第137話:黒竜の真実

『これより先は、私の力の及ばぬところだ』


「……喋った」


 あっけに取られ思わず言うと、鳥はどこか楽しげに言った。


『いつも話していただろう? ふふ、キミは良く喋る子だった』


「え、あっ……だ、だったら! ここに来た時に言ってくださいよ! は!? 何!? ずっと黙ってたの!? 意地悪で!?」


 ミラベルは今まで貯まっていたいろいろなものを吐き出すように一気にまくしたてると、鳥はまた笑い、小さく首を振った。


『意地悪では無い。[イドルの悪魔]が、ずっと見ていた。――邪魔をされない為に、集中していただけだ』


「だ、だから! 言ってくれなきゃわかんない!」


『むう……。一理ある。すまない、謝罪しよう。稀に見る、豪胆な友よ』


「何だその言い方!?」


 ミラベルが言うと、同時にぞおんと強大な魔力が駆け巡った。

 鳥が少年に目を向ける。


『……始まる。――どうか、絶望しないことを、願う。かつての、我が友のように……』


「な、何言ってんです……何の話ししてんですか。なんで、わたし……」


『散り散りになったものを、取り戻すのだ。――戦いは、まだ終わっていない』


「はぁ!?」


 ミラベルが素っ頓狂な声を上げるのと、聞いたことのある怒声が響くのはほぼ同時だった。


『ふざけんじゃねえ!!』


 途端に景色が広がり、光の柱を取り囲むようにして幾つもの影が現れる。

 その影の一人――ビアレスが、兜を乱暴に脱ぎ、光に向けて放り投げ、絶叫した。


『馬鹿にしやがって! 俺ぁやらねぇからな! 誰がやるか! ああ!?』


 投げられた兜は光に飲まれると、一瞬で分解され、消失する。

 ビアレスが乾いた笑い声を上げる。


『は、ははは! 見たか今の! なぁ! それであれか!? [古き翼の王]に止めを指すためには、俺たちがここで死んで、魂がどうとかっつー世界に行けってか!?』


 影の皆は押し黙り、何も言えないでいる。

 ビアレスはなおも言った。


『やめだやめ! 馬鹿馬鹿しい! 俺ぁ死ぬ為に戦ってきたわけじゃあねえ! 生きて、帰るためだ! みんなもそうだろ!? リドルさんは店を開いたばかりだし、奥さんも子供もいる! ゼータは弟残してきたって言ったよなぁ!? つーか全員そうだろ!? ここで無関係な、勝手に俺らを呼びやがった糞野郎どもの為に、家族とか、ダチとか、そういうの全部捨ててやる必要はどこにもねぇ!』


 彼はそう言い切り、しかし帰ることもなくただ乱暴に座り込んだだけだ。

 そして影の一人が、悔しげに言った。


『……すまない、ビアレス。こんな――これほどの、ものだとは……』


『おーおー、元正規軍のオーラン隊長閣下は、俺たちを勝手に呼び寄せて、こんなつもりはなかったっつーのは随分とおっしゃいますなぁ!』


 彼が怒りのまま吐き捨てると、すぐにリドルが、


『……ビアレス君』


 と優しく咎める。

 しかし、彼もまた困惑しているようで、それ以上の言葉は出てこないようだ。

 ビアレスは


『けっ』


 と言ってつまらなさそうにそっぽを向いた。

 ずしん、と一度地鳴りが走る。

 リドルが言った。


『[死の大樹]の進行が、進んでいる。もう本国にまで届いているかもしれぬ』


 光の柱は、ただ瞬き、天へと伸び続けている。

 オーランが光の柱のそばに佇む、小さな青い鳥に向けて言った。


『[古き翼の王]よ! 私を連れて行ってくれ! 元よりこれは、我らの世界の問題! ならばこの始末は、私が――』


 しかし、[古き翼の王]と呼ばれた鳥は首を振る。


『何故――!』


 オーランが縋るように言うと、青い鳥は言った。


『[闇の悪魔イドル]は、この次元の魂の支配者。オーラン、お前では取り込まれてしまう。違う次元の魂が、必要なのだ』


『だと、よ。んじゃこの話は無しだ。やめやめ、あー、どーすっかなぁ。つーか鳥ぃ、テメーの読みが甘えのが原因なんじゃねえのか? 始末はテメーでつけろ。曲がりなりにも神なんだろ? やれよ』


『私の力が至らなかったのは、すまないと思っている。――だが、自我を芽生えさせた[イドル]は、恐怖を喰らい、[神界]にまで手を伸ばしたのだ。ヤツは私の力を、とうに超えている。偽りの神を滅ぼし、再び[闇の神]へと戻ろうとしている』


 見れば、影の人数はビアレスを合わせて十四人しかいない。

 ガラバの姿も見えない。十一番隊はこの時点で、壊滅していたのだ。

 そして、誰もこれ以上声を上げない。

 それもそうだろう。

 元の世界に戻る。家族に再び会うために、嫌々戦ってきたのだ。

 それなのに――。


 しかし、とミラベルは思う。

 歴史によれば、ビアレスはこの後帰ってきたのだ。

 [古き翼の王]を倒して――。

 〝次元融合〟で召喚された十三人の、[暁の勇者]全員が、無事に――。

 思考が、思わず声に出る。


「オーランって人は、この世界の人――?」


 一番隊の、オーラン隊長。[ハイドラ戦隊]の団長であり、戦を勝利に導いた立役者。

 では、〝次元融合〟の、十三人とは――。


 何かを、見落としている気がした。

 少しずつ、少しずつ、ミラベルの見てきたもの、学んだもの、記憶の糸を紡いでいく。


 ――千年前の、出来事。


 今見ているのは、大地の[記憶]。

 ……本当に、大地のものだけなのか?

