間移動用の魔法陣を置こう。そしてライト君、君がいつでもここに来れるようにすればいい」
「えッ!? そんなことができるんですか!?」
「もちろんだとも。このヴァレリアちゃんに不可能などないのだよ。エッヘン☆」
ヴァレリアの案に心底驚くライトに、ヴァレリアはふんぞり返りながら胸を張る。
だが、その案を聞いたライトには懸念があった。
「でも、転移門の設置や運用はどこかのギルドの許可が必要ですよね? 悪用防止のために、転移門の無断運用は禁じられてるって……」
「ギルドの許可? あー、そんなもん要らない要らない、だって地上で使っている転移門とは別物だし」
「……?? ぼく達が普段使っている転移門とは違うシステム、ということですか?」
「簡単に言えばそういうことだね」
ライトの懸念に、ヴァレリアはその手をパタパタと振りながら関係ないと一蹴する。どうやらライト達が常用している転移門とは違うものを指しているようだ。
しかし、そうなるとライトにはますます訳が分からない。
今の転移門だって、現時点ではサイサクス世界の技術の粋を集めた最先端のシステムだ。それと全く違う同様のシステム、そんなものをヴァレリアは一体どうやって手にしたのだろう。
「まず、この転職神殿の敷地内に瞬間移動用の魔法陣を置く。その魔法陣と、ライト君が普段使っている転移門を繋げる。そうすれば、君はいつでもここと行き来が自由になる」
「……いや、それじゃまだ自由度が足りないな。勇者候補生とは自由な存在。彼らが望む時、いつ何時でもここに来れるようになるべきだ」
「よし、そしたらライト君がここに来たい時にいつでもどこからでも来れるようにしよう」
ヴァレリアはぶつぶつと独り言を呟きながら、神殿周辺を歩いて瞬間移動用の魔法陣の設置に適した場所を選ぶ。
「ねぇ、ミーア。ここ使っていーい?」等ミーアに確認して許可を取ったり、テキパキと準備を進めていくヴァレリア。ちなみにミーアの返事も『いいですよー』という、何とも軽いものだ。
そしてヴァレリアがここと決めた場所に立ち、早速魔法陣を展開させた。
ヴァレリアが両手を高く掲げ、見たこともないような巨大で緻密な魔法陣が空中にブワッと浮かび上がる。その巨大な魔法陣を徐々に圧縮させていき、二メートル程度の大きさになったところで水平方向に向きを変えて地面に置く。
地面に置いた魔法陣は、吸い込まれるかのようにスーッと地面に消えていった。
その地面はぱっと見では変化がなさそうだったが、よくよく目を凝らして見るとうっすらと発光しているようだ。
これ、夜中に見たらビビるヤツじゃね? トイレに起きた時に廊下でこんなん見たら絶対チビる自信あるわ。ライトは内心そんなことを考えながら、ヴァレリアの作業をおとなしく眺めていた。
「ライト君、試しに一度ここから離れてくれるかい? 何、そんな遠くまで行かなくていい、今設置した魔法陣に瞬間移動で来られるかどうかの確認をしたいだけだから」
「じゃあ、この神殿から少し離れた山の中でいいですか?」
「うん、それでいいよ。ここに来るにはステータス画面を開けばいい。画面内のどこかに神殿行きを指し示す項目が追加されてるはずだから」
「分かりました」
ヴァレリアの指示に従い、ライトは転職神殿を出て山林の中に入っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヴァレリア達をあまり長い時間待たせても悪いので、一分ほど歩いて完全に転職神殿が見えなくなったところでライトは一旦立ち止まる。
早速マイページを開くと、冒頭ページに今までなかった【移動】というアイコンボタンが現れているではないか。
ははぁ、ヴァレリアが言っていたのはこれのことだな、と思いつつライトは早速そのボタンをタップした。
すると新たなウィンドウが瞬時に開き、その中に『転職神殿』という項目がぽつんと一つだけ書かれている。
その項目をタップしたライト。目の前の山林風景が一気に変わり、次の瞬間にはもう転職神殿の敷地内にいた。
「おおー、成功だね!」
『はい!ライトさんが突然ここに現れましたね!』
転職神殿にいたヴァレリアとミーアが、突如姿を現したライトを喜びながらライトを出迎えた。
ライトが地面を見ると、うっすらと発光しているのが分かる。位置的にも先程ヴァレリアが魔法陣を定着させた場所で間違いないようだ。
「これでライト君はいつでもこの転職神殿に来れるようになった訳だ。ぃゃー、良かった良かった!」
『はい、さすがヴァレリアさんです!ヴァレリアさんに相談して、本当に良かったです!』
「ぃゃぁ、それ程でもあるけどね?」
「ヴァレリアさん、ありがとうございます!」
ミーアに褒め称えられ、満更どころかかなり得意気なヴァレリアにライトも感謝の礼を述べる。
ヴァレリアが一体どういう理屈や原理でこの瞬間移動用の魔法陣を出してきたのかは分からないが、それがライト個人のためだけに用意されたものであることに間違いないのだ。
自分のために手を尽くしてくれたヴァレリアに、ライトが礼を言うのは当然のことである。
「……ところでヴァレリアさん、一つ聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「いつでもここに来れるのはいいんですが、その後―――帰りはどうすればいいですか?」
「ン? ……帰り?」
「はい、レベルリセットした後の帰り道はどうしたらいいのかなー、と。ステータス画面の行き先には『転職神殿』しか選択肢がなかったですし……」
「『「………………」』」
ライトの尤もな質問に、ミーアの絶賛やライトの礼に気を良くしていたヴァレリアの動きがピタッと止まる。
いやいや、まさかまさか。『鮮緑と紅緋の渾沌魔女』とまで呼ばれし二つ名持ちのヴァレリアに限って、帰り道のことを失念していたなどということはあるまい。……ないよね?
