第336話 ツェリザークの最大の脅威の再来

 必死に助けを求める声を聞きつけたレオニスとラウルは、一瞬だけ互いの顔を見合わせた後すぐに急いで駆け寄っていった。


 何度も雪に足を取られて転んでは、再び前のめりになりつつ慌てて走り出す中年男性が見える。

 もつれた足で再び雪の中に思いっきり転んだ中年男性のもとに、レオニスとラウルがようやく辿り着き身体を抱き起こす。


「おい、大丈夫か!」

「どうした、一体何があった!?」

「……ぅぅ、ぁ……」


 その中年男性は、この深い雪の中を無我夢中で走り続けてきたのだろう。完全に体力が消耗しきっていて、ろくに返事すらできないようだ。

 レオニスが中年男性の背中を支えながら抱き起こす。

 その横でラウルが空間魔法陣からエクスポーションの瓶を一本取り出し、蓋を開けてから中年男性に差し出す。


「おい、これを飲めるか?回復剤のエクスポーションだ」


 中年男性は震える手でラウルの差し出したエクスポーションを受け取り、両手で持ちながら少しづつ飲んでいく。

 ゆっくりとだが、何とか一本全部を飲みきった中年男性。完全に上がっていた息もだんだんと整ってきて、少しづつ落ち着いて来たようだ。


「……はぁ、はぁ……ありがとう、助かった……」


 何とか人心地がついてきた様子を見て、レオニス達もほっと一息つく。

 中年男性は自力で身を起こし、胡座をかいて座り直した。


「もう一本要るか?」

「いや、もう大丈夫だ……改めて礼を言わせてくれ、本当にありがとう」

「気にするな、困った時はお互い様だ。それより一体何があった?こんな城壁の外で何をしていたんだ?」


 改めて頭を下げて礼を言う中年男性に、レオニスが何事があったのかを問い質した。

 中年男性はまだ若干荒めの息を整えながら、少しづつ事情を話していく。


「俺は冷晶石管理技師のスミスってもんだ。冷晶石の生成装置の開発と維持管理が主な仕事で、特にこの時期は一日三回の冷晶石回収が必須で見回りもするんだが」

「今日もこの先にある冷晶石の生成装置に、いつも通り冷晶石の回収と装置の点検をしに行ったんだが……そこに奴が……邪龍の残穢が北の空から接近してきたんだ」

「何ッ!?邪龍の残穢だと!?」


 スミスと名乗る中年男性の話に、レオニスが目を見開きながら驚愕する。

 邪龍の残穢とは、かつてライト達が氷の洞窟周辺を訪れた際にも遭遇したことのある、このツェリザークの地において最大の脅威である強力な魔物だ。


「普段は『魔物除けの呪符』を持ち歩いて作業に回っているんだが、さすがに邪龍の残穢相手には効かなくてな……」

「あんた、技師なんだろ?よく邪龍の残穢から逃げてこれたな……」

「一応御守のつもりで『身代わりの実』も常に携帯してたからな。さすがに今回は使っちまったよ、自分の命にゃ替えられんから仕方ないが」


 スミスが使用したという『身代わりの実』とは、即死に至る攻撃ダメージを受けた際に一度だけ身代わりとなって引き受けてくれる、いわゆる即死回避アイテムのことである。即死攻撃を受けて回避効果が発動するとその場で粉々に砕け散る、一回限りの使い捨て消費アイテムだ。

