第155話 悲嘆と欣幸

 その日の授業も恙無く終わり、一秒でも早くラグナロッツァの屋敷に帰ろうとラグーン学園1年A組の教室を飛び出したライト。

 いつものように貴族門を出ようとした時、門番をしていた衛兵に声をかけられた。


「あー、君、レオニス卿のところのライト君、だよね?」

「ん?……はい、そうですが……」


 ライトが門番の衛兵から声をかけられるなど、ラグーン学園に通うようになってから今日が初めてのことだ。

 一体何事か?と身構えていると、その衛兵はチョイチョイ、と手招きをするではないか。


 ますます訳が分からないライトだったが、衛兵はチョイチョイと手招きしたその手で今度は自分の後ろを指差すジェスチャーをする。

 その指の先を見ると、衛兵と貴族門の外壁の間に誰かが体育座りしているようだ。膝を抱えながら俯いていて、その顔は全く見えない。

 終始困ったような顔をしていた衛兵は、不審人物を目視で確認したであろうライトに説明した。


「いや、何だかね?この人がラグーン学園に入ろうとしたんだけど、襟章がないから止めたんだ」

「そしたら『ライトきゅんが授業終わって出てくるまで、吾輩ずっとここで待つ!』って言って聞かなくてね……」

「『レオぽんとこのライトきゅん、分かるよね!?来たら教えて!!』と言ったきり、ここから梃子でも動かないんだ……」


 ん?『ライトきゅん』とな?

 ライトのことをそう呼ぶのは、今のところこの世で唯一人である。

 しかも一人称が『吾輩』とくれば、いよいよもって該当人物は一人しかいない。


「……フェネぴょん?」


 ライトがおそるおそる声をかけると、蹲るように体育座りをしていたその人物、フェネセンがガバッ!と顔を上げた。

 ライトの顔を見た安堵からか、フェネセンの目にはじわじわと涙が溜まっていく。


「ううう……ライトきゅん……」

「フェネぴょん、こんなところで一体どうしたの?」

「ぅぅぅ……うわぁぁぁぁん!」

「ちょ、フェネぴょん、どうしたの?」


 フェネセンが、辛抱堪らず大粒の涙を流しながら泣きだした。

 突然の号泣にびっくりするライトだったが、こんな場所でずっと大泣きされ続けても困るので、ひとまずラグナロッツァの屋敷に向かって歩きながら話を聞くことにした。


「とりあえず、おうち帰ろう?」

「ダメ……ラウルっち師匠に追い出された」

「え?追い出された?」

「うん……マキシの全快祝いの支度するからお前は外で遊んでろ、19時まで帰ってくんなって言われた……」

「……あー……」


 確かに今日マキシの足輪外しが全て完了するので、マキシの全快祝いを今晩するということはフェネセンも聞いて知っている。

 だが、それと同時にフェネセンの門出を祝う集いをすることまではフェネセンには話していないのだ。


「そうだね……ラウルの仕事の邪魔をしてもいけないし、そしたらアイギスにでも行k……」

「カイにゃん達、いない……」

「え?」

「買い出しのため臨時休店って札がかかってた……」

「……あー……」


 涙ぐみながら話すフェネセンの言葉に、ライトはおおよそのことを察した。

 この様子だと、フェネセンが訪ねて行った先々で悉く誰もいなかったのだろう。


「皆……皆、いないの……」

「吾輩、会いに行ったのに……皆留守で……誰もいなくて……」

「カイにゃん達も、クレアどんもいなくて……ぐりゃいふのところにも行ったのに、そこもお店閉まってて……」

「旅に出る前に、皆に会っておきたかったのに……」

「びええええええん!!」


 会いたくて出向いた先々で誰にも会えず、悲嘆に暮れながらラグーン学園の門の前でライトを一人待ち続けたフェネセン。ようやくライトに会えたことで我慢の限界がきたのか、ライトに抱きつき号泣し続けるフェネセンの姿はとても痛ましく、ずっと話を聞いていたライトもさすがに可哀想になってきた。


「フェネぴょん、ラグナロッツァの家に入れないならとりあえずカタポレンの家に行こう?」

「ううう……うええぇぇぇん……」

「ほら、カタポレンの家にはレオ兄ちゃんもいるだろうからさ、ね?」

「レオぽん……うん、吾輩、レオぽんとこ、行く……」

「じゃあ、カタポレンの家の転移門に直接転移してもらっていい?」

「うん……」


 直接転移する姿を人に見られる訳にはいかないので、とりあえず建物の陰に隠れて誰にも見られない位置に移動してから二人はカタポレンの家に転移した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カタポレンの家に移動した、ライトとフェネセン。

