第265話 大神樹ユグドラシア

 そうこうしているうちに、ライト達一行は目的地であろう大樹の前に辿り着いた。

 その大樹の大きさに、ライトは息を呑む。首を真上に上げてもそのてっぺんが見えない。幹の太さも直径数十メートルはあろうかという極太さだ。

 ライトがよく好んで出かける神樹ユグドラツィも立派な大樹だが、今眼前にあるこの大樹はそれより確実に一回りは大きい。


「うわぁ……すごく大きな樹だね……これ、神樹?」

「ええ、大神樹ユグドラシアといいます。八咫烏はこの大神樹のもとに住み、大神樹を守りその言葉を伝えることを使命とする一族なのです」

「大神樹って、言葉を話せるの?」

「はい。大神樹が言葉を発するのは何十年かに一度程度なのですが、折々に祝福の言葉や警告などを我々に伝えてくださいます」


 そうなんだぁ……ぼくも神樹ユグドラツィとお話してみたいなぁ。神樹の言葉なんて滅多に聞けないだろうけど。

 つーか、何十年に一度程度の頻度なの?それって一生に一度か二度聞けるかどうかってこと?うーん、それは寂しいなぁ……できるならもうちょっとお喋りできたら嬉しいんだけど。

 よし、今度神樹ユグドラツィのところに遊びに行ったらダメ元でお願いしてみよう!


 大神樹ユグドラシアの前で、感慨に浸りながらそんなことを考えていた時。

 ライトの頭の中に、何者かの声が直接響いた。

 

『我が弟妹の愛し子よ。ようこそはるばるここまできました』



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 突如ライトの脳内に響いてきた声。それはとても穏やかで優しく、聞く者全てに安らぎを与えるような美しい響きを伴っていた。