 だが、魔物や襲撃者からの即死攻撃リスクを回避できるとあって、高位の王侯貴族や冒険者でも常に一つは所持している者も多い。


 冷晶石の回収業務は、かなり危険を伴う仕事だ。ツェリザークの街の中ではない、城壁の外を歩き回りながら行う。それだけで魔物と遭遇するリスクが高いのだ。

 そのため、スミスも魔物除けの呪符だけでなく万が一の場合に備えて身代わりの実も用意し、常に持ち歩いていたのだろう。その慎重さが功を奏し、こうして命拾いしたのだ。

 やはり『備えあれば憂いなし』である。


「しかし、何で技師自らが回収業務までしてんだ?そういうことは冒険者とかに任せた方がいいんじゃないのか?」

「ああ、もちろん普段はそうしている。だが、何しろこの時期は冷晶石生産の繁忙期でな……週に一度は生成装置の点検や整備もしなきゃならないんだ。俺の本業は整備業務の方で、回収はそのついでなんだが……その週一の業務中に運悪く奴に遭遇しちまったという訳さ」

「そういうことか……」


 レオニスの素朴な疑問に、スミスがため息をつきながら答える。

 確かに冷晶石の生産は、冬である今が最も旬にして最盛期だろう。一日に三回も冷晶石の回収をするということは、かなりの勢いで生産しているということでもある。

 それだけの量の冷晶石をフル稼働で生産をしているならば、生成装置の方もこまめに点検整備しなければならない。回収作業だけなら冒険者に依頼できても、生成装置の点検整備はさすがに専門技師でなければできない仕事だった。


「邪龍の残穢に出くわしたのは、あんた一人か?他に同行者はいないか?」

「ああ、俺はいつも一人で回ってるからその心配はない。今日も俺一人での作業さ」

「そうか、ならひとまず安心だな。だが……邪龍の残穢は討伐しとかなきゃならんな」


 スミス以外に被害に遭った人がいないということを聞き、レオニスはひとまず安堵する。

 だが、邪龍の残穢がこの地に出現し近くにいることを知った以上、レオニスは冒険者としてこのまま放置しておく訳にはいかなかった。

 レオニスが邪龍の残穢を討伐するつもりであることを知ったスミスが、目を大きく見開きながら驚愕した。


「ちょっと待て、あんた一人で邪龍の残穢を討伐しに行くのか!?あれは冒険者ギルドが緊急依頼を出して派遣部隊を出動させるような、とんでもなく危険な魔物なんだぞ!?一人で討伐するなんて無茶だ!!」

「いや、そこら辺は心配しなくていい。邪龍の残穢如きに負けるつもりはない」

「邪龍の残穢如き、って……あんた、一体何者だ……?」


 レオニスはスミスに対してまだ自分が何者か名乗ってもいないので、レオニスの正体を知らないスミスが慌てて思いとどまらせようとするのも無理はない。

 レオニスを止めようと必死に説得するスミスだったが、当のレオニスは事も無げに心配無用と告げる。

 強大で凶悪な魔物で知られる邪龍の残穢を相手に『如き』と言い放つレオニスに対し、スミスは信じられないものを見るような面持ちでレオニスを凝視した。


 だが、そんな空気を一切読まない妖精がここに一体。


「……なぁ、レオニス。その『ジャリュウノザンエ』っての?今から退治しに行くのか?」

「ああ。あれが発生したと聞いてはな、放置してはおけん」

「何だ、そいつはそんな危険な魔物なのか?」


 ラウルはこのツェリザークから遠く離れた地の生まれなので、邪龍の残穢がどういった魔物なのか全く知らないようだ。

 そんなラウルに対し、レオニスが邪龍の残穢の危険性を話して聞かせた。


「ああ、奴の危険度はかなり高い。動くものを見れば人魔問わず襲いかかってくるという性質もだが、何より厄介なのは全身から大量の魔瘴気を撒き散らすんだ。奴が存在するだけで、周囲の全てのものが奴の魔瘴気に汚染され続けていく」