そう思いながらライトはヴァレリアの顔をじっと見つめるも、彼女の視線は何故か左右を行ったり来たりして泳ぎまくっている。
「……あー、うん、帰り道ね。もちろんそれだって忘れてはいないよ、うん!」
「……本当ですかぁ?」
「ももももちろんホントだとも!……あッ、ライト君、何だねその疑り深い眼差しはッ」
『……本当ですかぁ?』
「ああッ、ミーアまで疑うとかしどいッ」
ライトだけでなく、ミーアにまで疑いの目を向けられたことにヴァレリアは大ショックを受ける。
だが如何せんこの状況この空気では、すっかり失念していたと疑われても致し方なしである。
「……あー、コホン。えーとね、ライト君。君のステータス画面を開いてくれるかな?」
「あ、はい」
「この【移動】を使って転職神殿に瞬間移動できるようにしたのは理解できてるよね?」
「はい、さっきそれを使ってここに瞬間移動しましたので」
「そしたら、この【移動】の中に君の任意で設定できる行き先を増設しよう。……そうだな、とりあえず空欄を三ヶ所でいいか」
ライトはヴァレリアの言うがままにマイページを開く。
スススー、とライトの真横に来たヴァレリアがマイページ画面を覗き込み、自らの手で【移動】のページを開きながら、ちょちょいのちょいーと何やら操作していく。
そして気づいた時には、【移動】の中の『転職神殿』の他に空欄のアイコンボタンが三つ増えていた。
「ライト君、魔石か何か持ってないかい? なければそこら辺の石ころを拾ってきてもいいんだけど」
「魔石ですか? それなら何個か持ってます」
ヴァレリアの求めに応じ、ライトはアイテムリュックの中から魔石を何個か取り出した。
ライトの手のひらの上に乗せられた魔石を見て、ヴァレリアは感心したように呟く。
「ほほぅ、これはこの世界独自の魔石か。とてもいいね、良質で強い魔力が詰まっているのが感じられる」
「この魔石でいいですか?」
「ああ、もちろんだとも!じゃあ、この上質な魔石を三個いただくよ」
ヴァレリアはそう言うと大きめの魔石を三個選び取り、ライト達から少し離れた場所に移動した。
そして先程瞬間移動の魔法陣を展開した時と同じように、巨大で緻密な魔法陣を宙に展開させてそれを極限まで凝縮、魔石に吸い込ませていく。
これをヴァレリアは魔石三個分、三回繰り返した。
「この魔石は、今この転職神殿内に設置した瞬間移動の魔法陣と対応させたから。ライト君が戻りたい場所にこの魔石を置いて、ステータス画面に登録すればここの魔法陣からそこに戻れる」
「ステータス画面の登録はどうすればいいですか? 」
「アイコンボタンには任意の文字で登録できるよ。家に帰ったらステータス画面を操作するといい。ステータス画面に登録しないうちは瞬間移動も発動しないから、転マラ活動をしたいなら早めに登録することをオススメするよ」
「分かりました!」
ヴァレリアが瞬間移動の魔法陣を詰め込んだ魔石三個をライトに手渡す。
その魔石は通常の魔石と比べて、目に見えて中心部から強い光を放っている。そしてよくよく見ると、魔石の中に魔法陣の枠や文字が浮いているのが分かる。
これなら他の魔石と間違えることはなさそうだ。
ライトはヴァレリアから受け取った瞬間移動用の魔石を大事にアイテムリュックに仕舞う。
何はともあれ、どうやらこれでライトも転職マラソン、略して転マラを行うことができそうだ。職業システムの全職業制覇を目指すライトにとっては、これ以上ない朗報である。
ライトは改めてヴァレリアに深々と頭を下げた。
「ヴァレリアさん、本当にありがとうございます!」
「いえいえ、どういたしまして。君が勇者として歩む道の手助けができて、何よりも嬉しいよ」
「勇者……それは……」
ヴァレリアはライトのことを相変わらず勇者だと思っているようだ。ライト自身には全くそんな自覚はないというのに。
勇者と呼ばれる度に、その都度困ったような顔をするライトにヴァレリアは小さく微笑みながら口を開いた。
「それより―――四次職マスターのご褒美の方は要らないのかい?」
====================
前話に続き、今回も職業システムにまつわるお話。
システム的な話ってあまり盛り上がるもんでもないよなー、とは思うんですが……ここら辺はライトの勇者としての今後の修行にも関わる根幹部分なので、疎かにする訳にはいかないんですよねぇ。
おかげでヴァレリアへの質問が次回に後回しになってしまいました><
ちなみにライト的には瞬間移動用の魔石の取り扱いがかなり気になったようで「小物入れとか引き出しとかの密閉空間に仕舞ったらどうなるの?」「机や箪笥の上とかの高い位置に置いたら、移動場所もそこになっちゃうの?」等々ヴァレリアにいくつか質問したようです。
答えは『魔石を置いた近辺で最も開けた空間に移動する』でした。
多少変なところに保管しても、これなら安心ですからね☆(ゝω・)
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