 では、一番最初に見た不思議な建造物は――誰の、記憶なのだ?

 あの記憶は――。


 もう一度、大きな振動が遺跡内部を襲う。

 パラパラと土埃が落ちる。

 そして皆が沈黙する中、一人の、白亜の騎士が前へ出、言った。


『――俺がやる』


 その声は、[紅蓮の騎士]そのものであった。

 ビアレスが驚愕し、立ち上がる。


『ばっ……お前――そういうことを言ってんじゃあねえ! オレは――』


『[グランリヴァル]には、ソフロもいる。……時間が無い』


 言いながら、その騎士――ベルヴィンは兜をゆっくりと脱ぎ去った。

 そして、黒い髪、黒い瞳をした――ミラベルの手を握る少年によく似た男が、言った。


『誰かがやらなければならないのなら――俺でも、構わない』


 ビアレスは激高し、ベルヴィンの胸ぐらに掴みかかる。


『だから! そういうことじゃあねえ! 誰かを、犠牲にとか、そうじゃあねえだろ! まだ、何か――ああ、くそ!』


 苛立ったままビアレスは髪をかきむしり、ぐるぐると同じ箇所を行ったり来たりし、懸命に考えをめぐらしている。

 不意に、手を握る少年の指先にぎゅっと力が込められた。

 すると、一瞬意識が彼方へと飛び去り、誰かの目を通して別の景色を見た。


 それは、最初に見た石の道の街並み。

 薄暗闇の、帰り道。

 ぞっとする気配に気づき振り向くと、そこには闇よりも濃い漆黒が、今まさに妹に覆いかぶさろうとしている。

 咄嗟に彼は妹を突き飛ばし、漆黒に対峙した。

 視界がまた移り変わる。


『――[刻印]が、無い? これは、どういう……姫君は!?』


 一人の魔道士が言うと、既に息絶えたエルフの女性のそばにいた従者が悲しげに首を振った。

 また、視界が移り変わる。


『……なぁにが力をかせだ。しかも帰れるかどうかもわかんねぇだぁ? ふざけやがって。……つーか俺の原付き返せよくそっ……。――お、テメェがラストか? このくっだらねぇカスみたいなとこに――う、お? お……? お前、ヒロか?』


 視界の主が困惑し、しかし言った。


『リュウちゃんか……? 小学校で、一緒だった――』


『お前、マジか……!』


 フラッシュバックから戻った時、ビアレスはまだ悩んでいた。


『前の、最初ん時は、リドルさんのおかげで助かった。ありゃあ死ぬかと思った。その後だって、オリオンのやつがドラゴンんとこ無理やり突破してよぉ、援軍に駆けつけてくれたから何とかなった。マリーの回復にゃ世話んなったよ、ありゃ向こうの魔法なんだってな? は、よくわかんねえがすげえやつだって思った――』


 多くの騎士たちは、まっすぐにベルヴィンを見ることが出来ず、ある者は迷いながらも視線を落とし、あるものはただうつむくだけで――。

 そして、捻じれた角をした少女だけが、信じられないと言った様子で、まっすぐに、ベルヴィンを見つめていた。

 一度、ベルヴィンは彼女を見、しかし何も言わず、ただ静かに視線を落とし、青い鳥となった[古き翼の王]に向き直った。

 鳥は言う。


『――良いのだな』


 すると、ビアレスはすぐに怒鳴り声を上げた。


『勝手に話を進めてんじゃねぇ! ああそうかい、てめぇも[翼]のくそったれとかわんねぇ。無理やり巻き込んで、てめぇだけで納得して――糞野郎じゃねえか……! おいベル、こんなカスに従う必要なんざねえからな。オレたちは――もう、ガラバも、ボズンも……みんな死んじまった。誰も残っちゃいねぇ。……けど』


 一度彼は言葉を区切り、震える唇で、吐き捨てるように笑っていった。


『けど、なぁ! 所詮はァ! テメェらの不始末を、テメェらで払っただけのことだろうが! オレたちにゃ関係無い! オレたちは! 無理やり呼ばれて来たんだぞ!? こっちの連中は、自分たちの尻拭いをしただけで! それにつきあわされて、オレたちは……全員で、生き残って来たんだろうが! まだ、何か……手はあんだろ、何か、どっかに……!――リドルさん、頼む、何かあんだろ! 何か……』