 転移門のある部屋は、ライトの自室である。そのライトの部屋にある机の上は、珍しく少し乱雑になっていた。


「ライトきゅん、これ……」


 机の上に置かれていたものを見たフェネセンは、制服を脱いで私服に着替えている最中のライトに声をかけた。

 ライトはもぞもぞと上着を着替えながら、フェネセンの問いかけに答える。


「ん?あ、それ?一昨日話した、フェネぴょんへの御守の練習の後だよー」

「ごめんね、ちょっと散らかってて恥ずかしいんだけど」

「練習ものんびりとしてらんないから、昨日一昨日ずーっと普通の毛糸で練習してたの」


 照れ臭そうに答えるライトと、机の上の練習の跡をじっと見つめ続けるフェネセン。そこには色とりどりの毛糸と、途中まで編み込まれた紐が散らばっている。


「ほら、貴重な銀碧狼の毛糸で失敗作作る訳にもいかないでしょ?」

「それに、下手くそな編み込みで作ったものなんてフェネぴょんに渡したくないしさ。御守としてプレゼントするなら、ちゃんとしたものをあげたいんだ」

「ライトきゅん……」


 ライトの机の上には、本当にたくさんの未完成の紐があった。その数も五本や十本ではきかない、何十本もの編みかけの品が積み重なっていたのだ。

 その積み重なった品々は、ライトが寝る間も惜しんで特訓していたことを示す証拠だ。そしてその熱意は唯一人、フェネセンに向けて捧げられたものに他ならない。


 自分に寄せられた純粋な好意をありありと示すその光景を目の当たりにしたフェネセンは、今度は感激の涙を流し始める。


「ううう……吾輩のことを一番に思ってくれるのは、ライトきゅんだけだよぅぉぅぉぅ」

「吾輩、ライトきゅんと知り合うことができて、本当に……本当に良かったぁぁぁぁ」

「ライトきゅん、これからもずっと、ずーっと吾輩と友達でいてね……ぅぅぅ」


 ラグーン学園の貴族門の前で流した悲嘆の涙とは違う、喜びの涙を溢すフェネセン。

 制服から私服に着替え終えたライトは、慌ててフェネセンを宥める。


「ちょ、フェネぴょん、そんなにずっと泣いてばかりいたらそのうち目が腫れて開かなくなっちゃうよ?」

「あ、そうだ、19時までまだ時間もあるし、お風呂入っちゃおっか」

「フェネぴょん、このカタポレンの家のお風呂に入ったことある?え、ない?じゃあいっしょに入ろ!広くて大きくて、とっても気持ちいいよ!」

「たくさん流した涙もお風呂で洗い流してさ、さっぱりしようよ!」


 泣き続けてばかりのフェネセンを落ち着かせるために、矢継ぎ早にお風呂に行こうと誘うライト。


「あ、その前にレオ兄ちゃんにただいまの挨拶してこなくちゃ」

「ただいましたらそのままお風呂行くよ!ほら、行こう!」

「レオ兄ちゃーん、たーだーいまー!今からフェネぴょんとお風呂入ってくるから、よろしくねー!」


 レオニスがいるであろう書斎に行くことなく、大声で帰宅の挨拶他諸々を済ますライト。すると、書斎のある方向から

「……おー、おかえりー、風呂なー、了解ー……」

という、扉越しでの応答故か小さな音声でレオニスの返事が聞こえてくる。


「あ、フェネぴょん、着替えある?ちょっと小さいかもだけど、ぼくの大きめの服着る?」

「バスタオル二枚に、着替え二着分に……あっ、今日はお風呂の中でジュースも飲んじゃおう!」

「いざ、お風呂へ行くぞー!」


 フェネセンの手を引き、有無を言わさぬ勢いで風呂場に向かうライト。

 お風呂の中から二人の歓声が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。





====================


 うーん、フェネセンをここまで泣かすつもりはなかったんですが……各所でフラれ続けて泣き暮れるフェネセンを描写しているうちに、作者の胸も痛んできてしまいました。

 よもや自作の執筆中にこれほど胸を痛めることになるとは、夢にも思いませんでした……

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