 だがしかし、あまりにも突然の出来事にその美しい声音に感動する以前にびっくりし過ぎたライト。

 え?今の、何?誰の声?まさか幻聴?と考えながら、キョロキョロと周囲を見渡す。そして、固まっていたのはライトだけではなかった。

 その場にいたラウルやマキシも固まっている。唯一末妹のミサキだけが、当然のことのようにニコニコとしている。

 どうやらライトが聞いた声は、他の皆にも聞こえていたようだ。


「……ラウル、マキシ君、皆にも今の、聞こえた?」

「ああ……『我が弟妹の愛し子よ』とか何とか聞こえてきた」

「僕もです……」


 三人、いや、二人と一羽はそれぞれ首をグギギギ……と回しながら互いに確認する。

 だが、ミサキだけは何が疑問なのか全く分からないといった風に口を開いた。


「マキシ兄ちゃん達、どしたの?ユグちゃんが『おかえりー』って言ってくれてるよ。良かったね!」

「てゆか、弟妹の愛し子?てことは、ライトちゃんやラウルちゃんの近くにも神樹があるんだね!」

「ユグちゃんとっても嬉しそう。ユグちゃんがこんなに嬉しそうにすることなんて滅多にないよ、これってスゴいことなんだから!」

「嬉しいことがあって良かったねぇ、ユグちゃん」


 ミサキが『ユグちゃん』と呼ぶのは、間違いなくこの大神樹ユグドラシアのことだろう。

 そして大神樹ユグドラシアが発した言葉『我が弟妹』というのは、ミサキの解説によるとどうやらライトが足繁く通う神樹ユグドラツィのことを指しているようだ。


 ミサキは大神樹ユグドラシアの喜びを感じ取り、それを分かち合うべく大神樹の根に寄り添い頬ずりをしている。

 その様子に、ハッ!と我に返ったマキシがミサキに問うた。


「……ミサキには、大神樹ユグドラシアの声がいつも聞こえてるの?」

「……あッ。えッとね、そのね、これはね……ううう、実はユグちゃんとの約束で秘密なの。ホントは誰にも言っちゃいけないことなの><」


 マキシからの問いに、ミサキはしまった!という顔で目を >< にしながら慌てて言い繕う。


「このことは、兄様姉様だけでなく父様や母様にも教えてないことなの><」

「だからマキシ兄ちゃんも、ライトちゃんやラウルちゃんも、ナイショにしてね?誰にも言わないでね?><」

『……ミサキよ、本当に其方はおっちょこちょいですねぇ……』


 ミサキの慌てふためく様子に、先程の声が半ば呆れたようにツッコミを入れる。

 だがその声音は本当に愛想を尽かすようなものではなく、やれやれ、仕方ないですねぇ、といった感じの穏やかなトーンだ。


「マキシ兄ちゃんが帰ってきてくれたのが嬉し過ぎて……ユグちゃんとの約束破っちゃった……ううう、ユグちゃん、ごめんなさい」

『……ミサキだけが悪い訳ではないですよ。私も弟妹のオーラを持つ者に会えて、柄にもなくはしゃいでつい声をかけてしまいました』

「……ユグちゃん、許してくれるの?」

『ええ、ミサキにそこまで泣かれては私も困ってしまいます』

「ユグちゃん、ありがとう!ユグちゃん大好き!」


 大神樹ユグドラシアとの秘密の約束を破ってしまったことに対して、涙をポロポロと零しながら謝るミサキ。マキシとの再会に喜び過ぎて、つい我を忘れてしまったようだ。

 そんなミサキの真摯な姿に絆されたのか、さほど怒ることもなく静かに許す大神樹ユグドラシア。

 ミサキとユグドラシアの絆の深さが伺える。


「マキシ兄ちゃん達も、本当にお願い。このことは誰にも言わないで」

「もちろん分かってるよ。ラウルもライト君も、勝手に言い触らすような人達じゃないから」

「おう、俺は人様の秘密をペラペラと喋るような輩じゃないぞ」

「うん!もちろんぼくだって誰にも言わないよ!……あ、でも大神樹ユグドラシアからぼく達に向けて歓迎の言葉をもらえたってのは、レオ兄ちゃんにお話してもいい?」


 口止めを頼まれたライトが、ユグドラシアの歓迎の言葉をレオニスへの土産話として話してもいいものかどうかを周囲に尋ねてみる。


「うん!ナイショなのはミサキとユグちゃんがお話できるってことだから、そこをナイショにしてくれれば大丈夫なの!」

「まぁ大神樹ユグドラシアの声を聞けたこと自体が奇跡に近いことですし……八咫烏の里の土産話として、レオニスさんにも聞かせてあげたいというライト君の気持ちも分かります」

「そうだな、日頃カタポレンの森の警邏をしているレオニスになら話しても問題はなかろう。もちろんレオニスにも他言無用を言い渡す必要はあるが」


 ミサキと大神樹ユグドラシアがツーカーの仲?という部分を伏せれば、レオニスに話しても良さそうだ。


『レオニス―――このカタポレンの森の番人の名ですね。其方達は彼の番人に所縁のある者なのですか?』


 ライト達の会話を受けてか、大神樹ユグドラシアが再びライト達に問いかけてきた。


「あ、はい。レオ兄ちゃんはぼくの保護者でして。ぼくの両親が続けて亡くなって、他国で孤児になるところだったのを両親の幼馴染だったレオ兄ちゃんが引き取ってくれたんです」

「俺はカタポレンの森で赤闘鉤爪熊にズタボロにやられたところをレオニスに拾われて、救ってもらった。その礼という訳じゃないが、今は人里でレオニスの屋敷の執事として雇われている」