「何?周囲が魔瘴気に汚染され続ける、だと?……まさか……」

「そう、そのまさかだ。奴の出現地点から討伐地点まで、奴が通過した場所は樹々から岩から氷雪、地面の土や小石の一欠片に至る全てが魔瘴気に侵されてどす黒く染まるんだ」

「何だとッ!?!?」


 それまで邪龍の残穢の知識が皆無だったラウル。それ故に危機感も薄く、のほほんと構えていられた。

 だが、邪龍の残穢が撒き散らす害が氷雪にまで及ぶと聞かされてはさすがに黙ってはいられない。ラウルは綺麗な雪を採るために、このツェリザークに来たのだから。

 そのお目当ての雪が、邪龍の残穢の出現によって魔瘴気で黒く汚されるというではないか。聞き捨てならない事態を聞いたラウルは、まさしく血相を変えて叫ぶ。


「何故それを早く言わん!そんなとんでもねぇ奴、この世から一秒でも早く抹殺せにゃならんじゃないか!!」

「どこだ!どこにそいつはいる!?」

「………………あっちだな!?」

「あっ、おい、ラウル!待て!」


 ラウルは一頻り叫んだ後、急に無言になりキョロキョロと周囲を見回す。

 そしてある一点を見定め、数瞬凝視したと思ったら突如その方向に向かって駆け出した。おそらくはラウルのその鋭い魔力感知能力を駆使し、邪龍の残穢がいる方向を捉えたのだろう。

 レオニスが咄嗟に叫んで止めようとするも、その言葉が届く前にラウルは飛び出していってしまった。


「くそっ、あのバカ…………スミスと言ったか。すまんが、ここでしばらく休んでてくれるか?」

「あ、ああ」

「もう一本エクスポーションを渡すから、もし自分の足だけでツェリザークに戻れるようならこれを飲んで先に帰還してくれて構わん。何、俺達のことは心配いらない」

「……分かった、もう少しここで休んでからツェリザークに戻ることにする。冒険者ギルドにも邪龍の残穢が出現したことを伝えておくよ」

「すまんな、そうしてもらえると助かる。冒険者ギルドには、邪龍の残穢の討伐にレオニス・フィアが向かったと伝えといてくれ」

「レオニス・フィア!?……ああ、分かった。あんたも気をつけてな」


 レオニスが空間魔法陣からエクスポーションを一本取り出し、スミスに手渡す。帰還の案や冒険者ギルドへの連絡を頼むと同時に改めて名乗ると、スミスの顔は驚愕に染まりながらも安堵を得た表情になる。

 レオニス・フィア―――大陸一の最強現役冒険者であるその名を知らぬ者は、このアクシーディア公国に一人もいない。その名を聞けば、たとえ邪龍の残穢が相手であろうと難なく討伐できることはスミスにも容易に理解できたのだ。


「ありがとうよ。じゃ、そういうことで後は頼んだ。俺は今からあのバカを追っかけて邪龍の残穢を退治してくるわ」


 レオニスはスミスに急ぎ伝えると、ラウルが飛び出していった方向に駆け出していった。





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 冷晶石管理技師のスミスを救った『身代わりの実』。実はその名前だけはレアアイテムの一例として第171話にて出てきています。それが今回実在の物として出てきました。


 普段は回収作業などしないスミスですが、この日は繁忙期故の週一点検整備業務に出た先で邪龍の残穢と遭遇してしまったという、何とも不運な人です。

 ですが、邪龍の残穢の即死攻撃が一度だけで済んだ(スミスが雪原に倒れ込んでしばらく動かなかったのを見て、仕留めたと思った邪龍の残穢は満足してそのまま去っていった)ことで命拾いし、さらには近くにレオニスとラウルが居合わせたことも不幸中の幸いでした。

 邪龍の残穢は残留思念体で肉体を持たないので、捕食活動などは一切しないのです。


 ちなみにこの身代わりの実、アイテムとして購入しようと思ったら最低でも50万Gは必要になります。ですがまぁ『命あっての物種』という言葉通り、500万円で即死を免れることができる訳で命には替えられません。

 とはいえ即死攻撃を受けるような危機的な場面では、その元凶を完全に退けるか逃亡成功等の打開策を打ち出せなければ早晩詰みになるんですけど。

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