第99話

 日が出ている時間帯だというのに偽りの夜の帳が街の周囲一帯を含め、覆い被さるように飲み込んでいた。まるで質量を持ったような暗雲が空の至る所を侵食しているようだ。


 そこにはかつてのエアストの面影はなかった。


 街の入口に辿り着いたエルミナ、シナリス、ナツメの目に入ったのは地面に点々と落ちている赤黒い肉片のような物体。


 原型を留めないそれらがこの街の住人だということは容易に想像できた。辛うじて指の形を保ったものや、頭髪のようなものも確認できる。


 エルミナはその中にクラナ、ミセリ親子が混じっている可能性を考えてしまい、焦りを覚えた。しかし最早人の形をしていない肉片からはその判別がつかず、心の中で願うしかなかった。エルミナは停止してどれだけ経ったわからない自身の心臓の辺りに手を添える。


 次いでさらに奥へ視線を向ける一行。


 何やら黒い影の集団が犇めき合っている。今まさに軍人らしき人間がその黒い群れによって全身を貪られ、その辺りに落ちている肉塊の一つに変えられるところだった。


 目を凝らすと、その黒い群れの正体は無数のアンデッドだとわかる。


 人型のもの、巨体を持つ獣型もの、ほとんど骨だけになって動いているもの、その種類は多種多様だ。


 獣めいた唸り声がそこら中で鳴り、不穏な空気が辺りを支配する。


 街を吹き抜ける風が主を失った戸を揺らし、その軋む音までも魔物の呻き声に聞こえた。


「えっと……。アレ、キミらのお友達?」


 息を飲み、声すら出せずにいる一行。そんな中、シナリスがアンデッドの群れを指差し二人に問う。嘲るような声色とは裏腹に、その指先は微かに震えていた。


「本気でそう思いますか?」


「何ならお前をあいつらのお友達にしてやろーか」


 そう返すエルミナとナツメだが、その声には微塵の余裕もなかった。


「だよなぁ……」


 三人には想次郎の〝第三の眼サードアイ〟のようなスキルはない。だが、三人にはわかる。街中を徘徊しているアンデッドたち。その一体一体が相当の強敵だ。それを本能で察していた。


「ドラゴン討伐の方がマシだったかもな」


「念の為言っておきますけど、わたしは着いて来いと頼んでませんからね」


「わかってるっつーの。でもまあ、ちょっと後悔してるかな……。ちょっとだけどな……」


「玉無しやろー。怖いんなら逃げ帰ってもいーんだぜ?」


 ナツメはシナリス向かって言うが、視線は前方へ向けられたままだ。黒い群れの動きは酷く緩慢だが、それでも本能が決して視線を切らせてはいけないと、彼女の中で叫んでいた。


 三人が二の足を踏んでいると、群れの中の一体が一行の存在に気が付く。


 ぐずぐず爛れたような脚を縺れさせながら進行方向を変え、こちらへ歩み始めると、他のアンデッドたちの数体も釣られるように、一緒になって向かって来た。


 目の焦点はまちまちだったが、明確に三人を認知し、襲い掛かるべく、着実に近づいて来る。


「やっぱこっち来るよな」


 シナリスが嘆息しながら呟くと、


「まあ、来るだろーな」


 ナツメも同じような声色でそう漏らした。


「ちょっとキミら、同じアンデッド同士のよしみとかで、何とか話し合いで解決できねーか?」


「この期に及んで下らない冗談はやめてください」


「そもそも話が通じると思うか?」


「ま、通じねーだろーな」


 シナリスはそう言うと、決心したように一度大きく息を吸い込み、そして吐き出す。


「しょーがねー! やるか! 猫娘!」


 そう一言、背に担いでいた剣を抜くシナリス。


「うわキモイ。話し掛けんな」


 ナツメも両手を大きな爪の生えた猫の手に変化させ、軽く重心を落として臨戦態勢をとった。


「今更ですが、十分に気を付けてください」


 エルミナはそのまま体制を変えず、だがナツメ程ではないが人間離れした鋭い両の爪を熊手のように引っ掻きやすい構えにした。


「あ? めずらしーな。あんたが俺らの心配するなんて」


 前を見据えたままだが、シナリスは思わず感嘆を漏らす。


「別に心配はしてません。ただ……」


「ただ?」


 今度はナツメが不思議そうに聞き返した。


「あなた方がお亡くなりになったら、想次郎さんが悲しみます。あの方の悲しむ顔はあまり見たくありません」


 その回答を受け、二人は一瞬面食らったように目を瞬いた。だが、それ以上は何も言わず、無言の笑みを返した。


「あああぁぁっ」


 まず先に辿り着いたグールの一体がよくわからない呻き声を上げながら三人目掛け、ほとんど覆いかぶさるように襲い掛かる。


 それを合図に、三人はそれぞれ三方別々の方角へ飛び退いた。


「うぉらよっ!」


 真後ろに飛んでいたシナリスは着地すると同時に地面を蹴り、再び距離を詰めると、瞬時にグールの首を刎ねる。


 だがその頃には既に二の手三の手が迫る。


 ナツメは目の前の骨の魔物を殴り、粉々に砕くと、グール相手に苦戦しているエルミナを確認し、


「ウォルカ!」


 炎の魔法を放って、そのグールを跡形もなく焼き払った。


「だいじょーぶかぁ? エル姉」


「ふん……、別にこのぐらい……」


 と強気に返しつつも内心肝を冷やしていたエルミナ。ドレスに付いた煤を払い、平静を装うが、表情が上手く作れていないであろうことが自覚できた。


 エルミナの戦闘力は二人と比べるとそこまで高くない。それでもグールのような低級な魔物程度に後れを取らないくらいの力はある。加えて想次郎と共に魔物狩りを行い、日を重ねる毎に少しずつではあるが、強くなっていた筈だった。


 しかし今目の前に群がっている魔物は墓地の地下にいる魔物とは比べものにならないくらいに強い。


 まだ街の入口付近から満足に動けていない現状でこの有様だ。


 もし仮に二人が駆け付けてくれなければどうすることもできなかっただろう。そう考えると自身がかなり危ない選択をしたとわかる。


 改めてエルミナの戦闘力が然程高くないと認識したシナリスとナツメは、示し合わせることなく彼女の前に陣取り、自然と庇うような陣形で魔物の群れに対する。


「おい! 猫娘! 気を付けろよ! なんかヤベーのが混じってんぞ!」


 シナリスは対峙する獣型のアンデッドの爪を剣で受けながら絞り出すように叫ぶ。キチキチと金属と爪のぶつかる音を鳴らしながら、一度は拮抗したかと思われたシナリスの剣は徐々に押し返されていく。


 明らかにグールより数段上の魔物だ。


「残念。ヤバそうなのこっちにも来たよ」


 ナツメに対峙する魔物、その姿もまたナツメと同じ獣人型のアンデッドだった。だが、猫の両手や身体を包む毛は紫や群青のような毒々しい色に染まり、口からは誰のものかもわからない鮮血を滴らせている。


「キシシシシシ……」


 獣人のアンデッドは、ナツメの姿を値踏みするように眼球だけを動かし眺めると、血に染まり紅い花弁のようになった唇の端を凄惨に剥いた。


 遠くの方では、まだ姿の確認すらしていない魔物のものと思われる悍ましい咆哮が鳴り響いた。


「確かにちょっとヤバめかもな……」


 ナツメは思わず、片足を引き摺るように半歩下げた。







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【魔法】

特殊:フィル

同時に唱えることで使用する魔法に全体化を付与する。元の消費魔力×ターゲット数分の魔力を消費する。

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