 ライトとラウル、それぞれが簡素にレオニスとの縁を語る。


『そうですか……私自身はこうして日々八咫烏達に守られていますし、何より一歩も動けぬ身ですが……カタポレンの森の番人の噂は、時々風に乗って聞こえてきます』

『彼の者の功績は、弱き者達にこそもたらされる希望の光。人の身でありながらカタポレンの森に長く住まい、日々献身的に尽くすその姿勢は誠に天晴れ』

『大神樹ユグドラシアもその働きに感謝している、と伝えておいてください』


 驚くべきことに、この大神樹ユグドラシアのもとにもレオニスの名が轟いているのだという。

 これもカタポレンの森の番人として、レオニスが日々真面目に働いてきたおかげだろう。

 敬愛するレオニスが褒められ感謝されていることに、ライトはとても嬉しかった。


「はい!レオ兄ちゃんにも絶対にユグドラシアさんの感謝の言葉を伝えます!」

「……って、何だろう。ユグドラシアさんって呼び方、変?ユグドラシア、様?」


 興奮気味に返事をしたはいいものの、ユグドラシアに対して何と敬称をつけていいものやら、はたと迷うライト。

 そんなライトに、周囲は適当な感じで相手をする。


「んー、そこは『ユグドラシア様』じゃないか?ほれ、一応大神樹なんだし」

「ラウル……一応って何気に失敬過ぎない?一応どころかれっきとした大神樹様だよ?僕達八咫烏一族が平伏して崇め奉る、神様にも等しい御方だよ?」

「いやいや、お前の妹なんてユグちゃん呼びじゃねぇか」

「んぐッ、そ、それは……」


 いつものように何気に失敬なラウルをマキシが窘めるも、実妹の言動を持ち出されて速攻で論破されてしまうマキシ。

 ぐぬぬな双子の兄に、その妹ミサキは事も無げに言い放つ。


「ユグちゃんはユグちゃんだよ?ね、ユグちゃん!」

『ええ、どのように呼ばれようと私は私。ユグドラシアに変わりありません』

「ほら、ね!だから皆もユグちゃんでいいんじゃなぁい?」


 大神樹ユグドラシアも、自身が何と呼ばれようと変わりはないと言う。ミサキほどぶっちゃけたあっけらかんな性格とまではいかないが、なかなかに気さくな人柄ならぬ大樹柄?のようだ。

 だがここで、ライトがさらに迷いだす。


「えー、でもユグちゃんだとうちの近くの神樹ユグドラツィと区別つかなくなっちゃう……」

「ライトちゃんとこの神樹は、ユグドラツィってお名前なの?そしたら確かに、ユグちゃんだけだと完全に混ざっちゃうねぇ」

「だよねぇ……そしたら違う部分で呼ぶのが一番いいのかな?」

「違う部分というと『シア』と『ツィ』ですか?」

「うん。……そうだね、そしたらぼくはここの大神樹のことは『シア様』って呼ぼうかな!」

「おっ、それいいんじゃね?何か響き的にも可愛らしいし」

「向こうの神樹は『ツィ様』、次に遊びに行ったらそう呼ぼう!」


 二人と二羽が、何やら楽しげに大神樹達の愛称をどうするか議論を交わしている。

 その結果、どうやら八咫烏の里の大神樹ユグドラシアは『シア様』、ライトの近所の馴染みの神樹ユグドラツィは『ツィ様』に決定したようだ。


「ユグちゃん、ライトちゃん達はユグちゃんのことを『シアちゃん』って呼ぶんだって!可愛い呼び方にしてもらえて良かったね!」

「えッ、ちょ、待、ミサキちゃん?『シア様』が『シアちゃん』に入れ替わっちゃってるよ?どゆこと?」

「ワタシも今度からシアちゃんって呼ぼうかなー、でも呼び慣れたユグちゃんも捨て難いしー」

「あッ、これ聞こえてないヤツ」


 四者の話し合いの結果を、ミサキが嬉しそうに大神樹ユグドラシアに向かって報告する。

 さり気なく様付けがちゃん付けに変わってしまっているのは、ミサキの他者への敬称が父母や兄弟姉妹以外は全てちゃん付けになっているせいだろうか。

 慌てたライトがそれを訂正しようとするも、ミサキには暖簾に腕押し糠に釘なことを早々に察して項垂れる。


『シアちゃん……ふむ、なかなかに愛らしいではないですか』


 ライト達がわいわいと会話するその傍で、大神樹ユグドラシアもまんざらでもなさそうに独りごちていた。





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 本文中に出てくる『天晴れ(あっぱれ)』という言葉。

 これ、本当は『天晴』で末尾に『れ』がつかないのだそうで。しかもこの『天晴』も実は当て字で、国字だと『遖』なのだとか。

 ちなみ国字とは……


 日本製の漢字の意。和字ともいう。中国の漢字の字体にならって新たに字体をつくりだしたもの。(中略)また,字形そのものはすでに中国に存在したが,日本においてまったく異なる意味で用いるようになったものをさすこともある。

 (By.コトバンク/日本大百科全書 (ニッポニカ)「国字」の解説より引用)


 今回の『天晴』に関しては、『れ』がついている方が分かりやすいのでそちらにしましたが。

 というか『れ』がついてないと『晴天』とか間違われそうだし、ましてや国字の『遖』なんて読める人の方が絶対少ないはず。これ、クイズ番組の出題なら絶対に【正解率5%】とかで出るヤツでしょ!


 ぃゃー、漢字も日本語も尽きることのない奥深さがあることを改めて思い知った作者です。

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