第8話

「懐かしい味だわ……。煙草屋さんのタタンバさんは元気かしら」

「タタンバは半年前に物盗りに刺されておっんだよ。今は、息子のババンゴがやってる」

「あら、そうなのね。ご冥福を祈らないと」


 煙草を咥えたまま、小さく聖印を切って祈る老女。

 聖職者だとしたら、なかなかの生臭具合だ。大聖堂を取り仕切る大司教が見たら目をむいて怒り出しそうなくらいに。


「あんた、スラムにいたのか?」

「ええ、昔ね。とても懐かしいわ」


 あの場所を懐かしむ余裕があるなんて、随分なお気楽な婆さんだ。


「あなたは?」

「アタシは今もあそこの住民さ。ここにはちょっとした仕事で来てる」

「そうなのね。ここでの生活はどうかしら?」

「平和でいらつく」


 思わず本音が出る。


「平和なのはイヤかしら?」

「いいことだとは思うよ? でもね、アタシが住んでるところは、ここから歩いて行ける場所なのに全く違う。……わかんだろ? 路地裏を覗けばガキもオヤジも関係なく死体になってるし、その死体から金目のもんをはぎ取らなきゃ生きていけねぇ奴もいる」

「そうね。生きるためには何でもしなくてはいけない場所だわ」


 あたしの言葉に、老婆が頷く。


「聖女候補だなんだと、ただ座ってるだけで金貨が転がり込んでくる世界があるのに、スラムじゃパンの一切れをめぐってガキ同士が殺し合う」

「そうね。あそこは、いつだって暴力と飢えに満ちていたわね」

「アタシだって生きるためになんだってやった。盗みもやったし、体も売った。殺しだけはしなかったけどね」

「どうして?」

「恩人と……そう約束したんだよ」


 妹を痛みから救い、安らかに天に送ってくれた人と約束したのだ。

 何があっても殺しだけはしてはいけないと。

そうでないと、妹に会えなくなると言われた。


「そう。あなたは、とても敬虔なのね」

「よせやい。アタシは神様を信じちゃいない。救わない神様を信じられるほど、お人好しじゃないんだよ」

「そうね。人は人が救うしかないものね」

「違いねぇ。主に人を救うのは金だけどな」

「金だけではだめよ。愛がないと」


 小さく笑いを漏らす老婆。


「愛だ? そりゃあ……金と飯があってこそだろ? アタシはいらないね」

「いいえ。違うわ、お嬢さん。愛はどこにでもあるのよ。あなたの妹さんへの想いは、お金や食事ではなかったでしょう?」

「……それもそうだね」

「金貨を積み上げても、お腹いっぱいになっても、愛がなければ満たされないものよ」

「そんなもんかね」


 謎の老婆としばし歓談したアタシは、残りの煙草をくれてやって部屋に帰った。


 もうすぐ、正午の鐘がなる頃合いだ。

 またよくわからねぇ儀式じみた場に出なきゃいけないというのは気が重いが、これも仕事だ。


 しかし、あの婆さん。

 どこかで見たこと……あるんだよな。

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