影向
水上祐真
プロローグ
二〇二一年。
前年の春頃よりなんとかいう感染症が世を席巻し、ぼくのような夜型の生活を送る人間にはいささか難儀な時代が訪れていた。
国の「感染拡大防止」という御題目により夜間の営業行為は著しく制限され、仕事上がりに一杯引っ掛けて帰る、なんてささやかな自分へのご褒美も許してはもらえない。おまけに恋人もなく、仕事は山積みである。
そんなわけで、毎日真っすぐ帰宅せざるを得ないぼくに取れる選択肢は二つ。
休日のうちに食材を買いだめして自炊するか、今そうしているように家から少し離れたコンビニに通うか。
自宅からいつものコンビニへの最短ルートではこの辺りで一番の繁華街を通り抜けることになる。もう少し近くにもあるにはあるのだが、そっちはタバコを置いていないのだ。
人っ子一人通らない大通りを
今夜は中心街のカラオケ屋を中間地点とした直線ルートを取り、かつ「右手側の裏路地を決して見てはいけない」ものとしよう。
「条件付き深夜徘徊」。
世の中がこのスタイルを選んで以来、無味乾燥な毎日にささやかな彩りを添えるために始めたのがこれだ。
一、往復のルートは毎日変えること
二、何かひとつ『決まりごと』を立てること
三、『決まりごと』は必ず守ること
ぼくが住むこの街は迷路のように入り組んでいて、目的地一つに対して行き方が何通りもある。最初のうちはルートを変えるだけでもある程度非日常感を味わえたのだが、案外早く飽きが来てしまった。世の中というのは思ったより立ち直るのに時間が掛かるらしい。
そのうち「市松模様のタイルは白いところだけを歩く」だとか「道の真ん中だけを歩く」のような小学生じみたルールを──ただし真剣に──己に課すようになった。正直、道中の退屈を紛らわせるならなんでもよかったのだ。
しかしこれが真面目にやってみると存外に楽しく、大人の想像力で子供の遊びに興じる背徳感もエスカレートを後押しした。
なにより、ガス灯が全国に普及した十九世紀からこっち、この街がこんなにも真っ暗になったことがあったろうか。こんなにも人の目が消えたことがあったろうか。昼間の喧騒は何処へやら、そこに生の面影は欠片も感じられない。
二百年の時を越えて、ヒトの世界に本当の夜が帰ってきたのだ。これを非日常と呼ばずに何とする。
夜は常に人の想像と恐怖を掻き立てる。膨らみ続ける妄想は必然的に「有り得ないもの」を想定するようになっていた。
くだらないと思うかもしれないが、馬鹿にしたものではない。コンビニで夕飯とタバコを買って帰るというなんてことのない日常の一コマが、これだけのことでスリルと緊張感に溢れた小さな冒険に早変わりするのだ。
そして何より、人は「するな」と言われると逆らいたくなるものである。たとえそれが、言われなければ決して取らなかったであろう行動でさえも。
その決まりを守らなければ本当になにかが起こるのではないか? そんな想像が、待つ人のいない殺風景なワンルームを「帰り着くべき場所」へと変えてくれる。孤独を忘れさせてくれる気がするのである。
しかし今夜はまた一段と暗い。開けている店が無いからと言って、街灯まで消すことはないのではないか。それにいつもなら遠くの方から聞こえるトラックの走行音もなく、石のタイルを踏みしめる自分の足音だけが空気を揺らしているようだった。
音と光のない世界。昔の人たちもこんな夜を歩いていたのだろうか。闇夜を煌々と照らす月に神性が見出されたのも当然なのかもしれないと、真っ黒に塗り潰された空を見上げながら思う。
恐らくは物の怪や妖怪の類が生まれたのもこんな夜だったのだろう。人はきっと『本当の闇』には耐えられないからだ。闇の中に潜んでいるかもしれない何かより、視界を
想像とは創造である。
光と人の目と情報に溢れた現代の街に妖怪はいなかった。だが、今この場所では?
誰かに呼ばれた気がした。
そちらを見てはいけない。分かっている。頭の中で
なのに、両の足は進もうとしない。右のこめかみが何かに吸い寄せられる。いない。いない。いない。何もいない。大丈夫だよ。こんなの遊びじゃないか。
──『決まりごと』は破られた。
真っ黒な路地からぼくを見つめるそれは、笑っていたのだと思う。
ぼくは優しく手を引かれ、
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