『ビアレス君……。――すまない』


『は、は……そりゃねえぜリドルさん。――マリー、あるだろ? お前んとこの、そっちの世界のさ、魔法とかよくわかんねえすげえ知識。何度も助けられた、あれ他に無いか? なあ』


 マリーと呼ばれた女騎士が視線を落とすと、ビアレスは一度ぎゅっと唇を噛み、それでも何かを求め続ける。


 ベルヴィンがゆっくりと足を進める。

 ビアレスは叫んだ。


『妹はどうなんだ!』


 ベルヴィンの足が、ぴたりと止まる。

 ビアレスは続けた。


『確か、ランって言ったよな。オレらが小学生ん時に、あんくらいだったから今いくつだ?待て、ええと、小学生の、低学年くらい――だから……』


 ベルヴィンは、力なく天を仰ぐ。

 目をつむり、無念そうに吐いた息と共に、言った。


『もう、五年も経ってしまった。……ランはもうすぐ、高校生になる』


『そりゃ……そう、か。そうなるわ、な――。け、けど、お前じゃなくたって良いだろうが。例えば……オ、オレ、だって……』


 なおも言うビアレスは、ベルヴィンの行く手を阻むように前へ出た。

 ベルヴィンは自嘲気味に笑い、言った。


『――良く言う』


『ああ!?――うっ』


 ベルヴィンの拳が、ビアレスの顔を殴り飛ばした。


『て、てめ……』


 よほどの威力だったのか、立ち上がろうとしたビアレスはがくりと膝から崩れ落ちる。

 ベルヴィンはそんな彼を見下ろし、言った。


『二年前、ルミナスの戦いあったろ』


『――?』


 ビアレスは頬をさすりながら、しかめっ面をする。


『ローレリアさんに、少し似たエルフの人。――子供が出来たって言ってた』


 すると、ビアレスは目を見開き、絶句した。


『んなこたぁ!――無くは、無い、か……。だ、でも、何でお前が……』


『俺だけじゃない。ゼータと、リドルさんも……ガラバも、お前以外はみんな知ってる。ただお前にだけは言わないでくれって――足かせになりたくないからって、そう言ってた』


 もう、ビアレスは反論しなかった。

 ただ俯いたまま、何も言えず――。

 ベルヴィンが皆に言う。


『みんな、守るべき人がいる。帰りを待ってくれてる人がいる。だけど、その中で――たぶん、俺が一番マシなんだとは思った。俺が死んでも、父さんと母さんには、蘭がいる。けどみんなは――そうじゃないだろ? たった一人の父親で、たった一人の娘で……将来国を背負うはずだった者までいて――』


 最後にベルヴィンはゼータを見、さみしげに言う。


『父と、母のいない弟にとって、唯一の家族って人もいる。だから、ビアレス。――俺だけなんだよ。一番、マシなのは』


 そして、ベルヴィンはゆっくりと足を進める。

 一度だけ振り返り、言った。


『もし……帰ることが、できたらさ。蘭のこと、頼んで良いか』

 ビアレスはすぐに顔を上げ、しかし言葉を詰まらせる。


『…………。オレは――』


『頼む、リュウちゃん。蘭はたぶん、覚えてる。どれだけかかるか、わからないけど――』


 光の柱が強く瞬いた。

 ビアレスは、震える声で言った。


『馬鹿か、テメェ。オレを舐めんな。……一年だ、そんだけありゃあ、復興もして、〝次元融合〟も完成させて――お前のこと、全部……伝えてやる。絶対だ』


『……ありがとう』


 そうしてベルヴィンは一度、ゼータを見、バツが悪そうに言った。


『――会えると良いな、弟に……』


 青い鳥が、力強く羽ばたく。

 一瞬だけその鳥は、青い光を放つ漆黒のドラゴン、[古き翼の王]の姿となり、その輝きでベルヴィンを包み込んだ。

 そしてベルヴィンは光の柱に触れ、消えていった。

 さっと景色が遠ざかっていく。

 一人の影が消え、また別の影が消え――。


 最後に、頭を抱え蹲ってしまったゼータが残った。

 ゼータはただ肩を震わせ、泣いていた。

 そのゼータもまた、影となって消えていく。


 そしてただ白い世界が残った。

 少年がミラベルの手を離し、前へ出る。

 青い鳥が言った。


『――打ち勝ったのだな。[イドル]に……』


 少年は真っ直ぐに青い鳥を見据えている。

 少年が言う。


『ごめん。――遅くなった』


 青い鳥は頷くと、その姿を漆黒のドラゴン――[古き翼の王]へと変えた。


『私も約束を果たそう。我が、最後の友にして、最も多くのドラゴンを屠った戦士。ドラゴン殺しよ』


 [古き翼の王]から、圧倒的な闇が溢れる。

 だがその闇は、負の感情を与えない不思議な闇だった。

 まるで、人を眠りに誘うぬくもりを感じさせるような――優しい、闇。

 闇が少年の内側に吸収されていくと、[古き翼の王]の体がボロボロと崩れていく。

 そして、[古き翼の王]は全ての闇を放出し尽くし――。

 輝きが溢れ、ミラベルの意識は遠のいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る